1-10

 振り返る。案の定、そこには怪しい人影。


 街灯の真下に佇むその人物は、真っ黒なコートを羽織り、フードを被って全身黒付くめ。

 だぶついた影自体が起き上がっている様なその姿、死神を思わせる。


「――――」


 現状を思考。……把握。およそ四秒。

 最近の荒事、この状況、あの不審者。――わかりきってる。故に、行動はただ一つ。


「――じゃ」


 しゅたっ、と軽い挨拶をするが如く手を上げて、とんずらしようとして、


「……ですよねー……」


 腕を掴まれた。もとい、捕まれた。


 黒付くめが一瞬の内に近寄ってきた訳じゃない。黒付くめの腕が、伸びて、俺の腕を拘束した。


 触手。


 大木に絡みつくツタに似た、十数本が一つの束になった、奴の腕。ただその色は緑ではなく、黒と赤が混ざりくねっていて気持ち悪い。この世のものとは思えない程、形も色も、歪――――しかしそれが、奴の腕。

 それが今、俺の左腕に絡まっている。コイツの場合は触手らしい。


 五メートル程の距離は、その触手うでで繋がっていた。逃げれるなんて思わなかったが、まさかこんな事をされるとも思っていなかった。……最悪。非常に最悪。何がって、この触手……くせぇ。


「……馬鹿にしてる……」


 口の無い影が呟く。


「馬鹿にしてる。してやがる……。お前はオレを、蔑んでいル……っ!」


 ギリリ……、触手がきつく締め付けてくる。奴の声の震えと同調してる。もう少し力が入ると、きっと皮膚が裂ける。


「っ……俺、何も言ってないんだけど」


「嘘だ。嘘だ嘘だ――嘘だ! お前はオレを見て、お前はオレの腕を見て、お前はオレは馬鹿にしている。そうさ。いつもそうさ。お前たちは……みんなそうだ!」


 影が震える。喚く。体内の怒りを声に込めて吐き出す。恨み辛み。我慢のしようがない憤怒が中から外へ放出される。

 黙れ、近所迷惑だ。近隣の皆さんに起きてこられたら困るんだよ。


「オレは……テイシなんかじゃない。やめろ、成り損ないと言うな。オレはシンカだ。進化したんだ。これはその証なんだ」


 ギリリ……、触手はきつく締め付けてくる。ぱちっ、と腕が鳴った。多分、皮膚が破裂した音。


 夢か幻か、悪夢か幻覚か、はたまた過去の経験か未来への憂いか。黒付くめは見えない何かに反感して、独り言をブツブツ呟き、その矛先を俺の腕に向けている。

 はた迷惑極まりない。しかし俺もあの腕を見て気持ち悪いと思ったので、奴の行動は存外的外れではない。見事仲間入りだ。恐らくネットか何かで面白おかしく書き綴られている、思わず目も背けたくなる、テイシに対しての誹謗中傷罵詈雑言の中に。


「…………」


 しかし実際、慈悲なく、それは仕方の無い事。

 あれは異形にして異質、不快を催す物体に他ならない。どんなに悲しい背景がそこにあろうとも、現実がそうなって、現在がそうであるのは間違いじゃない。


 故に仕方がない。


 許しを乞えど許されない。


 願いを乞えど認められない。


 あれはその類だ。ただでさえ普通でなく、あまつさえそれが通常。多数決があって少数決という言葉が無いのと同じ様に、テイシという彼はニンゲンに見られない。

 人間であるのにニンゲンと呼ばれない。なんて理不尽、なんて不条理、――けれどご愁傷様。そうなってしまったからには仕方がない。


 今を受け入れろとは言わない――諦めろと言う。


 同情はしてやる――理解はしてやらない。


 つまりあんたの行動、


「馬鹿じゃねぇの」


 と言わせてもらう。


「………………な、に……?」


 触手の縛りがゆるむ。けど抜け出すまでには至らない。ちぇっ。

 面と向かって、直接的に言われた事は無いのだろう。俺の言葉に驚いたようだ。自分の事なのに。

 では、ちょいと試してみよう。さっきからこいつの口上、情けなくてムカつく。


「だからさ、馬鹿じゃねぇのって言ったの。あんたの、これ」


 ちょいちょいと右手でくせぇ触手を指差す。


「…………お前……!」


「いやだってさ、あんたの言い分は、自分はテイシじゃなくてシンカだって事だろ。じゃあ、何でわざわざこんな真似するわけ? 知らせたいの? 知られたいの?」


 自分は違う。


 そんなものじゃない。


 ――わかったよ、わかったから、何で?


「自分の価値を誇示して、どうしたい?」


「決まってる……。オレの存在をわからせている……テイシではなくシン――!」


「あーはいはいわかったわかった。もう何度も聞いた。オレはシンカだ、でしょ?」


 ――わかったよ、わかったから、何故?


