1-16

「――警部、事件現場から見つかった分泌液の結果が出ました」


「おぅおぅ、来たか。どれどれ……」


 昼過ぎ、霊ヶ哉警察署シンカ担当課の一室。日光が窓から差し込み、それによって照らされた埃が目に見えて舞う部屋の中に、科捜研からの報告書を持ってきた鞠戸警部補とそれを眺める鷹無警部。その部屋には机が五つ設置してあったが、二人以外に人は残っていなかった。


 鷹無は記してある結果の文章を見つけるとやっぱりかー、と感想を漏らし、その他の情報には目もくれず報告書を机に置く。そして、お湯を入れて丁度三分経ったカップヌードルの蓋を開けた。期間限定、イカとタコの切り身が入った、海のライバル仲良しシーフードヌードル。


「……あの、もうよいのですか?」


「ああ、いいよ。予想は付いてたしな。最近起こり始めた事件に、俺ら関係の遺体があがったんだ。馬鹿でもちっとは感づくさ。……悪い事したなぁ。念の為にと思って帯臣に協力してもらってたんだが、余計な手間とらせちまったか」


 早朝、シンカ担当課にテイシの遺体が雑木林で見つかったとの報告が入る。駆けつけてみれば、その遺体は植物の蔦に似た腕を持ち、心臓が位置する胸部分がぽっかりと空洞であった。


 奇妙な死に方ながら、それよりも奇妙なのが、その死に顔だった。まるで絶対的な飛びっきりの恐怖を抱いたかの様に、顎を外すほどに口を大きく開き、皮膚が裂けるほどに目を見開いていた。奇妙という思いも短めに、被害者に同情して悲しみを連想してしまう程の、壮絶な死に方だった。


 その光景を眺めていた鷹無のふーん、という他人事みたいな呟きの意味を、鞠戸はここで理解した。小さなため息をつき、鷹無の後ろの席に座る。

 彼も考えはしていたが、しかし所詮それは想像であり、仮定にまですら進まず、この書類の結果を見るまでは発見された遺体が犯人だとは断定できなかった……いや、その為の物ではあるのだが。鷹無に追い付けなかった事に少々の悔しさがあり、自分を情けなく思っていた。


「警部は、やはり経験豊富なのですね。私もいつかはそのようになれるでしょうか」


 ズズー、チュルン。


「おー、なれるなれる。嫌でもな。というか、こんなもん大したことじゃねぇよ。結局は直感だからな」


「そう、ですか」


「……なんだよ、腑に落ちねぇのか?」


 鞠戸の声は妙に気落ちしていた。また自分の言葉が気に入らなかったのかと、鷹無は気遣うつもりで訊ねる。

 不安定ではあるが、鞠戸が純粋に正義感で警察という道を選んだ事を彼は知っている。のらりくらりあっけらかんとする自分の予想が、当たり前のように的中した事に落ち込んでいるのではないかと、心配しての事だった。


「いえ……違うんです。たとえ直感だとしても、警部ほどの経験を積めば見つけられるだろうか、と。そう思っただけです」


 鞠戸は椅子の背もたれに体を預けて、独り言の様に呟く。まるで何か違うものを見ているのか、遠くを見つめるようなぼんやりとした視線。


 ズズー、


「吸血鬼を」


 チュ……ルン。


「……まだ諦めてねぇか。鞠戸、気持ちはわかるが、その件は危険すぎるからシンカ担当課おれらでも関わるなと、上から散々言われたじゃねぇか。恋人殺されてムカつくのは仕方ねぇが、仕様のねぇ現実ってものもあるんだ。もう忘れろよ」


「お気遣いありがとう御座います。ですが」


「諦めたくねぇわなあ……あーはいはい。ったくよ」


 ズズズズーー、と鷹無は荒々しく麺をすすり上げる。彼のやるせない気持ちは、シーフードヌードルにしかわからない。――いや、もう一人。


 鞠戸は彼の背中を暫し見つめ、顔を戻し、申し訳なさそうに俯いた。重苦しくなってしまった空気を少しでも軽くしようと思ったのか、話を戻し始める。


「それにしても、今回は呆気なく解決して良かったですね。……いや、違うか。また新しいのが増えてしまった事になる」


「まったくだ。これも迷宮入り確定だな」


 シンカ絡みの事件には、証拠と情報がほぼ得られないというのが当たり前となっている。


 常識を無視した殺害方法に、現在の科学では追い付けないのだ。客観視による想像は出来ても、調べ方がわからない。試そうにも術が見当たらない。万が一同じ結末を実現できた所で、じゃあ体一つでどのように行っているのか検討もつかない。

