第19話:襲撃者
「ダレ、オ前?」
頭を横倒しにしたまま、片言の言葉を相手は発した。
純粋に見た目が怖い。猟奇殺人の犯人のようだ。というより、絶対そうに違いない。
「それは、俺のセリフだ。お前は何者だ」
正直、この相手と意思の疎通を図れるとは思えないが、ものは試しだ。そう思い、言葉に応えてみる。
「目撃者、ハ……消ス」
正気と呼ぶにはたどたどしい話し方。
話の脈絡もかみ合っていない。零斗の言葉に反応したのか、敵が動き出した。油を指し忘れた機械のように、ギリギリと異音が聞こえそうな動きで零斗に向き直る。
「霧島、下がっていろ。御堂、一応聞いておくが、アイツはお前の知り合いか?」
零斗の確認に、紗耶香は首を横に振る。
相手の異常な雰囲気に怯えているのか、緊張で顔が強張っていた。どうやら、本当に無関係のようだ。
「了解した」
見る限り、相手は素手だ。
一撃は重く、常人よりも強い零斗の肉体であっても負傷するほどの威力。言動が怪しいところから、思考しながら戦うタイプではないだろう。
ともあれ、この一連の騒動にコイツが関わっているとみて良いだろう。ならば、生かして捕獲し、情報を吐かせる。
(とにかく、一撃入れて動きを ――――)
素手で戦う以上、接近戦になる。
先ほどの攻撃にも反応できた。まずは相手の足を止めて、自分に有利な状況を作る。腰を落とし、敵の出方をうかがっていた、矢先だった。
(はやっ!?)
身をかがめた状態から、敵が一直線に零斗に突進してきた。
しかも、その速度が尋常ではない。10m近く離れていたはずの敵の顔が、次の瞬間には手の届く距離まで迫っていた。
敵が零斗の顔に向け繰り出した拳を、首をひねって躱す。
とっさに距離をとるためにバックステップを踏むが、この動きに敵は付いてくる。
(おいおい、マジか!)
動き自体は素人のそれだが、身体能力が異常に高い。
甘く見積もっても、ANA‘sの強化兵以上だ。
上へ下へと繰り出される攻撃を、零斗は半身でかわす。
頭部に向けられた拳をスウェーで、腹部はバックステップで。息つく間もなく繰り出される連撃を躱し続ける。
しかし ――――。
ドダンッ!
敵の猛攻の前に、零斗は壁を背にしていた。
壁を背にした零斗に対し、敵は再び拳を繰り出す。ただし、それは大振りだ。
零斗はボクサーさながらに繰り出した左フックを敵の顎に引っ掛け、敵の平衡感覚をゆする。
カウンターで入った一撃によってガクリと膝が揺れ、敵が繰り出した拳の軌道が逸れた。その隙に零斗は敵の脇をすり抜け、脱出に成功した。
ゴガァッ!!
敵の拳が、壁に穿たれる。
およそ人間の放ったものとは思えない一撃が、壁を大きく陥没させ、着弾点を中心に蜘蛛の巣状の亀裂を生んでいた。
パラパラと破片を落としながら、壁から拳を引き抜くと、敵は再び零斗に向き合った。
「ヤッバいね、こりゃ……」
さてどうしたものか。
ただの異常者相手なら隙を伺い、急所への一撃を以って無力化するつもりであったが、その余裕はない。割と角度良く入った零斗のパンチのダメージも、すぐに回復されたようだ。
幸い、落下時に負った傷の出血は止まっているが、いつ開いてもおかしくない。やるならば、今をおいて他にない。
(……仕方ない)
チラリと、美鈴たちの方を確認する。
敵の攻撃の威力を目の当たりにし、血の気が引いた蒼い顔をしている。正直、今更感はあるが彼女たちにあまり残忍な光景は見せたくない。
だが、贅沢を言っていられる余裕もない。
「スゥ ――――……、フゥゥウウ ――――……」
零斗は、腰に差した刀に手を伸ばす。
スルリと刀身を抜き、半身の構えをとると、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。意識を集中させ、体に走る痛覚を思考から追い出す。
静かに息を吐くに従い、頭の中に糸をピンと張ったような感覚が生まれる。
視界でとらえるのは、相手の目線、首、肩、腕、足先……。行動の起点となる部位を観察の挙動を、いっさい見逃すことのない様に捉え、逃さない。
敵の肩が、かすかに動いた瞬間だった。
ほぼ同時に地を蹴り走る両者。
敵の繰り出した拳が空を切り、正面に捉えていたはずの零斗の姿が敵の視界から一瞬消える。
フォォン……
次に零斗の姿を捉えた時には風の通ったような反響音が響き、直後にバシュッ、と何か弾けた音が耳に届く。
繰り出された腕の影に潜り込み、敵の死角から放たれた一閃は、相手に攻撃を防ぐことも認識することも許さなかった。
「ヌグゥ……ゥ……!」
