2-27

「――ヒ、っ、――っ!」


 まるい月がぼんやりと浮かぶ、薄く霧がかった深い夜。

 歩道には人の行き交いが無くなり、乗用車が道路を走る音くらいしか響かない街中に。何やら小さな不穏が、一つ。


 白いシートで覆われ、骨組みもまだ建設途中の工事現場の中に、一人の男性がいた。鉄骨に背中を預けて腰を下ろし、肺を落ち着かせようと深呼吸を繰り返している。余程の運動でもしていたのか、深く息を吸い込もうとすれば思わずむせかえっていた。


 霊ヶ哉の隣町、黄吏町おうりちょう。霊ヶ哉の南に位置するその町は、商業関係の建物よりも住宅地が多い。中心に進むほど発展していく阿倉木市の性質上、霊ヶ哉と比べて少しだけ劣る町並み。


 その町、黄吏町には、最近になってとある犯罪が目立つようになっていた。連続通り魔事件――深夜、通行人が何者かによって切り刻まれるというもの。切り裂かれるのではなく、切り刻まれる。殺人にまでは至っていないものの、言葉からもわかるように、悪意に満ちた所業が皆を脅かしていた。


 目撃者もなく、被害者は揃って犯人は黒いコートを着ていたとしか特徴を捉えていない。それならば却って見つけやすいのではないかと世間は思ったが、けれど最初の事件から二ヶ月も経っていた。その間、計六件。警察が聴き込みや深夜のパトロール隊を増やしても、なんの手掛かりも足取りも掴めない。そして未然に防ぐ事も出来ないでいた。


 ――して、何故か慌てた様子で工事現場に駆け込んできた男性。蛯名友糸えびなともしは、通り魔その本人である。


 不定期に通行人を襲っていた彼は一週間ぶりに今宵、また犯行に及ぼうとしていた。顔と体格を隠す為のコートを着てフードを被り、右手をきしきし鳴らして、にやけた表情のまま狩りを開始した。……しかし、今日は少々てこずっていた。

 それもその筈。凶悪犯がまだ捕まっていないのだから、夜中に一人で歩く人などいる訳がない。ニュースを真面目に聞いていない者でさえ意識してしまう程、もうそこまで有名になっている。いたとしても、そこは人の多い繁華街、当然そのような場所やその近くでは事は起こせない。


 獲物が見つからない苛立ちを壁にぶつけては、夜を過ごす蛯名。

 そんな彼は、やっと獲物を捉えた。蒸し暑いこの時期に、自分と同じく黒いコートを着ていたのを奇妙に思ったが、切れれば別にどうでもよい。


 見れば女。肩甲骨ほどの長さの髪を飾り気もなく束ねている。長身で、すらりと伸びた足と背筋が中々に凛々しい。歩く姿を見た感じモデルを思わせる。

 しかしなんだ、足元は軍人を連想させる編み上げブーツというのは何なのか。見るからに強固であるだろうそれは、女が履くようなものではない。

 ファッションセンスが斜め上なのか、何かのコスプレか、今までにない風貌をした獲物。再度奇妙だと考えたが……やはり、切れれば別にどうでもよかった。何より彼は女を切り刻むのが、勃起するほど好みだった。


 きしん、と右手が喜ぶ。獲物に気付かれない程度の音で。


 歩行を速める。獲物に気付かれない程度の気配で。


 慣れた動きだ。衣擦れの音も抑え、街灯で照らされた影も計算している。そうやって近付いては、相手を傷つけてきたのだろう。そしてまた、罪の無い犠牲者を増やすのだろう。

 獲物との距離が二メートルに迫る。ここまで来れば忍ぶ必要は無い。彼はいつものように、足に力を入れて、動物の様に飛びかかろうとした。

 まずは足。膝の裏を切って立てなくしてから、次は喉元に右手を突きつけて悲鳴を封じ、後はゆっくりじっくりいたぶる。それが彼の楽しみ方。



 ――恐れで震える相手の表情を見ると、とても興奮する――



 蛯名にはそんな性癖がある。始まりは高校生の頃。


 テストの点数の悪さを教師に注意され、むしゃくしゃしていた帰り道、餌欲しさに寄り添ってきた野良犬を煩わしく思い、感情のままに蹴り飛ばした。壁に打ち付けられ、地面に横たわる野良犬が苦しげに自分を見上げた時の、あの瞳。――なんとも言えない高揚が沸き立った。

