第4話

「マリコさん。タグをつけませんか?」

「IDのタグ?」

 マリコさんが顔をしかめる。

「適当な情報を入れた偽物のタグですけどね。スラムではタグが無くても基本的には問題ありません。でも無ければ無いで目立ちますから。マリコさんがしばらく家出を続けるつもりならば、偽のタグをつける事をおすすめします」

「せっかくタグを抜いてきたのに……」

 マリコさんが悲しそうな顔をする。

「疑似タグというモノがあるんですが、こいつを試してみませんか? 半年ぐらいで消えるタトゥーのようなものです。皮膚にプリントします。ちょっとチクッとするだけです」

 僕は言った。

「お。そういうモノがあるの? 初耳だなあ。そんなんでバレない?」

 マリコさんの目が輝く。

「都市部のゲートではバレるでしょうね。でも、スラムで暮らす分には支障ないです。疑似タグと言ってもいろいろあるんですが、プリントタイプではこれが一番精度が高いと思います。うちの店の商品なんです。僕も今これを使ってます」

 僕は首の後ろを右手で押さえて言った。タグの偽造は大昔から試みられて来た。偽造の技術が上がると政府が精度の高いタグを作り直す。イタチごっこの世界だ。

「サイゾウが作ったの?」

「はい。最近のヒット商品です。あまり儲けにはならないですけど。趣味みたいなものです」

「じゃあ付けてもらおうかな」

 そう言ってマリコさんが、長い髪を片方に寄せて白い首筋を出した。スゲー綺麗な、うなじ……。

「プリントすると言っても見た目には何も無いです。もちろん体内に影響はありません。情報を書き換えるのは簡単にできますし、半年たったら自然に消えます」

「いいから早くやりなさいよ。前置きが長いよサイゾウ」

 マリコさんが肩を震わせて笑った。恐れを知らない人だなあ。生身のマリコさんにタトゥーを入れるわけで、僕は少し緊張している。本当にいいのか。

「タグに入れる情報でリクエストはありますか」

 マリコさんの首筋に機械をセットして、僕はコンピュータの画面を見つめた。

「何でもいいの? 例えばイタリア人にもなれる?」

「イタリア人でもインド人でも。男にもなれるし、やろうと思えば国会議員のタグもつけられます。ただし、あんまり目立つ情報にしたら本末転倒ですよ」

「本末転倒ですか! サイゾウ君、なかなか慎重ですね。信頼できるよ。なかなか気にいってきた。気に入ったよサイゾウ君」

 マリコさんが小刻みに頷いて言った。

「……ありがとうございます。それでどうしましょうか、タグの情報は」

 ドキドキする。

「私の父はロシア人とイタリア人のハーフなの。母親は純日本人。父はロシア系組織の幹部で、商売のために来日しました。そこで母親と恋に落ちたの。母親は大企業の役員の一人娘だったから、ほとんど駆け落ちみたいな結婚よ。南フランスの小さな町で私は生まれたの。父親が組織の幹部でしょう? 私や母の存在は極秘事項よ。私は南仏で何不自由なく育って、ハイスクールを卒業しました。サイゾウ知ってる? ヨーロッパの裕福な家庭の子供は、大学に入る前に世界を旅する習慣があるのよ。一年間くらい。私は母親が生まれ育った日本に興味があったわけ。ヨーロッパとは全然違う文化に惹かれたのね。日本の大学に通うことも視野に入れて来日しました。だけど、日本の都市部は綺麗過ぎてつまらない。もっといろいろと見たいけれど、外国籍の人間は都市部を簡単には出られない。特に学生ビザじゃ制限がキツイのよ。だからタグを首筋から摘出して、とりあえずスラムに飛び出してきたわけ。そんな私、身長百五十八センチ、体重四十八キロ。二十歳女性。今の話を踏まえて後はサイゾウのセンスに任せる。タグの情報は」

