第10話:命令違反

周囲を警戒しながら森の中をひた走ること十数分。

常人以上の身体能力を持つ零斗の足は、足場の悪さや障害物を物ともせずに森を駆け抜け、平馬達がいると思われるポイントにたどり着いていた。


というのも、先の戦闘で零斗のナビ機能は完全に壊れてしまったため、直前までの情報を頼りに座標を割り出したに過ぎない。もしかすると既にこの場を後にしている可能性もあったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。


「流石は紅神ですね。これほど早く居場所を知られるとは、まったく思いませんでしたよ」

「お褒め頂き光栄だけどな。無駄話に付き合うつもりは毛頭ない。悪いが、さっさと降伏することをお勧めする。これに応じない場合、さっきの連中の二の舞になる」


あえて殺すとは言わない。

今更気にする必要はないが、本来の勝負内容と趣旨が違うからだ。


姿を現した平馬側のメンバーは全部で三人。

場所を変えずに留まっていたらしい。残る一人の姿は確認できないが、それについては問題ないだろう。陰に隠れてよく見えないが、彼らの後ろに人の気配がする。


だが、それは残る一人のものだけではなく、少しばかり嫌な予感を零斗は感じていた。


「おや、それは恐ろしい。でも……そうですね。これを見ても、同じ言葉を言えますか、ねえ?」


そう言って指をパチリと鳴らすと、平馬の陰に潜んでいた男が前に出る。そしてその男はとある人物を拘束していた。


「!? 霧島……」

「先輩、すみません……でも私、どうしても先輩が心配で……」

「……命令違反だぞ、二士にし。挙句、人質に取られてしまっては、元も子もないだろう」


後ろに腕を組まされ、拘束を受けていたのは美鈴だった。

どうやら、先ほどの平馬と零斗のやり取りは全チャンネルに向けて解放されていたらしい。


内容を聞いた美鈴は、零斗の助力をすべく命令に背いて駆けつけようとした、といった所か。


「それで、人質を取ったからどうだっていうんだ。仮にその子を殺したとして、実際に死ぬわけじゃない。人質の意味ないだろ」

「いいえ、それは違いますね。それは貴方だって分かっているでしょう?」


平馬が顎で合図すると、美鈴の傍らに立っていた男の一人が、彼女のヘッドギアを強引に外す。そして胸元から抜いたナイフを美鈴の頬にあて、ゆっくりと刃を立てる。


「―――― ッ、ぁぁあああアアアア!?」

「よせッ!!」


頬を裂かれ、痛みに悲鳴を上げる美鈴。

赤く、暖かな液体が滴る光景を見た彼女の表情は、苦痛と恐怖に歪んでいた。


何を言いたいか理解した零斗は、先ほどの銃撃で把握していた事実を平馬が意図的に仕組んでいたと確信した。


「やはり、痛覚遮断機能を……」

「ええ、切っています。それも軽減ではなく、完全にです」

「どういうつもりだ。その状態で負傷すれば、精神と肉体にどんな影響が出るか分からないぞ」

「ご心配なく。そのために抗体の出現ポイントを我々から遠ざけておいたのです。本当であれば、ノコノコと抗体のポイントに現れた貴方を殺し、現実世界にも影響が出るような傷を刻むつもりでしたが……、まあ、それについてはこの際、目をつぶりましょう」


ニヤニヤと、平馬は気持ちの悪い笑みを浮かべている。

零斗の反応を見て、自分が優位に立ったと確信したのだろう。


「さあどうしますか? 彼女のように、ろくな訓練も受けていない一般人が、疑似的とはいえ"死"を経験したなら、精神を保っていられますかねぇ? 良くてもトラウマ、悪ければ精神が崩壊する、なんてことも有り得ますよねぇ?」