 為す術もない相手を思うがままに蹂躙する独特の支配感。蛯名は初めてのソレが、とても快感だった。それからというものは、もはや狂気と言えるまでのレベルまで悪化した。


 犬や猫の手足をナイフで切り落とす。鳥はガス銃で撃ち落としてから滅多刺し。挙げ句の果てには小さな子供にまで暴力を振るう。人目につかないようにひっそりと、身勝手に己の欲を満たす。

 けれど動物に対する殺害はあれど、人間に対しては素手によって青アザ程度しか手は出さないでいた。破綻した性格ではあったが、人を殺せるほど彼は強気ではなかった。

 だから、人間を襲う時は抵抗が弱い子供を狙う。元より彼は弱い者しか襲えない。それだけ彼自身も、弱いから。


 ……だが今となってはその度合いは大きく変化している。自分より強いと思っていた者も弱い者となり果てた。なにもかも、その右手の所為おかげ

 裂けんばかりに頬を歪ませる蛯名。大好きな、肉を切る感触が、もうすぐ――


「そこだ、とでも思ったか」


 思っていた。そう――つい今しがたまで。


 蛯名は仰天して、躓いた。前のめりになって転びそうになるのを、無理矢理に片足を出して踏ん張る。同時に踏ん張った足で地面を蹴り、もつれながらに後退して、その元凶を焦燥にかられた瞳で見つめた。


「ふんっ、下手くそが」


 どれの事か。または全てか。

 女性は振り向き、蛯名を蔑んだ目で睨みながらそう言った。


 その顔立ちは、美人と称してもおかしくはなかった。だが美人とは素直に言えない。何故ならその目つきだけはどうにも形容し難く、そして彼女の整った顔を駄目にしていたから。まるで目に入るもの全てに嫌悪を抱いているような、憤怒を具現しているかのような双眸。思わず蛯名の背筋に悪寒が走る。


「……右手の硬質化に於ける刃の形成。テイシか。貴様、私で何人目だ?」


 そしてその言葉は、蛯名の全身を恐怖で包んだ。


 私で何人目。

 つまり、襲いかかったのは私で何人目。


 初対面である筈の女から、そう訊かれた。いや……いま初めて顔を合わせた女から、そう脅迫された。

 発言に迷いはなく、具体的にも程がある。詰まるはこの女――たった数十秒の状況だけで、蛯名が行おうとした現在を読み取り、そして行ってきたという過去さえも見透かしたのだ。


 息を呑む。


 理解できない。


 何が起こっている。


 立場は逆転していた。弱者であるが故に嫌でも生まれ出でる弱者の気持ち。絶対的強者を前にした時の不安。己が持つ尊厳の喪失感。泣きたくなる程の恐怖心。――蛯名は現在、対峙しただけの女からそれらを抱いていた。

 凶器を携える自分は確かに、丸腰である目の前の女より下だったのだ。理由や理屈は無い。ただわかる、本能が告げている。


 ――発火じみて、蛯名は逃げ出した。


 些細な抵抗はあれど、真っ向から立ち向かわれたのは初めてだった。明らかに尋常でないその雰囲気に心を崩された事もあるが、元より彼は怯える相手しか傷付けられない。それだけ彼は弱い――故に、脱兎の如く走り出すしかなかった。そして同時に悟った。


 アレは、狩猟する側だと。







 そして今に至る。


 憐れで情けなく、けれど正しい選択。実際、今こうしている自分は、感動すら浮かべてしまう程の安堵に包まれている。やはりあの場から逃げ出す事は正しかったのだ。

 呼吸が整った蛯名は出直す事にした。今日は運が悪かった。心苦しいが今日は諦めて、何日か経ってからまた遊ぶとしよう。それならあの女も、もうこの一帯にはいないだろう。そう思ってため息をつき、立ち上がって、蛯名の思考は凍結した。