 マリコさんが早口で言い終えた。

「今の話どこまでが本当なんですか。ずいぶんよどみない感じでしたけど」

 僕は驚いて訊いた。

「それは秘密です」

 マリコさんが真面目な顔をして言った。恐ろしい。僕はタグの情報を整理する。

「見た目が純日本人ではないので、ロシアと日本のハーフにします。ロシア系はスラムにも比較的多いので適当だと思います。国籍は日本でスラム生まれのスラム育ち。学業成績優秀の為、商工会から奨学金を受けている。都市部の学校へ短期留学の経験有り。工業デザイナー志望の学生にしました。あとで詳細なファイルをお渡しします」

 僕は言った。

「いいんじゃない? なかなかいい読みをしているわね」

 馬鹿にされているんじゃないだろうな。

「ところで名前はどうしますか」

「名前はマリコよ」

「それは知ってますけど」

「いいのよマリコで。苗字は無くても大丈夫よね? スラム出身って事だし」

「マリコって本名じゃないですよね?」

 僕はしつこく訊いた。

「サイゾウ君心配しすぎ。あんまり設定にこだわるとスラムでは逆に目立つのよ。なんちゃって」

 マリコさんが笑った。僕の頭がウワーッとなって来た。この人はとても魅力的だけど非常に危険な感じがする。僕は完全に自分のペースを失っている。乗りかかった船だからこのまま行こう。楽しいことは楽しい。


 マリコさんの希望でスラムをご案内する。案内すると言っても特に見るべきところは無い。ゴミゴミしていて薄汚れた街だ。

「これよこれ。この雰囲気。私はこれが見たかったの」

 マリコさんが嬉しそうにする。

「都市部とはだいぶ違うでしょう。でも都市部にもスラム的な場所はあるんですよね。聞いたことがあります」

「うんあるある。私も行ったことがある。だけど都市部のスラムはもっと荒んでる。一般市民は近づけないわよ。夜歩いてたら、身ぐるみ剥がされてもおかしくない場所」

 なぜか笑顔でマリコさんが言った。

「そんな場所にマリコさん、一人で行ったんですか?」

「うーん一人じゃないわね。車に乗せられて、お昼の時間帯にチラッと見物してお終いよ。それじゃあ行く意味がないでしょうに。でもしょうが無かったの」

 言葉を選ぶ感じでマリコさんが言った。あまり深く質問すると困らせてしまいそうだ。

「この街は基本的に貧しい市民で構成されてます。助け合わないと生きて行けないので、その分情緒のようなものがあるかもしれません。だけど治安は悪いですよ。もちろん夜は出歩かない方がいいし、路地裏はお昼でもダメです」

「うん了解。サイゾウの言うとおりにする。勝手な事はしないよ、私。だけど許される範囲でいろいろと見せてね? スラムの素敵な所を」

 微笑んでマリコさんが言った。

「スラムの素敵なところか……。僕はスラムと、あとは近くの田舎街ぐらいしか行ったことが無いんです。だからマリコさんにどの部分で喜んでもらえるのか、あんまり自信が無いな。頑張って紹介しますけど」

「頑張ってねサイゾウ!」

 そう言ってマリコさんが僕の肩を揉む。細い指が僕の背中にグイっと食い込む。生身のくせにけっこう力がある。じんわりした。

「とりあえずお昼ごはんを食べませんか? 食べた後に買い物をしましょう。今日は土曜日だから、大きな方の市場が開いているし」

 僕は言った。

「お昼ごはん? もしかして屋台?」

「屋台でいいですか? 一応レストラン的なものもありますよ。高級じゃなくて、低級レストランですけど」

 マリコさんが爆笑する。

「低級レストラン! それも興味あるわね。だけど屋台がいいな。一度行ってみたかったの」

「まさか人生初屋台ですか」

 さすがお嬢様。

「そうよ、貧しい人生でしょう? ハタチになるまで屋台で食事をしたことが無いなんて。家出の一つもしたくなるわよね?」

 僕の顔をマリコさんが覗き込んで言った。したくなるわよね? と言われてもなあ。

 マリコさんを連れて、行きつけの店に行くのはなんとなく気恥ずかしい。スラムで人気のある屋台村に行くことにした。ここなら女の子連れでも目立たない。

 マリコさんは初めてだから僕が二人分を注文をする。細麺の野菜たくさん盛。汁は醤油ベース。鶏肉のミートボール追加。飲み物は氷がぎっしり入った人工甘味料のジュース。果汁が入ってないから、本当はジュースとは呼べない。

