2-31

 ……さて、いま病室の前にいる訳だが……どうしようかなぁ。


 比劇は今、いつも通りなのか落ち込んでいるのか。それによる言葉選びはどうすればいいのか。もし予想と逆の結末になって、言葉に詰まって変な空気になるのだけは避けたいのだが……わかんねぇ。

 ……まぁ、考えても始まらない事に変わりはなく、答えなんて出やしない。

 あいつの様子から色々と察してあげよう。俺はそういうのは器用な方だとは思う。そうさ、酒乱やら変態やら鉄仮面やらの相手してるんだ。比劇の悲劇くらいなんて事ない筈だ。


 よし、いける。いけるぞ俺!


「…………」


 踏み止まってるぞ俺、踏み抜け俺!


「…………」


 足動かないんですけど俺、足動いて下さい俺!


「…………」


 手が凍りついてるんですけど俺、頑張れ俺!


「…………」


 いやもうマジ勘弁、どんどん気落ちしてるから早くして俺!


「……はぁ」


 何やってんだか。こんな感傷に弱いキャラじゃないだろうに。

 覚悟を決めて戸を開く。希望に裏切られた友人の様子やいかに。


「今度休みなの? じゃあ一緒にランチ行こうよ。美味しいフレンチの店知ってんだ」


 看護師ナンパしてた。


「…………」


「お、詩乃じゃん。やっほー」


 なんかテンション高い。何やっほーとか。もうそれ死語なんですけど。

 まんざらでもない笑顔の美人看護師はまたね、と比劇に告げて、俺に軽く会釈して部屋から出ていく。

 なにこれ。お前タイミング悪い的な、空気読めよお前みたいな、なにこれ。いや、勝手な被害妄想ではあるが。


「美人だろぉあの人。こりゃあ訊くしかないと思って、連絡先も既にゲットしてんだぜ。いいだろー?」


 ぶっ飛ばすぞてめぇ。


「……はぁ。俺の考えすぎって事か」


 疑問を浮かべる比劇なんか気にせず、ベッドの傍らの椅子に腰掛ける。


 ――頭には包帯、左頬と左目にはガーゼ、病衣から覗く胸元にも包帯、痣がその他諸々、今の比劇の姿だ。

 気絶するほどの暴行を受けたのだから、この痛々しい見た目は相応なのかも知れない。平和に暮らす一般市民からすれば絶句ものの有り様だが、普段と同じく、むしろ何故か割り増しで元気そうに語りかける彼の姿勢にそんな気は薄れる。


「にしても詩乃、お前よくここがわかったな。俺のケータイどっかいっちまったのに」


 壊されたよ、とは当然言えない。


「……俺が、連絡したんだ。友人が怪我してる、ってさ」


「そうなのか!? よく探し当てたな……いや、ほんと悪かったな」


 たはは、と苦笑い。……?


「まったくだ。それに、ちょっとでも遅かったらビルの崩壊に巻き込まれたんだからな。あそこが解体予定になってたのも、かなり危ない状態だったから」


「ああ、そうだったのか。……はは、何から何まで、すまねぇ」


 つらつら出てくる嘘を、比劇は素直に受け入れてくれた。俺に対する後ろめたさが、この時ばかりは功を奏したようだ。……むー。


「他に……誰かいなかったか?」


「……いや、お前だけだったよ」


「そうか……」


 あの二人を言っているのだろう。ややこしくなるだけだから、見なかった事にする。


「はは、面目ねぇ。ちったぁ言うこと聞くと思ってたんだが、失敗しちまった」


 上手く事が運ばなかった事に、比劇は苦笑い。……あー。


「みたいだな」


「ああ。しかもボコボコにされた。俺も鈍ったもんだ」


「高校時代は敵無しだったもんな」


「おうよ。それがまた、ちょっと健全に過ごしてみればこれだよ。はは」


 弱くなった自分が情けないのか、比劇は苦笑い。……。


「馬鹿。それが正しいんだよ」


「はは、ちげぇねぇ」


 まただ。……考えすぎだと、思ってたんだけどなぁ。やっぱりそうじゃないみたいだ。この下手くそ。


「全くよぉあの馬鹿共。話を全然聞きやがらねぇんだよ。こっちがどんだけ心配してると思って」


「比劇」


 遮る。比劇は目を丸くして此方を不思議そうに見つめる。


 さっきから、笑いきれていない笑みが、見た目と同様に痛々しい。そんな強張った顔して……無理して笑っているのが見え見えだ。何を取り繕っているつもりか知らないが、どちらかといえばそれは愚行の部類だよ馬鹿。


