2-16

 ――頭角を見せ始めたのは、小学一年生の時。その頃に放送されていた日曜日の新アニメ、【魔法少女ハカイちゃん☆】に憧れた為だった。


 アニメの内容としては。

 ハカイちゃんという少女がいて、普通の小学生として生活を送っているのだけど、実はその正体は悪の秘密結社ワルイゼの陰謀を阻止する魔法少女、というごくありきたりなものだった。……あの頃は面白がっていたが、今思えばワルイゼが秘密結社のくせに世界中に知れ渡っていたり、何でハカイちゃんが魔法少女になったのか説明は一切なかった。大抵の矛盾もノリでどうにかしていたり。


 子供向けアニメだとしてもぞんざいな設定。けれどそれを見ている子供たちにそんな疑問を抱く思考回路はまだ無く、従ってあたしもその中の一人であり、至極単純にそのアニメを楽しんで見ていた。


 特に、ハカイちゃんが魔法を使う姿が見ていて痛快だった。関係ない建物を巻き込んで町を半壊させたり、勢い余って地球を真っ二つにしたり、怒って宇宙を崩壊させたり。そんな時は決まって「やり過ぎちゃった。てへっ☆」で済ませているのが可愛いかった。そんな感じのアニメなので次週には世界が元通りになっているのはお約束。

 このクソアニメを気に入ったあたしは、ハカイちゃんのマネをし始めた。幼さ故の性である。ハカイちゃんが地上から空高くジャンプする姿が格好よかったので、彼女と同じ事をしたいとリビングで飛び跳ねた。


 ぴょん、ぴょん、と口で言いながらハカイちゃんを思い描いて飛び跳ねる。お父さんとお母さんはそんなあたしを見て微笑み、お兄ちゃんは馬鹿にしたような目でみていた。お兄ちゃんは私よりも三年分だけ地味に知識を付けていたから、その行動が滑稽に思えたことだろう。


 ――詩雄は馬鹿だな――。


 そして、お兄ちゃんに言われた。アニメとリアルの区別くらい七歳の脳味噌でも出来ていたけど、それよりも、自分なりに一所懸命だった行動を馬鹿で片付けられた事に無性に腹が立った。

 些細な口喧嘩をして、兄は嘲笑い、あたしは泣き。とてもムカついたのを今でもよく覚えてる。


 頭に血が上ったあたしは、ムキになって涙でぐちょぐちょになりながら、両足に力を込めて力任せに跳んだ。最後の足掻きというか、単に怒りが頂点に達しただけなのか、口では敵わない事に対して行動で対抗しているつもりだったのだろう。


 そうして、天井に頭をぶつけた。こう――ドゴン、と豪快に。リビングの天井までの高さはあたしの身長の六倍はある。つまりあたしは、自分を除いて五人目の自分までジャンプしたという事になる訳だ。

 高跳びの金メダルも夢ではないそんな超人的跳躍を成した本人は、べちゃっと無惨に床に落ちて、驚きと頭の痛みで混乱しながら声の限りに泣き喚いた。


 お兄ちゃんとお父さんは開いた口が塞がらず、お母さんは微笑んだまま。すがるようにお母さんに駆け寄って抱きついてみれば。


 痛くなかった時を思い浮かべなさい、そうすれば痛くなくなるわ、と言われたのを何となく覚えている。まあ当然それどころじゃないので泣き続けたが……。


 そんなこんなで、あたしは自分の能力の一部を知った。理解した訳じゃないけど、自分はこんな事が出来るのだな、と心に刻む事となった。お父さんからは、絶対に人前で見せちゃいけないと念を押された。友達が遊んでくれなくなると言われたので、私は素直に聞き入れる。

 因みに。余談ではあるが、その時のお母さんの笑顔は、何だかよくわからなかった。笑っているのだけど、笑っていない。作り物というか、やっぱり本物というか。答えがつけられない感じ。


 お兄ちゃんがあたしぐらいの頃に向けられたという笑顔が、これだったのかな――?


















       




















「……あはっ、ひっどい話」


 詩雄は、一冊の単行本に向けてそう呟いた。


 その漫画のタイトルは魔法少女ハカイちゃん☆。シリーズ化されて現在まで十年以上も続いている大人気アニメの、初期の話を漫画化したもの。今ではどこの古本屋でもお目にかかれず、幻の漫画と言う者もいる。一部のマニアの間では高値で取引される事もしばしば。


「――そうそう。この、踵落としで日本列島陥没させちゃうとか……あははっ、ほんとやりたい放題だねぇこりゃ」


 批評とは裏腹に少女の表情は綻び、漫画を手放そうとはしなかった。懐かしさから手に取り、中身が酷いストーリーだったとしても、やはり懐かしくて見続けてしまう。子供の頃の記憶を楽しむ様にぱらぱらとページをめくっては、笑って内容にダメ出しをする。


