第18話:地下施設

「あだだッ……痛つ……」


視界がユラユラと揺らめき、全身が硬直している。

おそらく落下の衝撃で体を強く打ち付けたのだろう。どうにか動く体の部分を探しながら、零斗はゆっくりと立ち上がった。


「最後の最後で、詰めを誤るとは……」


あのような巨体で襲い掛かられた時は流石にヒヤリとしたが、どうにか致命傷を避けられたようだ。


抗体に飲み込まれた零斗は、引き抜いた刀で抗体の牙を叩き切った。

そしてそのまま、抗体の口を裂くように刀身を差し込み、胴に沿って抗体の体を切り開いた。大穴の中という抗体の体が一直線になる状況が功を奏したようだ。


「御堂は、無事……みたいだな」


落下の衝撃は抗体の巨体がクッションになったことで緩和されたらしい。

一緒に飲み込まれた紗耶香は気を失っているものの、息はしているようだった。


傍らに目をやると、抗体であったと思われる亡骸が、内臓を一面に撒き散らした状態で横たわっている。

口から尾にかけて一直線に捌かれ、一枚に切り開かれた状態はまるで魚の干物のようだ。


「痛つッ……しかしこれは、随分と深くやられたな」


零斗は自分の右腕を見やり、負傷の具合を確認した。

致命傷を受けかねない牙は初撃で切り落としたが、それ以外の抗体の牙が上腕部に深々と突き刺さり、今なお出血が続いている。


奇跡的に大きな血管を避けて刺さったようだが、かすかに腕の反応が鈍い。

重症であることは間違いない。


「こちら紅神。泉、聞こえるか?」

《………》


無線を使用し、元親に問いかけるも回答はない。


(思った以上に深いらしい。だが此処は、いったい……。訓練場の地下にこのような設備があるとは聞いたこともないが……)


周囲を見渡すと、そこには広大な空間に規則正しく建てられた巨大な支柱の物体がある。

床には電源やら通信やらのケーブルが縦横無尽に行きかっており、まるで都市を水害から守るための地下放水路のようだった。


だが、おそらくは異なるものだ。

何故なら、支柱のように見える存在は全て巨大な電算機のようだったからだ。


それも、ただの電算機ではない。

筐体きょうたいに刻印されたロゴは、零斗にとって深く関わりのあるものだった。


「AIS製……これ全て、紅神の量子電算機か?」


近くにあったコンソールに、システム全体の監視制御画面が表示されている。

システム構成自体は都市を守る防護障壁とよく似ていた。


しかし、使用している電力と機器構成の規模はケタ違いだ。

これだけの設備を投じて何をしているのか、目的が分からない。


「分からん……紅神は一体、ここで何をしている?」

「それは、ご自分がよく知っているのでは?」


声の方角に零斗が振り返ると、そこには意識を取り戻した紗耶香が立っていた。


「ようやく、二人きりになれましたね。驚きました。まさかあの状況で私を助けようとするなんて。もう少しで、大切なを失ってしまうところでした」

「御堂……、何を言っている?」

「動かないで下さい」


金属の冷たい音と共に、紗耶香が構えたハンドガンの銃口が零斗に向けられる。

安全装置は解除され、照準を合わせる視線は真っ直ぐに零斗の心臓を狙っている。どうやら脅しではないらしい。


「そんなものを向けて、どうするつもりだ」

「そのような三文芝居で……いえ、もしかすると本当に貴方は何も知らないのかもしれませんね」

「カギとは一体、どういう意味だ」

「……もし本当に何も知らないのであれば、申し訳ありません。ですが私には、どうしてもやらなければいけないことがあるんです。大人しく、私の指示通りにしてください」


紗耶香の目には、僅かに迷いが見て取れた。


(銃身が揺れている……動揺を隠しきれていない、か。正直この程度の状況であればいくらでもやりようはあるが、この状況だ。思った通りに行動させ、情報を引き出すのが得策だろう)


