第5話

 マリコさんの相手をするのは楽しいけど、僕は働かなければならない。貧乏暇なしだ。暇があったとしても仕事をしてないと、焦るような気持ちになってしまう。貧乏性。

 生活に必要な買い物は済ませたし、マリコさんにはビルの四階を自由に使ってもらうことにした。当分は一人で出歩かないようにお願いをする。昼間でも危険が無いわけではない。

「ハイ。分かりました」

 意外なほどあっさりとマリコさんが承諾した。

「分かったと言っておきながら、また家出しないですか」

 僕はちょっと笑って訊いた。

「さすがの私も、二重に家出をするほど自由じゃないわよ。まるでチョウチョがヒラヒラと飛んでいくみたいに? 消えていなくなりそう?」

 手をヒラヒラさせてマリコさんが言った。チョウチョね……なるほど。

「外から鍵を掛けていきます。今日は部屋の模様替えでもしていてください。屋上にも出ないで。街には少しずつ慣れていきましょう。機会を見てちゃんと案内をしますから。昨日のマリコさんの様子だと、まだまだ楽しめると思いますよ」

「うん、楽しみね。私、スラムの街に馴染んで行きたい。ここの空気を私の体の一部にしたい」

 スラムの空気だと……病気になりそうだけど。

「じゃあ僕は出かけます。何かあったら電話してください。この電話を使ってください」

 僕は携帯をマリコさんに手渡した。

「あ! この携帯マルヤマ二十七号じゃない。しかもすごい改造してある。いわゆる無料携帯?」

 携帯を撫で回してマリコさんが言った。僕はびっくりした。この携帯はかなり小さなメーカーの製品だ。しかも都市部では流通していないはず。マリコさんの言う通り改造してある。そもそもが改造しやすいように作られている、スラム向けの携帯電話だ。

「もしかして機械にお詳しい?」

 僕は訊いた。

「詳しいというか、一部の機械に愛着があるの。小さなメーカーの製品が割と好きかな。専門知識は無いし、趣味がすごく偏ってるの。携帯を分解して、もう一回組み立てたりしたことはあるわ。それぐらいよ」

 それぐらいってもう普通じゃないだろう。都会の人なのに。

「もしかして、僕の右腕……」

「もちろん、それはすぐに分かったわよ。すごく上手に調整されてる。サイゾウはセンスがあるわね。とても素敵よ」

 マリコさんがにっこり笑った。なんだかジーンとしてしまった。都会育ちの女の子に、スラム仕様のパーツを褒められるなんて。

「少し話しましたけど、僕の商売はゴミを拾ってきてそれを売る事なんです。ただゴミを売るわけじゃなくて、修理や調整をして付加価値を付けるのがポイントです。この右腕も元はゴミでした。医療系ゴミを専門にやっています。非合法な仕事です。いろんな意味で汚いモノを扱っています」

 思い切って僕は言ってみた。

「それはスゴイ面白そうね! 私、大学でね? 医療の勉強もしてたの。医者になろうとか、そういうんじゃないんだけど。専攻も偏ってる。でも、もし良かったらサイゾウのお仕事を見せてもらいたいな。出来たらお手伝いもしてみたい」

 想像以上の反応だった。マリコさんの目が輝いている。ゴミとか、非合法という部分は気にならないだろうか。この人は都会の、お金持ちのお嬢さんなのに。

「いやスミマセン……。マリコさんの言葉はとても嬉しいし、僕も一瞬心が踊りました。でもよく考えたら、マリコさんをこんな仕事に関わらせる訳には行かないです。危険も多いし。ごめんなさい。変な事を言いました」

「私は地雷原へ、違法に家出をしてきた人間なのよ?」

 僕をグッと睨みつけてマリコさんが言う。

「地雷原をハダシで歩いてましたよね。アレは凄かった。というか酷かった」

 僕は少し笑ってしまった。

「また地雷原に行きたいとは言わないわ。それならいいでしょう? サイゾウと仕事がしたい」

 マリコさんがきっぱりと言った。お嬢様がゴミ拾い。そんな事が許されるのでしょうか。

「仕事に関しては、僕の言う事に従って……」

「もちろん! ボスには絶対服従。私、言われたらハダカで逆立ちだってするわよ。規則も守る。商売の勉強もする。サイゾウをがっかりさせない。ほんと、サイゾウをがっかりさせたくないと思っています。師匠、よろしくお願いします」

 マリコさんが丁寧にお辞儀をして言った。ボスとか師匠とか言ってるけど、立場はどう考えてもマリコさんのほうが上だ。

「心配しないで! 楽しくやりましょう」

 僕の背中をバシッと叩き、マリコさんが素敵な笑顔を見せた。なんで僕が励まされてるんだ。笑顔のマリコさんは本当に美しい。


 ビルの一階、店舗スペース。お客さんと取引をしたり、情報交換をする時にだけ使っている。それ以外の時はずっと閉めっぱなし。商談室と言った方がいいかもしれない。店は雑貨店のような作りにしてある。陳列棚に七本指のミギウデとかジャンク部品を置いて、値札まで付けてある。市場で古いレジを買ってきてカウンターの上に設置した。レジもカウンターも本来は必要が無い。単なる僕の趣味だ。

