第22話:君の呼ぶ声

《イニシャライズ完了。解放シーケンスを開始します》


突然、室内に響き渡る電子音声。

封印は、とっくに解放されていると誰しもが認識していた。何故なら、封印対象の迦紅哭は、零斗が手にしているのだから。


(一体、なんだ?)


現場に居合せる者のことなどお構いなしに、電子音声は機械的に処理を進めていく。


『生体過冷却装置 ―――― 停止』

『観測センサ系統 ―――― 停止』

『外部インタフェース連携 ―――― 停止』

『RAS機能を強制停止―――― 完了』

『補助電源、稼働 ―――― 出力30%向上』

『生命維持装置 ―――― 全機能停止を確認』


電子音声が読み上げられるにつれて、天井から降りる霧の湧出が止まる。

織物に浮かんでいた幾何学模様が消え、自然発火するように織物が燃え上がると、包まれていた物体が姿を現す。その中には、誰も予想していなかったものが隠されていた。


「女の、人……?」


そう言葉を漏らしたのは美鈴だった。

織物の中から姿を現したのは、巨大な氷塊のような結晶。氷かガラスのように見えるその表面からは、うっすらと青みがかった光が放たれている。


その中に、零斗と同じ年頃の少女が囚われていた。


『封印、解放します』


 ピキ……パキキ……ピシィッ!


そのメッセージを合図に、巨大な結晶に亀裂が入り始めた。

いったい何が起きているのか、分からないことだらけだ。

だが、じっくりと様子を観察している場合ではない。


「ウォズ、来い!」


巌人の声が室内に響く。

それを受け、ウォズは一直線に巌人の元に戻る。ウォズの向かう先の巌人からは、先ほどよりも強いマナの気配を感じる。ウォズの血を取り込んだことで、回復だけでなく力も増したか。


おそらく全ての力を使い、三人で別の座標へと転移するつもりだろう。

あの状態で行えば、命を危険にさらすかもしれないが、そんなことは関係ない。やらなければ、どのみち殺されるのだ。


(逃がさんッ!)


体勢を整え、追撃する。

駆け出そうとした、その一瞬だった。



 ―――― 零斗



誰かに、呼ばれた気がした。

見たこともなく、聞いたこともない声の人だったのに、ずっと待ち焦がれ続けた人の声が、聞こえた気がした。


 ピシッ……パキキィ、パァンッ!!


視線を向けた先には先ほどの巨大な結晶があり、それは弾けるように砕け散った。

内部に囚われていた少女は砕けた結晶の粒子と共に解放され、意識のないまま空中に投げ出される。


うるしのように艶やかな黒髪が、結晶の欠片に反射した光を受けて輝く。

黒と濃紺の拘束具で全身の自由を奪われ、マスクを付けられた顔や首から微かに肌が見える程度しか、彼女の容姿は確認できない。


 ドクン……ッ!


その姿を見た時、零斗の心臓は大きく弾んだ。


それを自覚する前に、既に零斗は行動を起こしていた。

完全に、無意識の行動だ。気が付いたら走り出し、我を取り戻した時には少女の体を受け止めていた。手に持っていた迦紅哭すら放り出して、両腕で優しく抱き留めていたのだ。


「俺は一体、何を……?」


既に、巌人たちは姿を消している。

絶対に、取り逃がすべきではなかった。なのに、体が勝手に、としか言いようのないほど、この少女の元に走り出していた。まるで、自分ではない別の誰かが体を操ったようだ。


「零斗先輩!」


少女を抱えたまま立ち尽くす零斗の元に、美鈴が駆け寄る。


「先輩、あの……紗耶……、あの人達は」

「分かってる。完全に逃げられた」

「そう、ですか……あの、先輩。私は ―――― 」

「……過ぎたことは言っても仕方がない。ともかく一旦、地上に戻るぞ」


バツが悪そうに話す、美鈴の口は重い。

当然だろう。結果的に、彼女は事件の実行犯たちの逃走を助けたのだ。


「あの、この人は?」

「俺にも分からんが、連れて帰るしかないだろう。こんなところに置いていくわけにはいかない」


《ビ――――ッ》《ビ――――ッ》《ビ――――ッ!!》


耳を劈くように、けたたましく警報が鳴り響く。

どうやら、恐れていた事態になったらしい。


「な、なに?」

『対象の解放を確認。これより5分後に、全設備を放棄、抹消します。関係者は、速やかに退去してください』


突然の事に美鈴はうろたえているが、零斗にはおおよその察しがついていた。


「やはりか……」

「5分なんて……たったそれだけで此処から離れるなんて、無理ですよ!」


証拠隠滅という事だろう。

正しい解除コードで認証が行われた場合、必ず作動する機能とは思えなかった。おそらくは、認証コードに代用された零斗が原因だろう。


緊急事態に備え、他の紅神の人間で代理認証できる仕様としたのだろうが、その場合は普通の人間が生きて出られないことを前提としているのだろう。操作した者が紅神であれば、5分もあれば脱出には十分事足りる筈だからだ。


「仕方ない、とっとと此処から ―――― ゴフッ」

「うわぁ、先輩。血が! 動いちゃダメですよ!!」

「バッカお前、このまま動かなくてもどうせ死ぬだろうが」


余りにも自然に吐血するものだから、深刻さを感じづらいが、零斗は腹部をナイフで刺されているのだ。

相当に出血しているし、重症であるといえた。


「え、先輩なにして……ひゃッ!?」


しかしそんな美鈴の心配をよそに、零斗は少女を抱きかかえたまま右腕で迦紅哭を回収し、口にくわえる。

そしてそのまま美鈴を左腕で掴み上げると、担ぐように肩に乗せる。


「……本当は、使うつもりなかったんだけどな」

「え? あの、先輩……?」


スッと目を閉じ、瞑想めいそう状態に零斗は入る。

速く脱出しなければと焦る美鈴は、意味不明な零斗の行動に動揺し、何を言えばよいのか混乱している。だが、零斗自身はそんな美鈴の心情などつゆ知らず、ただただ目的のために行動を続ける。


