2-30

『詩津。詩乃が彼女を連れてきたよ。いや、むしろ連れ込んでいたみたいだよ』


『あらあらまあまあ』


『…………ふーん』


『初めまして。お義父様、お義母様。詩乃君の妻となる事を約束した、荒縫日法と言います』


『何いきなり!?』















 ……懐かしいものだ。あれから六年。

 あの日を起点にして日法は頻繁に我が家を訪れては、うちの両親に媚びを売っていた。俺に対する口の悪さとは真逆の、礼儀正しい優等生を装って。


 学校では無口な高嶺の花。


 俺には罵詈雑言のクーデレ。


 妹には優しい御姉さん。


 表情一つ変える事の無い人形にしては幾つも仮面を持ってるこって。いや、実際は表情自体は統一されてるから、例えるなら釣糸を操る人が変わってると言った方が正しいか。しかしまた、彼女の操り師は彼女自身だったりする。


「それで、詩乃。あなたは私に何か、言わなければならないのではなくて?」


 バスに揺られる中、通路側に座る彼女からそんな問いが投げ掛けられた。


 かくして。あれから次のバスの到着を待ち、現在こうして、予定は変更となったが乗車している俺達。俺は窓から外を眺めて黄昏ムードに浸っていたのだが、こいつは静かに落ち着かせてはくれないらしい。


 ……そういえば、昨日は詩雄がいるから遠慮してくれたんだっけ。そのまま忘れてくれりゃあ手間が省けたのだが、日法って根に持つタイプなんだよなぁ……。


「あーあー、わかってますよ。研究施設の事を黙っててごめんなさいでしたー」


 俺達以外に乗客はおらず、後方から三番目の席なので運転手にも聞こえていないだろうから、遠慮なく惜しげもなく白状する。でもやはり声量は控えめ。


 どうやら日法は、俺に隠し事をされていたのが気に入らないらしい。バスに乗って一段落ついてからずっとこの調子である。

 と言っても付き合いの無い者からすれば、いつもとなにも変わらない表情と口調。でも俺からすれば、背景が燃えている様に見えなくもない。


「怒るなよな。て言うかさ、予想付いてたって言ってたじゃん。何を今更」


「あら、開き直りかしら。いい度胸ね」


「ごめんなさい」


 業火が燃え上がる。ように見えた。


「秘密にされるのは特になんとも思わないけど。私は、貴方に秘密にされるのが嫌なの」


 なんて。背景とは裏腹の、もしくは背景通りの理由を淡々と述べやがる。その意味がわかってるだけに、率直なその言葉に、気恥ずかしくなる。


「……わ、悪かったよ。秘密にしてたのは謝るから」


「謝罪は当然の事ながら、勿論、理由も言ってくれるのよね」


 疑問系でなく言い切りやがった。こういうのって脅迫の類いじゃん。


「理由はまぁ……なんというか……。あー、お前頭いいんだからこれも予想つくだろ?」


「皆目見当が付かないわね」


 無表情。そして高圧的な雰囲気。……ああ、そうか。これは頭脳の善し悪しではなく、相手を思いやれるかどうかの問題だった。つまりこいつには直球じゃないと伝わらない。改まると恥ずかしいから言いたくないんだけど。


「……はぁ。理由はこうだよ……。半ば人体実験してる施設なんて世間に公表できる訳ない。今じゃ社会問題だし、そうじゃなくても始めから人間社会のタブーだし。だからそれを知ってるっていうのは、もし関係者にバレたら、殺されても可笑しくはないって事になるだろ?」


 大袈裟でも比喩でもない。世間を敵に回すくらいなら、人ひとりなど消去した方が合理的であり最善である。経済、学問、医療、はたまた軍事にまで大きな進歩を望めるチャンスを、そう簡単に手放す訳ないじゃん?