どのような理由で紗耶香がこのような行動に出ているのかは分からない。

しかし、零斗の知らない情報を持っていることは明らかだ。やりようがあるのであれば、泳がせてみるのもありだろう。


「……分かった。好きにしろ」

「へ?」


やけにすんなりと要求を受け入れた零斗に、紗耶香は何か拍子抜けのした顔のまま、しばしフリーズした。


「ほら行くぞ。やらなければいけない事があるんだろう? 君に案内してもらわない事には、何も始まらん」

「へ、あ……えッ!?」


二人の間に生じる、無言の時間。

想定していなかった零斗の対応に完全に意表を突かれた紗耶香は、どうしたら良いのかわからずつい聞き返してしまう。


「あの、状況を分かってますか? 脅しているんですよ、私? 武器を向けているんですよ?」

「いいよ、別に」

「……」


軽かった。もの凄く軽い対応だった。

というよりも、本当に何も気にしていないようだった。それだけ余裕があるという事だろうか。この程度の状況、ピンチでも何でもない、と。


「……そのまま誘導灯に従って、奥に進んでください」


軽口のように返答する零斗に、紗耶香は動揺しっぱなしであったが、ともあれ指示通りに動くというのであれば好都合だった。


相手は荒事になれた軍人。その中でもトップクラスにずば抜けた戦歴を持つ猛者である。

空気を緩ませ、一瞬の間に形勢逆転する計略を練っているのかもしれない。紗耶香は警戒心を緩めず、銃口を零斗の心臓に向け、決してそらそうとしなかった。


「一ついいか?」

「……何ですか?」

「抗体侵入の手引きをしたのも、君か?」

「違っ、あれは……」


思わず否定しようとして、慌てて紗耶香は口を噤んだ。

襲撃に関して否定の言葉を口にした。つまり、襲撃の存在を彼女は知っていたことになる。加えて言うなら、実行犯は他に居るということも。


(これだけのことを彼女一人でやれるとは思えない。協力者がいるハズだ。何かしらの制約を課され、話せないってトコだろう)