「雑貨店が好きなんです。しかもあまりやる気がない店。ものすごく古い商品が、大昔の値札のまま放置されているようなお店です」

 僕は笑った。

「いい趣味してる。ここで取引をするお客さんも楽しいと思うわ。サイゾウは商売の才能があるのね。その若さでビルを一つ持っているわけだし」

 マリコさんが棚の品物を眺めて言った。

「商売は勉強中です。稼ぎは少ないし、失敗も多いです。このビルは両親が、僕に残してくれた物なんです」

 僕は言った。

「じゃあご両親は亡くなってるのね……。私、自分の事は話さないのに、サイゾウの事は色々と訊いちゃって悪いわね。でも訊くわよ」

「構わないですよ。特に秘密も無いです。両親は組織で仕事をしていて、父は恐らく死んでいる。母は生きてますけど、神出鬼没です。生活が分かれてるんです。両親が僕の為に、意図的にそうしてくれました」

 僕はなんとなくレジに触る。こいつは百年以上前の製品で、押し込み式のボタンが付いているのが気に入っている。

「両親が組織の人間って、それは秘密じゃないの?」

 マリコさんが不思議そうな顔をする。

「スラムだと、組織と繋がりの無い人間を探す方が難しいですよ。ただ、組織の内部情報はトップシークレットです。知ってたら命が危ない。だから両親は家を出て行ったんです。僕を巻き込まない為に」

 レジを見つめて僕は言った。

「そのレジいいわね。お店を開けて、お客さんを呼びこんでみたいな。お客さん今日はミギウデが安いよ! いい薬入ってるよお兄さん! とかね。やってみたいな」

 マリコさんが言った。

「なかなか面白そうですね。本当にやってみますか」

 今のままでは無理だが、ちょっと工夫すれば出来ないこともない。

「サイゾウ、ノリがいいじゃない。慎重そうな人だなって、私は思ってたんだけど」

「慎重は慎重ですけど……。勘とか流れを優先する、悪い癖があるんですよ」

「悪い癖じゃない。それはいい癖よ。絶対に」

 マリコさんが断言する。

「では開店の準備をしましょうか」

「がってん承知だぜ、アニキ!」

 マリコさん……。美人が勿体無い。


 商品棚の上にある物を全部物置に引き上げた。七本指のミギウデを店頭で売るわけにはいかない。果たして何を売ればよいのか。薬はもちろん売れない。疑似タグも思いっきり違法なので表には出せない。まともな商品を僕は持ってない。

「やっぱり無理ですかね……」

 僕は苦笑して言った。

「そんな事ない。物置にあるガラクタを売ろうと思うの。売ってはダメなモノには印をつけておいてね。後は私がやるから。サイゾウは今日も地雷原に行くんでしょう? しっかり稼いできてねアナタ」

 マリコさんが自信満々で言った。

「まてよ。店を開いたら、不特定多数の人間が入ってきますよね。セキュリティに問題があるな」

 マリコさんを一人にする訳には行かない。

「そういう事は儲かってから考えなさいよ。早く仕事に行きなさい! 何かあったらちゃんと電話するから。セキュリティの事も私が考えとく!」

 マリコさんがイライラして言った。割と短気だ。怒った顔も美しい。マリコさんに押し出されるようにして、僕は地雷原へ出発した。

 

 出勤したはいいものの、店のことが気になって仕事が手につかない。マリコさんに電話をしたい。だけど思いとどまる。「大丈夫よ!」とドヤされるに決まっている。こんなに不安を感じた事は、僕の人生で未だかつて無かったかもしれない。両親がいなくなった時も、地雷原で仕事を始めた時も、僕はそれほど慌てなかった。今回の不安感は一体どういう事なんだ。

 集中を欠いた状態で地雷原を歩くのは危ない。僕はガレキの上に座って大きく深呼吸をする。汚い空気をめいっぱい肺に取り込んで、一気に吐き出した。そう言えばマリコさんの呼吸も心配だ。マスクを付けろと言っても嫌がるだろう。外出を控えればギリギリ大丈夫だろうか。長期的に考えると、体に負担がかかってくるのは間違いない。彼女はどれだけスラムにいるつもりだろう。僕は空を見上げた。いつも通りに汚いスラムの空。やっぱりマズイだろ、生身は。


 夕方、店に戻ったら驚いた。悪くない。古い雑貨店のイメージを尊重してくださったのだと思う。ゴチャゴチャとしていて魅力的な店内。棚にガラクタが丁寧に並べられている。値札も付いている。五十年モノの未開封缶詰に百ドル円とか。なかなか面白い。