 ちゃんと説明が出来ない限り、立証したとは言えない。


 そして情報に関しては、シンカの姿は一般人と何一つ変わりないという点が問題だった。テイシと違い外見に変化は生まれず、彼らは中身に異質が生まれる。常識に包まれる非常識。誰を特定すればいいのかわからない。現行犯か、犯行映像が無ければ、逮捕など到底不可能なのだ。


「そうですね。シンカであるのは確かですが、手掛かりが何一つない。……しかし何故、猪狩は殺されたのでしょう」


 猪狩恭矢いがりきょうや。雑木林で見つかった遺体の本名。ただのサラリーマンだったが、ある日突然に消息を絶ったとの調べが付いている。


「さぁな。仲間と喧嘩したのか、ぶっ飛んだ奴と出会っちまったのか、そいつはわかんねぇ。殺され方から見てこの二つしか考えられんのだが……どっちも悪い方向だな」


 もう一人いる。それが気がかり。


 おまけに。


「……不気味な傷痕でしたね。まるでその部分だけが始めから無かったみたいに、……綺麗だった」


「ああ、綺麗だった。丸めた薄い鉄板でくり貫かれたってのが一番しっくりくるが、やっぱりその痕すらない。どんな方法を取ったのかわからないが、あれは文字通り消し去ったんだろうな。――世の中、まだまだとんでもねぇのがいるもんだねえ」




















「せんぱぁい、起きて下さいせんぱぁい」


「…………」


「先輩の事だからどうせ起きてるんだけど何かしらで疲れてるから私を無視してるのはわかってますぅぅぅ。起きて下さいせんぱーい!」


「…………」


「放置プレイはまだ早いですぅー」


「いや知らねぇし。違うし。まだって何だよ」


「ほらもぅ、やっぱり起きてた。キスの後でセックスみたいに、ちゃんと順序は守らないと駄目なんですよ?」


「いや知らねぇし。違うし。声に出すんじゃねぇし」


 と、食堂で食事を済ませて昼寝をしていた俺は、どこからともなく現れた可愛い(無論皮肉だ)変態後輩に起こされたのであった。こいつも暇なのだろうか。


 あと、絵留は俺の正面の席から万歳の形で机に突っ伏している。今日の洋服は胸元が開いているので、無駄にボインの谷間が悩ましい。大抵のオスならそれだけで発情するのだろうが、生憎、彼女の事を知る俺には悲しみしかなかった。

 女として魅力的な体に恵まれたのに、何故こんな馬鹿になってしまったのか……俺のせいだ。


「先輩って、何故か普段から疲れてる雰囲気ありますよねー。隙さえあれば寝てるし」


「いや……まあ、本当に疲れてる時も確かにあるけど、普段からって程じゃないだろ。俺は眠りが浅いから熟睡ってのがあまり出来ないんだよ。それでだろうな、多分」


 とはいえ、それは心の問題であって、この体にそんなものによる弊害は適用されない。


「寝る間も惜しんで、という訳ですか。先輩、出し過ぎはダメですよ。将来、使い物にならなくなりますから」


「うん、何だろうねこの食い違い。聞いてた? 俺の話ちゃんと聞いてた?」


「勿論です。私は先輩の事をちゃんと理解してます。つまり、睡眠すら勿体無いと考える先輩は時間の限りにオナあいたぁ!?」


「それ以上喋ったら叩くぞ」


「うう、忠告の前に叩いちゃってます……」


 まったく、なんなのかねぇこの子は。友達とかちゃんといるのかな?


「あ、そういえば先輩。今日のニュース見ました?」


「いや、見てない。なんか面白い事でもあったか?」


「テイシですよテイシ、テイシの死体が見つかったらしいんですよ。それで現場は此処からそれほど遠くないみたいなんです。私怖いですぅー、事件なんて会議室で起こってほしいですぅー」


「ありゃ、それはまた物騒な話だな」


「はい。しかも、現場の実況で言ってたんですけど、殺され方が普通じゃないんです。ぽっかり!もうぽっかりって体に穴が!」


 自分の体を使って激しくジェスチャーしてる。こんな話で興奮すんじゃねぇ。


「へぇ、胸が喰われてたってか」


「はい! 胸をまん丸に喰われ――……れ、え? 先輩、喰われたって表現はおかしくないですか? というか何故に?」


「気にすんな」


 世の中、そんな事もあるもんだよ――。







“evolution” end

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