第15話:ことば

「どうしてここに……貴方も、私を止めに来たのですか?」

「自惚れるな。お前の命だ、お前の好きなようにすれば良い」


美鈴と違い、零斗は口にする言葉を選ばなかった。

死ぬなら死ねばいい。そうとしか思えない言葉を、彼は告げる。


「さぁ、どうした。身を投げるんだろう? やるなら早く済ませろ。時間の無駄だ」

「ちょ、ちょっと先輩!」


そのあまりの物言いに、思わず美鈴は制止の声を上げる。


「貴方はいったい……何をしにここへ来たのですか」

「何を? 決まっている。新兵が屋上から飛び降りようとしていると報告を受け、その対応のためここに居る」

「言っていることとやっていることが滅茶苦茶ですよ。本当に、貴方はいったい何なんですか」

「四の五のうるさい奴だな……こちとら面倒ごとばかり起きて、うんざりしているんだ。やる気がないなら、さっさとこっちに戻ってこい」

「そういう訳には……」


零斗の意図が分からず、加藤はひたすらに困惑する。

一体何が目的なのか。飛び降りを止めたいのであれば、言っている言葉は全く逆だ。


「ああ、面倒くさい。自分では決断できないか? なら、俺が手伝ってやる」

「―――― え?」


零斗の姿が霞み、加藤が気付いた時には目の前に彼が居た。

零斗は加藤の胸倉を掴むと、その体を持ち上げて屋上から外へと突き出す。地から離れた足は踏ん張りがきかず、首元が締め付けられることで呼吸し辛い。


「……ッ!」

「先輩ッ!!」

「美鈴、お前は黙っていろ」


とっさに美鈴が制止の声を上げるが、零斗は表情一つ変えずに一瞥し、その制止を拒否した。


「どうした、何を怖気づいている。死にたかったのだろう?」


宙に投げ出された体。

接地することのない足は、ブラブラと力なく垂れさがり、下腹のあたりに不快感を覚える。加藤を掴み上げる腕には迷いがない。本気なのだと、直感的に分かった。


「所詮、口だけか。とんだ期待外れだ。どうせ、家族が生きていくためなどとのたまった言葉も、自分を美化するための方便だろう」

「なに、を……?」


一体なにを言っているのだ、この狂人は。

平馬達に協力した私に、怒っているのだろうか。


しかし何故、わざわざ自分の手を汚す必要があるのだ。

直接手を下さなくとも、私はこのまま自ら命を絶つ。まさか演技? 強制的に窮地に追い込めば、私が生に執着するとでも思っているのか。


「当ててやろうか? お前はこう考えている。私は頑張っている、どうして報われない、悪いのは世間だ、……教えてやろう。世の中というのは、本当に不公平なんだ。お前ひとりが勝手に喚こうが、誰も手を差し伸べてはくれない。あぁ、だが一点だけ、同情する余地もあるか。君一人にそうさせてしまった、馬鹿な家族の存在だ」

「ッ!?」


落ち着いた口調で零斗は言葉を綴った。


「自分にもしもの事があれば、家族がどうなるかも考えなかった浅慮せんりょな父。家庭を守る力もない哀れな母。無償の愛が、いつまでも享受できると思っている愚かな弟。それらすべてのツケを払わされるのに、嫌になっただけだろう」

「違う、家族は……!」


加藤の胸倉をより強く締め上げ、抗議の声を封じ込む。


「違わない。家族の重圧に耐えかね、世の中の理不尽に押し潰され、友の死の責任を負い、何もかもが嫌になった。この場で身を投げれば、それら全てから解放される。だからお前は選んだのだろう。死を受け入れようと」

「違う、私は!」

「何が違う? 言ってみろ」

「危険を顧みずに人々を救う父は、私たちの誇りだった! 母は、惜しみのない愛情を私たちに注いでくれた! 弟は自分にできることを懸命にこなし、その少なさに悩んでいた。私の家族は、私にとって重荷なんかじゃない。だからこそ、私は ―――― ッ!!」


ハッとした気がした。

危うく言葉にしてしまいそうになるほど、その感情は自然に喉元まで上がってきたからだ。


「……どうした、なぜ黙る」

「……私は、父のようになりたかった。母に愛情を返したかった。弟の笑顔を守ってあげたかった。でも、その結果が、大切な友達を死なせてしまった」


たとえその事に気付いても、望んでも、決して選んではいけない。

何故なら、自分は既に引き返せる立場にはないから。


「何で……あの子は死んだの? 元凶の私が、どうして生きているの?」


自分のせいで、大切な友達が死んだ。

原因を作った自分が、のうのうと生きていて良いはずがない。生きているだけで、自責の念に押しつぶされそうだった。


「知らん。それはお前が考えることだ。自分で見つけなければならない、生き残った者の責務だ」


取り付く島もない零斗の言葉に、加藤は何も言えなくなった。

そんな加藤に対し、零斗のつづけた言葉は、意外なものだった。


「……泣いて、叫んで、当たり散らして、周りに必死に訴えるのは、まだ諦めていないからだろう? お前自身の、望みがあるからだろう? さあ答えろ。"お前は"、どうしたい?」

