2-6
彼女に初めて出会ったのは、と言うか初めて言葉を交わしたのは、小学六年生の時だ。幼稚園から一緒なのは知っていたけど、お互いに面と向かって話したのはそれが初めてだった。
彼女は、クラスでいつも独りだった。
無表情で無口。授業中も休み時間も窓の外ばかり顔を向けて、みんなとは何か違うものを見ているかのよう。話しかけられても口を開かない、何を見ても笑わない泣かない怒らない。
周りからは気味悪がられ、彼女に近付こうとする者は誰もいなかった。俺は何とも思ってなかったけど、別にどうにかしたいだのなんだのと、優等生面するつもりは無かったのでみんなと同じく話しかけずにいた。
それでも、ちらちらと視界に入れてはいたので、なんだかんだでやはりお人好しなのだろうか。
月日は流れて、遂にその日はやってきた。忘れ物をしたから学校に戻り、夕日で赤黒く染まった教室での出来事が。
教室に、彼女がいた。
自分の席に座って、頬杖をついていつもの無表情。学校の時間はとっくに終わったというのに全く変わっていないその姿勢は、物思いに耽る彫刻めいていた。
こんな時間まで何してんだ、と考える前に、俺が扉を開く音を聞いた彼女は顔を此方に向けた。魂を無くしてしまったかの様な顔つきが、何故か俺を視認した途端、生気を取り戻して目を丸くする。無表情以外に見た事がないので思わずギョッとしてしまったが、それでは何か悪い気がするので平然を装い、忘れ物しちゃってさ、と作り笑いを浮かべてやり過ごした。……不覚にもときめいてしまったのはここだけの話。
彼女は口を開かない。目はまだ丸い。何故そこまで驚く。俺もそれ以上は喋れずしばらくの静寂。
…………物凄く気まずかったので、緊張の糸が切れないままに俺はそそくさと机の中からノートを取り出して、それじゃあとだけ言って足早に教室の扉に向かったところ――
待って。
と誰かに呼び止められた。か弱い声なのに、鷲みたいに高圧的なものを感じた。文字通り鷲掴みにされた気分。俺と彼女しかこの空間には誰もいない、故にその声は彼女以外にありえない。
びくっと肩を震わす俺。恐る恐る彼女の方を見やる。席を立ち此方を眺めるように見つめる彼女。
兎に角……焦った。何を考えてるのか想像もつかない人物が、自分に何かしらの意思を向けている状況。普段から喋らない彼女が、目を合わせた事さえ無い俺を呼び止めた状況。焦らない筈がない。こんなの、奇襲どころか天災だ。
しかしその実、焦る気持ちはもう一つあった。告白されるのではないかと思ったのだ。夕暮れの教室、男と女、二人だけ。シチュエーション的には完璧と言えなくもない。
しかも彼女は、お世辞ではなく間違いなく可愛いの部類。学校一の美人と称しても過言ではなく、むしろ事実だった。気味が悪いという評判で隠れてしまっているだけで、実際は可愛らしい女の子なのだ。
だから、気味が悪いと思ってない俺にとっては、思わずにやけてしまいそうになる程に胸が高鳴る状況だった。
疑問と期待、二つに挟まれながら焦燥する俺に対して、彼女はこう言った。
あなた、普通の人間じゃないでしょ――。
「………………」
――と。
懐かしくも喜ばしくない昔の記憶から覚めて、朝を迎える俺。ぼやける天井、さえずる鳥、差し込む日光。変わり映えの無いベタな一日の始まり。寝起きにも拘わらず眠気はあまり引きずっていない。きっとこの夢のせいだ。今思えば、あの時ほど心臓が止まりそうになった事はない。
外をあまねく照らさんとする朝日は、遮光してくれない安物のカーテンを突き抜け、毎度の事ながら俺の眼球をこれでもかと痛めつけてくる。食らえサンシャインフラッシュ。いやー勘弁してー。………………寝起きの思考ほど悲しいものはない。……俺だけ?
兎に角ほんと非常に眩しかったので、反射的にかたく瞼を閉じ、朝日に後頭部を向けて逃避。受ける講義は昼からだし、嫌な目覚め方をしてしまったのでこのまま寝直そう。朝の楽しみ二度寝である。……まあ、いい夢なんて期待しちゃいないけどさ。
じゃあそうしよう、としたのも束の間。何やら美味そうな匂いが漂ってきた事に気付き、何事かとパチッと瞼を開く。
「…………」
視界に映ったものは、狭苦しい台所で、調理をしているよく見知った女性。綺麗な黒髪を束ねて自前らしいエプロンを付けた美人が、朝ご飯と思われるものを作っている。
とんとんとん、と慣れた手つきで食材を切って鍋にどぼんどぼん。この匂いから察するに味噌汁だ。いいね、味噌汁。朝にはぴったりの汁物だね。甘さとしょっぱさが絶妙にマッチしたその味わいは日本人として産まれてよかったと思わせるほど脳髄を喜ばせてそれはまさに日本の誇りと掲げても何一つ恥ずかしくはないというかちょっと待て。
「何を為さっておられるのですか、日法さん」
「――あら。おはよう、詩乃。あなたにしては早起きなのね。誉めてあげなくもないわ」
「いやぁ、それほどでも……じゃねえよ!」
本当、それほどの事ではなかった。
「……なんて見るに耐えないノリツッコミかしら。急にかましてきたと思えばそのクオリティ。普通に返答されるよりも茶目っ気がある方が受け手として喜ばしいものだけど、今のは不快感しか催さないわ。でもいいの。やはり、詩乃のスペックはその程度なのだから」
「わざわざ拾わなくていいし残酷なコメントもいらん! てか何してんだよ!」
「何って、朝食の準備をしている所よ。見てわからないの。ああ、貴方の可哀想なオツムでは言われなければ理解できないのね、きっと」
「…………」
……この、いちいち俺の事を見下す性格最悪の女は、悲しいことに俺の幼なじみである。
実際に交友が始まったのは小学生の高学年からだが、それからというものは、まるでそれまでの分を取り返すかの如く付きまとっている。何とか高校では離れられたものの――家の場所は知られていたのであまり意味はないけど四六時中一緒は逃れられた――結局は、今もこうしてストーカーまがりに付きまとわれていた。
しかし、彼女の容姿を踏まえて考えるならば、ぜひとも付きまとってくれと男子は願うだろう。
絹みたいに滑らかで墨みたいに真っ黒な長髪。髪は女の命というように、その髪が靡く姿はその言葉に相応しく美しい。
表情は人形みたいに全くといって変わる事はないが、顔立ちは誰が見ても美形。逆に表情が乏しい事で、元のレベルの高さがよくわかる。切れ長の目は威圧と妖艶に満ちている。勿論その顔に似合ってスタイルは抜群だ。美麗、優美、そんな言葉がよく似合う。
女なら誰もが憧れか妬みを抱き、男なら誰もが蕩けるか惚れるに違いない存在。式織真琴が中性的で一番ならば、荒縫日法は女性的で一番。
そんな人物が幼なじみという世間的にはおいしいポジションにいる俺。羨ましい……? 馬鹿いえ、憐れの間違いだろう。こんな言動しか出来ない奴の相手をしないといけないんだぞ。ガラスのハートなんか一瞬で粉微塵にされるんだぞ。俺のハートがゴムみたいに柔軟だから耐えれるだけで……いや、ハートがゴムって気持ち悪いな。
「気持ち悪い顔で見つめるのをやめてくれないかしら。不愉快だわ」
びよんびよん。俺のハートがうねる音。
……さぁて、起きようか……。
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