1-15

 今日はばっちりだ。抜かりなし、昨日みたいな失態は犯していない、会えたのは偶然だったけど。押し入れを探ったらあったぜ、もう着る事の無い去年の服が。どこで買ったんだこの服、自分を疑いたくなるようなデザインだよ。これで一日を過ごすのは些か恥ずかしかったけど、でもみんなに変な顔をされなくてよかった、本当に。この服ならアイツの相手をしてズタボロになっても別に……ん、あれ、ちょっと待てよ。みんなに変わった反応が無かったとなると、それってもしかして……この服って案外イケるのか?

 もしそうだとしたらどうする。自分では古くてダサいと思っていても、周りは何とも思っていないのならまだまだ使えるって事じゃないか。金が無い学生は節約の毎日である、ならばこれを失う事は勿体無い。ちょっとこれしか無かった、って時とかに変な顔をされずに乗り越えられるかも知れない。どんな時だよって言われてもわかんないけどさ。

 どうしよう……どうでもいいやなんて思っていたけど、わかってしまったらやる気が無くなってきた。もっとアホみたいにダサい服を探せばよかったかも、ばしっ。


「つッ――!?」


 そうこうしてる内に、相手は仕掛けてきた。例の歪で気持ち悪くて、臭いのひどい腕。鞭の如くしならせて、俺の胴体を袈裟切りに痛めつける。……あーあ……いや、有り難いよ。もうこの服を気にしなくてよくなったから……。


 ――それはともかく。鞭というのは比喩ではすまされず、アイツの腕はまさに其れと同じだった。肩を振るい、根元から生み出した力を加速増大させて、先端での爆発的解放。衣服は大きく切り裂かれ、皮膚からは流血が始まっている。激しい痛みは刃物よりも強烈であり、意識の混濁、目眩を引き起こす。

 たったの一撃で、戦意の半分は俺の胴体と同様に削がれた。


「――ッ、ゲホッ……うっ!」


 思わず膝をつく。抉れた胸が熱い、痛い、それなのに腕を回して抱きしめてしまう。泣いている自身を自分で慰める様に。


「アッッッヒャッヒャッヒャッ!!」


 黒付くめはゲタゲタ笑う。苦しむ仇に、とても愉快げに。


「だらしがないなシンカ! オレを馬鹿にするんだろ!? オレを馬鹿にしたいんだろ!? だったら立ってみろぉおお!!」


 休まず振るわれる腕。水平にしなるくせぇ触手。放物線をそのまま描いた鞭は、俺の顔に向かって、激突。


「ブッッ――!?」


 野球のボールになった気分だった。バットのフルスイングをぶつけられたみたいに、尋常でない衝撃が頭蓋を突き抜ける。吹き飛ぶ頭が首で繋がった体を引っ張って一時の浮遊、そして頬から大きな音を立てて着地。


 ……ああ…………痛い……とにかく痛い……。


 こんな事をされたのに、何故か気絶してくれない。壮絶過ぎるが故の覚醒だろうか。断頭台で処刑された頭に意識が残っているみたいな。


 血が視界を紅く染めてゆく。わかる、触れなくてもわかる、側頭部の肉が弾けて頭蓋骨が陥没している事が。風が頭の中に入ってきて、目の前に毛髪が生えた肉片が落ちてるのだから、誰にだってわかる。

 意識はあるのに意思が持てない。絶対的な脱力感が身体を支配して、指一本動かせやしない。


「……弱い、弱い、弱い弱い弱い弱い弱い。シンカのくせに弱い、情けない、脆い。オレを馬鹿にしたくせに……そして今夜も馬鹿にしに来たくせに……許せない、許さない、許してなんかやらない! お前はここでコロシテヤル!」


 黒付くめの興奮は最高潮だ。鼻息がここまで聞こえてきやがる。


 己の体を認識して、それに対する周りの評価を知った悲哀、そして絶望。けれど肯定してひっくるめて、結果、否定する為に復讐を理由にした殺戮。そうする事で存在価値を見いだし、己の正当化を図る歪んだ正義。現実を隠した逃避行。


“お前たちが悪いんだ”。


 ――勝手な野郎だ。受け入れられないって事は、一度受け入れてしまったという事だ。でなければ、否定も拒否も拒絶なんてものも出来ないんだから。

 それなのにこの為体ていたらく。前にも言ったが、あんたはその程度で済んだんじゃないか。腕が変わっちまっただけだろ。

 そりゃまあ確かに嘆くだろうよ、普通の人間の形をした俺には慰める資格なんてない。気持ちを共有できない以上、同情は憐れみ、優しさは偽善、説得は詭弁でしかない。立場が違えば意識も違う、違うのだから、決して交わらない。


