迷宮の王と現れた男

「えっ?」



 突如として現れた巨大な何かの影がナーガを包む。

 キングオーガほどのサイズはあろうそれはナーガに向かって大きく振りかぶると巨大な左腕でナーガを殴り払う。



 ナーガはなんとか直撃を避けるべく右腕でかろうじてガードをしたが、白魔法が得意でなく肉体強化のできないナーガのガードではそれはあまりに無意味だった。



 ボキボキボキッとナーガの腕が脇腹の骨ごと雑に砕かれた音が迷宮に鳴り響く。

 ナーガは勢いよく転がっていき迷宮の壁に衝突した。



「ごほっ……ゴブ……リン……?」


 ナーガがその巨大な生物をゴブリンと断定できないのも仕方がない。

 小鬼で濃緑色であるはずのゴブリンとは全く違い、それはただただ巨大で黒かった。



 広い迷宮の高い天井に頭がつきそうなほどの巨体。

 オーガと比較してもその生物はかなりのサイズだった。



「………やばいなあ」



 ナーガは誰に言うでもなく呟いた。

 身体に走る尋常じゃないほどの激痛が語彙を奪い、思考を妨げる。



「関係……ないか……」



 しかしナーガは立ち上がる。

 新たな強敵を目の前にして、新しい強さを目にして。

 ナーガは笑みを浮かべながら少しだけ痛む左腕に【小鬼の毒撃】を纏う。



 今のナーガにとってはもう可能性の話などどうでもいいことだった。

 勝てないかも、死ぬかも、痛いかも。



 そんなことより相手の強さへの羨望が勝っていたのだ。



「大きいって…いうのも純粋な強さだよね……」



「そうですねぇ」



 ナーガは後ろからした声に思わず振り返った。



「………メアリー!?なんで……!?」

「リリレイちゃんが心配だって言うもので、でも助け合いはナシですからね。ちなみにその魔物ですけどテオゴブリンっていうゴブリンの王様ですよ、人間の世界にはいないレア生物です」