 こと進化の水に於いて、どこの国も血腥い考えに至っている。平和主義の日本も然り。アメリカでは、記者の行方不明や死亡事故が微妙に多かったりする。理由は神のみぞ知る。いや、知ってる人は知ってる。クロちゃんとか。


「まぁ……聞かれなかったからラッキーってのもあるけど、話して聞かせたらお前も同罪になるから、だから言おうと思わなかった。以上」


 さっさと切り上げる。窓から外を眺めて知らぁんぷり。


「……全く。貴方って人は何でこうなのかしら」


 知らぁんぷり。


「脳みそ残念で心が変態で顔が冴えないくせに」


 し、知らぁんぷ、り……。


「本当に」


 おもむろに、日法は此方へ寄りかかり、肩に頭を乗せてきた。


「ちょ――!?」


「お人好しね。とても……」


 そのまま、なにも言わなくなった。それで終わりなのか、終わらせたのか、彼女にしかわからない。何気ない優しさに耐性が無い荒縫日法。今回は黙りこむまでが少し長くなったミドルバージョン。そして、なんか妙なスイッチも入ってる。


 ふわり、とシャンプーと混ざった日法の匂いが伝わってくる。女性だけが持つ特有の匂い。しかも見た目が凶悪なまでに整っているこいつは、匂いまでもが異性を陶酔させるレベルときてやがる。


 此方も頭を乗せてしまおうかという衝動に駆られた。というかいつの間にやら頭が傾いていた。だがそれは駄目だ。それはなんというか……負けた気がするというか……うん、なんか駄目だ。

 首を真っ直ぐにする。顔を窓の外へと向けて、風景を眺める事に徹した。気が紛れると思いたかったが――……やはり気休めにしかならない。


 肩にある僅かな重さと匂いは、何時までも俺の思考を惑わす。普段から毒舌のくせにこんな姿を見せられたら、そんな気が無くてもそんな対象として意識してしまう。


 ……いつもこうだったらいいのに。

 せめて表情に変化があれば、俺の気持ちも大幅に傾いていただろうに。でも…………難しいだろうなぁ。


 ――親がシンカであった場合、その子供は高確率でシンカとして産まれる。片親で高確率。両方の場合はほぼ百パー。どっかの外国で狂った研究員が立証したらしい。


 シンカは、特異な能力を含めて確固たる個だ。なにがどうなっていようがまともな人間と同じ、人間。

 極端な話、遺伝子に新しいものが刻まれただけでしかない。だから子供にも、一般的な受精と何ら変わりなく親の遺伝子が引き継がれ、同等か以下か以上か変異か、シンカの胎児の生誕である。勿論、テイシも同じ。


 けれども、この事実は公にはなっていない。

 内容だけを発表するなら問題はないが、研究方法が大問題である為に世間には広まっていない。


 規則正しく強姦したりさせたりしましたなんか言える訳ないわなそりゃ。

 その研究員は反感を買い、良心が残っていた同僚から生かしてはおけないと判断されて、もうこの世にはいない。――しかし何だねぇ。この研究成果、日本も含めた世界各国の関係者の間では重宝されてんだよねぇ。だってみんな気になってたから。


 で、本題。


 荒縫日法と荒縫翔の両親はシンカである。始めは普通の家族らしく過ごしていた――いや、過ごそうと頑張ったらしいが、何を限界に感じたのやら、幼い二人を残して蒸発した。

 施設に預けられた二人は、まあそれとなく普通に暮らしていた。若干のイジメはあったが、でも、暮らせてはいた。

 日法はその頃から既に感情が希薄だったらしいが、両親が突然いなくなったショックで更に進行。そしてとどめを刺したのが、施設の職員の陰口だ。

 どこかで情報が漏れたのか、本気にはされていなかったかも知れないが、彼女たちの両親について職員同士でお茶菓子のように話していたのを、日法は偶々きいてしまったという。


