第21話:The blue is born from crystals.

「これで……死ねぇ!」


巌人が新たなナイフを投擲する。

パチパチと連続で指が鳴らされ、その都度ナイフの位置が目まぐるしく入れ替わる。これで零斗を襲う凶器は二つ。これまでは巌人と距離を保つことで回避範囲を広くとれ、辛うじて回避できていた。


だが、これ以上はさすがに攻撃をかわし切れない。

既に、体中に大小さまざまな傷を負っている。巌人に近づけばその分、回避範囲は狭まる。相手の座標転移の精度も上がるだろう。


敵の体力切れを狙うという手もあるが、時間に限りがあるのはこちらも同じ。

いつまでマナの力を使用できるか、時間の制限があることは零斗も同様だった。


故に、半分は感覚を頼りに避けていたが、ついにその均衡を破る時が来た。

時間をかけた準備は、終わったのだ。


 パシィッ!


空中でナイフの一つを掴むと、そのナイフを転移させられる前に、飛来するもう一方を叩き落す。


「なにっ!?」


即座に巌人が指を鳴らし、零斗にナイフを投擲する。

すかさずナイフを掴み、宙に放る。回収されてもやることは変わらない。宙に放るか、向かってくるもう一本を打ち落とす。いくら巌人がナイフを投擲しようと、零斗は一定の速度で歩みを進め、巌人へと近づいていく。


零斗が時間をかけて行ったこと。

それは、目と感覚を相手の動きに慣らすこと。いくら常軌を逸した能力であっても、使用者の思考や癖を把握できればやりようはある。


巌人との攻防の中で、自身の感覚を研ぎ澄まし、そして把握した。

歩みを進め、両者の距離はついに5メートルまで近づいた。これだけ近づけば、ナイフを掴んでから指を鳴らされる前に、巌人に攻撃を加えられる。


投擲されたナイフを掴むと同時に、足に力を込めて距離を詰める。


指を鳴らすのは間に合わない。

そう判断した巌人は左手に握っていたナイフで応戦するが、対人戦闘の技術は零斗が上手であった。ナイフを持った巌人の手首を右手でつかみ攻撃を防ぐと、自身が握る左の刃を振り下ろす。


「き、さま……ッ!」

「終わりだ」


ドン、と音が響く。

そしてその音の元になった零斗の拳は、力強く巌人の首筋に叩きつけられた。が、その手にはナイフが握られていなかった。


「ぐぅ……ッ!」


攻撃を受けるはずの巌人と逆に、零斗が吐血した。

零斗の手にあるはずのナイフはなく、巌人の手の中にナイフが握られている。そしてそれは、零斗の腹に深々と突き立てられていた。


「貴方の戦闘力が並外れていることは分かっていました。なので一つ、ブラフを張らせてもらいましたが……効果はあったようですね」


ブラフ、というのは座標転移を行う際に行っていた指を鳴らす行為の事だろう。

つまり、指を鳴らさずとも転移可能という事だ。最後の最後で零斗の想定を上回るよう、巌人が最後まで残していた手札だった。音があるか無いかの僅かな違い。だが、ギリギリの攻防の中では、そのわずかな差が勝敗を決する。


「呻き声ひとつ上げないのは流石ですが、これで終わりです」


グっと力を入れ、より深くナイフの刃を押しこむ。

その反動から、零斗の口からさらに血が溢れる。


と、零斗が何かを伝えようとし、パクパクと口を動かしていることに巌人は気づいた。

口元を注視し、その動きから零斗が何を言っているのかを確認する。


「それで、勝ったつもりか」

「なに?」


口角を上げ、零斗は不気味な笑みを浮かべる。

何かある。そう直感し、距離をとろうと感じた時には既に手遅れであった。


「捕まえた、ぞ」

「ッ!?」


ナイフを突き刺している巌人の右手を、零斗の左手が捉えた。

もう一方のナイフを左手は、零斗の右手に捕まっている。離脱しようにも、恐ろしいほどの力で締め上げられているため離れられない。


 ギリィッ、メキメキ……

「くぁ……!」


体中の血管が浮き上がり、零斗の右手は際限なくその力を増していく。

巌人の手からはナイフが零れ落ち、次第に左手首は軋んでいく。そして……。


 バキィッ!


