強くなるということ

ゴブリン。

 森林や岩山など住む場所を問わず、同種と群れをなして行動する小鬼とも呼ばれる小型の魔物。

 雑食で味覚を持たないため、腹が減ったら雑草でも腐肉でも食べる。



 ナナシくんならきっと魔力の解放だけでこの子たちを退かせるんだと思う。

 好戦的だけど手間や面倒は避けたがる傾向があるからね。



 でも私にはそんなことはできない。

 私にできるのは、私がようやくできるようになったのは。


 目の前の敵を倒すということだけ。



「グギャァァァ!!!!」


 私に殴られた仲間の死体が毒によって溶けて骨だけになっていくのを見てゴブリンたちが叫びだす。

 盾代わりの木の板を構えながらじりじりと近づいてくるのもいれば、怯えて後退りをはじめるものもいた。



「……ふふ、怯えてる。あの魔物が弱くて弱い私なんかに怯えてる」


 やっぱり強くなってる、やっぱり強くなれてる。

 ナナシくんのおかげで。

 でもまだ足りない、もっと強くならないと。



 ナナシくんに思ってもらいたい。

 ナーガがいないと困るって、ナーガがいてくれないと駄目だって。 

 ナナシくんに必要とされたい、ナナシくんに依存されたい。



「一匹も逃がさないよ、君たちは私たちのお金になるために骨になるんだから!」



 そう叫ぶと私は自分からゴブリンの群れの中に飛び込んだ。



 ブチュッ、ゴリュッ、ザクッ


 風と毒を纏う腕で殴りつけた拳がゴブリンの顔に直撃して顔面が潰れる音。

 直撃を避けたゴブリンの肉を風が削ぎ落とした音。

 躱されたと思ったゴブリンが纏う布切れを毒を纏う風が切り裂いた音。


 たくさんの音と感触が私に伝わってくる。

 全部が初めて経験することだった。



 腕が纏う致死性の猛毒はゴブリン程度の大きさの魔物にとっては掠るだけで十分だった。

 それだけでゴブリンはすぐに腕をだらんと降ろして膝をつく。



 初めて味わう強者の味。

 なんて幸せな味なんだろう。

 今まで食べたどんな甘味より甘い。



 どんどん仲間を殺されていくゴブリンが尻餅をつきながら私から逃げようとしている。

 絶対逃がさないけどね。



 君たちが悪いんだよ、弱いのが悪いんだよ。

 だからこうやってみんな殺されちゃうんだよ。



 そんなことを考えながら私は一匹の小さなゴブリンに狙いを定めると拳を振り下ろした。




 グチュッ




「………え?」



 しかし私が振り下ろした拳はそのゴブリンに当たることはなかった。



 一匹の比較的大きなゴブリンがその小さなゴブリンを庇ったのだ。



 その大きなゴブリンは小さなゴブリンを抱くように庇い、私の拳を背中に受けていた。



 大きなゴブリンはそのまま倒れて死んでしまった。

 小さなゴブリンが大きなゴブリンの亡骸を叫びながら必死に揺らしている。



 言葉が出ない、身体が動かない。

 なに?この光景は?


 親子?ゴブリンの親がゴブリンの子を庇った?


 魔物のオスメスの区別なんてつかないけれど、大人子供の区別なら見た目である程度は分かる。



 残ったゴブリンたちは私に戦意がないのを理解したのかその子供を連れて迷宮の奥へ逃げていった。



 その時、ゴブリンたちに連れられた小さなゴブリンが去り際に一瞬だけ私を見た。



 小さな身体で睨むように。



 その一瞬だけで十分理解した。

 私はあの子に憎まれてしまった。



 家族を殺されたあの子の目。



 不意にナナシくんの過去を思い出す。

 家族を殺されたナナシくんのことを。



 強かったフィーナさんに殺された山賊たちと弱かったナナシくんがあのゴブリンたちと重なる。



 強くなるってこういうことなの?

 こんなに簡単に奪えるようになってしまったの?