 腹が立つ事に、そいつはいらない感想ざれごとをこぼしやがった。シンカに対する、当たり前のように横行するそのクソッタレな言葉が、現在の日法を形成する引き金となってしまったのだった。


 ……人間ってのは、基本的に弱い。


 強い奴は強いなら別にそれで構わない。どうでもいい。

 でも弱い奴ってのは、どう仕様もなく弱い。

 浮き沈み、大きい小さい、強弱、などと簡単には片付けられない程に、この二つは差が開きすぎている。


 誰かを頼りにしなければ生きる糧を得られない。親とか宗教がいい例。

 そんな弱者が弱りに弱りきって尚、更に追い討ちをかけられた時、結果はどうなるか。簡単だ――壊れる、ただそれだけ。割りばし曲げ続けたらバキッて折れるのと一緒。


 心の傷を抉られ、踏みつけられた人間は普通ではいられなくなる。どこかのなにかが壊れ、破綻してしまう。

 けれど日法みたいに日常を送る事は出来る。でも素直に、世間一般の普通、とは言いがたい。実際、日法は俺以外の人間をまともに認識しておらず、アレとかコレとかソレとか、そんな程度にしか思っちゃいない。――思えない。

 それが彼女を形成する、彼女が唯一自分を自分として見ていられる、答えだから。


 ……お互い、普通に産まれたかったよな。そうすりゃ、普通に暮らせた可能性があったのに。


 俺達、ゼロじゃん。






















 

「おい、日法。……日法さーん」


「……ん」


 揺られること三十分くらい。病院近くのバス停に到着。

 いつの間にやら居眠りしてしまった日法。とんとん、と肩を叩いて起こす。


「……あら。着いたのかしら」


「おう。だから早く降りるぞ」


 そう言うと、日法はささっと姿勢を正す。いま起きたにしては行動が機敏な奴だな。


「…………」


 そして何故か、着ている服を気にしている。


「何してんだよ。着崩れでも気にしてんのか?」


「いえ、そうじゃなくて。私が寝てる間に悪戯はしたのかと」


「してねぇよバカ」


「……呆れたわ。へたれ」


「なっ、ぐぅ……!」


 何で貶されにゃならん……でも。

 正直、言い返せなかった。いや、此方は全くもって悪くないのだが、何故か現在の空気は俺が悪い感じになっているのを自分自身でも理解していたから。いや、全然これっぽっちも悪くないんだけどね俺は。


 ……違う、欲に負けて触っちゃおうかなって思ったけどやっぱりやめておこうというサブエピソード的なものは断じて無い! それよりお互いにその思考に行き着いちゃうってどうよ?


「いいから降りんかい!」


















   













「はい。わかりました。ありがとうございます」


 受付に比劇の病室を聞き終わる。共同ではなく個室とか、贅沢な奴め。


 ……まぁ、それはそれとして。


 どんな顔して会えばいいのやら……様子を確認しに行くのは朝から決めていた事だが、心構えはまだ出来ていない。正直、ここでの目的を後に回したのもそれが理由なんだけど、本来の予定通りだったとしても今と変わらなかっただろうなぁ。

 比劇は俺の乱入から終始気絶していたから、あの場で起こった一部始終は見ていない。その事に関しては安心だけど……問題はあいつ自身だ。


 僅かな希望だとしても、可愛がっていた後輩の説得は失敗。そして気絶するまで痛め付けられ、気が付けば病院の中。陽気で奔放なあいつでも、流石にこたえているかも知れない。今まで比劇のそんな場面に遭遇した事ないから、俺はいつも通りにしていいのか一緒に落ち込めばいいのか……わからない。


 エレベーターに乗り込む。三階のボタンを押す。


 ――そう言えば、あの二人は本当にどうしたのだろう。あれほどまでの崩壊に巻き込まれれば、生きてはいないだろうと仮定して終わった気でいたけど、日法の言い分も無下には出来ない。

