第16話:襲撃

美鈴達は屋外の訓練場に集結し、午後の観閲式の準備を整えていた。


観閲式の目的は、新兵達のお披露目だ。

ANA'sは毎年2万人近い人数を徴兵するが、ここ加賀谷高専に招集される800人は、入隊試験時に特に優秀な適正値をはじき出した新兵達。つまり、俗に言うエリートである。


そのため、加賀谷高戦において実施される観閲式には例年、全国から大勢のマスコミが押し寄せる。


目的は、新たな戦力が導入されることを大々的に報じること。

そうすることで、未だに抗体の進行を許している現状を打開できると国民に提示し、国家という体裁を保つ必要があるのだ。


例年、観閲式では古参の兵達が先導する形で隊列を組み、その後ろに新兵たちの列が続く形で行軍が行われる。

今は、市内に向けて出発する準備をしているところだった。


首の付け根を擦りながら、紗耶香は退屈そうに出番を待っていた。

なんでも、行軍用に準備されていたストライカーの準備が遅れているらしく、開始予定時刻を10分も過ぎている。


「どうしたんだろう、なかなか始まらないね」

「きっと、何か想定外のトラブルでも起きたんじゃない? このイベント、割と人気みたいだから」

「そうなんだぁ……早く終わって、休みたいなぁー……」


朝から色々なことがあり過ぎて、もうクタクタである。

今、自分の部屋に戻ることが出来たら、きっとベットに倒れこんでいたに違いない。


「何か、良い事でもあったの?」

「え?」

「美鈴は、紅神先輩の事で戸惑っていたみたいだから」

「そ、そんなこと……」

「……ふ~ん」


美鈴が口にした否定の言葉に、紗耶香はいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「あ、零斗先輩!」

「はぇッ!?」

「うそピョーン」

「……もう! どうしてそうイジワルするの!」

「アハハ……でも良かった。調子、戻ったみたいじゃない」

「えッ?」

「ホント、バレバレなんだよね~。シミュレーションの後、ずっと考えこんじゃってて」

「そ、そんなに分かりやすかった?」

「そりゃあもう。次があれば証拠撮影してあげるよ」

「でもホント、ビックリしたよね~。まさかあそこまで過激な人だとは。何も知らずにアレを見たら、誰だって腰を抜かしちゃうよ」


乾いた笑いを浮かべる紗耶香。

しかし、次の瞬間には感情が抜け落ちたような、無機質な表情をしていた。その事に、美鈴は気づかなかった。


「ホント、事前に知ってて良かった……」

「え、何? 今なにか言っ ――――」


その時、周囲の異変を感じ取った。


「なに、地震?」


外にいて、かつ立った状態であったため気づくのが遅れたが、敷地内に設置された掲揚けいようポールが、ユラユラと静かに揺れていた。


数秒遅れて皆がそのことに気づくと、ほぼ同じタイミングで揺れが大きくなった。


『総員、"オリシケ"!!』


行軍指揮を担当する先頭の部隊長から、片膝立ちの指示が飛ぶ。

その声に反応した隊員たちは速やかに姿勢を変え、それを見た新兵達も慌てて追従する。


揺れは次第に強さを増していき、片膝立ちでも姿勢を維持することが困難なほどだ。


そんな揺れも十数秒も続けば次第に収まり、新兵達からは安堵の声が聞こえ始めた。


 ゴバァァアアンッ!!


しかし、本当の恐怖が全員を襲ったのは、その直後だった。

突然、地面が爆ぜるようにめくり上がり、空高く上がった粉塵の中から何かが飛び出した。


残留する土埃が晴れるとともに、次第に”それ”の輪郭が明確になっていく。

そして最初に”それ”を理解したものが、意識せず否定の言葉を口にする。


「……うそ」


それを目にした時、その場にいた全員が”それ”を理解するまでに一呼吸の時間を要した。


 ギィィィイイアアァァ ――――……ギギギィ……ッ!!


その雄叫びを聞いた者は、全員が恐怖に顔を染め、絶叫と共に悟った。


あれは、―――― "抗体"だと。


その姿は地球上のいかなる生物にも該当しない巨大な生き物は、あえて言うなら多毛類に近い姿をしていた。


しかし、イソメやゴカイなどのような軟らかな体表はしておらず、甲殻とでも呼ぶべき厚く堅い殻に全身を覆われている。

全容を捉えることはできないが、地表から飛び出た部分だけでも20メートル以上はある。


「そんな……どうして、ここに"抗体"が現れるの!?」


直後、都市全域に渡って耳を貫くような警報が鳴り響く。

町の至る所に設置されたセンサーが、抗体の反応を捉えた事によって作動したものだった。それをきっかけに、実戦経験のない新兵達は蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出した。


 ァギギギィイイ……!