「わ、私は……」


頬を伝った涙の感触さえ、もう分からない。

それほどまでに、彼女は追い詰められていた。


「もう、どうしていいか……分からない」

「そうか……」


固く首を締め上げていた零斗の手が、パッ、と離れた。


「残念だ」


拘束から解放された加藤の体は自由落下を開始し、地表を目指して急降下する。

その突然の出来事にも、加藤は何も反応しなかった。


零斗の傍らに居た美鈴が、何か叫んでいたような気がしたが、加藤には聞こえなかった。


(……何が、悪かったんだろう)


世界は、自分の知らない暴力で溢れていて、権力を笠に着た力は存在すると思っていた。


けれど、実際に存在した暴力は、私が想像していたモノの遥か上を行った。


(でも、私が害そうとした人の手にかかるのも、悪くないかな。諦めがつくもの)


怖かった。人の皮を被ったあの外道たちが。

今でもはっきりと思い出せる。彼らの言葉にのせられて、シミュレータでの勝負を受けた時のことを。


開始直後に武装がおかしい事に気づき、抗議したがそれは叶わなかった。

既に、関係者にまで手を回されていたからだ。


(どこで間違えてしまったのかな……私はただ、家族を守りたかっただけなのに)


自分の力ではどうすることも出来ない状況だった。

彼らは逃げ惑う私と仲間達を見て、ずっと笑っていた。途中でゲームだと言い出し、私の仲間を標的に見立て人間狩りを始めた時は、彼らの正気を疑った。


(神様は、私の何が気に入らなかったの? 私が一体、何をしたっていうの?)


頑張って……頑張って、頑張って頑張って、ひたすら自分にできることをこなしてきた。

なのに、神様は救いの手を差し出さないばかりか、私の友達にも不幸をもたらした。


(どうして私の友達まで……こんな理不尽って、ないよ)


親友が、私のせいで命を落としたというのに、その元凶がのうのうと生きているなんて、許されることじゃない。私は、罰せられるべきだ。


「……死にたくないなぁ」


さっきまでハッキリと見えていた空が、歪んで見える。

加藤の視界は、溢れ出した涙の中に溶けていった。


(やりたいことだって、将来の夢だって、何だってあった。そこにはいつだって、私と家族の笑顔があった)


待ち受けているのは、苦痛だろうか。

どうせなら、落下の衝撃で息つく間もなく死に絶えたい。苦しんで死ぬのは嫌だと思った。

けれど……もし、許されるのなら。


「誰か……たすけて……」


もはや誰にも届かない、心からの言葉。

救いの手を差し伸べてくれる人に、それを伝えるにはもう遅すぎた。


「わかった」

「え……?」


けれど、人でない化け物にとっては、まだ間に合う言葉だった。


天を仰ぎ、涙で歪んだ視界。その向こうから、誰かがまっすぐに向かってくる。

外壁を蹴るように、一直線に迫ったそれは、近づいてようやく零斗であることが分かった。


 ぅ……ぁぁ……ぁ……ッ!!


何処かで女性の叫び声が聞こえ、下層の窓ガラスから何かが飛び出す。

一瞬、何かのロープかと錯覚したそれは、消火栓から引き出されたホースだった。


零斗は加藤を右腕で抱え、飛び出したホースを左手で掴む。

強烈なブレーキの反動に体が悲鳴を上げると、地面まで数メートルの位置で落下が止まる。


「先輩……どう、して……」

「お前が言ったんだろうが。"助けて"と」

「それはッ、そうですが……どうしてこんな、無茶を……」

「別に、大した事じゃない」


加藤に視線を合わせないまま、零斗は少しためらいがちに口を開く。


「……ついでに一つ、余計なことを言わせてもらおう。お前の父親だが、軍部からの救援要請に応じて人命救助に参加していたらしいな」

「え?」

「当時の記録では、民間から召集した人材を一時的に軍の支援戦力としていたらしい。君の父の記録も確認できた。手続きに少々時間はかかるが、これならば軍の遺族給付金を受けられる。君たちの抱える借金の返済に役立つだろう」


