2-29

 なんだっけかなぁ。よく覚えてるのが……ああ、あれだ。中学生の頃、休みの日にごろごろしていた俺のテリトリーへ唐突にやって来た時だ。


 その日、俺は一人で家の中を過ごしていた。他三人は動物園へと出掛けたからである。ハブられた訳ではない、というかそんな家族は色々と終わっている。

 ただ単に、動物園に興味が無かっただけ。妹に合わせたであろう父さんの家族サービスは、中学二年の俺には響かなかった。思春期と反抗期の真っ只中である。

 小さな言い合いをして、結果、留守番を勝ち取る。とはいえ、変な人が訪ねてきたらすぐに連絡しろと心配する辺り、やはり父さんは人が良い。母さんは……何を考えていたのやら、終始なにも語らず微笑んでいた。


 静かなリビングで、ソファーに寝転がりながら片手はスナック菓子、もう片方は漫画。誰もいない事で自由に過ごせる時間とはとても清々しい。ずっとこのままならいいのにと、解放感を満喫していた中、ピンポーンと来訪者の知らせ。


 その音で現実に戻される。ちくしょう、と思いながらソファーから立った。宅配便だと思っていたので判子を取りだし、怠い足取りで玄関に向かい戸を開いてみれば、そこには日法がいつもの見慣れた無表情で立っていた訳だ。


 驚いて心臓が止まりそうになったのを今でも覚えている。俺の家に遊びに行きたいという願いを悉く却下していたのに、独り言の様に遠回しに示唆されたのを全て無視していたのに、この女はなんの連絡も無しに実家まで訪ねてきやがったのだ。

 突然の来訪でも大抵の男ならばこんな美少女は二つ返事で招き入れるのだろうが、当時から煙たがっていた俺は二つ返事で拒否した。だってなんか恐いし、何より面倒くさい。


 当然に帰れの一言。何か言っていたけどまともに聞いてはやらない。入れたくないのだから入れる訳にはいかなかった。玄関の戸をぴしゃりと閉めがちゃりと施錠、居場所を自室に変えて漫画の続きを読もうとした。けど止まる。――どうにも気持ちが痒くて、心置き無く読み進める事が出来ない。

 気掛かりの原因である外をカーテンの隙間から覗けば……思っていた通りというかなんかというか……日法は家の前の外灯の隣に佇んでいたのである。


 わざわざオシャレしたのに断られ、少し俯いて無表情に中空を見つめる姿は、その時ばかりはどこか落ち込んでいるように見えた。気がする。


 ちょっと、本当にちょっとだけ心が痛んだ。でも、そのしつこい姿勢に苛立ちもあったので、勝手にしやがれと知らないふりをしてベッドに横になった。漫画の続きを見ようと思わなかったのは、無自覚の罪悪感とでも言おうか。


 目を瞑って苛立ちに身を任せる。あいつが馬鹿なんだと、頭の中で意味もない言い訳を何かにぶつける。そうしている内に何時しか、俺は眠ってしまった。


















 ――――――――――いま何時だろうか。


 目を覚ませば、外は夕闇。

 風と雨が窓を揺らし、天候は荒れている。


 大きくあくび。明かりを点けて時計を確認したら、五時間は眠っていた計算となった。長い昼寝だこと。今日は寝付きの悪い日となるのだろうと後悔した。

 残りの家族三人も、そろそろ動物園から帰ってくるだろう。リビングでテレビを見ながら時間を潰そうと思った時、窓が気になった。


 ああ、そういえば、アイツがいたな。


 流石にもう帰ったに違いない。時間も時間だし、天候も天候だし。

 本当に困った奴だったなぁと思いながら軽い気持ちで外を見ると、日法は外灯に寂しく照らされてぽつんとそこに立っていた。俺がふて寝する前と同じ場所、同じ姿で、びしょびしょになりながら。


 ――あんのっっっ馬鹿――!


 考えるよりも先に体が動いた。部屋から飛び出し、階段を転げ下りて、鍵を外して戸を開き、駆け寄って手を掴んで、家の中に引っぱる。


 何で帰らなかった、とタオルで頭を拭きながら怒って問うならば。


 一緒にいたかった、と寒そうに体を震わす彼女は答えた。














 …………そんで、帰ってきた母と父と妹。我が家の秘密と直に対面する荒縫日法との、青春の一ページ的な何か。本当に扱いに困った彼女との思い出である。それはともかく。


「――なぁ、日法よ」


「何?」


「あの、向こうの方へ走って行く車は俺がいつも乗るバスなんだ。それでさ、いま立ってるここはあのバスが止まるべき場所なんだよ。けどバスは向こうにあるんだよ」


「それで?」


「それで、じゃねぇよ! 乗り遅れたんだよ!」


 ぎりぎり間に合うだろうと踏んでやや速めに歩いたらものの、乗りたかった時間のバスを見事に逃した。俺には目的があるので焦りがあるけど、ただ付いてくるだけの日法はどこ吹く風。


 しかし腑に落ちない。確かにぎりぎりではあるが間に合う計算であったのにこの顛末。携帯に表示された時間を見る。



「…………」


 ずれていた。格好よく言えば過去を刻んでいた。


「ちくしょうが!」


「ベタ過ぎて言葉も出ないわ」


「うるせぇ!」


 俺には目的がある訳で、あのバスを逃すと何かと焦るのだが、単に付いてきてるだけの日法は涼しい顔。いや、無表情だけど。


「あーもぅ! 次のバスは……遅いなぁ。何でよりによって……」


「いいじゃない。なんだったら諦めて帰って、私と愉快な会話で一日を過ごす事をお勧めするわ」


「お前に愉快とか微塵も期待できんわ!」


 それに無表情で話しかけられても愉快になれねぇよ。


「……はぁ。順番変える。先に病院に行くとするか」


「病院?」


「そう、病院。俺の前にリンチされてた奴がいるんだよ」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る