第14話:後始末
あの勝負の後、零斗と共に作戦に参加していた美鈴と紗耶香の様子は、それは酷いものだった。
零斗と平馬の最後の映像は、二人にとって余りにも衝撃的過ぎたからだ。
それは二人だけに限った話ではない。
つい先ほどまで、現場を経験しているはずのストライカー隊の数人も、シミュレーション終了後はトイレに駆け込んで胃の中のものを吐き戻していた。
嘔吐した際の不快感を残しているものの、ようやく立ち上がれる程度に回復した美鈴は中庭で天を仰ぎ、茫然としていた。
「大丈夫かい?」
「ありが、とう……ございます」
心配して様子を見に来た直哉から水を受け取り、未だに残る不快感に耐えながらお礼を言う。
「御堂さんは?」
「紗耶香なら、まだトイレだと思います」
「まぁそうなるよね。初めて見ると、衝撃的でしょ? 彼、手加減ってものを知らないから」
「……」
正直、あの瞬間のことを思い出すと未だに吐き気がこみあげてくる。
口元を手で覆いながら、何とか直哉の問いかけに美鈴は答えた。
「……あの、飯島先輩は、零斗先輩の行為に驚かれないんですね」
「ん? あ~、最初の頃は正直、正気を疑ったけど……今となっては、割と慣れっこだからね。でも、別に驚いていない訳じゃないよ。今回だってそうさ」
直哉の言葉から聞いた、零斗がこのような行動に出ることは珍しくないという言葉に、美鈴は背筋がゾッとした。
どうしてそんなに自然にして居られるのだろう。
零斗は当然として、それを見ても繭一つ動かさないこの男もまた、何処か人として備わっている筈の感覚が欠落しているように、美鈴には感じられた。
「どうして零斗があのような行動をとれるのか、理解できないんだね」
「いえ、そんな……」
否定の言葉を口にしようとして、途中で止める。
「すみません、その通りです。本当は、まったく分かりません。今はただ、平然とあんなことをできてしまう先輩が……正直、恐ろしくて堪りません」
「はは、君は素直だね」
零斗にも言われた。
あまり、思ったままの事を言葉にすべきでない、とも。
「きっと、君たちと僕らの反応が異なるのは、知らないからじゃないかな」
「?」
「君は、"紅神 零斗は、死を求めている"って、聞いたことあるかい?」
「……いいえ。そのような噂は、聞いたこともありません」
「そっか。まあ、一般人から召集された君は知らなくても無理ないね」
話すのはまだ少しだけ辛いが、それでも美鈴は直哉の話に耳を傾ける。
「兵達の間で有名な
直哉は手に持った缶コーヒーを一煽りすると、言葉を続ける。
「零斗は、一度やると決めたことは決して途中で放棄しない。腕が千切れようと、腹を破られようとも、目的のために為すべき行動をする」
「それほど、あの人たちがやった事を許せなかったっていうんですか? でも、先輩だって同じくらい苦しい筈なのに」
「きっと、痛いとか、苦しいとかの感覚は彼にとって小事なんだと思う。彼以上に、自分自身の存在意義を問い続けている人間は、そうはいないからね」
「存在意義、ですか?」
そう語った直哉の表情は、どこか悲しげだった。
「だからこそ、許せないのだと思う。他人の想いを踏みにじる人間を。そしてそれを力で解決することしか知らない自分も。彼、本当に面倒な性格しているから」
だとしても、そんなことを説明されたところで、素直に信じる事なんて出来やしない。
仮想環境でつけられた頬の傷。現実世界に戻ったことで、当然であるが人質に取られた際につけられた傷は存在しない。
それでも、身を以って体験したあの痛みは、偽物などではない。
「すぐに理解する必要なんて無いさ。けれど、一緒に訓練していれば、いつかきっと分かる時が……ん?」
直哉は、何かに気づいた。
「どうかしましたか?」
「いや、いま階段を昇って行った子、確かシミュレーションの……」
「階段? すみません、気付きませんでした」
直哉が目にした人物は加藤だった。
あえて口にしなかったが、一瞬だけ見えた階段を上っていく彼女の表情。光を失った目。何かに取りつかれたように生気の抜けた表情。
戦場では見慣れた、生への執着を失った者の顔だ。
「……ごめん。ちょっと気になるから、見に行ってくる」
「あ、先輩。私も行きます!」
速足で階段を上っていく。
美鈴達は一階上がるごとに廊下から顔を出し、加藤の姿がないか、確認を行う。しかし彼女を見つけられず、一階、また一階と建物の上層へと向かっていく。
それに従って、二人の中に予感にも似た嫌な感覚が生まれつつあった。
そしてたどり着いた先に、あったもの。
屋上へと続く、鉄製の冷たい扉。
使用を禁じられた屋上へと厳しい軍規に縛られた者たちが出ることはないため、外に出られなくするような対策は講じられていない。
出ようと思えば、誰でも出られる状態であった。
二人の頬を、気持ちの悪い汗が伝う。
扉を静かに開き、屋上の様子を観察すると、ようやく探していた人物を発見した。
「加藤さん……?」
体調がすぐれないのか、加藤はずっと俯いたまま動かない。
ただし、彼女が立っている位置は、数歩進めば落ちてしまうような、屋上の外縁部だ。そんなところに居る時点でおかしい。
ギィィイ……
美鈴たちがのぞき見していた扉が屋上風で動き、音を立ててしまった。
扉の隙間から様子をうかがっていた二人の存在に気が付くと、彼女は驚いて二人に向き直す。
「ま、待って!」
その場から動こうとしそうな様子に、美鈴は思わず静止の声を上げていた。
(どうしよう、何か彼女の気を引かないと……!)
