第12話:獲物
「クソ、クソ、クソォッ!!」
抗体の襲撃を受けた平馬は、森の中をひたすらに走っていた。
走っているのは平馬ともう一人。加藤に暴力をふるっていた男だ。
零斗が美鈴を奪って姿を消した後、錯乱し、わめきたてる男に抗体達は真っ先に襲い掛かった。
当然だ。あれだけ注意をひく行動をとれば、抗体に狙われる。
抗体達の注意がそちらに向いている間に、平馬達はその場を離脱した。
だが、むざむざと獲物を逃がすほど、抗体は甘くない。
「平馬さん、後ろの奴ら、どんどん増えてますよ! どうすんスか!?」
「うるさい、そんなことは分かってんだよ! お前も何か考えろ!!」
まるで割れた壺から水が溢れるように、マップ一面をおびただしい数の抗体の反応が埋め尽くしていく。
敵抗体を狙撃ポイントまで誘導し、ストライカー隊による一掃を行う。この勝負本来の形であるこの方法以外に、この状況を打破する術はない。
だが、何とか追いつかれてこそいないものの、確実に距離は縮まってきている。
正面から時折現れる個体は、銃撃でどうにか排除できているものの、残弾も心許なくなってきた。
と、少し距離のある位置に僅かではあるが、キラリと光る線状の物体が見えた。
その光に嫌な気配を感じた平馬は、慌てて止まろうとした拍子に木の根に足を取られ、盛大に転倒してしまう。
が、これが功を奏した。
「ぅぷッ!? な、なんだこりゃ、身動きがッ……!」
光に気づかずに直進した腰巾着の男は、何かに絡め捕られたように全身の自由を奪われていた。
その細部によく目を凝らしてみると、そこにあったのは極細の糸。
粘性が高く、引きはがすことは困難なようで、触れればその分絡め捕られ、さらに身動きを封じられていく。
不幸中の幸いか、この罠の主は先の誘引弾の効果でこの場から離れているらしい。
「ひ、平馬さん、助け……ッ!」
必死にもがく男。
しかし、無慈悲な状況が彼らを追い詰める。
ヘッドギアのディスプレイに表示された抗体の反応が、平馬達の位置を目指して猛進してくる。
反応の方角に視線を向けると、その先には黒光りする物体がウゾウゾと這い寄ってくる光景が広がっていた。
そのほとんどは単純に生物が巨大化しただけのレーティング対象外の抗体だが、あまりの数におぞましさを感じる。もはや一刻の猶予もない。
それを目撃した平馬の行動はただ一つ。
男を囮にして、自分が逃げ切るまでの時間稼ぎに利用することだ。
「あ……、ひ、平馬ぁ、テメぇ、おい、ふざけんなぁ!!」
絶望に歪む男の表情。
響く絶叫は、男を置いて走り去っていく平馬の背中に向けて放たれるが、その足は一向に止まる気配がない。
これでいい。これなら、何とかなる。
背後から聞こえてくる叫び声。
その声の主が抗体の餌食になれば、その分の時間を稼げ、狙撃ポイントまでたどり着ける可能性が高くなる。このまま、まっすぐに走り抜ければ。
パァンッ!
焼いた鉄を押し当てたように、太ももの裏が熱くなった。
突然の銃声と共に左足に力が入らなくなり、平馬は再び転倒した。
「へ、へへ。ざまぁ……ッ!」
硝煙が立ち上る銃口。糸に囚われた男が、平馬に向けて発砲した。
仲間を見捨てて逃げるなど、屑の考えそうなことであった。
だが、自分だけ逃げるなんて許さない。
道連れにするため味方の足を打ち抜いた男もまた、屑だった。所詮、同類の集まりなのだ。
その男は、平馬が倒れた様子を確認し、笑みを浮かべたところで、自分の背後に何かが蠢いていることに気が付いた。
粘糸に顔を絡み取られ、振り返ることもできないが、それは確認するまでもない。
「っう、うあああぁぁぁあ゛ア゛ ――――――ッ!!」
痛みに頭の中が真っ白になっていた平馬は、男の叫び声を聞き、正気を取り戻した。
振り返り、目にした男の最後は言葉にすることも恐ろしいほど、凄惨なものであった。
男の体のあちこちに食らい付いた抗体の群れ。
長い体をひねり、自重の勢いで肉を引き千切る。
その恐ろしさが、明確な意思がなくとも平馬の体を突き動かした。
たとえ、足が激痛に悲鳴を上げていたとしても、である。
(―――――― 嫌だ、あんな……俺は、違うッ!!)
どうして、こうなった。
気に入らないヤツは片っ端から始末してきた。自身に不利な状況になると、誰もが絶望し、命乞いする。そうして従順になったやつを、現実の世界でも心を折ってやって、自分の思うとおりに事を進めてきた。
なのに、今は疲労で足に力が入らない。
焦燥感で呼吸が乱れ、体力の消耗が激しい。
酸素が体に行き渡らず、視界がクラクラとする。
それでも、体を突き動かすのは、あの光景に対する恐怖。
(俺は、あんな馬鹿共とは違うんだ、俺は、こんな所で……俺は、俺は……!)
