1-5

「――……酷いな。こりゃあまた……えらくご立腹だったか?」


現場に訪れた鷹無たかなしは、その光景に顔をしかめる。居心地が悪い事に舌を打って、悪臭を紛らわす為に煙草を取り出そうとしたが――仕事中だったと思い、やはり止めた。思わずそうしようとしてしまう程に、むせかえるような臭いだった。


「さあ、どうでしょう。カレらは総じて精神崩壊を起こしていますから、そんな感情が沸くのやら。恐らく……いや、きっと意味は無いでしょう、化物なだけに」


「こらこら鞠戸まりと、そんな事は言うもんじゃない。アイツらも歴とした人間なんだからよ、それだけは言っちゃいけねぇんだ、よっと」


踏まないように、鷹無は腑を飛び越える。できれば、まだ乾ききっていない血痕も踏みたくないのだが、床も壁も天井も柱も真っ赤に染まっていては避けようがない。故に革靴の心配を諦め、血を踏み歩いて周りを伺う。


「それによ、本気で精神崩壊した奴ってのは、こんな隠れたマネしねぇ――出来ねぇのよ」


「……と、言いますと?」


二人は顔を合わせず、各々で現場を調べて手掛かりを探しながら会話をする。鑑識は自分の作業を進め、会話を気にしないようにしている。

この二人はまたペラペラと喋ってるよ。少々呆れて、そう思っていた。


「理性とか知性とかもそうだが、感情すらも無くしちまってるからな。何がどうなろうと構わず、自滅するまで動き続けるか。魂が抜けたみたいに、餓死するまで呆けるか。大体そんなところだ、精神が無くなったら」


普段からあっけらかんとしている口振りと違い、いつになく珍しい話。何度か二人で現場を訪れはしたが、ここまでの猟奇的惨状、加えて今のように真面目な鷹無は初めてだった。鞠戸は黙って次を待つ。


「動くか――止まるか。ほら、よくSF映画やアニメで、暴走するロボットとかいるだろ、あれと同じなんだよ。ロボットには始めから感情なんて無いが、無感情という感情って言い方も出来る。……これに関しては言ったもん勝ちだけどな。まぁなんだ、俺が言いたい事はだな。ココロが崩れて壊れるってのは、プログラムが崩れて壊れるってのと同義って事だ。制御の仕様なんてある筈がねぇのさ」


――様々な諸説や観点があるとはいえ、けれど現実問題、肉体を動かすは精神である。妄想の中でしか輝かないような話だが、しかし、確かな話でもある。わざわざ二つに分けた――分ける必要のあった言葉なのだから。


肉体は入れ物に過ぎず、意思は無い。人の形をした肉の塊は、やはりただの肉でしかない。加工された家畜が喋らないのと同じ。死ねば発声しない、それは人間にも云える。つまり死とは精神の死、行き着く先が皆等しいのであれば、肉体の価値も等しい。


ただの――肉。


それをどう扱うか、どう変えるかは、魂として宿る精神に委ねられている。思考しなければ行動できないのがいい例だ。ただなにげなく歩くだけの動作でさえ人間は、精神を以て意思を抱き肉体を動かして成立とする。


肉体と精神、二つあって両立するからこそ二を一には締めくくれない。在って無い物と無くて在るモノ、お互い持ちつ持たれつ。自動車を動かす運転手の様に。


「やけに詳しいんですね。精神科医でも目指していたのですか?」


「医者ぁあ? ――がはははっ、ないない。俺は昔っから勉強が嫌いでなぁ、どんなに教えられてもいつも赤点ばかりで、“教師泣かし”なんて呼ばれた程さ。けどまあ……、それでも卒業ってやれば出来るもんなんだなあ。いやぁ、先生方には感謝感謝」