騒然となる訓練場。

逃げる新兵達を確認した抗体は、それを許さないとばかりに一鳴きすると、地面が波打ち、爆ぜる。


地中に残っていた抗体の体が地面を持ち上げ、地表ごと新兵達の数名を空中に放り投げる。


「あ、あああアアアァ ―――― ッ!!?」


宙に投げ出された数名の内、抗体は一人の少年を標的として絞り込んだ。


一瞬の間に円形に広がる抗体の巨大な口。

左右一対の大きな牙の向こうには、ヤツメウナギの様なやすり状の小さな牙が無数に見える。


抗体は瞬時に体を捻ると頭を振り、空中の餌を捕食する。

その行動の前後によって、聞こえていた絶叫が一つ消えたことは言うまでもない。


ゴリゴリと不快な咀嚼音をたてながら、口内からおびただしい量の赤い液体が流れ出ている。


目の前の光景に理解がまるで追いつかない。

どうしてこのような事態になっているのか。

事前にシミュレータで体験した訓練とは、まるで比較にならない。

あのような巨大な抗体など、相対したことはない。


目の前にあるものは本当に存在しているのか?

実はまだ、シミュレーションの真っ最中なのではないか?


目の前の出来事を必死に否定しようとする思考が、頭の中を満たしていく。


「美鈴ッ! 何ボーっとしてんの!!」


判断が停滞し、その場に座り込んだまま動けずにいた美鈴を覚醒させたのは、紗耶香だった。


「コッチに、早くッ!!」

「で……でも、まだ逃げ遅れた人たちが……!」

「バカッ! 死にたいの!?」


茫然とする美鈴の手を掴み力強くけん引していくと、二人は抗体に吹き飛ばされた大岩の影に身を隠す。


その間も聞こえてくる轟音と悲鳴。

響き渡る断末魔を聞きたくなくて、耳を両手で塞いだ。地面を通して伝わってくる、大質量があたりを動き回る振動。息を殺し、あたりが静かになるまでジッと我慢する。


思い出すのは、半年前の襲撃の光景。

ガタガタと体が震え、言うことを聞いてくれない。


すると、しばらくして騒音が大人しくなってくる。


(もう……いなく、なった……?)


未だに肩の震えは収まらない。

心臓は体の外に飛び出しそうなほど激しく鼓動を打っている。

だが、生き残るには確認しなければ。


恐る恐るではあるが、美鈴と紗耶香は岩陰から顔を出し、抗体が居た訓練場の方の様子を探る。


 ベチャッ 


そんな彼女たちの目と鼻の先に、あるものが落ちてきた。

引き裂かれたような断面。わずかに痙攣を続けるそれは、人の腕であった。


「―――― ッ!!」


絶叫を上げそうになる口を、両手で必死に押さえつけた。

地面に落ちた腕の上方に、今なお獲物を求めて徘徊する抗体の気配を感じ取ったからだ。


 ギュィイイ……チチチ……


鼓動がうるさい。これでは気づかれてしまう。

涙が止まらない。ただ恐怖というには言葉が足りない。明確に迫った"死"。その時の美鈴と紗耶香の心中を現すならば、それが最適であった。


そして、ついに抗体の頭部が岩陰を覗き込み、美鈴たちを捉えようとした時であった。


「どうなっているんですか!」

「今の警報は何ですか!?」

「皆さん、落ち着いて行動してください。今、状況を確認しています。詳細が分かり次第……」


あたりが静かになったことで、遠くの音が明瞭になった。

聞こえてきたのは、加賀谷高戦に押し寄せたマスコミの声と、拡声器で現場を落ち着かせる声であった。


おそらく、抗体襲撃の警報は上がったが、誤報か何かだと思い込んだのだろう。

先ほどの騒音にしても、正門に押し寄せた群衆からは何も見えていない。軍事施設で大きな音が響くことは珍しくないため、抗体が目と鼻の先に出現したとは思っていないのだ。


(駄目、あっちに行ったら……何とかしないと……!)


そんな群衆の心理など知らない抗体は、移動を開始する。

この敵が正門に向かってしまえば、ここで生じた被害とは比べものにならない規模の犠牲者が出る。


(た、助けに…行かなきゃ……でも)


このままでは大勢が死ぬ。何とかしたい。

だけれど、頭で思っていることに反し、体は言うことを聞いてくれない。


怖い

『死ぬかもしれない』

こわい

『あの牙に引き裂かれて』

コワい!

