1-8

 帯臣倣司。

 ここ、一見BARのようでその実BARである、BAR兼探偵事務所の最高責任者。俺をバイトとして雇ってくれた人。


 細長いレンズ、シャープなフレームの、知的な印象を持ち主に授ける眼鏡をかけた眼鏡男子。年齢は二十代後半なのに、そんな言葉を使えてしまう程の若々しい美形。同じ男性でも、話しかけるのすら躊躇してしまう。彼の顔立ちは恨めしいくらい、呪いたいくらいに整っている。ちくしょーっ。


 彼の見た目からは、眼鏡による知的な印象と共に、とても優しそうという印象を受ける。優男に見えるという意味ではなく、全体的にそんなオーラを漂わせているのだ。

 そして実際、優しい。誰に対しても丁寧な口調。表情だって、口元をちょっとだけ綻ばせて、常時小さな微笑みを浮かべるのが彼にとっての真顔。美形の微笑みって……最強じゃないか。


 軽い足取りでカウンターに座る。倣司さんはコップを磨いている。


「本当は朝に来るつもりだったんですけどね。確認したかったものがあったんで、昼になっちゃいました。すみません」


「いえいえ、気にしなくていいですよ。元々時間の指定はしていませんでしたから。大学の課題でも行き詰まっていたのですか?」


 ただのわがままでも、倣司さんは優しく許容してくれた。微笑みに伺いの色を加えて、コップを磨いていた手を止める。


「いやぁ……、まあ……それもあるんですけど、色々とやる事がありまして。面目ねぇです」


「いえいえ。詩乃くんが忙しい身であるのはよくわかってますよ、ええ。君の願いならいくらでも私は汲みますよ」


「……倣司さん――」


 この時、屋内だというのに、倣司さんに後光が差していた。勿論ただの比喩だが、俺の目には確かにそう映っていた。俺のしょうもない独り言を受け止める真琴も流石にここまでは到達できない。

 優しい微笑み。前髪の先が少しだけかかった眼は綺麗に輝いて、見る者に安心を与える。これで何人の女をおとしてきたのだろう。いや、そんな人ではないけど。


 因みに、昼に訪れた理由は昨日のせいだ。突然の呼び出しのせいで帰りが遅かったので、倣司さんには悪いがちょいと朝がきつかったのだ。あのバカ妹、駄々こねて中々離しやがらねぇったらもう。


「……ほんと、倣司さんは優し過ぎるくらい優しいですよねぇ。犯罪じゃないかってぐらい。詐欺師の、下手な芝居とかでも騙されそうで心配です」


「あはは、それは大丈夫ですよ。これでも探偵なんですからね。嘘か真か、人並み以上にはわかる自信はありますよ」


「あ、確かに。まあ、倣司さんの人柄を知ってしまうと、罪悪感が大きくなって嘘吐くのやめたくなりそうですけど」


「いやあ。そう言われると、何だかこそばいですね」


 照れた様子で頭をさする倣司さん。非常に可愛い。美形なうえに可愛いとか卑怯である。

 もう少しこの人と愉快な会話をしたかったが、そろそろと思い、本題に入った。


「それで、倣司さん。今日は何の用があるんですか?」


「っと。私とした事が、忘れていました。詩乃くんとの会話が楽しかったもので」


「もうっ。おっちょこちょいっ」


 素でこんな事言うもんだから此方も楽しくなってしまう。でもいざ本題に入れば、倣司さんは真面目な雰囲気を漂い始めた。切り替えが早い人って尊敬するなあ、と思う二十歳のガキこと俺。


「――では目的に戻りますが。今日来てもらったのは、詩乃くんに書類の整理をしてもらいたいからなんです」


 今日は、書類整理のようだ。


 俺は基本的に、BARのバイトを主としている。週末が休日、月曜から金曜まで営業しているBAR『cherry』のバーテンダー見習い。探偵の方は簡単なお手伝いみたいなもので、同じ職場だが副業みたいな感じ。