とはいえ、勢いのまま声を上げただけ。考えあっての行動ではない。
「えっと、その、あのぉ……!」
悩んだ末、その後に続いた言葉は ――――
「今日は、いいお天気ですねェッ!!」
―――― お天気の話題だった。
「「…………」」
当然、その場の空気が凍る。
どんな脳みそでも、混乱を免れない一撃だった。
「……冷やかしですか?」
「違っ、これは、つい……というか、ウッカリ……というか!」
速やかに再起動した女史の思考は、美鈴の言動から目的を推察し、確認の言葉を口にした。
「そ、そんな事より! こんな場所で何をしているんですか? 危ないですから、早くこっちに来てください」
「これは私が望んで行っていることなので、お気遣い不要です」
「いえ、そんな訳には! それに、ここは立ち入り禁止ですよ。早く中に戻りましょう?」
「どこに居ようと、私の勝手です。軍規違反だというのなら、
淡々と言葉を紡ぎ、言葉の話し方に抑揚がない。
加藤の精神状態は、先ほど直哉が予感したように良くない状態のようだ。
(霧島さん。さっき、応援を要請した。何でも良いから話しを続けて、時間を稼いでくれ)
(ええ? 私がですか!?)
(僕はこの手の扱いはサッパリなんでね。話すだけで良いからさ!)
(私だって、どうしたら良いか分かりませんよぉ!)
とはいえ、泣き言を言っている場合じゃない。
どんなことを離せばいいか脳内で悩んでいたが、加藤を見ている間に、ふと頭に浮かんだことを口にしていた。
「どうして、こんな事をしているのですか? あの人達にまた、何かされたんですか?」
「……別に、大した事ではないです」
すぐにでも事に及びそうだった彼女の様子が、僅かに落ち着いたように感じられる。少しだけ、話に応えるつもりのようだ。
「もう、疲れてしまっただけです。何もかもを終わりにして、全てから解き放たれたい」
「疲れてしまったって、これからじゃないですか。入隊式を終えて、今日から新しい日々が始まるんですよ?」
「新しい日……?」
美鈴のかけた言葉に、何か引っかかるような反応を加藤は示した。
「新しい日、ですか……きっと貴方は、何も知らず、今まで幸せな環境に恵まれてきたのでしょうね」
「え……?」
「私もかつてはそうでした。誰に対しても優しく、沢山の人から頼られていた、自慢の父。いつも笑顔を絶やさず、家族に愛情を注いでくれた、優しい母。時には喧嘩するけれど、姉と慕ってくれる、かわいい弟」
何かが加藤の琴線に触れたらしく、彼女は自嘲気味な笑みを浮かべると、言葉を続けた。
「そんな父の最後は、本当に呆気ないものでした。九州の大進行に巻き込まれ、逃げ遅れた人々を守って命を落としました。母はそのことをキッカケに体調を崩し、今も入退院を繰り返しています。あれだけ仲の良かった近所の人たちも、手のひらを返したかのように離れていき、私たちの生活は一変してしまいました。貴女は、なぜANA’sに志願したのですか?」
「私は、誰かの役に立ちたくて……紅神先輩に憧れて、志願しました」
「誰かのために、ですか。私と同じですね」
てっきり、何も知らないくせにと罵倒されるのかと思っていた美鈴にとって、この言葉は意外だった。
「私が軍に志願したのは、家族が生きていくために必要だったからです。軍属になれば、一般的な定職よりも割の良い収入が見込めます。弟と私と母の三人が生きていくには、お金が必要なんです。だから私は軍に入って父の遺志を継ぎ、家族を守っていくつもりでした。あの日までは」
加藤の手が固く握りしめられ、耐えがたい感情が彼女の中に渦巻く。
「貴方は、平馬達のような問題行動ばかりの人間が、どうして入隊時に優遇されているのか、分かりますか? 買収したのですよ。軍関係者に多額の金を掴ませたんです。そのせいで、輸送部隊に内定していた私の人事は取消しにされ、彼らの代わりに特殊交戦部隊へ配属が決まりました」
