2-38

「ちょいちょい、きみきみ」


 ふと――、後ろで誰かが誰かを呼んでいた。どこか軽い感じの飄々とした声色。ナンパか何かだな、今どき珍しいこって。


「……ありゃ。おーい、おーいって」


 まだ呼んでる。相手は耳でも悪いのだろうか。それなりの声量で呼び掛けているが。いや、単純に無視されているだけだな。


「ちょい待て、ってば」


「うお!?」


 唐突に肩を掴まれた。びっくりして振り返ると、見たこともないおっさんが目の前に立っている。


「無視は無いだろぅ。青年よぅ」


「……えっ、あ、俺? 俺を呼んでたんですか?」


「そうだよぅ。あまり怪しまれないようにフレンドリーに呼び掛けたつもりだったのに」


「あちゃあ、すみません。てっきりナンパかと。男の俺には関係ないなぁって」


「そりゃあ、確かにそうだ」


 クハハ、とおっさんは朗らかな笑顔。よくよく見れば、おっさんなのはなんとなくわかるけど、まだまだ顔立ちが若々しい。三十代前半くらいだろうか。着ている服もタイトで綺麗目なカジュアルだ。


 どうやら目標は俺だったらしい。……はて?


「で、何ですか?」


 少し冷えた質問。それも当然。フレンドリーなのは伝わってくるが、全く知らない他人だった。


「やあやあ、いきなりで悪いね。僕はフリーのライターをやっていて、シンカについてのコラムを書いているんだ。主に若者の意見を集めていて、君を選ばせてもらったってわけ」


「ほぇー」


 フリーランスライター。まさかそんな単語が現実に存在するとは……。いや、それは言い過ぎだけど。

 でも面と向かってそう言われると妙に感慨深くなってしまう。都会ならいざ知らず、こんな中途半端な街中では決して遭遇しないイベント。それに立ち会う俺。おぉ、なんとレアな体験であろうか。


「話は人が集まる所でするから心配しなくていいよ。勿論、君が良ければだけど」


「大丈夫ですよ。むしろ俺なんかでいいなら」


 暇潰しに丁度いいや。どうせやる事も無いし。


「良かった。じゃあ……あそこのファミレスに行こう。お腹が空いてるなら構わず好きな物を頼みな。情報料として僕が払うから」


「いや、そこまでは」


「心配しなさんな。これでも金は持ってる方だから」


 さあさあ、とおっさんもといおじさまは、にこやかな微笑みで促す。

 未だ疑わしい部分はあるものの、奢ってくれるならと、尻尾を振って付いていく俺であった。


















 そして、ファミレスにて。


「じゃあ聞かせてもらおうかな。ああ、堅くならなくていいよ。思ってる事を喋ってくれればそれでいいから」


「あ、はい」


 いざ事に移ると、やはり緊張する。おじさまが遠慮するなと頼んだ、A5ランク松阪牛のステーキセット。気前よく頼んでくれたのはいいが、こんな料理を提供するこの店は頭おかしいのではないだろうか。高級志向を取り入れたいのか知らないけど、ここはファミリーで楽しむレストランだぜ?


 しかし、美味そうだ。嗚呼、美味そうだ。本当に良かったのだろうか。メニューに載っていた値段も他のと比べてインフレ起こしているのだが。


 けれど料理が来てしまった以上、全く手を付けないというのも失礼だ。ここはちびちびと摘まみながら、時間をかけていつの間にか無くなっていたという形でフィニッシュを迎えた方が無難だろう。紳士的を意識するんだ俺。


「遠慮せずにどんどん食べな」


「では」


 優先順位変更。緊張やら遠慮やらもうどうでもいい。許可は得たんだ。だから俺は悪くない。食欲の限り肉に貪りつくのみ。紳士的? 知るかそんなもん!


「……凄い食いっぷりだな。ちゃんとまともな食事してる?」


「いやぁ、ははは。しがないビンボー学生でして」


 ファミレスのメニューくらいならそこまで財布は痛くないが、こんな場違いな物には手が出せない。奢ってもらえるならそれに越した事はない。


「なになに、若者はそれくらいが丁度いいさ。――んじゃあ始め……あ、しまった。お互いに自己紹介がまだだった。ごめんごめん、気が早ってしまったよ。僕は上憑斗真かみつきとうまって言うんだ。斗真でいいよ。宜しく」


「はい、斗真さんですね。俺は詩乃って言います」


「詩乃、か。なんか、女みたいな名前だな」


「よく言われます」


 ふふふ、と二人して微笑み合う。腐った女子が見たらいけないイメージを沸き立たせたかも知れない。


「それじゃあ改めて。まず、君はシンカについてどう思ってるかな?」


「……どうって、いうのは」


「何でもいいんだ。君が思ったままの言葉で話してくれ」


 ざっくりしているようで微妙に小難しい。大多数の意見としては気持ち悪いの一言だと思うけど、俺は少し考えてしまった。


「可哀想……ですかね」


 言ってから、心の中ではっとする。他と違った意見を述べると変に怪しまれる心配はあったのだが、無意識に答えてしまった。……まぁ。とは言っても、だからといってこれだけで俺の正体が知られる事は無い筈なので、考えすぎではあるのだが。