 ナーガはニコニコと笑みを浮かべながら説明をするメアリーに若干の苛立ちを覚えながらも情報を咀嚼する。



「……ふふ、2回目ですよぉ?」



 ナーガはメアリーのその言葉に一瞬停止した。

 何が?という疑問が身体を止めることはそう難しいことではなかったのだ。



 ドゴッ



 迷宮に再び鳴り響く鈍い音。



 テオゴブリンがナーガを背中から殴りつけた音だった。

 ナーガは勢いよくメアリーの足元へ転がっていく。



「ほらぁ、迷宮で後ろを振り向くのは自殺行為だって言ったじゃないですか。学習能力のない子ですねぇ」



 ナーガの顔を満面の笑みを浮かべながらメアリーが上から覗き込み、杖の先でナーガの頭をゴツゴツと何度も叩く。




「この………淫乱僧侶……!!」

「………ナナシさん、余計なことを…」



 ナーガがナナシから聞いた精一杯の罵声はなかなか効いたようだ。



「……まあいいです、助け合いはナシ。ですけど奪い合いはアリですよね?あの獲物は貰います」



 メアリーはそう言うとテオゴブリンの元は駆け出した。

 メアリーでは勝てるはずがない、白魔法を使えないメアリーでは。



 だがナーガの視界に映ったのは自分の知っているメアリーではなかった。

 テオゴブリンの攻撃を容易に躱し、胸元に潜り込み杖で殴りつけた。



 その一撃はテオゴブリンの巨体を浮かせるとメアリーは器用に空中で回り二撃目を加え、テオゴブリンを吹き飛ばした。



「………え?」



 メアリーは唖然とするナーガの方を振り向かないまま言った。



「やっぱり【サディスティックバッファー】は純粋な敵で強化するより弱い味方を敵にした方が容易ですね。ネザー様の言う通りです」



 そう、メアリーはわざとナーガを挑発したのだ。

 迷宮の入り口でナーガに話しかけてゴブリンに背後を取らせたのも、テオゴブリンの前で話しかけて攻撃を受けさせたのも。



 全てナーガの敵となるためだった。

 理由は当然ただ一つ、それが【サディスティックバッファー】の使用条件だからである。


 自分、もしくはナナシの敵であること。

 それを満たすためである。



 メアリーの唯一の誤算はナーガによるそれをここで使用したこと。


 このやり方は一度行って相手がそれを理解してしまえば2回目以降はナーガに敵だと思ってもらえず【サディスティックバッファー】は使用できないだろう。



 その上この方法は自分より弱い仲間、もしくは弱った仲間に限る。

 反撃される可能性は当然あるし、攻撃を回避されて【サディスティックバッファー】が発動できない可能性もある。

 ここでこの方法を使用したのは今のナーガが相手なら確実にそれが可能だと信頼したため。



 だがメアリーがあえてここでそれを使用した理由もまた、ナーガに対する信頼だった。

 ナーガを追いかけてくるまでの間に見つけたたくさんのゴブリンの死体、そして例の小さなゴブリンの死体を見てメアリーは確信した。



 ナーガは必ず強くなる、メアリーのことなど余裕を持って殺すことができるほどに。

 だからこそ今だった。



 次の機会ではナーガを使用して【サディスティックバッファー】を発動することは叶わないだろうと判断したため。



 そして今、当然のことながらその能力は継続する。

 ナーガを使用した【サディスティックバッファー】よって強化された身体でテオゴブリンを攻撃し、【サディスティックバッファー】を発動させる。



 強化された身体での攻撃により敵は弱体化し、自分は強化される。

 一度このループに入ってしまえばメアリーは戦闘で負けることはないだろう。




「苦しそうですねテオゴブリン、今楽にしてあげますよ」



 倒れたテオゴブリンの前に立ち、そう言い放つメアリー。

 だがメアリーに迫っていたのはテオゴブリンだけではなかった。



「メアリー!!!!!後ろ!!!!!」



 ナーガの叫び声と同時にメアリーの背に氷塊が突き刺さる。

 それはメアリーの背中から腹に向けて貫通し、夥しい量の血を流す。



 迷宮の影からもう一体、巨大なゴブリンが現れたのだ。

 テオゴブリンと同じような巨体、しかしそれはテオゴブリンとは真逆で白い身体をしていた。




「………油断…しました……女王もいたとは……エウ…ゴブリン……」



 王あれば女王あり。

 身体に大きくダメージを負った2人の前には、巨大なゴブリンの王たちが立ち塞がった。



【マゾヒスティックループ】を使えば回復はできるがそうなった場合【サディスティックバッファー】は解除される。

 そしてこの2匹を相手に再び【サディスティックバッファー】で強化しながら戦うのは無理。



 絶望的。

 ギヒギヒと笑う2匹のゴブリン。

 骨が砕けたナーガと腹部をぶち抜かれたメアリー。




 だがそんな絶望的な状況でメアリーが気にしたのは痛みなどではなかった。



巨大な敵を眼前に注ぐように流れてきた熱だったのだ。

すでにナナシがイツァム・ナーを連れてきたのか?

……いや、流石に早すぎる。




 自分たちが歩いてきた道から熱気が漂ってきている。

 そしてこの魔力にナーガもメアリーも覚えがあった。



メアリーがその魔力の正体に衝撃に震える

体を走る激痛が気にならなくなるほどの衝撃。





「……王国騎士」


 ようやく視界に映った長髪の男を見てメアリーが呟く。



「……御伽噺の英雄」



 緋く燃えるような目と髪を見てナーガも呟く。




 その男は緋く燃え滾る剣を携えていた。

 なびかせたつぎはぎだらけマントの背には王国騎士の紋章が描かれていたが紋章の部分だけが縫われておらず、破けている。



 緋色の目、緋色の髪の王国騎士。

 燃え滾る剣を携えた、御伽噺の英雄。



 メアリーとナーガが同時にその男の名を呟く。




「「緋剣、ディーン・ナイトハルト………!!」」

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