「無理して笑ってるのが見え見えなんだよ。お前が俺を面白がって観察してるように、俺だってお前の事を同じように見てんだからな」


「……ははっ。敵わねぇな、ったく」


 今のは本当の意味での苦笑いだった。先程までと比べて嘘っぽさが無い。


「いやぁ、その、何だな。大学でも心配かけて、そんでここでも心配かけちまってるから、取り合えず元気な姿で見せようかなってよ。あのお姉さんにも悪い事しちまった。連絡する気なんてさらさら無いのに」


 比劇のやせ我慢は、俺が来る前から始まっていた。彼はそんな行いを自然と選んでいた。――そうする事で、自分を取り戻すように。保つように。


「辛いか?」


「……ああ、辛い。想像以上だわ。……あの二人はよ、ほんとによくなついてたんだ。犬っころみたいに付きまとって、兄貴兄貴って」


 中学時代の悪友。義理堅い彼からしたら、この結果は身体的な痛みなどどうでもよく、心が酷く傷付いたに違いない。


「あーー……マジできついわ。こんな事になるなら行くんじゃなかった」


「嘘つけ」


「……はいはい。嘘だよ」


 もう必要ないのに、まだ誤魔化そうとしやがる。馬鹿やろう。


 犯罪を犯しているかも知れない人物にわざわざ、しかも説得なんて大層な理由で会いに行く決意が後悔で終わる筈が無い。元より、そんな奴で無いのは百も承知。むしろ。


「お前、また行こうって考えてるだろ」


 向こうが中学までの付き合いならば、こっちは高校から現在進行形での付き合いだ。


「……当たり、かな。さっきまでなら」


 けれど、今は俺の黒星だった。さっきまで、なら逆だったようだが。


「お前の顔みたら萎えた。いや本当に」


「失礼な奴だな」


「ははは、そうじゃねえって。……俺が入り込む余地が無いのはわかってるよ。あの二人はもう、俺の知ってる二人じゃない。言っちまえば違う世界の人間だ、俺にはどうにも出来ねぇ」


 平気で犯罪を行える人間の価値観とは、もはや異次元に近い。刑事事件の報道に対して、理解できないという思いを抱くのが一つの証明だ。


 脳が抑制する絶対的なモノの一部が解放された彼らを、専門知識なしの常識で計る事は不可能。……ましてや、それでいてシンカとなり果ててしまえば、もう考える事自体に意味が生まれない。同類であれば、話は別だが。


「だから、それならせめて、詩乃みたいに誰かを困らせないようにした方が良いかなって。どうにもならないんなら、放っておく方が良いかな、ってよ……」


 関わるだけ無駄。現実を前にして得た答え。受け入れたくない答え。諦めきれない――しかし、その周りにも大事なものがある。ならば、優先すべきはどれか。


 ……悪かった。ちょっと間違えた。


 お前が抱くのは失態による後悔ではなく、理解による悔恨だったのか。

 自分の非力さ、無力さを突き付けられて、対抗しようにもその奮起を抑えるは自分自身。友を取り戻そうにも制限があり、術はなく、道もなく、ただただ無かった事にするだけ。


 他人に言われたでもなく、己で決めただけに、その見返りは重々しい。だから彼はつくった。本来の、普段の自分を。


「そうかい。俺としては、またボコられなくて安心だけど」


 うるせぇ、と比劇は小突いてきた。かわす。


「でも、比劇。お前がやろうとした事は、間違いじゃないからな」


「……んだよ。気持ちわりぃ」


「お前は何も悪くない。お前の行動は正しい。説得しようとした点については誇れよ。落ち込むなら、その二人に殴られた事実だけにしろ」


 その類いの諦めは誰も傷付いてはいない。比劇は傷付いてるけど、自分だけならまだ救いはある。そして実際、お前は悪くない。悪いのは、選んではいけない道を進んでいった者なのだから。


「……へへっ、詩乃らしくねぇな。明日は雪だな」


「言ってろ。俺だってな、真面目に話そうと思えば話せるよ」


「ああ、知ってる。……ありがとよ、詩乃。そんで悪い。疲れたからちょっと寝るわ」


「あいよ。じゃあ出るな。……あのお姉さんの連絡先教えてもらってもいい?」


「やだよバーカ」


 永久に寝ちまえクソ野郎。


 比劇は布団をかぶり、俺に背を向ける形で横になった。こちらもバッグを肩にかけ、何も言わずに出ていく。


「……ありがとよ……」


 戸を閉めようとした時、小さい言葉が届いてきた、気がした。

 でもやはり、俺は何も言わない。静かに戸を閉め、病室を後にした。


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