紗耶香が見せた一瞬の動揺から、素早く情報を聞き出した零斗。

しかし、真の目的についてはこのまま様子を見るしかなさそうだ。


「……まぁ、良い。ところで、一風変わった入口が見えてきたが、あれが今回の目的地で合っているか?」


二人の前に、見たこともない巨大で重厚な扉が現れた。

明らかに、重要な機密を扱っている領域だと分かる。


「これが……本当に、あった」

「その口ぶりだと、君にはこれが何なのか分かっているようだな」

「……先輩は、何も知らないのですね」

「はじめから、そう言っているだろう」


銀行の電子ロックであっても、これ程に大掛かりなものはないだろう。

幅10メートルはあろうかという厳重な扉は、ちょっとやそっとの爆薬では傷一つつけられそうにない。紗耶香はどうするつもりなのか。


「開けられるのか?」

「私は、こういった時のために技術を磨いてきたんです。問題ありません」


紗耶香は、薄い金属板の様な板を壁のセキュリティコンソールにかざすと、何やら情報の吸出しを始めた。


空いているもう一方の手でデバイスを操作すると、金属板の表面に乱数の様なコードが表示され、それを一文字ずつデバイスに打ち込んでいく。


全てのコードを打ち終えると、コンソールの発行色が緑色に切り替わり、扉のランプが赤色へと変化する。

ブザー音とともに、扉を厳重にロックしている各機構がゴウゴウと動き始める。


ようやく開いた地下施設最奥の扉。

それはまるで、周囲の薄暗さと相まって、地獄の門と錯覚するような圧力を放っていた。

しかし、その中にあったものは、今までの光景とは異なる世界であった。


「なん、だ……これは?」


扉の解放に合わせて薄青色の室内灯が点灯する。

室内の入り口付近にはいくつもの制御端末が並び、二段構造となっているのか下層部分に通じる階段が入り口の両脇に備えられている。


パッと見た印象は何らかの研究設備のよう。

しかし、そんな空間には明らかに似つかわしくないものが、この空間で一番目に付く。


それは格子状のレーザに阻まれ、囚人の牢獄のように管理された空間の中。


室内の四方から伸びる、帯の様な長い織物。

その表面には草書体の日本語のような、何かの幾何学模様ともとれるような、不可解な文様が浮き上がっていた。


そして、その織物が伸びた先にあるもの。それはくす玉のように天井付近に浮遊する、巨大な物体。

織物はこの物体を絡みつくように巻かれ、物体の表面は織物同士の隙間から微かに覗く程度しか確認できない。


球体の上部からはドライアイスの様な白い霧状の気体が絶えずかけ続けられている。

目視する限り、浮遊している物体は巨大な氷の結晶のようだが、ただの氷ではないだろう。


それ以上に気になるのは、その結晶に突き刺さっているものであった。

そしてそれは、零斗にとってよく知るもの、日本刀であった。だが、その実態はただの日本刀とはまるで違う。それは、零斗自身も理解した。


「アレはまさか、【封具ほうぐ】か……?」


【封具】。それは、命素エナを用いてこの世ならざる事象を引き起こす道具。

紅神だけが製造法を知る、世界の理を捻じ曲げる力。

ANA’sの装備をはじめとする、命素を応用した武器は封具を元として作られている。紅神最大の秘密の一つだ。


中央の結晶を絡め捕っている織物も封具だろう。

だがそれも、結晶に突き立てられた封具に比べれば、凡庸なレベルだ。


「だが、何故こんな場所に……それにこの術式は」

「やはり、先輩にはアレが何か分かるのですね」


カチャリ、と静かな空間に音が響く。

紗耶香が銃の照準を零斗に向け直した音だ。


「御堂、君の目的というのは……」

「お察しの通りです」

「手に入れてどうするつもりだ。アレは君の手におえる代物ではないぞ」

「だとしても、諦める訳にはいきません。私には必要なものです」

「分からないな、理由を教えてくれ。いったい君の目的はなんだ?」

「貴方に話すことは出来ません。私にはもう、誰も信用できない」


 カツンッ……


「紗耶、香……? 何を、しているの ―――― ?」


紗耶香でも、零斗でもない声が響く。

驚いて向けた視線の先に居たのは、予想外の人物だった。


「美鈴……? そんな、どうして此処に……地上に居るはずじゃ?」

「そんなの、先輩と一緒に紗耶香が落ちていくのを見て、ジッとなんかしていられないよ」

「まさかここまで無鉄砲だったなんて……」


正気か? 抗体が潜んでいると分かっていて、ただの一般兵が逃げ場のない空間に飛び込むか、普通?


流石の零斗も、美鈴の行動力には驚いた。

自殺行為もいいところだ。これは一度、徹底的に指導しなくては。


「それよりも、どうして紗耶香が先輩に銃を突き付けているの!?」

「……貴方には、関係ないでしょ。今すぐ引き返して」

「関係……ない?」


紗耶香は答えない。

突き放すような言葉で、何も答えるつもりがないことを伝えた。


「関係あるよ!」

「……関係ないよ!」

「ねぇ、紗耶香。何があったの? どうして、こんなことをしているの?」

「……」

「何か事情があるんでしょ? だったら教えてよ。私じゃ頼りないかもしれないけど、力になるからさ」

「……うっさい」

「紗耶香!」

五月蠅うるさい!」


 パァンッ!


室内に発砲音が響き、天井に向けられた銃口から硝煙が立ち上る。


「さっきからペラペラ、ペラペラと偉そうなことを……何も知らず過ごしてきたアンタに、私の何がわかるってのさ。何様のつもりよ」

「偉そうなんて、私はそんなつもりじゃ……」

「じゃあ何なのよ。ズケズケと言いたいことだけ付き放題いってくれちゃって。アンタみたいなお嬢様は、こんな所に来ちゃいけないのよ」

「どうしたの、紗耶香……らしくないよ」


紗耶香のあまりの変わりように、美鈴は困惑する。

本来の彼女は、こんな事を言うことも、することもない。


「いつもの紗耶香なら、笑いとばして」


美鈴の言葉の途中で、零斗はそれに気づいた。


「霧島、伏せろッ!」


一瞬の間に小さく息を吐き、瞬時に飛び出す零斗。

突然のことに面食らった美鈴の頭を右手で抑え、左腕を盾とした。何を防ぐためか? それは当然、美鈴に放たれた攻撃だ。


「ぐぅッ!?」

「きゃァッ!」


盾とした左腕から、ゴズン、という鈍器を叩きつけた音が響き、零斗の体が弾かれる。

インパクトの瞬間、受けきれないと判断した零斗は、攻撃の威力を殺すため美鈴を抱えて飛び退いた。しかし ――――。


(受けきれなかった……なんだ、コイツは)


全身を隠すように黒いコートを着込んだ犯人は、攻撃を繰り出した姿勢のまま、未だ残心ざんしんを解かない。


攻撃を受けた左腕は、未だにビリビリと痺れている。

身をもって知ったその威力に、零斗は警戒する。この相手は、ただの人間じゃない。


「まったく、次から次へと。いったい何がどうなっているやら……」


ピクリと、敵の首が反応した瞬間。

首の骨が外れたように頭が横に倒れ、目深く被ったフードの奥で、肉食獣の様な瞳がこちらを見た。まるで、ホラー映画の中に迷い込んだ気持ちになる。


「ダレ、オ前?」

「……今日は厄日かな」


どうやら、騒動は依然として収まるつもりがないらしい。

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