 俺が頼まれるのは本当にちょっとしたもので。整理、配達、の二つ。簡単な雑務だ。

 急な用事の為、当然呼び出しの電話は不定期。でもそれはそれで楽しいので、そんなに苦と感じた事はない。夢がない大学生は毎日が暇みたいなものなのだ。


「私がやらなければならないのですが、仕事が一つ入ってきたんです。いやはや、申し訳ない」


「気にしないで下さい。紙の整理なんて大した労働じゃないですよ。仕事っていうのは、また浮気調査か何かですか?」


「いえ、少々物騒な案件です。詩乃くん、昨日のニュースは見ましたか?」


「はい。でも、なんのニュースをやってたかはさっぱりです。紫逆アナウンサーにしか興味ないので」


 いま現在一番人気の高いとされる女子アナ、紫逆燿子ゆかりさかようこ。アナウンサーでありながら天然ドジッ子アイドルみたいな女性アナウンサー。

 子供っぽく見えるツインテールをして、わざとらしく高い声で喋る。原稿を読む時によく噛む。

 どんな時もキャピキャピしていて、何でアナウンサーになれたんだというその型破りな仕事ぶりが人気を呼んでいる。不謹慎という苦情も多いのは確かなのだが、彼女目当てでチャンネルを合わせる人は更に多い。視聴率が命の職業なので、そんな人でも重宝されているのだろう。


「あははは。私も、あの人は好きですね。和みますから。ああ、いや、そうではなく。そのニュースで、猟奇殺人の内容が放送された筈です。廃ビルの一室で被害者がバラバラにされていた、という風に」


「それはまた、聞いただけで気分悪い話ですね」


「ええ。まったくです。こんな事件は久しぶりですね。何年ぶりでしょう……必要以上に身が強張ってしまいます」


「えっ、もしかしてこの町の話なんですか?」


「はい。そうなんです」


 マジかよ……自分が住んでる町でバラバラ殺人とか、地味に洒落になんねぇぞ。話ぶりからして犯人特定できてないみたいだし。


「鷹無警部から調査の依頼が来たんです。仕事というよりお願いですが、警察から頼りにされて無下には出来ませんからね」


「やっぱりあのおっさんか。それって任意ですらないでしょ。ったく……倣司さんの人の良さをいつも利用しやがってあの野郎」


「詩乃くん、そんな事を言ってはいけません。鷹無警部も大変なんですから。特に彼の担当は、とにかく情報収集しなければならないですし、それに事件の度に私を頼る訳でもないですから」


「まあそれはそうなんですけど。なぁんかあの人を見てると、不真面目な感じしか無いんですよねぇ。――鷹無のおっさんって事は、今回の事件ってシンカ絡みなんですか」


「だと思います、が。私はシンカではないのでは、と。鷹無警部もそう言っていたのですが、テイシの線で考えた方が妥当だと思います」





 唐突ではあるが。


 物事には、始まりと終わりがある。始まりがあれば終わりがあり、終わりがあるなら始まりがある。開始と終了、始点と終点。お互い、持ちつ持たれつの因果律。

 ここで一つ、簡単なのにまどろっこしい話。正しいけれどおかしく、間違っていないが歪んだ決まりの話。


 始まる、終わる。


 それならば、


 始ま“らせる”、終わ“らせる”。


 ……うん。この二つ、言いたい事はわかるし、どうなってるかも理解できるけど、二つは同じものだ。始まって終わる――自然だろうが事故だろうが故意だろうが、始まって終わる。

 ほら、何も変じゃない。ぜんぜん悪くない。真相が違うというのに、二つは同じものである。


 つまり何が言いたいかっていうと。


 定めた地点から始まらなくても、始まった時点でそれは始まりであり、

 求めた地点で終わらなくても、終わった時点でそれは終わりなのである。


 だってそうだろう?


