緋剣の陽が昇る夜

彼は必ずこの魔界に来ると思っていた。

 この魔界で待っていれば必ず再び彼と会えると思っていた。



 この魔界は人間の世界にいられなくなった人間たちの居場所、人間から逃げられる場所。



 だから私はここに来た。

 人間の世界にいたくなくて、この魔界に逃げてきた。



 そして魔界に来た私は夢を見た。

 神は私にこう言った。



「怠惰な者よ、異世界から訪れた悪の者と共に世界を救うのだ」と。



 私の脳裏によぎったのはたった1人だった。

 悪の者など腐るほど見てきたはずだというのに。

 彼が異世界から来たかどうかなど知らないのに。



 だが私はベッドから起き上がり、手探りで剣を取った。

 何故か分からないが確信していた、彼だと。

 もう私には頼るものなど何もなくなっていた、だからこそ頼れるものならなんでもよかった。



 それがたまたま神を名乗る者だったというだけ。

 私は暗い部屋の扉を開き、暗い世界へ足を運ぶ。



 勘を取り戻さねばならない。

 彼の力になれるかもしれないこの力を少しでも取り戻さねばならない。



 そして私の魔界での生活は始まった。

 目を覚ましては朝から晩まで剣を振るい、腹が減ったら食べて喉が渇いたら飲む。

 身体が動かなくなったら水を浴びて眠る。




 そんな生活を続け、ようやく待ちに待った日が訪れた。




 どこかから彼の魔力を感じた。

 あの黒く禍々しい魔力を。



 私は思わず笑みを浮かべるとどこに行くでもなく走り出して叫んだ。



「誰か!!誰でもいい!!黒髪の悪そうな人間に心当たりがある者はいないか!!私は彼を探している!!!」



 すると1人の奴隷商が話しかけてくる。


「おうにいちゃん、そいつはあれか?そりゃとびきり悪そうなやつか?」


「ああ!とびきりの悪人だ!君たち魔族からしたら人間にしておくのがもったいないほどにね!!」


「知ってるぜ、この前うちで奴隷を奪っていった。その後は知らんがそいつの仲間の女たちがさっきテオゴブリンの住処へ向かったとか聞いたぜ」


 仲間……か、確かネザー王子とメアリー嬢が彼についていると聞いたな。

 向かう価値はある。



 私はズボンからぶら下げた金を入れるための袋を丸ごとその店主に投げつけた。



「礼を言う!!これは奴隷代だ!!とっておいてくれご主人!!」



 私は迷宮に向かって走り出した。



 ---相変わらず目を合わせられねえにいちゃんだな



 店主が私の去り際に何か言っていたがそんなことはどうでもいい。



 テオゴブリンの住処か、全力疾走で10分くらいでいけるな。



 心が滾るのは久しぶりだ。

 溶岩のように騒がしくボコボコと心臓が鼓動する。

 そして心は魔力に影響し、私の剣も熱く燃え滾る。



 迷宮に着いても私は速度を落とさない。

 会えるまでは走り続けなければ、止まるわけにはいかない。



「………魔力は…3人か、3人とも魔力が弱くなっているけどテオゴブリンの魔力もだいぶ弱まってる……が…エウゴブリンの魔力がないな。隠れているのか……」




 私は敵と目を合わせられない。

 ナナシ君の目を思い出してしまうから。

 彼が自分の目の前で敵になることを心底恐れてしまったから。



 だからこそ私は魔法の誓約を結んだ。

 その目を閉ざすために。

 敢えて敵を見ない心眼だとかいう技もあるそうだが私には必要ないものだ。



 敢えて見ないために目を閉ざす一瞬になんの価値があるというのだろう。

 ならばいっそ捨ててしまえばいいではないか。

 その方が強いのだろう?



 私は光を失って闇を手に入れた。

 そして私は悪を手に入れるために、正義を失おうとしている。



 いや、私の中の正義はもう失われている。

 私はどれだけのものを失ったのだろうか?