「可哀想、か。何故かな?」


「いや、はは。特に考えは無いんですけど。なんて言うか……ほら、世間では化物呼ばわりですから」


「ああ、なるほど。それで可哀想か。ほうほう、それなら次の質問も答えは決まっているだろうなぁ。君はシンカになりたいと思った事はあるかい?」


「ないです」


 やっぱりね、と斗真さんは微笑む。


 ――今更だけど、取材というのはこんなにもあっさりしているものなのだろうか。ふと考えてみる。

 斗真さんは俺の言葉を記録する様子がない。俺の返答が他愛ないものだからかも知れないけど、そもそも準備という始まりがない。記事にするのなら、やはり記録は必要だと思うんだけど……。


 しかしまぁ、多分これがこの人のスタイルなのだろう。記憶力がいいとかそんな感じかな。俺みたいな素人の考えなんて愚の骨頂だ。


「それにしても珍しい意見だな。大抵は恐いか気持ち悪いなのに、君はそれを踏まえた上で同情している。過去に何かあったとか?」


「あーいえいえ。何も無いです。ただ単純に、そう思っただけでして」


「思っただけの意見じゃないだろぉ。可哀想、なんてさ。少なくとも君はシンカを不憫だと感じている。そこには何かしらの背景がなければ成り立たない筈だと思うんだけど?」


 うっ、痛い所ついてきやがる。何で俺の周りはよりにもよって洞察力が長けた人間ばかりなんだよ。

 怪しまれない為にステーキを頬張り続けてオツム足りない若者を演じる。


「いやいや、ほんとにただそう思っただけですよ。――掲示板、あの掲示板があるでしょ?」


「シンカについて語り合う、あれか?」


「そう、あれ。あれを見たら流石に可哀想だって思いますよ。酷すぎますもん、あれ」


「まぁ……国から制限をかけられたくらいだからなぁ。今でも続いてるけど」


 ネットで調べれば簡単に出てくる、シンカに関するスレッド。シンカの肉体変化について様々な考察を書き込むという内容で始まったのだが、今ではただの戯れ言の集合体と成り果てている。


 貶し詰り罵り嘲り、まるで他者の痛みに快感を抱いているかのような、人間の業。数ヶ月の黒付くめも、これを見て心を病んだ。


「俺は単にあれを見て引いただけですよ。言いたい放題なんですもん」


「あー、確かにその通りだ。僕もあれには苦笑いしか出なかったよ。じゃあ僕の早とちりだったかな」


 よし、なんとか乗り切ったぜ。冴えてるぜ俺。伊達に二十年隠し通してきた訳じゃないぜ。


「でも、こうは考えた事ないかい」


 斗真さんは手を組み、やや真剣みを増して此方を見てきた。


「シンカは文字通り、現存する人間の進化した姿。単純に見れば進化という事柄は悪いものじゃない。いや、良し悪しの問題ですらない。シンカとは謂わば現在に停滞してしまった人類を超えた存在、と解釈しても間違いではない筈だ。周りの意見は抜きにして、そういった見方であったなら、どう思う?」


「…………」


 確かに、シンカ自体は悪者ではない。実際に罪を犯した者は論外として、彼らに対する評価とは結局はただの言いがかりだ。


 気持ち悪い、恐い、汚い、近付きたくない、とにかく嫌、等々。なにもしていない時点でこれ。シンカを認識した一般人の平凡な意見。そして偏見でしかないその言葉を、社会は快く受け入れる。一般人で構成された組織もやはり一般人。

 空想でしか有り得ないような存在なんて許容できる筈もなく、同じ人間として扱うなど毛頭なし。……前にも言った気がする。


 しかしシンカ単体だけを見据えるなら、それはとんでもない神秘の塊。数々の研究でも成し得なかった、未来永劫不可能とされた問題を体現してしまっている。

 一つの商品として扱うなら、国宝を片っ端から売り捌いてでも手に入れたい。そんな代物……もとい存在だ。


 誰だって空を飛行したいと思っただろう。

 誰だって強靭な筋力を持ちたいと思っただろう。

 誰だって姿を透明にしたいと思っただろう。

 誰だって若い肉体のままでいたいと思っただろう。


 願望欲望各々様々。その中の一つ、確率的ではあるが、シンカになれば手にする事が出来る。

 周りを省みない世捨て人であれば、泣いて喜ぶんじゃないかねぇ。――けれど。


「いや、やっぱり無いですね。今の世の中、十分満ち足りてるし。魅力的な部分なんて特には無いです」


 ほんと満ち足りてる。


 食べ物だの飲み物だの機器だの風景だの娯楽だの。日本みたいに小さな島国でさえ、細かく見て回れば新たな発見は数知れず、世界ともなれば想像もつかない。ただの日常にもそれだけの楽しみがある。そんな中で異能だのなんだの、俺としては勿体無いと思う。


 要は行動だ。フィクションを恋憧れる人というのは、狭い自己世界しか見ていないだけ。そこから一歩ずつ踏み出して世界を広げるなら、ただの日常にだって立派な価値が生まれる。


 非日常に魅力を抱くならそれでもいい。しかしただの日常も、決してつまらないものじゃない。


 ……と考えてはいるが、これは俺が普通じゃない故に至る訳で、色々と矛盾しちゃってるんだよねぇ。


「何やら、意志が堅いようだね」


「いやぁ、そんなんじゃ」


「残念だなぁ。こんなにも素晴らしい力なのに」


 フォークとナイフが止まる。

 発言者を見る。


「え……」


「僕たちはね、選ばれたんだ。止まってしまった堕落を打ち消す為に、星が選んだ新人類なんだ。可哀想とか、筋違いだぜ?」


 朗らかな微笑みそのままに、陰が宿る。


「斗真、さん……?」


「詩乃くん。昨日、ぶっ壊れた廃ビルにいたよね」


 その言葉に、俺は悟った。


 

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