 今朝のニュースで流れた被害者の中にはいなかった。身元不明な死体はなく、そして何より、瓦礫の撤去はまだ進んでいないから中の確認はまだ出来ていない。なので今のところは、奴らの生死は確定していない。


 比劇にまた襲い掛かる事は無いと思うけど、俺と詩雄に対しては目にした瞬間に殺しに掛かってくること間違いなし。自分の日常をぶち壊してくれやがった元凶――俺と同じく――だから決して許しはしない。

 逆恨みでも立派な理由だ。相手を怒らせるだけの事実を、確かに築き上げたのだから。


 エレベーター到着。降りて病室に向かう。


 ……日法が心配するのはそれ故なのだろう。確実に残虐な結果を生み出す要因の有無が不確定、彼女が危惧していたのはそこ。だから今日は、強引に付いてきている。……まぁ、病院は苦手だからと今は俺を一人にしている辺り締まらないのだが。怪我したクソガキ共がこの病院で治療されてたらどうすんだよ。


「おろ、坊主じゃねぇか」


 と考えていれば、曲がり角で何故か鷹無のおっさんと遭遇した。隣には相棒の鞠戸さん。


「おっさん……それに鞠戸さんまで……。何でここに二人が?」


「何って、仕事だよ仕事」


 なぁ、と同意を求めるおっさん。

 えぇ、と肯定する鞠戸さん。


 ネクタイもちゃんと締めずだらしなく着崩した格好のおっさんとは真逆に、鞠戸さんのスーツ姿はビシッと整っている。真面目な性格なのは知ってるけど、夏の時季なんだから上着くらい脱げばいいのに。


「へぇ、意外。おっさんってちゃんと仕事してんだな」


「おいこら、それは聞き捨てならねぇなあ。俺だって汗水流して働く時はあんだぜぇ?」


「時は、なのか。時は、ね。どうせ大半は鞠戸さんに任せてんだろ」


「否定はしないよ、詩乃くん」


「してくれよ鞠戸。あと謝るから許してくれよ鞠戸」


 この通りだと両手を合わせて頭も下げる鷹無古朗警部。どんだけ鞠戸さんに負担かけてんだよ。


「おっさんイジりはもういいとして。仕事で病院ってなると……もしかして犯罪者でも寝てんの?」


「バーカ。犯罪者は警察病院だっつの。いやな、昨日の夕方、若者が病院の前で倒れてるって通報があったんだよ。その日の内に他の刑事が事情聴取したんだが、一応は俺たちも聞いておこうと思ってよ。最近目立つ若者の喧嘩騒動の首謀者が、シンカだって噂を小耳に挟んだんでな」


「――――へぇぇぇ。そうなんだ」


「おぅよ。けどまっ、それとは関係ない喧嘩みたいだな。被害者の口ぶりからすると。坊主もあんまりハッスルしちゃいかんぞぉ、若者は元気に健やかにいかにゃあ」


「あいよ。そんな物騒なもんに首突っ込む気は無いよ」


 そうかそうか、と鷹無のおっさんは微笑む。俺が返した笑みを、おっさんも鞠戸さんも不審に感じなかったようだ。ひきつってたと思うんだけど。


「んじゃあな坊主。お友達の見舞いかなんかだろ、早く行ってやんな」


「ん、わかった。鞠戸さん、おっさんの理不尽には一発かました方がいいですよ」


「ああ。考えとくよ」


 凛々しく立ち去る鞠戸さんの隣で、おっさんはまた頭を下げていた。


 ……そうだよな。詩雄はただ置いてきただけと言ってたし、倒れてる人を見掛けたら取り合えずは警察だよな。


 おっさんの話から察するに、比劇はとうに目を覚ましていて、そしてあの二人の事は話していないらしい。こんな目に遭ったにも拘わらず、あのクソガキ共を庇うつもりのようだ。


 ……なんだなぁ、と頭を掻きつつ、重い足取りで比劇の病室に向かう俺であった。

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