体表に感じる、空気の感覚。

全身を巡る、血液の流れ。

頭から全身に向かって神経を奔る、肉体の信号。


零斗は自身の内に向かって精神を集中させ、潜る。

目的のものは、全身に満ちる熱の先。

肉や骨とは異なる次元に存在する、不可視の領域。


心を抜け ―――― 魂の奥底に存在する、"零斗自身"の力。


内側から染み出す何かを掴み、そして引き出していく。

それに従い、打ち込まれたマナが消費されたことで鳴りを潜めていた左腕の紋様は、再び姿を現していく。

だが……。


 ―――― ズグンッ!


深い水底で、全身に強烈な水圧がかかっているような圧迫感。

全身に染み込んだ酸が、骨や肉を溶かしていくような、不快な痛み。零斗の紋様を上書きするかのように、呪いを形にしたような別の紋様が左腕に浮かび上がった。


「ぐ……ッ!」


赤紫色のまがまがしい紋様は、まるで零斗の体を蝕む毒のようだ。そのことに気づいた美鈴は、心配そうに声をかける。


「先輩、いったい何を……?」

「後で説明すると言っただろう。少し……黙っていろ」


零斗の対応は素っ気なかった。

今は最も集中しなければならない時であるからだ。少しでも気を抜けば、何とか引き出した力がかき消えてしまう。

だが、準備は整った。僅かであるが、全身にマナの力を巡らせた。


「脱出する。しっかり掴まれ」

「脱出するって、一体どうやって!?」

「走って逃げる」


空気が変わる。

先ほどのまでの零斗とは、雰囲気が違った。肌を刺すような、荒々しい気配がない。


「舌を噛むなよ」


零斗がそう一言告げた直後、美鈴の視界が一変した。

急加速による強烈なGが美鈴にかかる。文字通り、目にも止まらぬ速さで変化する視界と、縦横無尽に加わる重力の影響で、美鈴には悲鳴を上げる余裕すらなかった。


部屋の外に飛び出した零斗は、息つく間に地下へと落下した場所へと舞い戻り、そして確認する。

その視線の先にあるのは、先の抗体によって作られた、地上へと続く縦穴。


「どっこい ――――」


目的の場所に到達した零斗は、その勢いを殺すことなく力の向きを無理やり変える。

足先へと集約した力を解放した零斗は、両腕で抱えている女子二人分の重量などモノともせず、穴の開いた天井へと大跳躍する。


「 ―――― しょおッ!!」


本来、穴の中は真っ暗で何も見えないが、肉体を強化されている今の零斗であれば問題にはならない。

地上から届く光がごく微かなであっても、視界を確保できる。体で感じた、音の反響や風の流れで補完してやれば、その内部構造を完全に把握できた。


壁を蹴るように穴の内部を駆け上がり、最速で地上を目指す。その途中で、今まで無反応で会った無線に、反応が出始める。


《……ザザ……ぃ……零……斗……》

「直哉か?」

《!? ようやく繋がった! そっちはどんな状況だ!?》

「美鈴を連れて地上に向かっている。詳しい説明をしている時間はないから、今からことをよく聞いてくれ」

《オ、おう! 何だ!?》

「一分後、訓練場が爆発する。穴から200メートル以上離れるよう、周辺指揮を頼む」

《……はァ!?》

「任せた」

《オイ待てッ! いい加減このパター(プツッ)》


刀をくわえたまま零斗は器用に状況を伝えた。これで唯一の気がかりもない。

爆発に巻き込まれるものはいなくなるだろうし、何より混乱に乗じて姿を眩ませられるだろう。俺はともかく、彼女については何も分かっていない。紅神に関係していることは間違いないので、人目を避けすぐにでも綾香と合流すべきだと考えた。


 ゴゴッ……ォオン……ッ!


はるか後方で、爆発音が響いている。

どうやら、自壊処理が始まったようだ。後方から風が吹き始め、何かが追ってくるような、嫌な気配がする。これはマズいと、零斗はさらに速度を増す。


「せ……先輩……!」


零斗の左肩に担がれたままの美鈴は、必死になってようやく、一言を告げた。


その声に反応した零斗が後方を確認したところ、はるか後方から赤い光が指している。いや、光ではない。紅蓮に染まった炎が、零斗達を飲み込もうと迫っていた。


閉鎖空間で発生した爆発は、急激な燃焼と温度上昇によって高まった圧力により、強烈な爆炎となって圧力の低いところを目指して進んでくる。

つまり、零斗達は今まさに炎に追いかけられていた。


もう一刻の猶予もない。だが、既に出口が見え始めている。

そのまま零斗は最後の一蹴りで一気に加速し、ついに地上へととびだす。だが ――――。


「キャァアア ――――――― ッ!!」


零斗達が穴から飛び出すのとほぼ同時に、爆炎が彼らを飲み込む。

吹き上がった爆炎は大きな火柱となって姿を現す。解放された圧力は地盤ごと訓練場を吹き飛ばし、周囲数百メートルにわたって粉塵をまき散らした。


そんな圧倒的な力に飲み込まれるとき、美鈴にできたことは感情のままに声を上げる事だけであった。

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