「テイシ並びにシンカを発見次第かならず警察または管理所に報告、という条令を知っているか?」


 人形じみて首を動かし、逃げ込むために右手を使って開いたシートの裂け目を見る。


「社会の中でどんなに穏やかな暮らしをしていようと、貴様らは絶対的に一度は施設に入居してもらわねばならない。悪く思うな、この世界は貴様らを主体に構成されている訳ではないのだから」


 そこに、ソレが立っていた。


「なに、問題無しの認定を受ければ解放はさせてもらえる。後は定期的な近況報告と職員の視察を除けば、入居前と同様とはいかなくとも普通の日常の中で過ごせる。まぁ、貴様の場合は違うが。――では、面倒なので早々に連行させてもらう。遠慮はせんぞ」


 極上の、敵意を以て。












 …………その夜、蛯名友糸は。


 死神の鎌を見る…………。


















       













 ――黒色零子はコートの内ポケットから取り出した煙草に火を灯し、深く空気を吸い込んで、そして吹く。呆気なかったとはいえ、一仕事終えた後の一服はやはり気持ちが良い。


 機関専用の端末を開いて直属の部下と連絡を取る。泡を吹いて気絶する蛯名を回収させる為である。何をされたのか、蛯名は首から肩甲骨にかけて真っ青に腫れ上がっていた。折れているのではないかと思える色だったが、抜かりなく、骨折と後遺症の一歩手前に止めてある。


 対して、黒色零子には何一つ外傷は無かった。着崩れもしていなければ、地面に争った形跡も無い。一撃、彼女がモットーとする戦闘の顛末だ。相手が誰であれ、彼女にとって当たり前の風景である。傭兵時代も、数々の戦場をそうやって闊歩してきた。


「…………で、貴様らは何だ」


 唐突に、黒色零子はたゆたう煙を見つめながら呟く。しかしそれは単なる独り言ではなく、ちゃんと意味のある問いだった。

 煙草を最後に大きく灯し、足下に落とす。おもむろに近くにあったコンクリートブロックを鷲掴み、プロ野球選手の如く速度で以て投げ飛ばす。


 けたたましい音が鳴り響く。木製の資材は爆発したみたいに砕け飛び散り、その後ろに潜んでいた者が姿を現した。


「っ――!?」


「二度も言わすな。貴様らは何だ」


 冷淡。極めて冷淡。何故わかったのかと疑問を抱く時間すら与えない。


「――てめぇこそ、なんだっちゅーの……!」


 そして、隠れ潜んでいた者とは、園江玖だった。腕の中には、青ざめた顔色の半葉燐次。腹部を赤く染め、息も絶え絶えの。


 彼らはビルの崩壊から奇跡的に生き延びていた。到底、回避不可能である筈の死の運命をねじ曲げられたのは、燐次の直感によるものが大きかった。

 崩れる床、落ちてくる瓦礫、それらのタイミングを直感に任せ、安全……とは言っても危機一髪だったが、致命傷を避ける道のりを導きだしたのだった。

 着地は玖が燐次を抱えて行う。彼の身体ならば六階からの衝撃でも耐えられる。そのまま、後は燐次の指示により退避。目を瞑り集中する彼の直感はもはや予知の域に達し、二人は神憑った逃走劇を繰り広げる。


 ――けれど、やはり限界はあった。


 どんなに足掻こうと、当然といえば当然だ。物理的な無理は状況を見て一目瞭然。普通の運動能力で補うなど烏滸がましい。一人が助かっただけでも充分すぎる結果だったが、二人が無事に、とまではいかなかった――いけなかった。