「………退きましょう、ナーガさん。戦うということには考えるということも必要ですよ」



 メアリーちゃんが後ろから話しかけてきた。

 そのメアリーちゃんに見るからに怯えているリリレイちゃんがしがみついていた。



「………うん、ごめんねメアリーちゃん、リリレイちゃん」



 戦うということは奪うこと。

 殺すということは失うこと。



 頭では分かっていたはずのことが現実ではこうも響くものなのか。




 やっと強くなれたと思ったのに、強くなるということをはき違えていた。

 強いということは、強くなれる人にしか分からない。



 まだ足りないなんてレベルじゃない。

 私はまだまだ弱いまま。




 なら私は強くならないと。





「ごめんね、メアリーちゃん。リリレイちゃんを連れて先に帰ってて」


「………え?」



「逃がしたゴブリンたちを殺してくる」



 私はメアリーちゃんにそう言い放つと返事を聞くこともせず、迷宮の奥へ走り出した。



 メアリーちゃんの言う通り。

 考える時間も必要なのかもしれない。

 でも私には必要ない、強くなれる自分を考える時間の想像なら散々してきた。



 私に必要なのは心の強さと経験値。

 ならここは退くところじゃない、戦うところだ。



 本気でナナシくんみたいになりたいのなら。

 ナナシくんの隣に立つメアリーちゃんみたいになりたいのなら。

 ナナシくんの前に立つネザーさんみたいになりたいのなら。



 私はここで戦わなきゃいけないんだ。

 殺す術と殺せる心を身に付けなきゃいけない。



 幸い小柄なゴブリンたちの歩幅ではそう遠くへは行っていないはず、今からでも追いつけるはず。



 私は必死に走る、今までこんなに全力疾走したことなんてなかった。

 自分のなりたい自分に向かって全力疾走できることがこんなにも心を軽くする。

 これが悪の道だと分かっていても止められない。



 そしてようやく目の前から複数の足音が聞こえてきた。

 迷宮の奥に向かって走っていたゴブリンたちの足音が。



「見つけたぁ!!!!!!」



 私が叫ぶと数匹のゴブリンが逃げられないと悟ったのかこちらに向かってくる。



 私は腕に毒の風を纏って立ち止まる。

 石で作ったのであろう刃物で切りかかってくるゴブリンたちの攻撃を躱しながら掠るように毒の風を当てる。



 背後でゲェェとゴブリンの吐瀉する音が聞こえたがすぐに静かになった。

 私は再び走り出し、ゴブリンを見つけては殺した。



 でもまだあの小さなゴブリンはいない。

 既に身体も服も風で切り裂いたゴブリンの血で塗れている。

 腕には下手くそな風邪のせいで切り傷がたくさん。



 その全てが私の強さと弱さを物語っている。

 残すのは強さだけでいい、弱さは切り捨てる。



 あの小さなゴブリンが生きているのは、あの小さなゴブリンを生きたまま逃がしたのが私の弱さ。

 私は私の弱さの象徴の存在を許さない。



「………やっと見つけた」



 小さなゴブリンは岩陰に隠れるように蹲っていた。

 私に見つかったことを悟り、岩陰から出てきて私を睨む。



「……まるで入学式の時の私を見てる気分だよ、フィーナさんに怒られて逃げ帰った時の私みたい」



 だが小さなゴブリンは小さな石の刃物を構えた。

 戦う気だ、絶対に勝てないと分かっているのに。



「グギャァァァ!」



「……取り消すね、君はあの日の私より強いよ」



 あの日の私はこんなに小さなゴブリンよりも弱かった。

 強さに立ち向かう勇気も、弱さを受け入れる器もなかったあの時の私よりもこの子は強い。



 小さなゴブリンが私に向かって跳ねながら石の刃物を振りかぶる。

 遅い、簡単に避けられる。

 でも私はそれを避けなかった、それを避けてはならない気がした。



 小さなゴブリンの小さな刃物が私の左肩に突き刺さる。

 小さなゴブリンは当たったことに驚いたのか、突き刺した刃物をそのままにして私から離れた。



 毒でも塗ってあったのだろうか?

 激しい痛みこそないものの、左肩にジリジリと焼けるような痛みが残っている。



 しかし私はその痛みに怯むことなく毒の風を纏って小さなゴブリンに近付く。

 小さなゴブリンは弱々しくキィキィと悲鳴のようなものをあげている。




 ありがとう、幼くて小さくて強いゴブリン。

 私は君に憎まれたことを絶対忘れない。



「君のおかげで私はまた強くなれた」



 きっと言葉の意味など分からないであろうゴブリンにそう言い放つと私は小さなゴブリンに右腕を叩きつけた。



 ギイィ!と一瞬叫んだかと思うと小さなゴブリンは静かに生き絶えた。




「…………はぁ、小鬼とか言われてるゴブリンにすらここまでやられちゃうのか」



 私は怪我を確認するために毒の風を纏ったままの左手を動かす。

 焼けるような痛みは落ち着いたけどまだ痺れてる。

 小鬼の毒も大したものだ。



「あっ」


 ふと思い出した、弱かった頃に考えていた強くてかっこいいたくさんの技の名前。



「………【小鬼の毒撃】っていうのも悪くないかもね、すっごい皮肉だけど」



 私は1人でクスクスと笑いながらようやく腕に纏う毒の風に名前をつけた。

 皮肉っていうのも悪っぽくていいんじゃないかな、なんてこと考えながら。



 そんなことを考えていた私が自分に襲いかかろうとしている危険に気付いたのは、私の身体をその大きな危険の影が包んだ時だった。

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