 描いた形でなかろうと、望んだ結末でなかろうと、完璧ではなく不出来であろうと――始まって終わったんだから――。

 どんなに願おうと、どんなに縋ろうと、どんなに悔やもうとも。


 ……などと、キメてみたり。


 この意味は大したものではないかも知れない。けれど当人たちからしてみれば大変迷惑な事なので、取り合えずそれっぽくしてみた。


「――テイシ、か。……どうしてですか?」


「強いて言うなら、惨状です。私が実際に見てきた現場の状態を伝えますと、人間をバラバラというより粉微塵、部屋の半分以上染める、誇示しているかの様にまかれた血液。シンカならば、こんなに汚くはなりません。何より――もっと不可解である筈です。あれは、あの力業は少々ひ弱かと」


「……ああ、なるほど。確かに、言葉だけでも何となくわかるかも」


 しかし実際、身体能力が爆発的に向上したシンカもいる訳で、そういった奴らは力業でしか行為に及べない。だから、両者の違いを決定するのは現場。

 シンカなら、ビルごと殺しただろう。個人差はあれど、テイシなんかでは並び立てない、尋常でない筋力の解放によって。


 ……アイツ、やっぱ成長してたなぁ。月単位で何かしらが変わっていってるんだよなぁ……ちょっと憂鬱……。


「詩乃くん、どうしました? 複雑な顔をして」


「あー、いや、何でもないです。クレーターとかになるのかなぁ、なんて。こっちの話です」


「あはは、シンカの中にはいるでしょうね、そんな跡を残す人も」


 同じくあはは、と返す。そうですね倣司さん、俺の妹です、はい。


「じゃあ、テイシなら情報は集まりやすいでしょうね。アイツら目立つから」


「そうでもありません。むしろ逆です。カレらは人目を常に警戒して、深夜だけに活動せざるを得ませんから、簡単には見つからないと思われます。それにこの手の事件は久し振りですからねぇ。犯人は最近になって行動を始めたか、もしくは“水”に触れたか。つまり情報は少ない、無いと言ってもいい」


「そうですか? いくら暗い夜だろうと、今の世の中誰にも見つからないとは思えないんですけど……。アイツら普通の服じゃ隠せないから、不自然な服装になるでしょ。雨も降ってないのに雨合羽とか」


「それは偏見ですよ。状態によっては、手袋さえあれば隠せるという人もいます。そしてそうでない方、隠せない人は――本気で隠すんですよ」


 倣司さんはにこり、と優しい微笑みを向けてくる。別のコップを手に取って磨き始める。


「カレらはもう私たちとは違う。同じ種族であろうと同じ存在であろう、決定的に違ってしまっているのです。それを一番理解しているのはやはり当人です。なので、決して、私たちとは交わらないようにする――したいんですよ。詩乃くんも、カレらの姿を見たことぐらいはありますよね?」


「ええ。偶にテレビに映りますからね。人権保護のために報道規制かかるもんだけど」


 だけど、画像や動画は流れてしまう。人の業、好奇心ってやつ。


「あれを見られたいなど、絶対にありえません。実際、テイシによる事件は少ないですから」


「自分から保護施設に入る者が多いとも聞きますね。……じゃあやっぱり、情報に関しては倣司さんの言う通り、期待は出来ないって事か」


「心配いりません。情報に関しては、です」


「……ん?」


「いや何、犯人の情報は探れませんが、次の犯行は予測できます。予想ですが、犯人は自己顕示欲が高い。現場の状況から言ってその可能性はあります。ならば、次の犯行も近い内に起こすでしょう。それなのに身を隠したがっているのは矛盾していますが、その辺は無意識に、見られたくないという臆病が出ているのかも知れません。つまり隠れながらに行為に及びたいというのなら、人気の無いポイントに的を絞る。そうすれば」


「ジャックポット、ですか」


 ええ、と倣司さんは頷く。そこでコップを、ことんとカウンターに置いた。


 ……帯臣探偵、格好いいなあんた。

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