2-28

 ――時刻、午前七時。俺の部屋にて。


「吸血鬼って、あの吸血鬼か?」


「そうそう。あの吸血鬼」


 沢庵ぼりぼりしながら、詩雄は答える。世界で一番有名とされる殺人鬼の渾名を口にしておきながら、さも日常といった様子で沢庵ぼりぼり。


「何か手懸かりでも見つかったのか?」


「ぜぇんぜん。それをあたしに探させるみたい」


 俺も沢庵ぼりぼり。

 日法は沢庵が苦手なので箸は向けない。米を食べながら俺と詩雄の話に耳を傾ける。


「……それはまた、空を掴めって言われてるようなもんだな。シンカ絡みの事件はただでさえ情報が少ないのに、吸血鬼事件ってなんの情報も無いじゃん」


 ぼりぼり。


「ほんとだよ。しかもあと二日しかないし」


 ぼりぼり。


「期限があるのか。見つけられないと罰でも与えられんの?」


 ぼりぼりぼり。


「罰ではないけど、報酬が減る。ちぃと焦ってるんだよね。こればっかりは」


 ぼりぼりぼり。


「どうせ漫画だろ。何を焦るってんだよ。あの部屋なら幾らでもあるだろうに」


 ぼりぼりぼりぼり。


「いんや、あの部屋にも無い代物だよ。おばさんも手に入れるのに苦労したって言ってた」


 ぼりぼりぼりぼり。


「クロちゃんが苦労したって……お前それ、ただ事じゃないぞ。あのクロちゃんが、だろ?」


 ぼりぼりぼりぼりぼり。


「そう。あの、国家に指示できてまかり通るようなおばさんが。嘘でしょこいつって思ったわ、ガチで」


 ぼりぼりぼりぼりぼり。


「信じらんねぇ……。で、その漫画って?」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「ふっふっふ。聞いて驚きなよお兄ちゃん。その漫画とは、ファンの間では都市伝説とまでされている、ハカイちゃんを元ネタにした同人誌なのですよ!」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「……ごめん。いまいち凄さがわからない」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「……あの」


「はあ!? なにそれありえないんですけど! 今では個人でしか所有してなくて、ファンの一部ではホームページに高額の取引願いを載せてるくらいなんだよ!?」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「……ちょっと」


「いやいや、俺ハカイちゃん興味ないし。歴史上の超有名人が書いた物とかなら価値あるかもだけど、ハカイちゃんって……」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「……貴方たち」


「それはお兄ちゃんの価値観でしょ。ハカイちゃんファンのあたしからした目ん玉飛び出る所の騒ぎじゃないんだからねっ!」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「……沢庵」


「こらこら。冗談でもそういう事を言うなっての。お前の場合冗談じゃ無くせるんだから」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「……いや、沢庵」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「ふんっ。それくらいわかってますよーだ」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「どうだかなぁ。お前って気が短いからなぁ」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「……」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「お兄ちゃんに言われたくないんですけど。すぐに何でもかんでも食べるくせに」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼり。


「俺が悪い訳じゃないんだけど……否定できねぇな」


 ぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼりぼ。


「――ありゃ、沢庵なくなっちまった。日法、悪いけど後ろの冷蔵庫からたくあ」


「今から沢庵が私の目の前に現れた瞬間、このアパートを潰すわ」


「いきなり何っ!?」


















       












「詩雄ちゃんがよければ手伝うわよ?」


「ううん、大丈夫。気持ちだけありがと日法ちゃん」


 にんまりと猫みたいに微笑む詩雄。日法はずっと無表情だけど。相変わらず仲の良い事で、兄妹じゃなくて姉妹ならよかったのに。


「そゆ訳で、あたし今から出掛けるね。ちゃちゃちゃっと見つけたいし」


「あいよ。目立つような事はするんじゃないぞ。お前は突っ立ってるだけでも目立つんだから」


「……ちょっとお兄ちゃん。それどういう意味。あたしが浮いてるっての?」


「まぁ、そうなるな。いやいや睨むなって。別に悪い意味じゃないよ。お前は美人の類に入るから、男共が自然と目を向けちゃうから気を付けろって言ってんのっ」


「…………なにそれ。うざっ」


 そっぽ向いてしまったが、悪い気でないのがわかりやすい。どうせ頬でも赤らめているんだろうなぁ……やめてくれ、兄貴の言葉でそんな反応しないでくれ。


「ほらほら早く行けよ。時間ないんだろ?」


「わ、わかってるし。――んじゃ二人とも、行ってきまーす。……ハカイちゃんがあたしを待ってるぅうっ、ヘイ!」


 急に興奮するんじゃないよ。女の子が唾をとばして喋るんじゃないよ。


 詩雄が百パー食いつく餌で以ての訓練か。こいつは気分屋だから、目的の為に動かすのであれば好みに合わせなければならない。情報を見つければ同人誌の後編、施設に戻れば前編、抜かりないねぇクロちゃん。

