2-50
「お、ご明察」
びしっ。詩雄は頭の悪いアイドルがするような、ふざけたポーズで上憑を指差す。
「その通りぃ。あたしは思い込みをそのまんま肉体に映し出すことが出来るの。空想の体現。格好いいっしょ」
プラシーボ効果。全く以て効能のない
詩雄が言うように、ただの思い込みである。
とるに足らない児戯に似た事象。しかし、人とは精神に左右される生き物であるが故。プラシーボ効果という言葉があるように、全くの無意味な存在ではない。
医療に於いては、ただの栄養剤を万能薬だと信じ込ませ、実際に病状を和らげた実例がある。
怪我の痛みに泣き喚く子供が、母親の言葉によって落ち着くのもまた然り。
スポーツにはイメージトレーニングなるものがあり、メディアでも取り上げられる有名な選手ほど、自分が勝利していく過程を思い描き続けるという。
そうすることで緊張は無くなり、予期せぬ事態にも即座に対応でき、常に最高のパフォーマンスを維持できる。想像する光景が鮮明で現実味を帯び、多種多様であればあるほど、結果は伴うだろう。
“そうである”と確立した思考は肉体の現実性を書き換える。そうでなけばならないように、無意識に己の細胞組織を再構成する。
だが勿論、そうして全ての事柄が叶う筈もなく、どうにもならないものはある。腕がないからと生えてくる想像をしても生えはせず、瀕死の肉体を想像だけで癒すことは出来ない。
限界は確かにある。その先が存在していたとしても、越える事は出来ず、何より越えてもならない。人間が人間として在れるように許された領域は決まっており、それ以上は自己の損壊喪失にしか繋がらない。
――けれど。もし。
指定された領域の外に、自由に、自分がしたいように出掛けられたのなら――
「あの詠唱はあたしが強くなる為のてきとーな呪文。言葉自体にはなーんの意味も無いよ。ただあたしが、そーゆー
言葉による自己改造。漫画でよくある手法だ。詩雄はただ、それを行ったに過ぎない。
「――ふざけるな……。そんな、そんなでたらめ、あってたまるか……!」
「あるんだなぁそれが。言ったでしょ。あたしはあんたらとは違うって」
思えば思うほど、強くなる。それはつまり、限界が無いということ。神を冒涜するに等しい行為を、少女はあっけかんと実行する。
それに付いていける権利を持つ上憑も似通っているが、追い付く前に殺されてしまうのならば価値はない。謂わば彼にとって詩雄は天敵なのだ。
「て、ゆーかさぁ、もう見てんじゃん、体験もしてるし。あ、じゃあ一つ、面白いもん見せてあげる」
詩雄は自分の左手の親指を掴む。そのまま軽いノリで骨を折る。
上憑は驚いた。そんな不可解な光景を目の当たりにすれば当たり前である。しかしその実、詩雄の体が初めて傷ついた事に対しても驚いていた。こんな頑丈な奴が怪我なんてするのかと。
だが問題はそのあとだ。
痛覚を想像で緩和し、涼しい顔をした詩雄は折れ曲がった指をじっと見つめる。すると指は独りでに動き始め、徐々に徐々に真っ直ぐになっていき、瞬く間に元通りとなった。折ってから一分も経っていない出来事である。
「やるっしょ。折る前の指、治っていく過程を、あたしはいま思ってた。んで結果がこれ。信じるかどうかは、貴方しだぁぁい。なんつって」
自己治癒の強制執行。元から備わる人間の治癒能力を、詩雄は歪曲および増幅ならびに加速させたのだ。不条理極まりないが、詩雄の肉体は持ち主の呼び掛けに応えたに過ぎない。治す事に関して、何もおかしい事実ではなかった。
そして、これはダメージが残っていく上憑とは、徹底的に違うもう一つの点であった。ただでさえ長期戦は勝ち目がないというのに、両者の差は更に明らかとなった。
「で、どうする? おじさん……お兄さん……? まぁどっちでもいいや。あたしより頭いいんなら、どうした方が利口か。わかるよね?」
にんまり、と愛らしくも深淵を思わせる微笑み。中腰になって小首を傾げ、ひれ伏す上憑に向ける。笑顔でありながら、それはこう告げていた。
死にたくなければ降参しろ、と。
「さっさと話してよ。なんかもうウザいし」
いや――降参して死ね、と。
「……」
「いや黙んなっつの。あ、もしかして泣いてる?」
「……はは、まさか」
上憑の反応を確認して、詩雄は怪訝な顔つきになって一歩下がる。何やら思っていたものと違う。
「うわきもっ……笑ってるし」
「笑いもするさ。まさか、こんな形で出会すとはな。やっと見つけた……喜べワズライ。夢に近付いたぞ」
くくく。嬉しそうに上憑は肩を震わす。うつ伏せになって顔が見えない為に、それはとても薄気味悪かった。なので、詩雄は頭を潰しにかかる。
「――うぅうおおお!?」
嫌な予感を頭上に感じた彼は間一髪でかわし、脳漿をぶちまけずに済んだ。
「……き、君なぁ……今更だが、情報がほしいくせにやることが無茶苦茶じゃないか……?」
「いや、だってキモかったし」
「……性格はやはり頂けないか。まぁいい。大収穫には変わり無い。この分なら、詩乃君にも新しい可能性が期待できる」
一人で納得する上憑。その姿に詩雄は再度イラつく。