零斗が、何を言っているのか呑み込めなかった。

てっきり説教の一つでも言われるのだと思っていたからだ。


「それと、偶然にも入隊初日から不祥事を起こした馬鹿どもが居たせいで、輸送部隊に配属されるはずだった人員枠が大幅に余っているんだが、受けるつもりはないか?」


零斗は呆然としたままの加藤を無視して言葉を続ける。

そして、ようやく加藤の状態について気づいたようだ。


「おい、何を呆けているんだ。受けるのか、受けないのか?」

「あ、いや、何がなんやら……」

「まあいい、君の経歴については調べた。平馬達が提出した、九州大進行の戦訓と奪還に関する部隊の展開、それを支える兵站戦略のレポート。おそらくあれは君が作成したのだろう? その中で立案された、作戦規模に応じた輸送計画の転換基準は、後方の作戦参謀も舌を巻くほどの一品だったそうじゃないか。改めて、輸送部隊でその才覚を奮うつもりはないか? これはANA‘sの意向でもある」


ホースを手放し、加藤を抱えたまま零斗は地面に着地する。


「どうして……?」

「可笑しなことを聞く奴だな。適材適所で人材を活用することが、そんなに変な事か?」

「でも、私は先輩たちを……ひどい目に」

「それを言うなら俺だってそうだ。本心を聞き出すためとはいえ、君にはひどいことを言った。済まない。それに、あの程度のことなんて。普段の任務に比べれば可愛いものだ。気にすることじゃない」

「違うっ……あの時、私は笑っていたんです」


贖罪の言葉を口にする加藤の心の内は、罪悪感で一杯だった。

麻痺していた心が静かに動き出し、論理的に会話できているのか、自分では分からなくなってきた。


「自分がされたような、苦しくて、つらくて、そんな思いを、あの男達が自分と同じ目にあって、ハッキリと、思ってしまいました。"ざまぁみろ"って……」


自分の心が、あんなに冷たくなれるなんて知らなかった。


「でも、そのことを認識したとき、とても恐ろしくなったんです。なら、それが辛いことだと分かっていながら、皆さんを同じ目に遭わせた私は、彼らと一体どこが違うんだろうって……」


気付いた時、笑っていた自分を、心の底から嫌悪した。


「実感してしまったら、その後に起きることを見るのが怖くて、自分でも分からないうちに、シミュレーションルームを飛び出していたんです」


吐露し始めてしまった心の声は、もはや止まりはしなかった。


「私は、アレがどんなに怖くて、苦しいことなのか知っていたのに……それなのに、あの男が怖くて、言わなくちゃって……思っていたのに、言葉にできなくて……死にたくなくて」


怯えながら、恐る恐る言葉にした、願いの言葉。


なぐさめや、いたわりの言葉は、この場には無粋だろう。だから一つ、教えてやる。その代わり、絶対に秘密にするんだ」


耳元で、零斗はそっとつぶやく。


「あの時、実は俺も思っていたんだ。"ざまぁみろ"ってな。軍の規律を盾前にして、気に入らないアイツらを叩きのめすことに快感を抱いていた。恐ろしいほど、純粋にな」


目を丸くしたまま固まる加藤に、零斗はどこか悪戯いたずらっぽい笑みを向ける。


「死にたくないのなら、素直にそう言えば良い。生きたいと思えたのなら精一杯、それにしがみついて良いんだ」


零斗は加藤の頭に手を置くと、今までが嘘のように優しい声音で告げる。


「よく、頑張った」


必死になってせき止めてきた。

懸命に耐えてきたその抑えに、ビキリと音を立てて亀裂が入る。


「先輩、私……生きたいです……」


今まで耐えてきたもの。

今まで恐れていたもの。

今まで張り詰めてきたもの。


「ごめんなさい……ごめんなさいぃ……!」


その全てが溢れ出し、その時の気持ちは言葉にできなかった。


「う、ぅう……ぅあ、あああああ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ ―――――― !」


零斗に抱えられた彼女は、声が枯れるまで泣き続けた。


美鈴が後から聞いた話だが、零斗は平馬達の事を調べた際に、彼女の経歴についても知ったそうだ。


消防用ホースを外に投げたのは、東子だった。

インカムを通して零斗の様子を確認し、タイミングに合わせて窓から外へ投げたらしい。


二人の元に駆け付けた東子は、零斗が予期せぬタイミングで飛び出したため、大いに慌てたと涙目で抗議していた。


彼女が情報を預けた相手というのは元親の事で、部隊の情報管理を一手に担う技量をもつ人物ならば安心できると、全てを話していた。元親はそれらの情報を資料にまとめ、零斗に渡していたのだ。


零斗は、泣き続ける彼女に何も言わず、ずっと傍にいた。

優しく彼女の頭を撫でているその姿は、決して恐れられるような人間のものでなく、直哉の言っていた意味が少しだけ分かった気がする。


これから彼がどのようなことを成していくのか、この人の元で見届けたいと、心の底から美鈴はそう思った。

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