 あと一歩のところで、最後に間に合わないと判断した燐次は玖を突き飛ばし、代わりに自分だけが瓦礫に抉られる結末で締め括られる。


「威勢の良さは今はいらん。状況を伝えろ」


 そんな事を知らない黒色零子は、けれど見るからに重傷者を確認してなお、非情な眼差しを向ける。既にわかっていた。こいつらは自分絡みの問題だと。現在の彼女は単純に、何があったと、事務的に質問しているに過ぎない。


「っるせえ! てめぇの事なんざどうでもいい! 殺されたくなかったらさっさとどっか行きやがれ!」


 本当は今すぐにでも実行したい玖だったが、遠ざけようとする意思を優先する。


 他人の目に付きたくなかった。いま彼らは警察に追われている。

 自分達が住まう場所はなく、病院に駆け込む事も出来ず、絶縁された親など始めから眼中に無い。血を流す燐次を抱えて歩く姿をやがて警官に見られてしまい、それから逃げてここまで来て、途方に暮れていた。

 やりようなら幾らでもある。元より、自分の尊厳を捨て去り、シンカだと知られても構わない覚悟で病院を選べば良かったのだ。


 でも彼には、そこまで頭を回す能力は無かった。盗んだ包帯とガムテープで相方の腹をぐるぐる巻きにする事が精一杯だった。混乱していたとはいえ、あまりにもぞんざいな助力だ。


 しかし……それは純粋に、自分が燐次を助けたいという意志の表れだった。

 いつも一緒だった。遊ぶ時も、戯れも、食事も、就寝も。

 互いがシンカになったとわかった時、彼らは自分達だけを信じようと決めた。世間の目は幼い頃から知っている、シンカは化物だと罵られる続ける現実を。だから自然と、ほんの僅かな希望すら抱かず、断絶に身を委ねた。


 家を捨てて、他の関わりを捨てて、社会性を捨てて、二人だけで過ごしてきた。何も信じない、何も頼らない、互いしか信じない、互いしか頼らない。

 だからどうしても、自分が、としか玖には考えられなかった。自分が燐次を助けるのだと、彼には、それしか――


「囀ずるな。仕事なのでな、まだ動ける余地があるシンカは見過ごせない」


「てめっ……わかって……!?」


「こいつの回収に部下を呼んでいる。貴様らも同行しろ」


 零子は玖を睨みながら横たわる蛯名を指差す。ゴミでも指し示すかのよう。


 玖は燐次を抱えて立ち上がり、その場から逃げようとした。その目の前で、コンクリートブロックが地面を押し飛ばす。


「次は当てる」


「……っ、待ってろよ、燐次……」


 埒が明かないと判断したのか、着ていた服を脱いで枕代わりにし、優しく燐次を地面に寝かせる。

 愛用のメリケンサックを指に装着して、玖は黒色零子を見据える。見た感じ、長身ではあるが細身の彼女。目つきは異常なくらい悪いが、体格は自分の方が優に大きい。力任せに暴力を振るえば負ける筈がない、と玖は思った。


 ……見るからに襲いかかろうとする悪漢を前に、悠然と立ち尽くす黒色零子を見抜けなかったのは、彼があまりにも未熟だからなのだろう……。


 玖は走る。金属の塊をはめた右腕を振りかぶる。走行の勢いを乗せた拳を、邪魔をする女にぶつける。それで終わり――など、有り得ず。黒色零子の右手に軽くいなされ、そして、


「――――っっっあ゛ア――!?」


 股間を蹴りあげられた。


 玖はうずくまり、悲鳴とも奇声とも聞き取れない音を喉から絞り出す。想像を絶する苦痛が、男性にしかわからない激痛が駆け巡る。雷を当てられて炎で炙られているかのよう。汗がどっと吹き出し、体全体がビクビクと脈打つ。


「……?」


 その姿を見て、黒色零子は不思議に思った。何故、意識があるのか。

 潰すつもりで行ったのだから、卒倒するが道理。なのに対象は、呻き声を出している、出せている。


「――――ぐっ……!」


 玖は引ききらない痛みを堪えて、急いで後退した。遠慮無しの一撃を放ってきた相手に焦燥するが、もう一つ気掛かりがある。――自分が痛みを感じている、その理由がわからなかった。