「うん。別にいいんじゃない、それで。テイシだろうがシンカだろうが、正直興味ないし。あんたの行動理由はわかるよ。馬鹿にされてムカついたから手当たり次第に殺し回ってるんでしょ。いいよいいよ。見た目がそんなんだから、気が気じゃなくなるのは仕方がない。ただの悪口でも動機としては十分だ。それはいいけど――でもさぁ、気付かない?」


 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う。


 まるで子供の駄々。断言して尚、自己さえ認めない。


「仮に……って言うとまた怒るか……いや、何でもない何でもない。――ああそうだ。あんたはシンカだ。ただの人間には無い強大な力がある。それは確かに進化したと言える」


「…………」


「だったら、何でこんな事するの? それ以前に、何でそんなに怒ってるの? あんたはシンカなんだ。周りがなんと言おうと、あんたは自分でも言うようにシンカだ。――何で、テイシという言葉に反応するの?」


「…………黙れ……」


「シンカであるあんたにテイシなんて関係ない。だってあんたはシンカだ。テイシみたいな出来損ない、俗語で成り損ないだっけ、まあいいや。そんな可哀想な奴らに反応する必要ないじゃん。あ、そっか、あんたっていい奴なのかな?」


「黙れ……!」


「いやあ、そうか、そうだな。関係ないゲテモノども、一緒にされると最低最悪な失敗作ども。そんな奴らの為に、身を挺して法まで犯しちゃうんだもん、あんたっていい奴だよ。まさにシンカの鑑だね。ひゅーひゅー、格好いいねぇ」


「黙れええええ!!!」


 面倒くさくなったので最後は単純にからかってみた。瞬間、視界の左側が赤くなる。同時に喪失感。

 咆哮とともに、奴の腕にさっきよりも力が入り――びちゅ。そんな音がしたので下を見ると、俺の腕がアスファルトの地面に落ちていた。肩と肘の中間から先が、落ちていた。

 驚きはしない、予想はしていたので。けれど俺も人間、目の前の光景に冷静であれど、絶望的な痛みは、じわじわと半分になった左腕から生まれてくる。


「……あーーーー…………」


 身体の一部を無くす事は慣れてるけど、痛みだけはどうにも出来ない。……人間って、高機能高性能でありながら、不便だよねぇ。


「――――いっっっでぇぇぇぇぇぇぇ………っ!!」


 これでもかと顎に力を入れて歯噛み。最高潮にまで上り詰めた痛覚との壮絶な戦い。だがこちらに攻撃の余地はなく、一方的な猛攻をこうして堪えるしかない。

 血がびゅーびゅーと吹き出している。腕がびくんびくんと痙攣している。冷や汗がだらだらと流れてくる。風が断面を、むき出しの骨肉をかすり、狂おしいほどの電流が走る。スイッチ入れっぱなしのスタンガンを押し付けられている様。


 激痛、激痛、激痛、……激痛――!


「――――くぁっ――!?」


 …………がぁああああちくしょうこのクソが! 痛いなんてもんじゃねぇよクソったれが! 何で人間にはこんなものがあんだよ! 上限高すぎだ!易しいに設定しときやがれ! ふざけんな死にてぇ楽になりてぇ……。


 ――“死なせろ”――このドグソがあ!!


「――――あ……あは、あひゃひゃ、ひゃ……ひゃ――アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!」


 そんなに今の俺が可笑しいのか、愉快なのか、影は俯いたままがたがた肩を揺らして笑いやがる。


「お、おおお前がオレを馬鹿にしやがるか、からだ。これは報いだ、お前がわ、わ、悪いんだ。アヒャヒャ。痛いか、ぃいぃい痛いだろう。それがお前の罪だ。お前の罪をオ」


「るっせぇええこのテイシがあ!」


「――レ、が……」


 やかましいんだよ。今はそれどころじゃねぇ。この痛みもそうなんだが、よくよく考えてみれば……どうすんだよこの服! 破けちゃったじゃん、最近買ったばっかりなのに。泣きっ面に蜂どころじゃねぇよもおお!


「っっっ……ったく……気付いたかよ鈍感。認識したかよ分からず屋。あんたは間違いなくテイシなんだよ……こんな安い挑発に簡単に乗りやがって」


 気付いているからこそ、わかっているからこそ、目を背けたくなり、そして背けた。隠した。無いことにした。


 認めたくなかったから。


「何がオレはシンカだっつーの。馬鹿も休み休み言え。シンカはそんな姿にならないんだよ。もっと、もっと、――かけ離れちまってんだ……!」


 だから苛々する。コイツのわがままな言動が癇に障る。


 だってあんたは、“その程度”で済んだんだろ?


「……何だ……お前。違う……お前、何か、違う……?」


「けっ、勝手に嗅ぎつけんな」


 お前なんかに知られたくねぇ。


「テイシならテイシらしくしてろ。ガキみたいに喚くな。施設で大人しくしてやがれ。始めから肯定したうえでの否定だろが……逃げんな、逃げるんじゃねぇよ!」


「ち、違っ……オレは――!」


「黙れ成り損ない。シンカってのはな、怪物や化物どころじゃない。魔物なん――」


 そこで、俺の視界は暗くなり、意識は途絶えた。


 血を、出し過ぎたようだ…………。



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