平馬が言っていることは正しい。

とある実験で興味深い結果が確認されている。目隠しした状態の人間に「お湯だ」と伝えて腕に水をかけたところ、かけられた個所には本物の火傷ができたそうだ。


体の信号として認識していなくても、意識が本物と認識すれば、それは実際の事象として体にフィードバックされる。

そしてそれは、今の状況でも同じことが言える。


「さて、ではまず先ほどの行いに対する報いから、受けて頂きましょう」


そう言って、平馬は拳銃を構えると、零斗を目掛けて数発の銃弾を発射する。

それは零斗の体の腕、肩、腹などの要所々々に命中し、衝撃で彼の体が揺れる。


「いや、やめてぇ! 先輩……。先輩ッ!!」


最後の銃弾が零斗のヘッドギアを弾き飛ばし、残弾がなくなったところで平馬の手は止まる。


「安心してください。強化兵はこの程度で死にはしませんよ」


平馬は新しい弾倉を装填し、今度は零斗の頭に照準をつけて言い放つ。


「さぁ、大人しく我々に殺されるか、それとも仲間を見捨てて戦って死ぬか。お好きな方を選んでください」

「……」


全身の傷口から流血したまま、零斗は何も答えない。

打開策を模索しているのだろうか?

だとしても、無駄である。切り札は、こちらの手の内にあるのだから。


「先輩……」


そこに言葉をはさんだのは、美鈴だった。


「お願い、します。私の事は気にしないでください。こんな人達の言いなりになんて、ならないで下さい!」


全身を恐怖が支配している状態で、美鈴は懸命に勇気を絞り出し、言い放った。

溢れ出る涙を止められなくても、ガタガタと足を震わせながら、それでも彼女は懸命に言葉を絞り出した。


「……気が変わりました」


平馬は小さく舌打ちすると、美鈴に向き直し、平手でその頬を張る。


「彼が我々の提案を受け入れなければ、貴方は殺され、あなたの死と共に我々の勝ちが確定します。ですが、その前に――――」


そして手で美鈴の顎を持ち上げると、堂々と言い放った。


「新兵たちが見ているこの場で貴方の身包みを剥ぎ、じっくりと犯す。これでもまだ、同じ言葉を吐けますか?」


その言葉に、美鈴の全身から血の気が引いていく。

絶望が、頭から足先に向けて全身の熱を奪っていく。


それを確認した平馬は、満足そうな笑みを浮かべ、舌なめずりをする。


「―――― ここまでの、屑とはな」

「はい?」


頭から足先に向けて全身の熱を奪っていく。

それは零斗も同じであった。美鈴同様、全身の熱が失われ、体と共に思考が冷えていく感覚を感じていた。

ただし、絶望したがゆえに、ではない。許容可能な状況を、怒りの閾値が超えてしまったからである。


だ」


そう一言つぶやき、零斗は背中の収納ケースから筒状の物体を取り出し、目の前に放り投げる。


「霧島二士。軍規の重要性については既に説明したな。今からそれを実践する。命令違反を犯したお前は今ここで、俺と死ね」


 ピ ――――ッ、パシュウンン ――――…… 


零斗の放り投げた物体は電子音を上げた後、赤色のランプを点灯したまま、静かになった。


「誘引弾、ですか。抗体に此処を襲わせて、私たち全員を道連れにするおつもりですか」


シャープペンシルの上半分のような物体が、炸裂するでもなく、ただ音を上げただけのように見える。

しかし、実際には誘引弾内部から多量のマナが放出されていた。


「脅しのつもりでしょうが、ここは抗体のいる位置から5キロ以上離れています。このような場所でたかだか数発の誘引弾を使用したからと言って、抗体がこの場所に注意を向ける、はず、が……」


いったい何をしたのか。

それが分かるのは、零斗を除くとその場には二人だけ。

平馬と美鈴だ。


「お前は一つ、勘違いをしている。特交兵一人あたりが所持する誘引弾は平均3つ。誘引弾一つ当たりの有効範囲は半径1キロ程度。俺に割り当てられた分の誘引弾をすべて使用しても、抗体がこの場所をかぎつける可能性は確かに低い。だが……」