あと少し。
狙撃ポイントまでは、あと数百メートル。この先にたどり着きさえすれば、まだ助かる。
そんな平馬の前に現れたのは、垂直と錯覚しそうなほどに急傾斜の斜面。
今回の狙撃ポイントはこの崖上に設定されていた。
「あと、少し。もう少しで……!」
崖を上る準備を始めた平馬。
崖上の大岩にアンカーショットを向け、射出操作を行う。
しかし、その時になって初めて気が付いた。
「なんで……じょ、冗談じゃない!!」
彼が装備していたアンカーショットは破損し、動作しなかった。
先ほど転倒した際に、何処かに強くぶつけてしまったのだろうか?
キュキキキキィ!!
ギャギャギャギギギギッ!!
後方からは、現在進行形で迫る抗体の群れ。
別ルートを選ぼうにも、抗体の群れは既に平馬を包囲しつつあり、脱せられる経路がない。このまま、崖を上るしか道は残されていなかった。
「く、くそぉッ!」
斜面に飛びつき、持ち手として耐えられそうな突起部を掴み、慌てて崖を上り始める。
既に崖下には群がってきた抗体で埋め尽くされる。
その中には、崖をよじ登ってこようとしている個体もいるが、脆い土壌であるため、なかなか平馬の元まではたどり着けない。
ビシュッ!
「え……?」
何かの射出する様な音が聞こえた次の瞬間、平馬の頭から血の気が引いていく。
かすかだが、音が聞こえるのとほぼ同じタイミングで左足に何か当たる感触があった。
恐る恐るといった様子で足元に目線を向けると、そこには先刻、仲間が捕らわれたものと同じ粘性の糸が付着していた。
そして、その糸の先を持っているのは、最初に見たサソリ型の抗体。
そのサソリが前足の爪で糸を掴み、不規則に揺さぶってくる。
「うわぁあッ! やめ、やめろォッ!」
少しずつ、だが確実に崖下へと引きずり降ろされていく平馬。
糸を通して加えられる力により、忘れていた左足の負傷も騒ぎ出す。
このままでは助からない。
半ばパニックになりながら、平馬はアンカーショットを一心不乱に殴りつける。
動け、動け、と。
その願いが届いたのか、アンカーショットは誤動作とも思えるような動きで発射され、運良く崖上まで到達した。
急いで巻き取りスイッチを入れると、抗体とは異なる強力な力で崖上へとけん引される。
上下に引き合う力に、左足の傷口がミチミチと嫌な音を上げる。
「ひっ、ぎ……が……ッ!!」
拮抗する力。
しかし、先に音を上げたのは抗体の糸であった。
ブーツの表面ごと接着面が剥がれて自由になった結果、平馬の体は勢いよく崖上へと引き上げられていく。
「はは、やった……逃げ切った、俺は、逃げおおせてやったぞ……!!」
何とか崖をよじ登った平馬は急いで合図の準備を始めるが、その時になってようやく異変に気が付いた。
「さぁ、砲兵。此処なら十分に敵を狙える! 今すぐそこから、この害虫ど、も……を……?」
無線を繋ごうとしたのも束の間だった。
平馬の目に入ったのは、地面に転がった筒状の物体。シャープペンシルの上半分のような形をした、特交隊の特殊装備。
誘引弾。
作動済みのそれが、いくつも地面に転がっていた。
次いで森の中から聞こえてきた足音と、現れた者の姿に、平馬の意識は釘付けになる。
そこに現れた者 ―――― それは、零斗だった。
「お、前……どうして、ここに………?」
「知らなかったか? 兵隊ってのは、足が命なんだ。何世紀も血生臭い行為を続けて、どれだけ技術が進歩しても、人間が戦場に立った以上、生きるためには足を止めてはいけない。より確実に俺を仕留めるのであれば、お前は腕や腹ではなく、足を狙うべきだった」
「そ、そんなことを聞いているんじゃない! どうしてお前がここに……いや、ここで何をしているかと聞いているんだ!!」
「頭の悪い奴だな。特交兵が戦場でやることなんて、決まっているだろう」
零斗は至近距離で誘引弾を発動し、集まってきた大部分の抗体に包囲されていたはずだ。
とっくに餌食になったと思ったが、まさかあの状況から脱出したのか? あの状況から、包囲を突破することなど信じられないことだが、いま問題なのはそこではない。
ここに奴がいるということは、つまり……
ギヂヂイヂヂヂィ……
予想が的中したことを裏付けるように、薄暗い森林の奥から姿を現した、異形の怪物。
「ひ、ひいぃぃ……」
「おー、思ったよりも早く追いつかれたか。さて、どんな気分かな、平馬。恐怖から逃れた矢先で、新たな絶望を目の当たりにした気分は」
片足を負傷し、恐怖のあまり意識もままならない平馬は、零斗に胸倉を掴まれても呆然としたまま抵抗しない。