 あと今更だが、うちの妹が施設から外出している理由を聞きだして、丁度いま終わったところ。


「きゃっほい!!」


「あ、こら、出るなら玄関」


 から出やがれ、と言い切る前に、詩雄は我を忘れた様子で窓から飛び出してしまった。


 真下に下りるのではなく窓枠を蹴りつけた反動で数メートル飛行。どこで調達したのか、またはクロちゃんが与えたのか、昨日から着ている白いミニスカワンピがばたばたと暴れてパンツ丸出しだ。空中を漂う合間に手に持っていた靴を器用に履き、そして道路に着地した後はイェーイと叫びながら走り去っていった。


 ……おもむろに窓を閉めようとしたが、案の定、というかわかりきってたけど……見るも無惨にひしゃげて動かなくなっていた。大家さんに何て言おうかなぁ。

 なんか凄い何かが凄い速さで来て凄い勢いでぶつかって凄い事になりました、よしっこれでいこう。と涙目で決意する。


「あーあ……俺も出よ」


 現実逃避したいので大学に行く準備を始める事にした。朝っぱらから憂鬱だ……。


 壁にかけてあるショルダーバッグを手に取り中身を確認。腐りかけのジャムパンを放り投げる。専門書やらノートを入れる。最後に着替えて……はいっ、健全な大学生の完成だ。


「支度は済んだ?」


「おう」


「じゃあ行きましょうか」


「おう。……おぅ?」


 何かおかしかったので疑問の眼差しを向けると、玄関の外に日法が立っている。俺と同様に出掛ける準備を終えて。


「どうしたの?」


「いや、それはこっちの台詞。お前いま、行きましょうかって言った?」


「言ったわ」


「……俺と一緒に、て意味?」


「そうだけど、何か?」


 ……訳がわからん。何がわからんって、彼女自身がわかっていない事がわからん。


「また例の探検か?」


「そうね、貴方と大学まで行った後はそうしようかしら」


「やっぱりついてくるんだ!?」


 外出が重なったのはただの偶然だと思いたかったが、どうやら意図的らしい。なにこいつ、新手の嫌がらせか?


「……はぁ。昨日の今日でもう忘れてしまうのね。まぁ貴方の脳ミソには微塵の期待も無いのだけれど」


「ちょっとは有って! ……てか、気にしすぎだっての。大丈夫だよ」


とは言ったものの、保証は何もない。あのクソガキ共が生きているとは思えないが、普通の人間でないのだから常識的な予想が通じるとも思えない。

 まぁ、出会ったならその時はその時。喋れなくしてしまえばいい。……あぁ、俺も詩雄の事は言えないな。


「確証が無い事を言わないで頂戴。貴女が何を言おうと付いていくから」


「護衛のつもりかよ」


「ええ、そうよ」


「その前に口で注意して止めるものじゃないか?」


「それは昨日した。それでも貴方は外に出てしまったじゃない。何より、詩乃が素直に聞き分けてくれない事なんてとうの昔から知ってるわ」


 腐れ縁。小学生からの付き合いで得られる認知とは、それはもう家族レベルにまで等しかったりする。


「…………ああもぅ……わかったよ、好きにしろ。でも断っておくが、大学の近くまでだからな。それ以上は駄目だからな。いいな。わかったな」


「わかったから念押ししないでくれるかしら」


「ほんとにわかってんのかこいつ……っと。ちょいと急がないと」


 ちらりと時計を見ると、バスが到着する時間が迫っていた。


「ほら行くぞ」


「あっ」


 部屋から出て鍵を閉め、日法の手を取って足早にバス停へと向かう。


 いま思えば――出来れば付いてこないでほしいのに、自然と日法の手を握ってしまったのも腐れ縁なのだろう。こうして動かない彼女を引っ張った事は何度かあった。自分で決めた事を曲げないという性格、とうの昔から知っている。


 ……あ、なんか青春っぽい。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る