「あのパリパリしてるのも食べてみたい……」

 マリコさんが屋台のガラスケースを覗いて小さな声で言った。僕は追加で、そのパリパリしたやつを店の人に頼んだ。

「そうやって指さして注文していくのね。食べたいものを、好きなだけ?」

 マリコさんが目を輝かせて言った。僕は笑った。

「そうですね、好きなだけ。ただの小麦粉のソバですけど、けっこう美味しいですよ。でもマリコさんの口に合うかな」

 僕の言葉が耳に届いているのかいないのか、マリコさんの視線はお店の人の手元に釘付けになっている。ため息をつきながら調理の様子を観察している。席で待っていてもいいのだけれど、マリコさんはここを動きたくないようだ。三分くらいで二杯のソバが出来上がった。店の人にお金を払ってどんぶりを受け取る。マリコさんも自分の分を受け取って、大事そうに両腕で抱えた。

「素敵ね。出来たてほやほや。一杯おいくら?」

 マリコさんが愛おしげにどんぶりを見つめる。

「一杯百ドル円ってところですね。ここは有名店なので少し高いんです」

「百ドル円。こんなに山盛りで? 素晴らしいわ。ところで私の分も払ってもらってゴメンなさい。いつか必ず返します。ちゃんと記録につけておいてね」

 マリコさんが済まなそうに言った。

「お金は気にしないでください。たいした金額じゃないし。だけど、どう考えてもマリコさんはお金持ちそうだから、いつか僕にも奢ってください。例えば高級なレストランで」

「高級なレストランでね」

 マリコさんが笑った。


 「おいしい」を連発しながら、あっという間にマリコさんがソバを食べ終えた。汁も残さず。そんなにおいしいかな。安物食品なのは間違いない。でもほんとに美味しそうに食べていた。見ていて僕は嬉しくなった。マリコさんがほっぺたの上に涙をこぼした。

「どうしたんですか!」

 僕は慌てる。

「ゴメンなさい。このおソバがあまりに美味しくて。私は本当にスラムに来たんだなって、感慨深い気持ちになってしまった。ほら、まわりにも同じようにおソバを食べている人がたくさんいますね。ガヤガヤして賑やかで。それで、汗を流しながら熱いおソバを食べて。最高ね?」

 鼻水をすすりながらマリコさんが言う。都会人には安物のソバが新鮮なんだろうか。僕もメチャクチャ腹が減った時にソバを食べれば、少しは感動する。でもマリコさんのような表現は出て来そうにない。

「スラムの食事はだいたいこんなもんですよ。毎日食べてたら、その感動もすぐに薄れちゃうかも」

 僕は笑って言った。

「たぶん大丈夫よ。このシミジミとした感じ。私は毎回噛み締めておソバを食べるわ。もちろん慣れては来るでしょうけど。この雰囲気に慣れるということも、また素晴らしいことだと思う。サイゾウが手慣れた感じで注文してたのも、かなり良かったわ。かっこ良かったよ!」

「ありがとうございます」

 ソバを注文しただけだが。

「次は私も自分で注文しよう。かっこ良く注文するのには時間がかかりそうだな。頑張ろう」

 マリコさんが夢見る眼差しで言った。テンション高い。モチベーションも高い。ソバを注文するだけなのだが。


 週に一回、土曜日に大規模な市がスラムに立つ。商売人はもちろん、たくさんの市民で賑わう。郊外の街や都会からやってくる人もいて、扱われている品物も様々だ。マリコさんは予想通り大喜びだった。市場のスペースはそんなに広くはないのだが、ぎっしりと店が立ち並んでいて見ていて飽きない。いくらでも時間がつぶせる。だけど炎天下で三時間、休み無しで歩きっぱなし。足が死にそうになって来た。