「大変不本意ではあるが、教官である俺は立場上、どのような状況であっても、お前に対し指導を行わなくてはいけない」
「お願いだ、お願いします、もう貴方の命令には逆らわない。ふ、服従する。貴方が望むのなら、なんだってする。そうだ、金だって、女だって、なんだって手に入れてくる。成れというのであれば、貴方の奴隷にだってなる、だから」
「聞くに堪えないな。所詮、糞袋の中身は、糞か」
心底不快、といった面立ちで、零斗は無線を繋ぐ。
「ハンター1、聞こえるか。こちら、ハウンド1]
《こちらハンター1、問題なく聞こえている》
「小官のビーコンを目標に、攻撃を開始されたし。弾種は、M15炸裂徹甲弾。効果範囲は半径20mといったところか」
《ハウンド1、貴官のビーコンには不具合が生じている。正確な座標位置を補足できない》
「了解。では信号弾を射出する。弾道から目的の座標を算出してくれ」
《ハンター1、了解。これより30秒後に攻撃を開始する。至急、現場より退去されたし》
「ハウンド1、了解」
公開チャンネルで行われた通信内容は、平馬の耳にも届いていた。
「ま、待て! お前、い、一体、何をぉ!?」
「指導その一、もはや俺もお前も、この状況から脱するための手段はない。それならばただ死ぬよりも、特交兵として敵戦力を少しでも削り、後続の部隊の負担を減らす責務がある」
零斗は、グレネードランチャーに装填されていた信号弾を宙に向けて射出する。
飛び出した赤い光は硝煙の尾を引きながら天高く伸びていった。
「指導そのニ、作戦の目的は、常に明瞭簡潔にし、はき違えないことだ。今回のシミュレーションの目的は、組織的に連携し抗体を排除する能力を推し量るものであって、対人能力を競うものではない。まあ、これは分かっててやったようだがな」
恐怖で全身が硬直している平馬の胸倉をつかみ、自分と同じ目線の高さまで持ち上げる。
「指導その三、自分で招いた事態の収拾は、自分自身でつけるものだ。これは、今からお前自身の身で経験してもらう。安心しろ、シミュレーションだから、実際には死んだりしない。それはお前が一番よく分かっているだろう?」
宙に浮かびながら、平馬は必死になって振りほどこうとするが、零斗の腕は平馬の体を万力で締め付けているように、ビクともしなかった。
「まあ、そのままの意味で、死ぬほど辛いけどな」
「や、やめてくれえぇぇぇえ!!!」
爪を立て、体を蹴り、どのように足掻いたとしても、零斗は表情一つ変えない。
平馬の体を揺らしながら、歩みを進める。
「さて、ヘッポコ野郎。これらを踏まえたうえで、指導その四だ。俺がお前に教えようとしている最も大切なことは、何だと思う?」
「うヴ、う―――! ヴぅ――――!!」
必死になって足掻いている間にも、耳に届く音は大きくなっていく。
抗体が動くときに鳴る、体を覆った外殻同士の摩擦音。
「はなっ……ハ?」
平馬は必至に呻き声を上げていたが、すぐに静かになった。
何かが、平馬の右足に絡みつくような感触を覚えたからだ。
恐る恐るといった様子で、足に視線を向けると、そこにあったのは獲物を捕縛するための、抗体の粘糸。
分泌物から作り出された粘着性のある糸が平馬を捕らえ、少しずつ引き寄せる力が強まっていく。
「答えは、自分がされて嫌なことは他人にもしない、だ。茶番が終わるまでの30秒間、俺も付き合ってやる」
「イヤだ! イヤだぁぁぁあああ!!」
しかし、それは零斗も同じこと。
平馬同様、零斗の腕や足にも抗体の糸が絡みついていく。
「さぁ、中々ないぞ。踊り食いされる経験ってのは」
「やめでぇぇええ!!!」
その後の様子は、まさしく悪夢のような光景であった。
急激に引力を増した糸に、平馬の体は勢いよく引き寄せられ、抗体達の中に引き摺り込まれた。
手足や首筋に抗体が食らいつき、互いに獲物を奪い合おうとする力で四肢をもがれていく。
腹を裂かれ、内臓を引きずり出された状態で、既に刺激に反応するだけの肉塊となった平馬だったものが、悲鳴とも叫びともつかない声をあげながらその原型を失っていく。
痛覚遮断を完全に無効化した状態で、これだけ惨たらしい"死"を経験すれば、現実世界にも相応の影響が出る。
少なくとも、まともな精神状態ではいられない。
だがそれは、零斗も同じはず。
にも関わらず、零斗は何の躊躇いもなく断行した。
己を巻き込んでの、平馬達への処罰を。
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