敵の初動を見切った零斗は、相手の拳が描く軌道を予測し、敵の腕とすれ違うように刀を振りぬいた。その結果、刃は敵の首を切り裂き、赤い花を咲かせた。
「これ以上、抵抗をしなければ止血をする。だが拒否するのならば、次は息の根を止める」
心臓の鼓動に合わせて、傷口から規則的に鮮血が飛び出す。
肉体が欠損するような事態になれている零斗には、このような光景は何ら気にならない。たとえ相手の腕を切り落とそうとも、死を懇願する負傷兵にとどめを刺すことに比べれば、なんてことはない。
「ヌがァ!!」
だから、勝算もなくやみくもに突っ込んできた敵にとどめを刺すことにも、心は動じない。
「……交渉の余地なし、か」
ドンッ、と何か叩いたような音を立て、刀の切っ先は敵の心臓を貫いた。
胸から背中にかけて貫いた刃を血が伝い、地面へと注がれ広がっていく。これ以上ない、とどめの一撃だった。
「ヌッ、グク……ッ……」
最後の抵抗か、刀の刃を掴み抵抗するが、次第に力が失われていく。
そのまま脱力するように体がうなだれ、敵の体はピクリとも動かなくなった。
敵が鎮圧されたことを確認した零斗は刃を引き抜き、後ろに控えていた2人の様子を確認する。
当然だが、このような荒事に慣れていない二人は、蒼い顔をしたままガクガクと震えていた。
正体不明の襲撃者。
紗耶香も何か言いかけていたが、敵の目的もこの場所であるなら、仲間が集まってこないと言い切れない。まずは身の安全の確保が優先だ。
「二人とも、すぐに此処から ――――」
二人を連れて一旦地上に戻る。調査はその後だ。
そう思い、一歩踏み出した時だった。
ゴリンッ
「んグッ!?」
鈍い音とともに、苦悶に満ちた零斗の声が漏れた。
一瞬の時間を引き延ばしたように、固く押し固められた物体が、自分の体に食い込んだことがハッキリとわかる。
零斗を襲ったその衝撃は、彼の体を捉えてなお勢いが衰えることはなく、振りぬかれた。
その結果、零斗の体は大型トラックに撥ねられたように弾き飛ばされ、壁に打ち付けられた。
「ぐ……かはッ……」
余りの衝撃に内臓が痙攣し、呼吸不全を起こしていた。
すぐに体勢を整えたくとも四肢は言うことを聞かず、息を吸うことすらままならない。
(一撃で肋骨を3本……いや、それより ――――)
死線を超えてきた経験からか、不測の事態であっても零斗は冷静だった。
速やかに自身の状態を確認し、この状況の原因を確認する。
零斗に攻撃を加えたのは、やはり先ほど零斗がとどめを刺したはずの敵であった。
だが、貫いたはずの心臓からは出血が止まり、平然と歩いている。
(どういうことだ。俺は、確実に心臓を貫いた。流石にこれは、詰めが甘いとかの問題じゃない)
しかし、それ以上に信じられない光景が目の前にある。
ボゴッ……ミチチ……
零斗のつけた傷口が膨れ上がり、泡立つように肉と肉が結合していく。
バックリと切り開かれた傷口が、ものの数秒で治癒していく光景は、まるで悪夢を見ている気分だ。
(まさか、この敵は)
その異常な光景に、零斗は見覚えがあった。
それは抗体の殲滅中に出くわした、再生能力の高い抗体が持っていたもの。切り落とした四肢を、超高速で再生するという固有能力を持った個体だった。
しかし、その時の抗体の再生速度は、目の前の敵と比肩出来るほどのものではなかった。
「先輩ッ!」
「ッ!? 馬鹿、よせ!!」
紗耶香が零斗を呼ぶのとほぼ同時に、タタタァンッ! と発砲音が響く。
それは零斗の後ろに控えていた美鈴が、敵の腕を狙って銃を撃ったものだった。おそらく、零斗のつけた傷が再生した瞬間を見れなかったのだ。
「冗談でしょ……」
発射された銃弾は男の上腕、二の腕、肩の3か所に着弾し、いずれの被弾個所からも大量に流血していた。その出血も数秒で止まってしまい、効果がない様に見える。
「敵、多イ。ジャマ……」
攻撃が通じなかったこと以上に厄介な状況になった。
傷を負わせたことで、排除すべき脅威の対象に美鈴達も含まれてしまった。
「させるか!」
一瞬の間に、敵は美鈴へと肉薄する。
その常軌を逸した突進力の前に、美鈴は反応すらできていない。最短最速で敵と美鈴の間に割り込んだ零斗は、標的となった美鈴の体を押しのけ、一直線に向かってくる敵を迎え撃つ。
迷っている時間はない。
即座にケリをつける必要があった。目前の敵に対し、零斗は目にも止まらぬ速さで刀を抜き放ち、敵の命を刈り取りにかかる。
狙った先は、首。
驚異的な再生速度を持っているとしても、生物の大元を切り離してしまえば機能しないはずと見越してのことであった。そしてその刃は敵の肉を切り裂き、首を地に落とす、はずだった。
(なに……ッ!?)
