2-49

「詩雄ちゃん、遅いわね」


「んー、そうかぁ? 今どきの子ならまだまだ遊び足りないだろうよ。まあ、不良娘の事だから朝帰りする気なんじゃないか」


 午後9時前。


 うだるような熱気もいくらか収まってくる時間帯。食事を済ませ、俺は大学の課題と格闘中。日法はすぐ隣で正座してその様子を窺ったり中空を見つめたり。邪魔なので離れてほしいのだが、言ったところで無駄なので無視していた。


 プレゼントのくだりからずっとこの調子である。思えばこいつに何かをしてやった事など無く、追い詰められた末の突破口とはいえ、よほどに嬉しいようだ。……だったら笑顔の一つくらい見せてみやがれと僅かな望みがあるにはあるのだが、今更ながらやはり期待できそうにない。


「全く心配してないのね」


「当たり前だろ。あいつの何を心配しろってんだ」


「いえ、詩雄ちゃんもだけど、主にその他が」


「…………」


 冷や汗ひとつ。

 いや、クロちゃんの睨みがあるから大丈夫だとは思うけど。多分。恐らく。


「ところで、今の詩雄ちゃんはどこまで出来るのかしら」


 どこまで出来るとは、詩雄のアレの事だろう。人間にしか成し得ないであろうでたらめな能力。


「手足生やせるまでにはなったってさ。時間はかかるらしいけど」


「それは……出来ていいものなのかしら」


「元々生えてたんだから、間違っちゃいないんじゃないかな。あいつにとっちゃ擦り傷が癒えるのと変わりないだろうし」


 めちゃくちゃだが、詩雄にとっては本当にそうなのである。どんな状態であれ、脳が思考できる限りは可能性が生まれる。


「でも、それに関しては知識がいるのではなくて? 骨肉と神経の構造とか、配置とか。でなければ再生は不可能でしょう、詩雄ちゃんの特性上」


「嗚呼。だから、勉強したらしいぞ。あの詩雄が勉強を」


 詩雄の学校の成績はいつも最下位。授業もまともに受けず担任を悩ませては、家庭訪問で父さんがよく頭を下げていた。母さんは相変わらず微笑んだまま。

 宿題がとにかく嫌で夏休み目一杯遊び回り、最後の1日でさえ学生恒例の宿題地獄ラッシュをしなかった程のアイツが勉強ときたもんだ。


「とはいっても、傷が治る感覚を維持すればいいって気付いてからはそれも意味なくなったがな。いやぁ、アイツも成長したもんだ」


 勉強については関心。その点の成長は兄ながら嬉しくはあるのだが、能力の成長は素直に喜べない。


「どんどん人間離れしていくわね」


「そこなんだよなぁー。なんだかなぁー……。あいつは自分を人間とは思ってないから気持ちいいんだろうけど、肉親としては憂鬱だよ」


「あら、詩雄ちゃんを疎ましそうにしている割には、なんだかんだ想う所はあるのね」


「……うるへー」


「達観してるようで、貴方もまだまだ心はガキね。卑しくてイヤらしくて、さっきから密着する私の胸を気にしているエロガキ」


「気にし、てないわ!」


「間抜けのくせに間を作る所が鼻息ものだわ」


 な、なにこいつ。人が勉強してるのに、なにこの嫌がらせ。気には……してたけどぉ!


「そういうお前はどうなんだよ。大人かよ」


「ガキよ」


 あら意外。即答だった。


「本当、ガキだと思うわ。本当に」


 そう言って何故か更に密着してくる。


「……なんだよ。邪魔なんですけど」


「いいから黙って課題を進めなさい」


「……はいはい」


 何気にいい匂いがして頭の中がほんわかしているが悟られないよう努める。

 彼女はこのような部分を自分でガキだと卑下しているみたいだけど、俺も同じなので何もいうまい。


 ……にしても、あの妹はどこで何をやっているのやら。




















       




















「――嘘だろ、なんなんだよ、冗談じゃないぞ――!」


 驚愕と狼狽に怒りを被せた声色。余裕であった筈の上憑には今、焦りしかなかった。


「そだねー。冗談じゃないよー」


 反して、相対する詩雄は余裕で満ちていた。


 ――霊ヶ哉と、その北に位置する空菱町からひしちょうを繋ぐ橋の下。河川敷の中で一層闇が際立つその場所を、二人は第二ラウンドに選んでいた。

 そして、いま現在の様子は町中での闘争とは違い、両者の関係性は逆転している。


 上憑の衣服はボロボロ。打撃による痣も顔面に散らばっている。

 激しく動き回ったように額には汗が流れ、息も荒く、雰囲気にも落ち着きはない。


「……君、一体なにをした。いや、それより、さっきのアレはなんだ」


「ああ、詠唱の事? いやほら、強くなる時ってさ、なんか唱えるじゃん、王道的に。もう一段上げようか?」


 言って。詩雄は足を揃えて直立し、目を閉じ、顔の前で合唱する。お参りでもしているかのような姿勢を取り、訳のわからない言葉を呟いた。


「――夜の闇。月の光。我の言葉に応えよ。我はこの世総てを束ね、統べる者也。夜の闇。月の光。我に力をよこせ。我の血肉となりて、この者討ち滅ぼす力を寄越せ。……昭和のファンタジー風」


 上憑の頭の中には疑問符しかなかった。


 こいつは何を言っているんだ。

 こいつは何をしているんだ。

 こいつは何がしたいんだ。

 こいつは一体何なんだ。


 全くわからない。訳がわからない。しかし、だからといって馬鹿にする事も出来ない。


 この状況になる前とは違う言葉だったが、このような謎の言動によって詩雄の戦闘能力は格段に上がった。ならば今も、発言する前より強くなっているという事だ。油断は出来ない。だが、


「―――!!?」


 油断の、仕様がない。


 気付いた時には、詩雄は上憑の懐にいた。わかっても体の反応は間に合わず、華奢な拳によって打ち上げられる。


「――――かっ――……っ!?」


 上昇した上憑は、橋に叩きつけられた。コンクリートにめり込み、人の形の凹み。痛みと衝撃から脱力したまま下降して、今度は地面に凹みを形成する。


「…………なん、なんだ……!」


 苦しみに顔を歪ませ、上憑の口からは血が流れる。彼の順応性は今もなお高まっているが、まるで追い付いていない。

 いや、追い付くかどうか以前に、詩雄の高まりが際限を無視している。辛うじて死なずにいられる以外、彼の能力ではどうする事も出来ない。


「さっさと諦めなさいよ。もうあんたじゃ、あたしを止められない。――うほ、今の格好いい。また上がったかも」


 ただの肉体強化じゃない。上憑は確信する。


 こんなでたらめがそんな低レベルである筈がない。この少女が持ち得る力は別の何かが作用している。感情の昂りも少なからず起因している。だがそれは怒りによる一時的な爆発力ではなく、れっきとしたリミッターの解除だ。

 では、本当のスイッチは恐らく、あの謎の言葉なのだろう。あれによって段違いな力を手にしている。この仮説は間違いではない筈だが……だったら、あの言葉の意味とは?


 夜の闇? 月の光? 本当にその二つから力を得ているとは考えにくい。魔法使いじゃあるまいし、シンカの能力は科学に基づいている。ファンタジーの要素など皆無。

 あの言葉による自己の改変。……何がある。あんなものの何が動機に繋がる。力をくれと言ったから力が増えた。小さい子供でも今どき考えない。そんな自己暗示で何、が――


「――……プラシーボ、か……?」

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