 その時、部屋の中のスピーカーが繋がる音が響いた。詩雄は漫画を見ながら、猫の様にピクッと耳を動かす。


『おい小娘、聞こえるか』


 そして届いたのは、威圧的で低い女性の声。詩雄はくすっと微笑む。


「なぁにーおばさん。今いいとこだから実験なんて受けてあげないよー」


『……披検体のくせに自ら拒否とは、いいご身分だな』


「あー、おばさんその発言ってりんり的にどうかと思うんですけどぉ」


『処刑されるべき殺人鬼が倫理など、よく言えたものだ』


「いやぁ、それほどでも」


 へへへ、と詩雄は照れた表情で頭を掻く仕草。それを見ていた研究員たちの表情は嫌悪やら怒りやらで強張っていたが、黒色零子だけは特に変わりない。


『茶番はいい。今日は一つ、貴様にとって喜ばしい報せを持ってきた』


「おっ、なになに、あたし期待しちゃうよ。駄犬の始末? タカナシちゃんとお話? まさかまさか……お兄ちゃんが自分からあたしに会いにきた……?」


 最後の予想で詩雄は漫画から目を離し、十数機ある中の一つのカメラを凝視した。キラキラと愛らしく輝く眼差しで、答えを待ちわびる。


『全て違う』


「ですよねー」


 そして死んだ魚みたいな目をして、漫画に戻る。


「それ以外で良い報せって思い浮かばないんですけどぉー。てか、そもそもおばさんの報せなんて期待できないんですけどぉー。大体が血生臭いものばかりだし」


「安心していい。今回は今までにないものだ」


「ふーん……気に入らなかったら暴れちゃうよー?」


 その言葉は、ただの脅しというより皆殺しの宣告に近かった。詩雄は体育座りのまま、右足を目線と同じ高さまで上げてから下ろし、床を叩きつける。瞬間、それだけの所作と比例しない衝撃が巻き起こる。

 身体の内部が震える程の重低音。詩雄を映すモニターの映像が激しく乱れ、その地響きは隣の監視室まで伝わる。研究員たちがどよめく中、黒色零子だけはやはり変わりない。


「外出してもらう」


「……は?」


 詩雄は再び漫画から目を離し、きょとんとした顔でカメラを見つめる。スピーカーの奥から、またもや研究員たちのどよめく声。


「おばさん。あたしに外出しろって……いま言った?」


「ああ、言った。しかしそうだな。これは正確には実験になる。貴様が嫌と言うなら別にそれはそれで構わないのだが」


「ごめんなさいごめんなさい! 行く! 行きます! 行かせて下さい! ありがとうごぜぇやす! いやっふぉぉぉい!」


 漫画を放り投げ、詩雄はぴょんぴょん跳び跳ねて喜んだ。幼い見た目にその行動はよく似合っている。


 原則……いや常識的に考えて、これは異例の事だった。


 進化人安寧管理所の地下、詩雄が現在いる場所は、シンカの研究施設となっている。

 地上で犯罪を犯し、鎮圧不可もしくは危険度A判定となり殺害許可を出されたシンカを、可能ならば捕獲してその身体を調べると云った施設。人権や倫理の観点から、世間にはその存在を公表されていない。報道機関の上層部にも死亡で通すよう根が張られている。国家に携わる者でも、知る者はごく少数。事に至る際は、表向きは対シンカ用の制圧部隊で通っている人員が寄越される為、警察にも何が起こっているのかはわからない。


 空想のような極秘機関。地上には決して知られる事のない国の秘密は、けれど一国につき一つは存在していた。それだけいま世界に起こっている現象、シンカとは、とても魅力的だから。

 しかし何も、ただの好奇心を満足させるだけの施設ではない。……研究者の中にはそんな変態もいるが、実際は、現代の科学を進歩させるという目論見があった。


 シンカとは、人体の構造が進化および可能性を体現させた存在である。ならばその仕組みを解明すれば、今まで誰も想像だにしなかったものが見えてくるかも知れない。または仮説止まりの理論が実証できるかも知れない。どうする事もできない病気を消し去れるかも知れない。そして、軍事に使えるかも知れない。


 パンドラの匣――――誰だって、その中身が知りたいものだろう。


「久しぶりのシャバだぜぇい! きゃっふぉい!」


 話は戻るが。その匣はしかし、すでに地上で災厄を撒き散らしていた。事故ではなく故意にである。つまり凶悪な犯罪者を外出させるとは、あり得る筈がない、あってはいけない。故に殺人鬼は狂喜するのだ。


『喧しい。外出と言っても、事が終わればすぐに戻すからな』


「ふっふーん。いいのかなぁおばさん。そのまま逃げちゃうかもよ? 体の中に爆弾埋め込んだって、あたしには意味ないよ?」


『戻るさ。保証する』


「むむっ何だか邪悪な笑みが浮かぶ……。や、おばさんが笑う訳ないか。それでそれで、いつ出られるの?」


『今からだ』






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