 あの時ナナシ君に言われた騎士の誇りというものが、本当にチリのようなものに感じてしまう。



 ふふ、不思議なものだ。

 正義というものに縛られた王国騎士だった時よりも清々しい気分なのだから。

 善悪の変化でこうも視界は変わるものなのだな。



 おっと、テオゴブリンの咆哮が聞こえたな。

 目的地はもうすぐのようだ。

 ………まずいな、3人のうち2人の魔力がかなり少ない。



 すぐに戦闘に入れるように準備をしなくてはならない。

 私が剣に魔力を込めると、溶岩のように沸騰していた剣はさらにその激しさを増した。



 ………いた。

 テオゴブリンの気配を感じる、そしてやはりエウゴブリンもいたか。

 戦いは久しぶりだな、だが心が軽い。



 民のためや王国のためなどではなく、ようやく自分のために戦える。

 守るためや被害を最小限に抑えるために力をセーブして戦う必要はもうない。



「「緋剣 ディーン・ナイトハルト……」」


 2人の女の子が私の名を呼ぶ。

 片方はメアリー嬢、もう1人は知らない子だ。

 しかし私は彼女らに一瞥もなくテオゴブリンとエウゴブリンを見据えていた。



 グギャァァァ!!!


 テオゴブリンが咆哮し、それにエウゴブリンも続く。

 ふふ、威嚇のつもりか?

 ナナシ君の方がよっぽど怖いがな。



 私は剣を構えながら足を強化して走り出した。

 ナナシ君にも是非見せてあげたかったね。



 本当の灰魔法適正の戦い方というものを。



「マグマセイバー!!!」



 私はテオゴブリンの気配に向けて剣振るう。

 ジュッ、という鋭い音と共にテオゴブリンの叫び声が迷宮に響き、テオゴブリンが激痛に膝をつく。



 こうなれば後はこっちのものだ。

 黒魔法と白魔法の両方を使えるということがどれだけ強いのか。

 彼はまだ知らないのだろうね。



「マグマスコール」



 黒魔法によってマグマを含ませた魔力を空中に広げてそれを固体化させる。

 同時に白魔法で自分と固体化させたマグマを強化する。



 固体化させたマグマは重さを持ち、雨のように宙から降り注ぐ。

 殺すことを敗北条件にしたあの時の決闘には使えなかった力の一つ。



 一本一本が針のような細さと強度を誇るマグマの雨が膝をついた私とテオゴブリンに降り注ぐ。



 一方的な殺戮、これがあの時ナナシ君が見ていた光景なのだろうね。

 私にはもう光景は見えないが、それでも充分だ。



 降り注ぐマグマが貫く音、それが地面にたどり着き蒸発する音、轟くテオゴブリンの悲鳴のような叫び声。



 最初に消えたのはテオゴブリンの声だった。

 次にマグマが貫く音、そして蒸発する音も消えた時。



 ギィィィィィ!!!



 次は君だ、エウゴブリン。

 ドタドタと走る音が私から遠ざかる。

 逃がすわけがないだろう?



 私は再び魔力を練り、その全てを身体強化に使用する。

 地面を蹴ったその一歩でエウゴブリンの背中にたどり着き剣を突き刺す。



 ジュウウウウと肉を焼く音が聞こえる。

 エウゴブリンが暴れて私を振り払う。



 グギャァァァ!!!!!!という叫び声と共に大量の氷塊を飛ばしてくるが私には関係のないことだ。



 氷塊は私にたどり着くことなく溶け、蒸発した。



「私がさっきマグマの雨を浴びたのを見なかったのか?その程度の氷など余熱で十分溶ける」



 エウゴブリンがその光景に尻餅をつく音がして、声は明らかに怯えている。

 助けてくれと言わんばかりに鳴き、エウゴブリンの怯えた視線が私に刺さる。



 ああ、ナナシ君、君はこれを乗り越えたのだな。

 助けを求める者の手を振り払い、足蹴にすることを。

 ならば私もそうしよう、私もそれを乗り越えてみせよう。



 私は言葉の一つもなくエウゴブリンの首を落とした。

 ドサッと落ちる重い首の音。

 ………なるほど、いい気分ではないね。



「無事かい?君たち」



 私はようやく3人に声をかけた。



 今の私を見たらナナシ君は失望するだろうね、彼は私に正義であることを望んでいたように見えたから。



 でも私をこうしたのは君だ。

 だから私はこうなってここへきた。




 それに私はまだあの決闘の条件の負けたら君のいうことを聞くということに答えられていないからね。

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