そう言って、零斗は再び背中へ手を伸ばし、とあるものを取り出す。


「そいつがまとめて使われたなら、果たしてどうかな」


再び目も前に放り投げられたソレを確認した平馬は、全身の血の気が引いていく感覚を覚えていた。


「し……正気か、お前ぇ!?」


カラカラと音を立てて零斗の前に転がったのは、先ほど零斗が投げた誘引弾と同じもの。

赤色のランプが点灯している、既に起動済みのものが9個。


何故、そんな数の誘引弾を零斗が所持しているのか。

答えは明白、奪ったからだ。先ほど零斗と対峙し、碌な反撃も出来ずに殺された三人から。


「ひ……平馬さん……」

「う、狼狽えるな、これはシミュレーションだ。ここでの負傷は現実世界とは関係ない。万が一、命を落としたところで、何ら影、響……は……」


動揺していたからか、そう言いかけて平馬は言葉を止める。

先ほど自分自身で言ったことを思い出したからだ。


「そう、此処での死傷は所詮、仮初のものでしかない。が、それは通常のシミュレーションであった場合の話だ」


痛覚遮断機能をカットし、ここでの負傷が現実に現れるようにした、と平馬自身がそう言った。


「お前は正しい。精神異常をきたさないための痛覚遮断機能を完全に切った環境で、しかも五感を残したまま、限りなく現実に近い状況を再現した。仮想とはいえ、この条件下で"死"を経験した場合、お前たちの精神も、現実の肉体も、無事に済むか……自分で確かめろ」


くそッ! と吐いて捨てた平馬は、OICへのコンタクトを試みる。


「OIC……おい、加藤! 今すぐ痛覚遮断機能を戻せ! ……おい、聞こえているのか!? 応答しろ、加藤!!」

「無駄だ」


その言葉に、平馬の体がビクリと反応する。

恐る恐る視線を零斗に向けると、彼は淡々と説明を始める。


「OICの制御権なら、とっくに俺の部下が取り戻している。貴様の指示は受け付けん」

「嘘だ……だって、OICはシミュレータを悪用できないよう、使用中は外部からのアクセスが出来ないように……」

「物理的には、な。生憎と、俺の部下は優秀なんだ。お前達が馬鹿なことをすると知ってから、一体どれだけの時間があったと思ってる。こと情報戦において、俺の部下の右に出るものはいない」


あまりに予想外過ぎる出来事に、後頭部のあたりがビリビリする。

表情は青ざめ、どうしたら良いか、何も考えられなくなってきた。


「その部下に、お前達のことも調べさせた。随分と手広くやっていたものだ。支給物資の横領、教官職への恫喝、訓練シミュレータの不正使用に、女性士官への性的暴行……」


言葉にするだけで、吐き気がする。

平馬達の罪状を読み上げていくにつれ、零斗のこめかみには青筋が浮かび、その表情は鬼の形相を呈していた。


「少々、"おいた"が過ぎたな」


零斗の放った言葉と、まるで人以外のものを見るような目に、精神を繋ぎ止めていた何かが切られたのかもしれない。


「うぁああアアアア ――――――― ッ!?」

「あ、バカッ! 闇雲に動くな!!」


武器を放り出し、その場から逃げようと森に向かって走り出す男が、一人。


何も考えられず、自分の背後から聞こえてきた恐怖の足音から、一刻も早く逃げたかったのかもしれない。

けれど、その恐怖が潜んでいるのは、背後などではなかった。


「ぉア゛ッ!?」


草むらに飛び込んだはずの男の体が、空中にはね上げられ、落ちてこない。

何かに引っかかり、ぶらぶらと何かに吊り下げられているようだ。


よくよく見ると、男の体を何か黒い槍のようなものが貫いている。

それは人工物のような光沢をもったものではなく、昆虫の殻のように怪しい光沢をもったものだった。


そして姿を現したもの。

それは、巨大なサソリの様な形をした、未知の生命体だった。

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