「そろそろ本命の買い物をしませんか。今、午後四時ですけど、市場は六時には閉まってしまうんです」

 肉体労働をしているので体力には自信がある。だけど細くて色白のマリコさんに負けそうだ。疲れも知らずに歩き回っている。

「あんまり楽しくてうっかりしてた。なんだっけ? 何を買いに来たんだっけ」

「生活用品を買いに来たんですよ。マリコさんの新生活の為の……」

「そうだった」

「だけどその前に一休みしませんか。足が痛いです。サンダルでくるんじゃなかったな。マリコさんは大丈夫ですか?」

 マリコさんも僕が貸した安物のサンダルを履いている。

「そういえば凄い疲れてる」

 言われて初めて気がついたようだ。マリコさんが僕の肩に手を置いた。そして、しなだれかかってくるように倒れてきた。

「ちょっと! 大丈夫ですか」

 両腕でマリコさんの体を支える。重くはないけど急に力を抜き過ぎ。

「大丈夫……じゃないかも」

 白い顔がさらに白くなっている。さっきまでの元気はどこへ行ったんだ。僕はマリコさんを引きずるようにして近くの屋台のテーブルに向かう。席には大きなパラソルが付いてて、一応日差しを遮ってくれている。

「気持ち悪い?」

 僕は訊いた。

「ううん。ちょっと疲れただけ。少し休めば大丈夫だと思う……」

 そう言ってマリコさんがテーブルに突っ伏した。これはヤバイかな……。

 

 三十分程してようやくマリコさんが顔を上げた。少し眠ったようでぼんやりとした表情をしている。ほつれた前髪がおでこに張り付いている。僕の方を見てフワッと笑った。やはり凄い綺麗だこの人は。

「充電完了しました。五%くらい」

 マリコさんが言った。

「五%? それだけ!」

 僕は吹き出して笑ってしまった。

「だってさっきは、電池切れギリギリまで行ってたんだもん。ちょっと休憩して五%充電できたんだから、結構偉いでしょう!」

 ギリギリまで笑顔で歩きまわってたのかよ。小さい子じゃあるまいし。

「ねえ! 偉いでしょう!」

 マリコさんがなぜか僕にパンチしてくる。

「偉いですよ。偉い偉い!」

 攻撃を防ぎながら仕方無しに僕はマリコさんを褒める。どういうことだよ。

 その後マリコさんはかなりの省エネモードに入った。さっきまでの元気が嘘だったかのようにうつむいて歩き、僕の質問にジェスチャーで答えながら買い物を済ませた。寝具とか鏡台とか、その他もろもろ。マリコさんは荷物を自分で持とうとして、それは本当に偉いと思った。まあ実際は僕が持ったんだけど。

 

 車に荷物を積みこんで家に帰ってきたのが午後七時過ぎ。マリコさんも僕もぐったりと疲れている。二人ともシャワーを浴びてソファーに体を投げ出した。マジで疲れた。マリコさんが死んだようになっている。改めて見ると体が本当に細い。そりゃ疲れるはずだよ。

「夕飯を屋台で買ってきますけど、何か食べたいものはありますか?」

 少し体力が回復したので、僕はマリコさんに訊いた。

「サイゾウに任せます……」

 声を搾り出すようにしてマリコさんが答えた。

「ビールも買いますけど、マリコさんも飲みますか」

「飲みます!」

 ヤケクソな感じでマリコさんが言った。

 僕は笑って、夕飯を買いに外へ出かけた。


 屋台でいろいろ買ってきた。もちろんビールも。外に出て夜風にあたったら体力が回復した。日射病みたいになっていたのかもしれない。市場であれほど歩く事になるとは思わなかった。マリコさんは外歩きに慣れてなさそうだったし。

 部屋に戻ると、ソファーでマリコさんが気持よさそうに眠っていた。ヨダレを垂らしている。やはり相当疲れていたのだろう。綺麗な人はヨダレを垂らしていても綺麗だな。寝顔を時々盗み見しながら僕は夕飯の準備をする。