突然、視界が大きく揺らぎ、剣筋が大きく逸れた。
何かされたのか? しかし、敵は反応していなかった。いや、正確には零斗の攻撃には気づいたようだが、それに反応できなかった筈だ。
「ぐぁあッ!」
零斗の攻撃を躱した敵は、その勢いを落とすことなく、振りかぶった拳を零斗のこめかみに叩きつけた。助走距離をもってしての一撃である。先ほど受けた攻撃以上の衝撃が零斗を襲い、その体を吹き飛ばす。
再び壁に全身を強く打ち付けられた零斗は、本格的に危機的状況に見舞われていた。
(い、しき……が……っ!)
攻撃が頭部に直撃したことで、重篤な脳震盪が起きていた。
耳で拾った音が頭の中で二重、三重と反響し、視界が回る。全身に激痛が走っている筈なのに、痛みを感じない。
(なに、が……おき ―――― )
朦朧とする意識を集中させ、揺らぐ視界の中に原因を捉える。それは、余りにも常識を逸した光景であった。
敵の首筋の表皮が黒く変色し、まるで鋼のように硬質化している。それだけではない。衣服に隠れていたことや、攻撃を防ぐことに気をとられていたことで気づかなかったが、腕や脚部の至る所の筋肉が隆起している。浮き上がった血管や、発熱による空気の揺らぎ。
明らかに、人体に許容された範疇を超えていた。
「ぐッ……!」
敵の右腕が零斗の首を掴み、体ごと持ち上げる。
ギリギリと締め上げてくる握力は、とても人間の力とは思えない。まるで、万力で締め上げられていると錯覚するほどに、抵抗は無意味だった。
先ほどのダメージに加え、首を締め上げられてはどうしようもない。次第に暗くなっていく視界と共に、意識が希薄になっていく。思考は止まり、もはやなす術はない。
「待て、ウォズ。無闇に殺すな」
そこに、初めて聞く声音の言葉が割り込んだ。
首を押さえつけられているため、視線だけを声の咆哮に向ける。そこには、ウォズと呼ばれた目の前の男同様、黒いコートで全身を覆い隠し、フードを目深く被った男がもう一人立っていた。
「応答がないのでこちらに来てみれば……、標的を殺してしまっては、元も子もないだろう」
「目撃者、ケサナイト」
「ソレは別だ」
男の言葉に反応し、万力のような手が零斗の首を解放する。
ドサリと無造作に床に付した零斗は、せき込みながら空気を吸い込み、呼吸を整える。おかげで、四肢の痺れは未だに取れないが、意識は次第にハッキリとしてきた。
「済まないな。アンタに恨みはないが、これは必要な事なんだ。運命だと思って、諦めてくれ」
情報を得ようにも、あとから現れた男の方も質問に答える気はなさそうだ。だが、思わぬ人物から情報が齎された。
「その声……巌人(いわひと)、兄さん……?」
紗耶香が発した言葉に、あとから現れた男が反応した。
「―――― 紗耶香、か?」
「―――― ッ、兄さん!」
兄さん?