巌人の左腕を、零斗はへし折った。

それと同時に手を放し、右手を固く握りしめる。


「待っ……!」

「断る」


右手を掴まれ、身動きが取れない。

巌人には他に選択肢がなかった。たとえ代償が大きく、満足に動けなくなるとしても、自身を転移させてこの窮地を脱する。


意を決し、零斗の背後へ体ごと転移した。

体力の消耗を最小限にするためという意味もあるが、何よりももう一撃を加え、この怪物じみた男にとどめを刺すために。


転移と同時に、ナイフを零斗に振り下ろした。


バキィィインッ!!


だが、その一撃は打ち払われた。

その行動を予想していた零斗は、腹に突き刺さったナイフを引き抜き、巌人の攻撃を迎え撃ったからだ。異常なまでの両者の力と衝突に耐えきれなかったナイフは、二つとも砕け散る。


そして無防備になった巌人に、零斗は告げる。


「終わりだと、既に言った」


その言葉の後に、零斗は右拳を巌人に叩きこむ。

鈍器で殴ったかのような鈍い音を上げ、巌人の体は地へ叩きつけられると、弾むように跳ね返った。


そこに零斗の追撃が加えられる。全身を巻き込むように体を回転させ、強烈な蹴りを巌人の腹に叩きこむ。


「ごぁ……ッ!」


巌人の体は車に撥ねられたように吹き飛ばされ、何度も床上を跳ねると、壁にその体を打ち付けられてようやく止まった。


口からあふれる大量の血。

臓器を損傷し、これ以上の行動は不可能な状態であった。


「巌人兄さん!!」


そんな巌人の元に、紗耶香が駆け寄る。

状況が状況なだけに、どうすればいいのか混乱し、隅で動けずにいた事は分かっている。

だが、兄の無残な姿を目にしたことで、ようやく体が動いたのだろう。血まみれの兄の名を呼び、必死にどうすれば良いの思考を巡らしている。


無情にも、そこへ処断の刃が迫る。


吹き飛ばされた拍子に落ちた、『迦紅哭かぐな』。

それを零斗は拾い上げると、そのまま巌人と紗耶香の前に仁王立ちする。


「なんだ……何なんだ、お前は」

「お前たちが知る必要はない」


零斗が構えたその刀身から尋常ではない存在感が放たれ、空間を圧迫する。


「紗耶香……俺の事は、いい。早くここから、逃げろ……」

「い、嫌だ! そんな、兄さん! やっと、会えたのに!!」

「どのみち、長くない命だ……お前だけでも……早く!」

「いや……いやだぁ……!」


その様子を、零斗は眉一つ動かさずに眺めていた。

刀を振り下ろすこともなく、ただジッと、兄弟の別れを待った。


「待って、くれたのですか? 存外、優しい……ですね……」

「……最終勧告だ。素直に投降すれば、命を助ける。だが断るのであれば、この場で処断する」


その言葉に心底驚いた巌人は一瞬だけ迷った素振りを見せたが、直ぐに元の表情に戻った。


「……丁重に、お断りします。私が裏切れば、救われない命があります」

「……そうか、残念だ」


救われない命。裏切る。

おそらく、彼らの他にもこの事態を引き起こした者たちがいる。彼らは人質を取られて仕方なく協力した、といったところだろう。となれば、彼は殺されようと、囚われようとも、その時点で人質に価値はなくなる。命はないという事だ。