「…………」


「んっ。あー、そう言えば何で詳しいのかだっけか。わりぃわりぃ」


ひらひらと手を振る鷹無。見られている訳でもなく、なんとなく。


「なんて事は無いさ、こんな仕事を続けてると、嫌でもそんな知識が身に付いちまうだけさ。お前もその内にわかるようになる」


はぁ、と鞠戸は空返事をする。正直どうでもよいと、彼は思った。むしろ、わかりたくないと、鞠戸は思っていた。


「――まっ、この事件の犯人のオツムはおかしくて、真っ当な精神で無いのは確かだがな。けど、壊れてなんかいない、思考ははっきりしてやがる」


「……これを、まともな思考だと、言うのですか?」


気のない口調とは打って変わり、少しだけ、怒りを込めた声色だった。まるで挑発しているかの様に、鞠戸は鷹無に尋ねる。先程までのぼんやりとした彼の雰囲気は、鋭い刃物の様に尖っていた。


「そう、はっきりしてるからこその、この有り様だ。見ろよ、上下左右、そこら中真っ赤に血だらけだろ。ただ殺したいだけならただ殺せばいい。――のに、わざわざ撒き散らしてやがる、絵でも描くみたいに。何か意図……いや、こだわりか、この場合」


淡々と説明する鷹無の背に、ゴリッ、とそんな音が鞠戸から届いた。お互いに背を向けている為に何をしたのか見えなかったが、歯軋りの音だとはっきりわかった。

おおよその予想がついていた鷹無は、後ろを向いて彼の様子を確かめるつもりも、その気持ちを汲み取るつもりもない。


「……本当に、警部は思ってるのですか。カレらは、人間だと」


「あちゃー、被害者は結婚してんのかぁ。可哀想に。――ん、何だって?」


堪えきれなくなったのか、詰め寄りかねない勢いで振り向く鞠戸。冷静を装っていたが目にはその姿勢が見えず、どこか殺意が宿っているようにも見える。しゃがみ込んで転がる薬指に合掌していた鷹無も、振り向く。


二人はここで、現場に来て初めて視線を合わせた。


「ですから、本気で、カレらを人間だと思っているのか、と訊いたのです」


「ああ、思ってるよ」


迷いない返答だった。日頃から無表情を崩さない鞠戸の口元が少し引きつる。


「この惨状を目にしてもですか?」


彼は言いたかった。


ヒト一人分の体液を使って、学校の教室程の空間を染め上げる所業が人間のやる事か、と。ヤツらに関して鞠戸は、自分たちと同じ人間だとは認めたくなかった。


しかし。


「ああ、勿論。だってよ、これ――」


立ち上がった鷹無は、飄々と、まるで舞台に立つ役者めいて両手を広げる。そして告げる。


「俺たちでも、出来るだろ?」


「――――は?」


鷹無が何を言っているのか、鞠戸にはまだ理解出来ない。


「まぁ時間はかかるし、意味もわかんねぇが、俺たちでも出来るじゃねぇか。ヤツらは素手でやったんだろうが、道具を使えば俺やお前でも出来る。ノコギリでバラバラにして撒き散らして、ハンマーで潰して撒き散らして、撒いて撒いて撒いて。薬品も使えばもっと酷い事に出来る。例えば」


「警部!」


鞠戸の大きな声に、鑑識は驚いて手を止める。対して鷹無は表情を崩さない。俯いて息を荒げる相方の姿、鷹無はそれを予想していた。


「……ったく。悪かったよ、鞠戸。ちょいとからかうつもりだったんだが、お前さんには重かったか。認めらんねぇ気持ちはわかるが、事実は事実だ。ヤツらだからって見下すんじゃねぇよ。警察の端くれなら公平に語りやがれ」


それだけを告げて、鷹無は調査を再開する。またいつもの調子に戻り、独り言を交えながら周りを調べる。


息を整えた鞠戸も同じく調査に戻る。納得いかないといった表情だったが、これ以上言及しようとはしなかった。


簡単に化物、異形の者だと括るな。鷹無が言いたいことはそういう意味なのだろう。実際、メディアを通して研究者でもその見解がされている。

けれど鞠戸は認めたくなかった。自分でもわかってはいるつもりなのだが、どうしても、自分と同じ種族だとは思いたくなかった。

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