第13話:姉

「やあ、大将。調子はどうだい?」

「ア゛ぁ~……、最っ高に悪い」


ハッチが開き、零斗はシミュレータの外へ身を乗り出す。

内臓が持ち上がったような不快感を少しでも和らげようと、ガシガシと頭を掻き乱す。


「ったく、手間のかかる奴らだ」

「文句の一つも言いたいのはこっちだよ、お前があんな派手にやったせいで、こっちは物凄い状況なんだからさ。見てみなよ、この空気」


あん? と不機嫌そうな顔のまま周囲を見回すと、そこに広がっていたのは異様な雰囲気だった。


動揺、不安、そして何より、畏怖。

それら全てが零斗に向けられていた。


「ほらもう、何さこの空気。お葬式のほうがまだ温かみを感じるよ。でもね、100歩譲ってこれだけならまだ良いよ? 僕らは慣れているし。けどさ、アレはちょっと、どうしたもんかって、みんな頭を悩ませているんだよ」

「アレ?」


直哉に促されて、零斗は平馬達が搭乗したシミュレータを見ると、そこからは異様な匂いがした。

そこにいたのは、息もえのままズボンを濡らしてしまった平馬達、新兵だ。


「なんだ、痛覚遮断の復旧、間に合わなかったのか?」

「いやいや、ちゃんとギリギリのところで設定を戻したから。てか、そうじゃなくてもあれだけ精神的に追い詰めればこうなるに決まってるでしょ!」


頭を抱え、小さく蹲った姿勢のままガタガタと震えていた。

仮想空間とはいえ、現実と遜色ない環境で抗体に生きたまま食われたのだ。無理もない。


「泉、悪いがシミュレータの洗浄申請を出してくれ」

「開始前に出しておきましたよ。そろそろ来る頃だと思います」


どうせ隊長のことだから、穏便に済む訳が無いって思ってたっス、と余計な一言がついたが、それについてはあえてスルーする。実際にやらかしているのは事実なので。


「さて、と」

「ヒィっ……!!」


シミュレータの中を覗き込むと、平馬は両手で耳をふさぎながら、シミュレータの中で小さくなっていた。

そこに顔を出した途端、平馬は弾かれたかのように体を起こし、顔を真っ青にしながら零斗を見た。


「どんな気分だ。手足を咀嚼されて、頭を噛み潰された気分は?」

「は、はぁ、ぃ……」


みっともない姿だ。

ガチガチと歯を鳴らしながら体を震わせ、穴という穴から水分を垂れ流す。


だがまぁ、この手の手合いの奴はこれ位に徹底的に叩かなければ、腐った性根は治らないだろう。

手を抜いて増長を許せば、その分の被害者が多く出る。


「意図せずこうして隊服を汚してしまったわけだが、どこへ行けば予備の隊服が見つかるかは分かるな? 替えは用意してある。落ち着いたら取りに行け」


そう言い残し、零斗はその場を後にするため体の向きを変える。

荒い呼吸のまま、平馬は全身から冷や汗が噴き出す感覚を覚えていた。その動揺度合いは、零斗の言葉が理解できているか定かではないほどだ。


「ああ、最後に一つだけ」


と、その場を立ち去ろうとした零斗は急に踵を返し、屈んだ姿勢で至近に平馬を見据える。

そして、告げる。


「ようこそ、加賀谷高戦へ」


シンッ……と、静まり返る会場。

その中に、零斗の言葉だけが明瞭に響く。


「用事は済んだ。各位、式典の準備に戻れ」

「「「了解しました!!」」」


かけられた号令を受け、零斗の部下たちは一斉に持ち場に向かっていった。そこに残されたのは零斗のみ。

その零斗に声をかける人影があった。


「これで全て問題なし、って顔をしているわね、愚弟」

「被害者がいた時点で、問題ないとは思っていない。ただ、一区切りはつけたと思っているよ」


振り返ると、腕を組んだまま仁王立ちしているセミロングの女性が一人。


「ハン、よく言う。どこの部隊に、部下を叩き潰す部隊長がいるってんだ。叩くだけならともかく、ご丁寧にとどめまで刺しているくせに」

「性獣死すべし。慈悲はない」

「仕出かした結果に対してノリが軽いな。まぁ、お前がこのたぐいの手合いを毛嫌いしていることは知っているが」


頭が痛いと言わんばかりに、女性は額を押さえながら深いため息をつくが、零斗の行いに特に驚いた様子はない。

というのも、何を隠そう彼女は零斗の姉だ。


こうがみ あや

零斗の姉で、加賀谷で唯一といって良い血の繋がった親族だ。紅神零斗という人間がどういった人物か、彼女ほどよく知っている人間はいない。


落ち着いた大人の女性を感じさせる風貌と反し、竹を割ったような明るい性格は多少下品なところもあるが、人々に愛されるタイプの人間である。


その素顔を知るものであれば誰しもが好意的に接するが、彼女もまた紅神という名によって、始めは奇異な目で見られる類の人でもあった。


その彼女の傍らには、皆が見知った……否、記憶に新しい人物が同伴していた。