彼らには何らかの目的があるようだ。

仮にここで見逃したとしても、人質がいる限り命令には背けないだろう。それはつまり、今後さらに犠牲者が増えることを意味していた。


「都合の良い、話ですが……我々は今回の行動で……誰一人、殺していません。抗体を操った者は別にいます。だから紗耶香とウォズには、寛大な処置を、お願いします」

「善処する」


巌人は、傍らで涙する紗耶香を見て、自重気味にほほ笑んだ。


「済まない……どうにか巻き込まないよう、全力を尽くしたんだが、どうやら力不足だったようだ」


巌人の呼吸のリズム、脈の間隔、血管と神経の位置。

それらすべてを把握し、苦痛なく一撃で絶命させられるよう。迦紅哭を上段に構え、零斗はその瞬間をとらえる。


そして、刃を振り降ろした時だった。


「待ってッ!!」


剣筋へ割り込むよう飛び込んできた人影を視認し、振り下ろした刃をピタリと止める。零斗の目の前に飛び出したのは、美鈴だった。


「―――― そこをどけ、霧島」

「どきません。お願いします。もう少しだけ、彼らの話を聞いてあげてください」

「必要ない。コイツらがしたことを、もう忘れたのか? 既に無視できないだけの被害も出ている」

「ならばなおの事、全容を解明するためにも彼らの身柄を拘束し、しかるべき処置をとるべきです。警察に引き渡し、法の下に処罰を与える事だって」

「見ていて分からないのか? 彼らの持つ力は、警察や自衛隊の手に負える代物じゃない。この場で手を下さなければ、取り返しのつかない事態を招く可能性がある」

「……それでも、このまま殺して終わりなんて、あまりに一方的過ぎます。彼らの事情を聞いてからでも、遅くはない筈です!」


零斗は刀をゆっくりと下ろす。

進言を受け入れてくれたのかと、美鈴は淡い期待を抱くが、それは幻想だった。気が付いた時には、刀の切っ先が美鈴の喉元に突き付けられていた。


「言った筈だ。軟弱者は、俺自身の手で殺してやると。物語の主人公にでもなったつもりか? 一時の感情に流されて、判断を誤るな。軍人となった以上、現実を見ろ。綺麗ごとで物事を考えるな。僅かな可能性であっても確実につぶせ。人助けなんてものは、警察や自衛隊に任せておくことであって俺たちの仕事じゃない。俺たちの仕事は、脅威となる敵を排除することだ」