「また訳のわかんない事を……。つか、さっきからあんた、まさか逃げる気じゃないでしょうねぇ」
「悪いが逃げるさ。今のところ勝ち目は見つからないし。それに、迎えが来た」
上憑の言葉に詩雄は不可解な表情を浮かべる。
迎えとは何を言っているんだと、半ば馬鹿にした心境。
しかし、唐突に背後から気配を感じた。五感さえ常人の何倍も高められた詩雄が、唐突にだ。けれど余裕か、ゆったり振り向く。急な
そこには黒い雨合羽の様なものを羽織り、大きなフードで顔を隠した人型が立っていた。真夏だというのそのような格好――迎えの意味をすぐに理解する。
「あら、お仲間さん。丁度良かった。あんたにも混ざってもらうから」
詩雄に気掛かりなど無かった。仲間が来た、彼女にとってはなんら不安になるような要素にならず。むしろ情報源が増えたと、好都合でしかない。
「……」
「はあ。黙りだんまりとかマジウザいんですけど。なんでこー、弱い人って無意味に抵抗したがるんだか」
彼女にとっては尤もな意見である。弱者が強者に対抗など、甚だ嘆息ものだ。蹂躙されるでしかない存在の僅かな希望は、結局は叶うことのない愚かな足掻きでしかない。
しかし、例外があるのも、世の常である。
「え、」
詩雄の視界から人型は消えた。
反射的に振り向くと、上憑の傍にソレはいた。
「ったく……来るのが遅いだよ。面白がって遠くから見てたんじゃないだろうな?」
雨合羽は上憑に肩を貸していた。
詩雄はその光景に唖然としている。いきなりとはいえ、今の自分が見失った事に理解が追い付かない。
「驚いたかい、詩雄ちゃんよ。こいつの動きは僕達とは根っこが違うからね。僕の慣れも中々進まないときたもんだ」
上憑が何を言ってるのかわからない。が、それはさておき。
彼等の逃げる準備が整っている事には気が付いた。
走る、というより飛び付く。数メートルを縮めるのに一秒もかからなかったが、それでも彼らの捕獲には至らなかった。
今度はかろうじて残像が見えていたので、詩雄は迷わずに横を見る。
「……おいおい、もう見えてきてるのかよ。やっぱ破格だなぁその能力。お前、あれに勝てる?」
上憑の問いに、雨合羽はフードを横にふる。
「だ、そうだ。そういうことで、僕らは逃げさせてもらうよ。今からこいつは本気で動くから、詩雄ちゃんでも掴まえられないだろうね。――とは言っても、そんな速度に対応できない僕は気絶してしまうから、もしかすると目を開けたら君の顔が目の前にあったりしてな」
からかいと嘲りを混ぜて詩雄に放つ。
しかし若干の憂いも含まれている事が、蛇足じみたその言葉から窺える。彼女に殺されかけた故の無意識なのだろう。
「――逃がすとでも思ってる――?」
大きく見開き、獣の様な瞳で以て見据える狩猟者。
現在、怒りが湧きたち中。
「逃げるんだよ。ガキごときに殺されてたまるか」
神妙な面持ちで、上憑は続ける。
「……念のために聞いておくが、君は此方側に来る気はないのか。組織はまだまだ小規模だが、仲間たちの能力は生半可なものじゃないし、中には表でそれなりのお偉いさんを演じてる奴もいる。今の世の中が気に入らないなら、僕らの存在は君にとっても都合がいいと思うんだが?」
詩雄の性格は上憑にとって生理的に近寄り難いのだが、彼女の能力には魅力しかなかった。
想像のみによる超越、凌駕、無限。
今まで見てきた数々のシンカとは明らかに逸脱しており、生物の進化の到達点と云っても過言ではない。文字通り最強、世界の変革を求める上憑らにとって喉から手が出る程に最高の人材であり戦力だ。おまけに兄にも何かしらの秘密があるとくれば、この兄妹を誘わない手はない。因みに兄は上憑好み。
「っざけんな凡人。あんたらなんかに興味ないわよ」
「―――――はっ。凡人、か。……とても懐かしい響きだ。まさか今の僕が、そんな格付けされるとはね」
ふにゃり。上憑は何故か微笑む。悲しいような、嬉しいような。
「まぁ、君にとっては僕なんて大したことないんだろうな。そう思われても仕方ない。でも、こいつは侮らない方がいいぞ。なにせこいつは世間を賑わす吸血鬼なん――いでででで!」
雨合羽は上憑にアイアンクロー。当然と言えば当然だが、言ってはならなかったらしい。現に詩雄は、吸血鬼を探し当てる目的で解放されているのだから。
「――はあ!? マジぃい!?」
「やば。そういえばお前、最低最悪の殺人鬼だったな」
雨合羽はフードを縦に振る。
「見っけた見っけた! マジ激運あたし半端なっ! だったらもうあんたら逃がさない。絶対に逃がさない」
そう意気込む詩雄だったが、途端に上憑と吸血鬼は消えてしまった。今度は完全に見えなかった。
慌てて周りを見渡すと、草が吹き飛んだ道筋に気が付いた。風圧による道標だ。それを追って橋の上へと駆けあがるが、もう彼らの姿はなかった。
ふざけるな、呟いて目蓋を閉じる。視覚を塞いで聴覚と嗅覚を研ぎ澄ます。半径数百メートルの様々な音と匂いを感じ取る。ほぼ全てが無意味な
「………………………………最悪」
言って、ガードレールを蹴り飛ばす詩雄。
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