 箇所が箇所である事もあるが、それでもこんな痛みはあり得なかった。乗用車に引かれても違和感を感じた程度で、勿論なんの怪我も負わない自分が、こんなにも痛みを感じる。


 考えがまとまらない。理解できない。何だあの女――。


「……ふむ。対衝撃でも持ち合わせているのか、その身体は」


 困惑する玖を他所に、直ぐに黒色零子は読み取った。今まで相手してきたシンカの中にもそのような者がいた為、答えは簡単に出た。

 では、と彼女は手を拳にする。小さな傷痕があったが特に目立った様子は無い女性の拳。だというのに、言い様のない威圧を放つ。


 玖の痛みはやっと引いた。常人なら数時間もがき苦しむに違いないものが、彼なら何とか一時の激痛で済む。

 改めて、先程よりも怒りを込め、玖は敵と向かい合う。


「――ぶっ殺す!」


 単調な言葉ではあるが、彼は本気だ。邪魔立てする上に手強く、対峙した時から自分達を下に見る目。頭に血が上った玖は先程の反撃も踏まえず、また愚直に走る。

 腕を大きく振りかぶる。単純な大降りの初期動作。読まれているとも知らずに、そのまま歴戦の狩人へと突き進む。


 ――ため息、一つ。


 それは黒色零子のものだ。憐れな抵抗に対しての嘆息。何かを期待していた訳ではないが、あまりにもなっていない素人の所業は、彼女には児戯に映った。……彼女は、子供が嫌いだ。


 今度は左手で、強引に玖の右手を弾く。体勢を崩してがら空きとなった所を狙い、顎を殴り飛ばす。


 ――玖の意識が薄れる。何がぶつかってきたのか、拳だとわかっているのに、何が、と考えてしまう。しかも、顎から頭上へ突き抜ける圧力はおよそ女性が生み出せるものとは思えない。自分が何と闘っているのか、玖はここでやっと理解し始めた。

 そして……痛み。痛みを感じていた。先程の金蹴りは軍人みたいな靴のせいでは無かったようだ。


 狩人の攻撃はやまない。間合いの獲物がまだ起きているのならば、手を休める訳がない。何より衝撃を薄れさせるのなら、意識が無くなるまで叩き込むのみ。一撃で終わらせられないのなら、猛攻で応える。


 体勢を戻し、鳩尾に右拳をめり込ませる。

 右腕を引く反動を利用して、左拳で肝臓を潰す。

 左腕を引いて、反復した右腕でまた鳩尾に凹ませる。


 この間、一とコンマ三秒。対象は訳もわからいといった顔つきで、前屈みになって胃液を吐き出す。意識はまだ混濁止まり。そのタフさが、今では仇となる。


 肘で顎を打ち抜く。

 横に回り込み後頭部を殴る。

 前のめりに倒れそうになったが許さず、膝でまた鳩尾。

 戻した膝でまた金蹴り。

 戻した膝で今度は顔面。

 仰向け倒れようとする最中、直立の状態となった所に合わせ、渾身のハイキックで顔面を損壊させる。

 やっと倒れさせてくれたという思いが対象に芽生える前に、慈悲なく喉笛に踵を落とす。そこでやっと、黒色零子は止まった。


 彼女の呼吸に乱れは無い。それどころか蔑んだ鼻息を漏らしている。本当ならまだ続けるつもりだったが、相手が寝てしまったのだからもう必要が無い。

 もう一人を確認する。依然として起き上がる気配はなく、放って置いても逃げないだろうと考えた。


「――黒色さん」


 そこで、男性の呼び掛け。スーツを来た黒色零子の部下三人が到着する。

 それを確認した彼女は目も合わせず、現場から離れ始めた。彼らのやるべき仕事は一つだけなのだから、指示をするつもりは無い。状況報告をするつもりもない。自分の仕事は終わったのだから、もう何も必要ない。


 黒色零子は何事も無かったかのように、夜の街へと消えてゆく――。

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