つい先ほどに、映像の中から新兵に祝辞を述べていた人物。


「いやはや、聞きしに勝る苛烈ぶりだな。正直、これ程までとは、恐れ入ったよ」

「……! これは、大変見苦しいところをお見せしました」


綾香の話に意識がそれており、気づくのが遅れてしまったが、傍らの御仁を見た零斗は即座に姿勢を正し、敬礼にて迎える。


谷家たにいえ 康夫やすお 国防長官。

今回の式典における最重要人物である。

彼自身、最前線からのし上がり現在のポストに収まったという、たたき上げの前線将校だった方だ。


現場を理解しているからこそ、彼の手腕で奮われる各種施策は成功率が高く、数々の功績を残してきた傑物。


一方で、自衛隊では考えられないような作戦を立てることもあり、冷徹な軍人としても知られている。

過去に行った有名な作戦では、抗体に襲撃された都市の内部深くに抗体を誘い込み、空爆による包囲殲滅戦を行ったこともある。


午後の観閲式に参加するとは聞いていたが、まさかこの場に現れるとは思っていなかった。


「いやいや、こちらこそ申し訳ない、事前に何の申し入れもせずに来てしまって。何せ、理事長に敷地内を案内してもらっている最中、面白そうな催し物をしていると伺ったものでね。つい好奇心には勝てなんだ。して、これは一体どのような目的で行われたのだね?」

「はい、新兵の中に、少々組織としての気構えについてはき違えていた者が居たため、誤った認識を正すべく指導を行った次第であります」

「なるほど、懐かしいな、私にも苦い経験があるよ。入隊直後に受けた私の"洗礼"も、なかなかに刺激的なものであった。……いや、今は"挨拶"というのであったか?」

「恐縮です」


谷家は、シミュレーションルームに集まった面々が、零斗の敬礼に気づき、即座に姿勢を正したことに気づく。

ぐるりと新兵たちを一眺めし、"挨拶"直後の新兵たちの様子をしっかりと確認する。


「ふむ、君が練兵れんぺい指揮を執るのであれば、中々に精強な部隊に仕上がりそうだな。だが、何も君自身があそこまで身を挺する必要はなかったのではないかね?」

「いえ。私は幼少の頃より、自分がされて嫌なことを他人にしてはいけない、と教えられて育ったものですから。他にそれを課す以上、自身が経験しないという訳にはいきません」


一拍、は?……と空気が漏れる声が聞こえたかと思えば、谷家は大声をあげて笑い出した。

その様子に、会話の内容が聞こえなかった新兵たちは微かに騒めくが、谷家は一向に気にしない。


「はぁ、なかなか面白いことを言う。正規軍の練兵指揮を、幼子の教育と同列に扱うか。いや~愉快、愉快。あや殿、貴方の弟君おとうとぎみはなかなかの逸材ですな」

「そのせいか要らぬ苦労も多い始末でして、お恥ずかしい限りです」

「いいや、大変結構。若者はこうでなくてはいけない。これだけでも、今日この場に足を運んだ甲斐があったというものだ」

「恐れ入ります」


流石に笑い過ぎたのか、目尻にうっすらと浮かんだ涙を拭きながら、谷家は表情を正す。

スマートな印象を抱く外見に反し、豪快な人だ。


「さて、三尉。我々はこれにて失礼するが、午後の式典も楽しみにしているよ」

「ご期待に沿えるよう、全力を以って臨ませて頂きます」


敬礼を以って谷家と綾香を見送ると、少し離れた位置に控えていた倉貫が零斗に話しかける。


「我々も式典の準備に戻りますが、隊長はどうされるつもりですか?」

「そうだな……まだ少し時間に余裕があるし、一度隊舎に戻って――――」


茶でも飲むか、と言いかけた時だ。


「あ~……隊長、ちょっと」


そこへ割り込んだのは、元親だった。


「お疲れのところ悪いんですけど、これ見て貰って良いっスか?」

「ん? どうした?」

「いや、ちょっと……」


そう言って零斗に耳を貸すよう手でサインすると、手に持ったデバイスを二人そろって覗き込み、何やあら小声で話し始めた。


「……どうしてそんな事になった?」

「いや、自分が知るはずないでしょ。ともかく、今は飯島サンが対応してくれているみたいっスから」

「……分かった。とにかく、現場に向かう」


肝心の内容は声に出さなかったため、東子には二人が何を話しているのか分からない。

分からないが、碌な内容でないことはわかる。


「倉貫。悪いが、少し野暮やぼ用を片付けてから作業に戻る」

「承知しました。では、式典の準備は全てこちらで済ませておきます。用事が済みましたら身支度を整え、そのままご参加ください」

「いつも済まないな」

「本当にそう思っているのなら、自重してください」


はぁ……と、東子は溜息をつくと、一礼しその場を後にした。

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