 悲しかっただろう、苦しかっただろう。世界の全てが敵に見えて、孤独に苛まれて、とても寂しかっただろう。真夜中だけにしか歩けず、誰とも接する事が出来ず、何をするにも一人。みじめでしかなく、希望の持てない毎日、そしてこれからの日々。正気なんか保てる筈もなく、むしろ捨て去ってしまった方が幾分も幸せ。もうそれしか、道は――道がない。


「…………」


 でも、それでも。ただ、その在り方は間違いだ。それだけは譲らない、絶対に。何故ならあんたは、


 人間なんだから。


 ……少し、解けてきた。

 もうちょっとだ。後悔すんなよ黒付くめ。もう俺は――決めたんだからな。


「いつもそうだァ……いつもそうなんだァ……。テイシの話を聞いても見ても、いつも気持ち悪いって言葉が使われる」


 俺の状態を見取ってしばし余裕か、何やら話をし始めた。それと、もう自分をシンカだなんて言わないようだ。まっ、俺がほじくり返してやったのだが。


「気持ち悪い気持ち悪い、死ね消えろ、怪物、ゲテモノ、汚物。見つけた瞬間に殺してしまえ、有無を言わさずに死刑だ。……みんなそうだ……どいつもこいつもみんなそうだ! オ、オレを、オレを馬鹿にするんだ!」


 触手じゃない方の手をフードの中に入れる。泣くのを抑える様に。嘆く自分を慈しむ様に。


「オレだってこんな腕は嫌だ! 好きでなった訳じゃないっ! 痒くて、臭くて、何をしても収まってくれない! 切っても切っても生えてくる! 何なんだよクソッ、クソッ、クソッ!」


 黒付くめはぶちまける、身の上話。


 あーあ、やっちゃったのか。調べればそんな常識、いくらでも知る機会はあっただろうに。それじゃあアイツのあの“腕”は、元々は“手”だったのかも知れない。と言うかよく失血死しなかったな、運が良いのやら悪いのやら。

 医者に見せる訳にはいかないから自分で切ったんだろうなぁ。鋸か、肉切り包丁か、……そんな勇気はあるくせに。


「戻す方法はないかと調べた。嘘くさいと思える情報も覗いた。だけど駄目だ……何の手掛かりにもならなかった……」


 ああなんだ。調査はちゃんとしたのか。もうどうしていいのかわからなくて、気が動転しちゃったんだな。それで自分の腕を切って、また切って、結果はアレ。……そんな度胸はあるくせに。


「もう嫌だ……。普通の生活は送れない。保護施設に行ってもモルモットにされるだけ。……こんなの、不公平だ……! オレはただ日課のジョギングをして、公園で休んでただけなのに……ちくしょう、何で、ミズがあんな所に。何で、オレが……っ!」


 バシィッ。ご自慢の鞭で地面に八つ当たり、怪獣じみた爪痕だ。


「――だからっ! お前たちが許せない! 見た目が違うだけでもう仲間外れ。オレだって前は同じ姿だったのに……ふざけるな! お前たちこそが馬鹿なんだ、見た目だけでしか判断できないお前たちが無能なんだ。だからオレのこの腕で、気持ち悪いとけなすこの腕で、オレの方が生き物として優れている事を教える為にお前たちを」


「殺す、か」


「こ――なっ……!?」


「大層な事だね。でも結局あんた、ただ寂しいだけなんじゃねぇか」


 いやあ立派立派。滅茶苦茶な高説をどうもありがとう。身勝手な被害妄想も、ここまでくれば立派な使命だよ。何一つ納得なんてしてやらないけど。


「安心しな、あの施設はあんた程度にはなんの興味もない。ちゃんと三食飯付きで、同じ仲間たちと心安らぐまで触れ合わせてくれるよ」


 腕を使って胴体を起こす。殴られたこめかみをさする……うん、戻ってる。


「――お、お前、いつの間に傷が……えっ、あれ、どうして。無い……無い!?」


 黒付くめはきっと、消滅した俺の肉片と血の事を言っているのだろう。


 悪いね、体から離れたモノは自分が許せなくて、直ちに消え去ろうと自滅を選ぶんだ。跡には何も残らない、残さない。


「何だ、お前、なにを……!?」


「だから言っただろ。俺の体は傷が許せないって。ドゥユーアンダスタン?」


「――――再生か……お前は、再生するのか!」


 んー惜しい。でも説明してやらない、面倒くさいから。


「そうか……そういう事か……。……ははは、はは、は。――ハハハハハハハハハハハ!」


「……なんかおかしな事言ったっけ、俺」


「はははははは! これはとても滑稽だな! だってお前の進化は再生なのだろ。つまり、攻撃の手段なんて無い。このままオレに一生いたぶられ、苦痛に身を歪ませ続けるんだ。粋がっているくせに、オマエは何も出来ないんだ!」