『元の姿すら留めていないかも』


頭の中をめぐるのは、なす術もなく殺される非力な自分。

生き残ることなど到底、想像できない。

私には、何もできない。


 ギュォオオアアア ―――― ッ!!


雄叫びを上げ、抗体が進行速度を上げようとした。

その時だった。


 パァンッ! 


周囲に、乾いた炸裂音が響き渡った。

式典に出席する兵達が携行している、ハンドガンである。もちろん、式典用に配布されたものであるため実弾は装填されていない。炸裂したのは空砲である。


では、その空砲を打ち鳴らしたのは誰か?

銃口から硝煙を立ち上らせ、抗体の背後に立ち尽くす者。それは、岩陰から飛び出した美鈴であった。


「は、はは……私、なんでこんな事、してるのかな?」


体の震えが伝わった銃身は、カチカチと途絶えることなく音を立てる。


「動け、私の足……動け……!」


膝がガクガクと震え続け、止まらない。

このような状態で、一体どうやって岩陰から飛び出せたのだろう。自分の事なのに、まったく分からない。


 ギャァァアアアア ―――― ッ!!


獲物を見つけた抗体は、瞬時に体をしならせ襲い掛かる。

頭上から襲い来る、黒い大きな影を見ながら、美鈴は思う。


(ああ、私……死んだ)


意外にも、目前に死が迫ったとき、美鈴の頭の中は静かなものであった。

死の間際に見るという走馬灯など走らない。視界でとらえた光景がゆっくりと動くこともない。ただ鮮明に、詳細に、目の前の光景が網膜に焼き付いた。


本当に呆気あっけない。

死ぬことが分かったときの心の中は、ゾッとするほどに静かで穏やかなものだった。


 ヴォオオアアァンッ!! 


その時、視界の片隅に奇妙な物体が映りこんだ。

地面に転がった岩を勢いよく踏んだそれは空中に跳ね上がり、抗体の横っ面目掛けて飛んでくる。


 ゴッシャァッ!! 


余りにも唐突な出来事に、美鈴はその光景をただただ見ていた。

飛び込んできたそれは、抗体の頭部を横からとらえ、巨大な体を重心ごと弾き飛ばす。


悲鳴を上げながら弾かれる抗体。

その抗体に激突したのは、軍用車両であった。


車両は抗体もろとも吹き飛び、周囲に車体をまき散らしながら数回跳ね、地面を十数メートル滑ってようやく止まる。

そして、その割れたウィンドウから誰かがはい出てきた。


「何とか、無事みたいだな」

「……せんぱ……い……?」


横倒しになった車両の上に立ち上がったのは、零斗だった。

衝突時に破片で切ったのか、顔や手には小さな切り傷が付いている。


零斗は地面でのたうち回る抗体に目をやるとスッと目を細め、状況を整理する。


「"成りかけ"か。レートはC+ってところだな。霧島、御堂。そこから動くな。下手に動けば巻き込みかねない」


茫然としたままの二人に簡潔な指示を出すと、零斗は行動を開始する。

その言葉から、意図を察した美鈴は慌てて零斗を制止した。


「だ、ダメです! いくら先輩でもあんな大きな ――――」

「いいから」


しかし、それは零斗に遮られた。


「黙って見てろ」


手に持った通信機を耳に装着し、部隊員と情報の共有と指示を行う。


「倉貫、状況を知らせろ」

《民衆は避難を開始。新兵達が"囮"になったことで、一般人の被害は出ていません》

「分かった。そのまま誘導を継続しろ」

《承知しました》

「泉、ストライカーの状況は?」

《隊長の懸念通り、指揮系統の混乱で承認が中々下りてこないっス。コッチで勝手にやって良いっスか?》

「責任は俺が負う。強制起動したら、直哉を乗せてこっちに回せ。武装は要らん」

《了解っス。隊長はどうす……いや、訊くまでもないっスね》


零斗は腰に手を伸ばし、式典のために携行していた唯一の武器を抜く。腰に据えつけられた鞘は二振り分。


式典用に支給された軍刀と、零斗が自前で用意したものである。

そのうち軍刀に手をかけると、慣れた手つきで刀身を抜き、空気を変える。


「当然だ。俺は今から ――――」


臨戦態勢に入った零斗の気配に気が付いたのか、抗体もまた戦闘態勢を整えた。


「―――― コイツを仕留める」

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