2-33
――ボォォォ、と唸るように重く低いエンジン音。己に備わる本来の力を抑圧されている事に拗ねている、みたいな感じ。いや、ただの例えだけどね。
関係ないけど、その憤りによってシートに伝わる微振動が腰に気持ちいい。
利便性より速度を追求したスーパーカーでも、街中での運転は普通の乗用車と遜色なく快適だ。アクセルとブレーキに注意していれば慣性に体を振られる事もない。運転手からしたらもどかしく、煩わしいだろうけど。
クロちゃんの愛車、シルバーメタリックカラーのランボルギーニ・ディアブロ。
頭おかしいくらいの車高の低さ、流れるように研ぎ澄まされたフォルム、名前通りの荒々しいエキゾースト音。乗り手を未知の速さへと誘うトルクと馬力。
走るとはどういう事か、を体現しているかのような存在。ファミリーカーに対して、お前たちは車としての誇りと価値を無くしてしまったのか、と罵るような威圧。……格好いい。個人的な妄想です、乙。
車に興味が無い俺でも、この車には思わず気持ちが高ぶってしまう。何度か乗せてもらった事はあるが、実は密かに、その度にわくわくうきうきしてたりする。
顔に出すとクロちゃんに気持ち悪がられ、蹴り落とされるのではないかと不安になるくらい睨まれるので、心の中だけに留めている。
けれど当の本人、車に関する知識は無く、これを購入した理由は速ければ何でも良かった、と簡素な一言。
要請を受けた時に、早く到着する事だけを目的としていた為、彼女の着眼点は速度しか無かった。なので、乗り始めて数ヵ月経った後にやっと名前を覚えた、というぐらいに興味もない。憐れ暴れ牛。
そんな経緯にしろ、名前も知らない二千万以上の車を一括で支払えるあたり流石はクロちゃん。
ブラックカード保持者が知り合いとか、なんか、良いよね。
それだけで自分自身の価値も上がっているような気がしないでもないような。いや、みじめって事はないだろう。無い筈……だ。
まぁ、彼女が持つそれは世間一般の物とは仕様が違うのだが。
「それにしても、研究室こもりっぱなしの黒色さんが外にいるなんて珍しいですね。あそこで何してたんですか?」
「最近は外にいる。そもそも、今日は貴様に用があるのでな。手間が省けた」
キッ、と信号待ち。ドッドッドッと車体が脈打つ。前の乗用車がケツしか見えない。
「俺に?」
「嗚呼。妹についてだ。どうせ貴様のアパートに転がり込んでいるのだろ」
言い切る。そして正解。黒色零子にはお見通し。
「そうだ。それ、俺も訊こうと思ってたんですよ。黒色さん、あなた正気ですか?」
「なんの事だ?」
「なんの事だ、じゃないですよ。何で詩雄を、あの殺人鬼を施設から出したんですか」
「ふんっ。出したから何だという」
信号が青になる。グォン、と発進。
「言いたい事などわかる。安心しろ、手は打ってある。あの小娘も駄犬ではない。適した褒美を用意すれば馬鹿みたいに尻尾を振るだけだよ」
肉親を家畜呼ばわりされてるが特に異論は無い。そんな扱いで結構です。
「駄犬ではないんですか。買ってはいるんですね。飼うだけに」
「ふっ。今のは悪くない」
うおっ、表情に一切の変化はないけど、いまクロちゃんの新しい一面を見れた気がする。
「小娘には私の用事を手伝わせている。家主である貴様にも一応、その理由を報せておこうと考えたんだよ」
「用事、ですか?」
「嗚呼。そして今は話しやすい場所に向かっている」
「話しやすいって、施設……ではないか。って、あれ?」
こんな話がし易い所とはどこか、思案してる内に、車は止まってしまった。コンビニの駐車場だ。
「え、ここですか?」
「違う。ついてこい」
ガルウィングのドアが開けられ、クロちゃんは颯爽と降りた。
訳もわからず、俺も同じく車から降りる。
どうやら歩いて行くらしい。駐車するスペースがない所なのだろうか。というか気まずい。コンビニの駐車場って大抵こんな使われ方するよね。
……げっ、店員と目が合った気がする、逃げろっ。
「…………」
「アイヤ。ゼロ子に死の坊主……オマエたち知り合いだったカ?」
「いや、アクセント微妙に間違ってます。死の、じゃなくて、詩乃ですから」
けれど問題はそこじゃなかった。
現在、俺は太極拳の中にいる。勿論、中国拳法教室とかそんな類いの学舎に来ているという意味ではなく、本場四川料理を味わえる中華料理屋の方だ。四ヶ月くらい前に初めて訪れてから、今回で五回目の来店。なんだかんだ美味いからたまにふらっと寄っていたのだが、今日は些か用件が違う。
……と言うか、何故にここ?