紗耶香は先の男と面識はないが、後から現れた男とは面識がある。最初は一連の騒動に加担しているのかと思ったが、主犯とは別に行動していたという事か?
それを裏付けるように、巌人と呼ばれた男はフードをとり、その素顔を晒す。
若干クセのついた焦げ茶の髪色で、スラリとした印象の体つき。ウォズと呼ばれた男と違い、かけられた黒縁メガネから知性的な印象を受けた。
が、その奥に隠れた瞳に、零斗は違和感を覚えた。
「兄さん……目が……」
巌人の瞳の色は、濁ったような灰色をしていた。
足運びに迷いがないことから、失明している訳ではなさそうだが、元からそうであった訳でないことは、紗耶香のうろたえ具合を見れば明らかだ。
「紗耶香、どうしてここに」
「どうしてって……、2年間も行方が分からなければ、探すに決まっているじゃない!」
紗耶香の目元に涙が浮かんでいる。
状況から推察するに、紗耶香はやはり何かを知っている。幸いというべきか、兄に再開した紗耶香は零斗達の事を完全に忘れている。このまま息を殺し、情報を引き出させたほうが良いだろう。
「ねえ、どうして無事を知らせてくれなかったの?」
「知らせる必要がなかったからだ」
「それは、私や母さんを、巻き込まないためなの? 兄さんの連れていかれた研究所で一体……兄さんの参加した"計画"って何なの?」
「お前、なぜ計画の事を……? 紗耶香、その事をどこで知った?」
どうやら今回の騒動には様々な勢力が各々の動機で行動を起こしているらしい。紗耶香の動機についても、なんとなく分かってきた。
「私、どうしても兄さんのことが心配で、兄さんの行方が分からなくなってから、ハッキングの技術を勉強したの。それで、ようやく手掛かりをつかんだと思ったら、軍の機密サーバに行きついて……」
「ハッカー……まさか、ここの隔壁を開いたのは」
巌人の顔が、驚愕に染まっているのがわかる。
情報と情報が頭の中で繋がった、といった様子だ。それと同時に、抑えきれない怒気の様なものも感じられる。
「そうか、だからこれほど容易に……迂闊だった、もっと深く事態を把握しておくべきだった」
口を閉ざし、懐から薄緑色の液体が入った小さな筒を取り出す。どうやら、高圧で射出した薬品を人体に注入する投与管のようだ。
「時間がない。すぐに用を済ませ、ここから撤退する。紗耶香、お前も一緒に来るんだ」
「待って、兄さん。先輩に何をするつもりなの?」
「説明している暇はない。それに、お前には関係のないことだ」
「兄さん!」
「すぐに済む」
マズい。
意識はだいぶハッキリしてきたが、四肢の痙攣が治まっていない。抵抗する手足にも、力が入らない。動くには動けるが、戦闘行動は無理だろう。
「う、動かないで下さい!」
カチャリと音を立て、巌人に銃口を向けたのは美鈴だった。紗耶香と巌人とのやり取りを伺っていたが、流石に零斗の危険を目にして動かずにいられなかったのだろう。
先ほどとは違い、銃の照準は頭に向けられている。
美鈴を排除しようとしたのか、ウォズがかすかに反応するが、それを巌人は手で制した。
「君は、自分が何をしようとしているのか、分かっているのか?」
「分かっています。だから、少しでも不審な動きをすれば撃ちます」
「……嘘だね。君には撃てない。そんな覚悟は、君には無い」
「いいえ、抵抗すれば、私は躊躇いなく貴方を撃ちます! だから大人しく ――――」
「その手の中には、何もないというのに?」
刹那の出来事だった。
美鈴が構えていたはずの銃が消え、それは男の手の中に納まっている。男がその場から動いた形跡も、ましてや手の中から銃を抜き取られた感覚すらも、美鈴は感じなかった。
「嘘、なんで ――――」
「いいかい? 相手に殺意を向けるというのは」
銃口が美鈴に向けられる。先ほどとは正反対の構図だ。
「こうするんだ」
カチリと、引き金に指がかけられる。一拍遅れて、発砲音が空間に反響した。
硝煙を立ち上らせる銃口。
しかし、その銃身は明後日の方向に向けられていた。それも当然である。動かない体に鞭をうち、零斗は体ごと敵に飛びついて照準をずらしたのだ。
「うん、これで良い」
だが、ここまでが巌人の筋書きだった。
その手に握った薬品を、体勢を崩した零斗に射ち込むために。
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