確かに、少し疑問に思っていた。
義務徴兵組だからといっても、あれだけの問題を抱える人間が留置所に送り返されない理由は何だろうかと。
執行猶予で手にした自由を失わないよう、問題を起こしてもその都度、金を掴ませて口封じをしていたという訳だ。
「当然、私は抗議しました。それに対し、彼らは勝負を持ち掛けてきました。内容は、シミュレータを使用した勝負……今日、あなた方が持ち掛けられたものと同じ内容です」
きっと、この時に彼女の心は閉ざされてしまったのだろう。
今日の勝負と同じ内容ということは、きっと平馬達は同じ
その時の恐怖と苦痛は、想像を絶するものだったはずだ。
「その理不尽さに憤慨した私の親友は、これ以上、理不尽に誰かを虐げるのであれば全てを告発すると、平馬達に抗議してくれました。貴方のように、誰かを思いやれる優しい子でしたが、彼女は翌日に自室で首を吊り、冷たくなっていました。傍らに置かれていた遺書には、訴えに行ったその後、平馬達に拘束されて性的暴行を受けたと綴ってありました」
加藤は、泣きそうな顔のまま静かに俯く。
「……貴方達にも、本当は私に関わって欲しくなかった」
「だから、あの時 ――――」
零斗が駆けつけた時、平馬達に暴力を振るわれていないと、加藤は言った。
その時は、きっと平馬の事が怖いからだと思っていた。
けれど、それだけじゃない。彼女は、美鈴たちの身を案じていたのだ。
「最後に、全てを話せてよかった。これで、思い残すことはありません」
「そんな……残されたご家族は、どうなるんですか!」
「……お話ししたことと同じものを、信用できる方にお伝えしました。じき、事実は明るみとなることでしょう。私が死ねば、軍から遺族に対して給付金が支給されます。何も問題は ―――――― 」
「そんなことを、言っているんじゃないんですよ! 貴方が死んでしまったら、残されたご家族が悲しむじゃないですか!」
「……」
「きっと、そんな結末を迎えたって、誰も幸せになんてなれませんよ。だから……」
美鈴はそっと、手を差し伸べた。
「もう……解放してほしい」
「 ―――――― え?」
「多くの人たちが、そう言って慰めてくれました。"生きてさえいれば、何とかなる"、"死ねる覚悟があるのなら、生きる事だってできるはず"、"家族が悲しむ"。みんな、口々にそう言うんです」
フルフルと、加藤の肩が震える。
「その人たちに悪意がないことは分かっている。けれど、それが何だっていうの? この痛みを取り除いてくれるというの? 自身が経験したわけでもないのに、さも悟ったような顔をして、私の事を知ったような口ぶりで、堂々と諭そうとする。所詮は他人事で、責任を負う覚悟もないくせに……私を縛り付ける」
手が白くなるほどに、握った拳がさらに固くなっていく。
「あの人達にとっては優しさから出た言葉でも、私にとっては呪いと何ら変わりがない。もう、何もかもがどうだって良い。私には、生きている価値なんて何もない。先ほどそう、確認しました」
顔を上げた彼女は、泣いていた。
真っ直ぐに美鈴を見据え、揺らぐことなく向けられる視線。
「だから終わらせるんです」
「待って!」
彼女が外に向かい、一歩を踏み出す。
「ほら、貴方だって、自分が怖いものを見たくないから、そんな
「そんな……私はただ……」
加藤の言葉を聞いた美鈴の表情には、焦りと恐怖が入り乱れていた。
もしかしたら彼女の言う通り、目の前で誰かが死ぬ光景を自分が見たくないだけなのかもしれない。
けれど、何と言っていいのかが分からない。何を言えば、彼女に届くのかが分からない。
「なら、好きにするといい。あまり同期を虐めるもんじゃない」
不意に、背後から声が聞こえた。
驚いて振り返ると、そこに居たのは零斗だった。
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