「マリコさんの方がよっぽどセンスがありますよ。いい感じに汚れてますね。驚いたな」

 僕は笑った。

「ほらこの携帯とかどう? 五百ドル円の値札をつけてみたんだけど」

 汚い携帯を振りかざして、マリコさんが嬉しそうにして言った。

「五百ドル円は無理ですよ。普通にゴミじゃないですか」

「ところがどっこい。ちゃんと通電させたもんね! 機械は死んでいませんでした。都会のマニアだったら三千ドル円ぐらいは出すと思うわ。自信があります」

 マリコさんの鼻息が荒い。

「確かに都会じゃ手に入らないでしょうけどね。スラムで買う人はいるのかなあ」

 僕は首を捻る。

「きっと売ってみせるわ。物置にはまだまだお宝がありそうだし。修理とかをしながら、商品を充実させていくつもりよ。やり甲斐があるわ。印が付いていないのは、勝手にいじってもいいのよね?」

「いいですけど。ホントのゴミばっかりですよ。僕も好きで集めた物なので、全く価値が無いとは言わないですけど……」

「燃えるわね〜」

 ガラクタを握りしめてマリコさんが嬉々としている。どこからどう見てもただのゴミですけど。僕はタダだから拾ったわけで、お金を出してまで欲しいとは思えない。都会の人にはまた違って見えるのだろうか。


 マスクを付けてもらうように言ってみたけど、やっぱり拒否された。マリコさんの体はパーツ化率一%未満だ。都会の人にしたって稀有な例だと思う。何か宗教的な理由でもあるのかもしれない。

 都市部では頻繁に新しいパーツが発売されている。お金持ちはパーツの買い換えに忙しい。健康の為に体を常に最新の物にする必要がある。ネットとかテレビ等のメディアでも売り込みが激しい。健康保険とセットになって売られているケースもある。どれだけ心配性なんだよ、と思う。そもそも都市部は空気が綺麗だから、生身でもそれほど問題は無いハズなのだ。

 一方スラムの人間達は、汚染された環境に適応する為に、パーツを使わないと生きていけない。都市部の人達の消費のおかげで、中古パーツの取引も盛んだ。五年落ちぐらいの旧型ならば、貧乏人でも手が出せる値段になる。旧型と言ってもそれほど性能は悪くない。ありがたい事だ。

 都会の人間にナマの臓器を売って、貧乏人はパーツの臓器と当面の生活費を得る。そういう悲しい話も過去にはあったらしい。現在はパーツの性能が上がった為に、ナマの臓器の需要がほとんど無くなった。そういう意味では平和な時代だ。

 スポーツモデルの肺や心臓を取り付ければ、息切れしないで走り続ける事ができる。お金持ちは趣味で体を強化する。スポーツモデルはスラムでも大人気だ。肉体労働の人が型落ちや中古を好んで買う。息切れしないで働き続ける事ができるので。笑ってしまうけれど、それがスラムのスポーツモデルだ。

 そういう事もあって、都会人のマリコさんがパーツを入れていない理由が分からない。職業柄僕も、医療系の知識が少しはある。彼女の体をチェックしていて感動した。人間の生身の体。成人女性の体は本当に美しい。性的な意味は有りません、と言いたい所だけれど、こんなに綺麗な体を見ていると、どうしたって興奮する。マリコさんのそばいると、ドキドキしてしまう。

 とりあえずマリコさんに、安定剤を飲んで貰うことにした。気休めに過ぎないけれど、何もしないよりはいい。店の中にも、そこそこ値段の高い空気清浄機を置いた。頻繁に外出しなければ、当分はこれでなんとかなるかもしれない。

 

 目が覚めてマリコさんと朝飯を食べ、地雷原に出勤する。地雷原の近くにある定食屋で、同業者と一緒に飯を食べて夕方まで働く。そのあと家に帰ってきて、ガラクタを整理したり事務作業をする。マリコさんが夕飯の準備をしてくれて、おしゃべりをしながら一緒に食べる。マリコさんが四階の部屋に引き上げた後、また少し作業をしてから僕はベッドに入る。

 店は順調だ。マリコさんは楽しそうにガラクタを修理している。陳列棚に置く品物をどんどん増やしている。開店してから一ヶ月程たったけれど、まだ一度も品物が売れたことが無い。客も殆ど来ない。だから僕もあまり心配しないようになった。マリコさんの適応力のおかげだと思う。スラムの生活にだいぶ慣れて来たようだ。

 以前と同じように暮らしているけれど、生活の質は明らかに向上している。朝起きて「いってらっしゃい」と言われて仕事に出かけること。家に帰ると「おかえりなさい」と言ってもらえること。一人で食事をすることが無くなった。地雷原で目をつけたガラクタを、マリコさんへのお土産にする。楽しい。一人の生活が好きだったけれど、これはこれで悪くない。

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