 屋台で買ってきた食べ物を、皿に移してテーブルの上に並べた。食べ物の匂いでマリコさんの目が覚めるのを期待した。支度が全て終わって後はビールのフタを開けるだけ。でもまだ寝ている。急に起こすのも忍びない。少し待つことにして、僕はテレビのサッカーを見ながらビールを飲み始める。今日も汗をたくさん流したからビールが美味い。夏だ。早くご飯も食べたい。料理が冷めてしまいそうだし、結局マリコさんを起こすことにする。

「マリコさ……」

「オリャー!」

 大声を出してマリコさんが跳ね起きた。

 びっくりして僕は、ビールの缶を取り落とすところだった。

「目が覚めてたんですか! 覚めてたんですね?」

「脳は起きてたけど、体が起きてなかったの。だから、ちょっと喝を入れたのよ」

 気合の入った顔でマリコさんが言った。

「あ! サイゾウもうビール飲んでる。ずるい!」

 マリコさんが恨めしそうな顔をする。

「だって思いっきり寝てたから。ちゃんとマリコさんの分もありますよ。乾杯しますか」

「もちろん!」

 それからもすごかった。マリコさんがあまりに食べるので、料理があっという間に無くなってしまった。今日は疲れただろうし、もう眠そうだったし、僕は少なめに買ってきていたのだ。誤算だった。食べる食べる。がむしゃらに食べている。

「食べますね……」

 豪快だ。女の人がこんなに食べる光景を僕は初めて見たと思う。

「私も不思議。すごいおいしいし、いくらでも食べられそう」

「食欲があるのはいいですけど、急にそんなに食べて大丈夫ですか? 寝起きなのに」

 僕は心配して言った。

「でも今日は止まりません。食べるのが楽しい。もっと食べたい」

 マリコさんが野菜炒めを口いっぱいにほうばっている。ビールも二本目を空けている。危ない感じがする。都会の人がスラムの屋台料理を食べて、腹を壊すというのはよくある話だ。しかしマリコさんは止まらない。説得に応じる気配もない。仕方無しに、僕はもう一度食べ物を買いに外に出ることにした。

「ビールも追加ね!」

 背後からマリコさんの声。あの細い体に、これ以上どうやって詰め込むつもりだ。

 

 買い物から帰ってきたらマリコさんがソファーの上で、お腹を抱えて唸っていた。言わんこっちゃ無い。食あたりではなくて、単なる食べ過ぎだろう。

「行動が極端ですよ。楽しむのはいいけど、もう少しゆっくり行きましょうよ」

 苦しむマリコさんを見て、僕はちょっとあきれて言った。

「わたし……元々行動が極端なの。限界まで味わい尽くすタイプ……」

 息も絶え絶えといった感じ。極端という自覚はあるのか。そう言えばこの人は、地雷原にノーガードで家出してきた人だ。

「それで満足ですか」

 僕は訊いた。

「うん。今『この瞬間』を楽しむのがマイブーム……」

 今、超苦しんでるように見えますけど。それも都会の人って事なのかなあ。お腹がはちきれるほど食べる人なんて、スラムではあまり見たことがない。そもそもみんな貧乏だし、腹いっぱい食べたくても食べられない人が多い。僕も飢えた経験がある。

「吐いたほうがラクになりますよ。胃腸薬もありますけど」

 僕は言った。

「吐くくらいなら食べないわよ! 胃腸薬ください」

 涙目でマリコさんが言った。根性はある。

「わたし贅沢貴族じゃないよ。積極的なだけなの」

 マリコさんが言い訳して言った。僕は何も言ってない。しかし腹を見透かされたようなセリフだった。

「マリコさん……。頭が良いのに、すごく馬鹿な事をやりそうな印象です。今のところ」

 僕は小さな声で言った。

「よく言われます……」

 ソファーに横たわって目をつむり、マリコさんは苦しそうにお腹をさすっている。顔をしかめて。でも口元は笑っている。スゲー。こんな人初めて見たんですけど。

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