美鈴の頬を、嫌な汗が伝っていく。

分かっている。零斗は本気だ。本気で彼らを切り捨てようとしている。そのことに恐怖を抱き、美鈴の体は今も小刻みに震えている。

だが、さっきほどではない。


今日だけで、衝撃的なことが起き過ぎた。

きっと危険を察知する機能が麻痺しているのかもしれない。圧倒的な零斗のプレッシャーを前にして、美鈴は怯まずに吠える。


「人助けは仕事じゃない? ……なら、どうして自殺しようとした彼女を救おうとしたんですか!」


それはきっと、加藤の事だ。

平馬に追い込まれ、傷つき、絶望した彼女の心を、零斗は強引に連れ戻した。


「人を助けることが軍人の仕事じゃないというのなら、あの時だってあなたは何もしなくてよかった筈です! なのに、何故あの時、彼女の心に手を差し伸べたのですか!」


生きたいと、死にたくないと、そう願い泣き崩れた彼女の頭を、零斗は優しくなでていた。

かつて、自分がそうしてもらったように。


その優しい表情は、今もハッキリと覚えている。

彼は、あの時とは何も変わっていなかったのだ。こんなことを平気で行えるような人間じゃない。


「……記者たちの目があった。国民が精神的に不安定な状況で、刺激するような事件はANA’sへの不満につながる。それは避けたい。それだけだ」


零斗と正面から向き合い、美鈴は確信した。彼は嘘を言っている。

彼は自分の感情を押し殺しているだけだ。顔も知らない大勢を危険にさらさないために、自分の心を殺し続けているのだ。そうでなければ、こんな迷っている目をする筈がない。


美鈴が見た零斗の表情。

それは戦闘中とは異なり、優しさの宿った瞳をしていた。彼らに事情があることは零斗自身も気づいている。


「ここでコイツらを止めなければ、さらに被害が広がる。下らないことを言っていないで、早くそこをどけ。出なければお前ごと ―――― ッ!?」


感情に流された結果だと、零斗は思った。

美鈴に心を乱され周囲への警戒を怠った結果、背後から迫ったウォズの存在に気づくのが遅れてしまった。


空中で腕を大きく振りかぶり、既に攻撃態勢に入っている。

躱せば美鈴に直撃するため、零斗には攻撃を受け止める選択しかなかった。

だが、不意打ち状態でウォズの攻撃を受けきることなど、できるはずはない。


「先輩ッ!!」


肩で攻撃を受け、直撃を避ける。

それでも、零斗の体は弾かれ、激突音を上げて壁際まで吹き飛ばされた。


美鈴の前に立ったウォズの体は、重傷だった。

おそらく、体を貫いた刀の刃で体を引き裂いたのだろう。腹部の中央から右脇にかけて、大きく体が切り開かれている。


ウォズは、巌人の状態を確認し歩み寄る。

傍らに佇んでいる美鈴のことなど、眼中に無いようだった。巌人の前に膝をつき、掌にためた自分の血を差し出す。


「ケガ……イワヒト」


どうやらウォズの能力は、彼の血を摂取した者にも効果を与えるらしい。

血を一息に飲み込んだ巌人の顔色が、みるみるうちに良くなっていく。


「このに及んで、しつこい奴だ……!」


体の状態を確認する。問題ない。

通常の状態であるならともかく、今は僅かでもマナを使用できているためダメージは軽微だ。動く。

だが、先ほどの攻撃を防ぐ際に、マナをほぼ使い切ってしまった。


(このタイミングで、か……だが!)


マナが切れたことで、体の状態が元に戻っていく。

今、戦闘能力が低下すれば、敵の逃走を許してしまう。彼らの目的が分からない以上、此処でとり逃がせば、また次の被害が出る。それだけは、何としてでも阻止するべきだ。


まともにやり合える時間は、もってもあと2~3分といったところか。それですべてのケリをつける。


(一撃で決める ――――!)


素早く姿勢を整え、攻撃態勢に入った。

勝ち筋は一つ。一直線に接敵し、居合で二人まとめて首をねる。全神経を研ぎ澄まし、足先に力を込め飛び出した。


弾丸のように放たれた零斗は、目にも止まらぬ速さで巌人とウォズの目の前に出現する。

そして、飛び出した時の勢いを殺すことなく、左薙ぎを繰り出した。


「巌人兄さんッ! いやァッ!!」


兄の名を呼ぶ、紗耶香の叫び声が聞こえる。

迦紅哭の刀身が、巌人の首に触れる、その瞬間だった。



 ――――『零斗様、お止めくださいッ!!』



紗耶香の声がキッカケとなったのかは、分からない。

だが確実に、そして克明に、零斗の脳裏にとある光景が浮かんだ。それは、敵を皆殺しにしようと暴れ狂う零斗の前に立ちふさがった、少女の姿。


怒りに我を忘れていた零斗は気づくのが遅れ、振り下ろされた刃が彼女を切り裂いた、過去の記憶。


赤い華が彼女に咲いた光景を思い出した瞬間、巌人の首をねるはずだった刀身は、皮一枚を切っただけでピタリと止まっていた。


(どうして、こんな時に ――――)


止まった刀身は、カタカタと小刻みに揺れている。

脳と体を切り離したように、零斗の体はそれを拒絶していた。


(―――― あの時の事を、思い出すんだ!!)


動け。そのまま刃を振りぬくだけで良い。

それですべてが終わる。そう言い聞かせても、零斗の腕は動かない。


「ヴォアアアアッ!!」


ウォズが飛び出し、体ごと叩きつけるようなラリアットで零斗を襲う。

とっさに反応した零斗は左腕を盾にこれを防ぐが、巌人たちからは引き離されてしまった。


軟弱者め!

そう心の中で自分を罵ったとき、新たな異常事態が発生する。


《イニシャライズ完了。解除シーケンスを開始します》


解除コードを認証した時と、同じ電子音性が室内に響き渡った。

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