 ああ、だから笑ったのか。なるほど納得。確かに、ヒーローならぬヒーロー気取りは、見てて面白おかしいわな。

 ――そんでもってご愁傷様。それだけな訳ないだろ馬鹿たれ、じゃなきゃわざわざここに来ないんだよ。


 攻撃手段ならあるさ。身の毛立つ、チート攻撃がな。


「はははははははっ――!」


「ぐっ……!!」


 起き上がった所で、また鞭が襲ってくる。脇腹に衝撃、催す吐き気、肉が炸裂、そして、数秒後の修復。

 損壊した周りの細胞が分裂して増殖、無くなった部分を埋め尽くし、寸分違わない元の脇腹と成す。


 ――理屈はそうなのであるが、これは修復や治癒ではなく回帰に近い。


「……再生が、早くなっている?」


「ああ……そうだよ、文句あるか」


「――アヒャヒャヒャ! 可哀想な奴。力も無いくせに、何かしようと企む。だが何もできずに痛みに苦しみ続けなければならない。ヒャッヒャッ、お前、可哀想だなア――!」


 鞭は休まずうねりを上げ、凶悪な衝撃を生み出すその先端で俺を痛めつける。太腿、膝、胴体、上腕、肩、首、頬。往復して、俺という肉体を弾き飛ばし、削り取ってゆく。最初と違って大振りではないから体は吹き飛ばないが、それでも絶命に事足りる強さ。皮下組織ごと軽く抉ってゆく。

 しかし、この肉体は無くなりそうにない。二発目が届いた時にはもう、一発目の傷が元に戻っているから。


「ィヒヒヒヒヒヒヒヒヒ! 再生がなんだっ、お前は何もできない、何もできないんだ。苦しめ、悩め、歪め、絶望しろ、惨めに死ね! ……やはりオレは優れている、シンカを倒せるオレは優れているっ!」


「…………」


 なんだか一人で盛り上がってる。おめでたい奴め。それはともかく、やっぱり鞭で叩かれるってのは痛いな、いや痛いなんてもんじゃねぇ。意識なんて踏ん張らなきゃぶっ飛びそうだ。

 南米あたりには未だに鞭の拷問があると聞くが、なるほど、こりゃ確かに効く。痛覚から解放されたいという欲求が蹴りつける様に脳髄を刺激しやがる。


 ――しかし、もう、この肉体は気絶も許してくれない。それさえもさせてもらえない所まで、来てる。


「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ、ヒャヒャヒャ、ヒャヒャ、ヒャ、……ヒャ?」


 そして、黒付くめは気付いてしまった。己が相手する者の異変を。状態を。レベルを。


「……何だ、」


「そればっかだな……口癖か?」


「何だ。再生がどんどん早く……、オレの腕が当たった瞬間に……」


 いちいち驚くなよ三下。もっと凄い奴はいるんだから。……あーあーもぅ、服がボロボロのベロンベロンじゃねぇか、お腹が冷えちゃうじゃ……んっ、あれ、あっ――ああ!?


「あああーーー!!!!」


「なっ何だ……!?」


「しまったあああ、ズボンの方を忘れてたあああ!」


 やっちまった、やってしまった。しかもお気に入りの奴だ。ちくしょー。ダメージジーンズどころじゃねぇよ、ビジュアル系バンドマンでさえ着たがらねぇよこんなの!