まさかここで話をするつもり?
国の一部の人間にしか認知されていない機関の話を、A判定シンカの話を、それよりも俺が関わりを持っているという一番知られたくない話を、中華料理屋で?
「どうした。さっさと座れ」
座れ、じゃねぇよ。当たり前に促すんじゃないよ。あなた自分がどこで何しようとしてるのかわかってますか? やっぱりその頭にネジは無いので御座いますか?
――でも待てよ。確か、来店の時にロンさんが言っていた。お前ら知り合いだったのか、と。
ゼロ子……零子、だよな。ロンさんもクロちゃんと知り合いという事だろうか。
いやいや、それにしたってやはり駄目だろう。
そこまで気の許せる間柄なのか知らないが、そもそも唯我独尊のクロちゃんにそんな友人がいた事に驚きだが、それでも今からする話は一般人に聞かれる訳にはいかない。
ある意味、犯罪の片棒を担がせるに等しい。
「なんだ、早くしろと言っている」
「そだそだ。死の坊主、早く座レ」
ロンさん……そんな屈託のない少女のような笑顔で……。客が来ないから嬉しいんだな。でも俺たちは来てはいけない客なんだ。あと死のじゃなくて詩乃です。
「……黒色さん。ここで、話するんですか……?」
もう単刀直入に訊ねた。まだ間に合う。向こうはタバコ吹かして留まる気満々だが。
「見てわかるだろ。何を躊躇っている」
「何だヨー。ワタシの店にケチ付けるかヨー。掃除は行き届いてると思うけどナー……」
しゅん、とロンさんしょんぼり。中華鍋の持ち手を寂しそうに指でちょんちょん。
「ああ違うんですよロンさん。俺たちは、誰にも聞かれたくない話をしたい訳でして。だからロンさんに聞かれるとまずい……んですけど」
言いながらクロちゃんに目配せ――っておい、天井を仰いで満足気に副流煙を撒き散らすんじゃねぇよ。我関さずじゃねぇよ。てめぇが発端だよ。察しろ俺の心配。
「――嗚呼。なんだ、知らないのか」
此方を見ずに一人で何かを納得。失礼にロンさんをタバコで指す。
「こいつも私と同じ戦闘員だから気にするな。妹の事もすでに報せてある」
「……へ?」
「……え?」
ロンさんと俺の疑問符は重なった。何を言っているんだこいつ、と全く同じ思い。
「お、おい、ゼロ子、チョ、チョットなにイウカ、オマエ」
血の気が引いた顔で、発音も更におかしくなっていくロンさん。当たり前だ。さらっと言ってはならない事を言ってしまったのだから。まだ取り返しがついたかも知れないが、あまりにも軽いノリでぶっちゃけるものだから動揺が先立ってしまう。
そして俺は呆然としていた。まさかロンさんも、そうだったとは……。
「っ、煩わしいぞ貴様ら。早く済ませたいのだが」
今の状況を全く気にせず、むしろ苛々し始めて、我が道をゆく黒色零子。その姿に、俺とロンさんは言葉も出なかった。そして思った。
ああ……こういう人なんだっけ、と。
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