「あーーっくそ! 迂闊だった……――きぃぃぃ、あったまきた。もういいよなあ!?」


「っ!?」


「あんたじゃねぇ、俺に言ってんだ!」


 でも返答なんてありゃしないので構わず踏み出す。怒りに身を任せてずかずかと黒付くめへ。

 そんな俺に危険を察知したようで、黒付くめは腕を振るって迎撃を始めた。


 初めて立ち向かわれる事に焦ったのか、先程よりも更に勢いが無い。攻めると守るとでは、心境の違いから半分以上も力量に差が生まれる。

 けれど流石は鞭、威力は落ちようとも激痛を生む衝撃は健在だ。力が半分だろうと関係ない、想像を絶する痛みを体験すると、生き物というのはもう何も行動したく無くなってしまう。誰だって一度は経験あるだろう、あまりの痛みから泣き喚く事しかできなかった頃を。


 当然、俺の歩みは止まった。奴は見事に俺を迎え撃った訳だ。訳なのだが、しかし、止まった理由は違う所にある。それは久し振りのこの感触が、何とも不気味に感じからだ。


「――――――――――?」


 遂に来た。オーバードライブ。

 我が身に宿る悪魔の極限駆動。


「――――――はっ――?」


 黒付くめには、何が起こったのか理解できないだろう。いや、できる筈がない。俺に命中した自身の腕が消えた事を。


「――あっ、あっ? え…………なん、で……っ、ぁ、ぁっ、ぁあ……ああ――アアァアァアアアア!?!?」


 そして襲い来る壮絶な痛み。奴の触手の断面に、じわりじわりと神経が働き、叫ばずにはいられない状況に陥る。更に、不可解に対する恐怖心はあらゆる思考をごちゃ混ぜにして、正常な判断を出せないが故に痛覚を倍化させる。


「ぃぃぃぃぃ痛いぃぃぃ!!!!」


「はんっ。当たり前だろバーカ」


「何だ……何をしたお前えぇぇぇ!」


 奴の腕はうねうねばたばたと、踏まれた蛇に似て暴れている。本体の今の気持ちを、痛みと困惑を、その身で表現している。


「何てことはない。これもあんたがさっきから言ってる再生だよ。違うけど。――まぁ、あんたが俺を傷付け続けるから、怒ったんだね」


 他人事みたいに言うが、支配権は俺にあったりする。始動が自動なだけ。


「っっ――きっさまあああ!!」


 黒付くめは余裕面の俺に憤慨し、声を荒げる。腕を引き、血を垂れ流す平面となってしまった先端をこちらに目掛けて、槍の様に突き出した。


 溜めを作った勢いは弾丸じみている。目で追える速さだが、反応はできそうにない。怒りとはこうも容易く能力の引き上げるものなのか。これなら平面だろうと、簡単に相手を貫く。

 今の俺のように。だけど俺は、貫かれてなどいなかった。それを――喰ってしまったから。


「………………………………………い、ぃいいイイイイ!!?」


 叫ぶ、哭く、黒付くめ。俺の胸を貫く筈だった触手を痛みに震わせながら、急ぎ身に寄せて、童の様にうずくまり、呻き声を上げて痛みを堪えている。五メートル程あったアイツの腕は悲しい事に、もう半分くらいにまで短くなっていた。


 対して、俺、無傷。


 この体は肉体に接触してきた分の触手を、許さないが故に消失させてしまったから。


 ――正確な原理は未だにわからない。この肉体は怪我をし続けると現在のレベルにまで至り、俺が敵と認識した対象だけを、己に触れてきた時点で消してゆく――喰らってゆく。肉体の形を崩そうとする原因くろづくめを、この世から跡形もなく抹消しようと決断し、執行した。


「何なんだ、何なんだオマエ!? 何をしたんだオマエ――!」


 泣く哭く。煩い五月蝿い。


「だからさっき言ったろうに……もういい。もう終わりにしよう」


 日付は既に変わってしまった。明日も朝から受けないといけない講義があるんだ、早く帰って飯食って寝ないと。こんな事に、時間なんてかけていられない。――見るにたえない。


 怒りは冷めてしまった。黒付くめの慟哭のせいで、興醒めってやつだ。別に悦楽を感じてた訳じゃないけど、手に掛ける相手にこうも騒がれると、気持ちが落ちるとこまで落ちて仕方がない。

 しかしこの体の怒りは止まない。俺が目的を、まだ果たしていないから。


「ひっ……い、嫌だ、死にたくない。死にたくない!オレは、何も」


「悪くありません、てか。馬鹿いえ、あんたは悪いよ。だからこんな目に遭わないといけない。……良いこと教えてやる。イジメには仕返しを、悪戯には報復を、犯罪には死刑を、悪い事には悪い事を――人間社会の決まりだ」


 色々破綻してる気もするが、実際そうなのだから許せ。人間は基本的に憐れなのだ。


「嫌だ、た、助け――あっ……!?」


 黒付くめは腰が抜けてしまったようだ。……え、今の俺ってそんなに恐い?


「――――悪魔、悪魔だ、オマエ――」


 そうかい、悪いね。親譲りだ。


 きっと、母さんのせい。


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