第3話:粗忽者
苛烈極まりない入隊式から数分後、美鈴はとある決意を胸に抱いていた。
「直接、紅神先輩に確認しよう!」
何か、すごいことを美鈴が言い始めた。
これは一体どういうことなのか? 理由は数分前、零斗に関して、やはり噂が正しいのでは、と話題になったときの事だ。噂の肯定派が大多数を占める中、美鈴だけがそこに待ったをかけた。
どれだけ神聖視されているのか知らないが、美鈴だけは決して零斗に対する評価を変えなかった。
そしてこともあろうに、その真偽について直接本人に確かめれば解決すると言い出し、実行に移そうとしているところを紗耶香に引き留められているのだ。
「この子、実は俺よりバカなの?」
「ばっ……、いやいや、だって噂ばっかりに振り回されたってしょうがないでしょ? だったら、本人に直接聞くのが一番確実だよ!」
割と空気を読めなかったり、頭の出来は良くなかったりという自覚は巧にはあった。
だが、この場に限っていえば、美鈴の行動は巧から見ても呆れるものだった。
「そりゃそうだけど……先輩は、霧島さんの事おぼえているの?」
「平気! もし忘れられていても、もう一度自己紹介から始めればいいんだもの!!」
「どんだけポジティブなんだ……」
「無駄よ。こうなった美鈴は誰にも止められないわ」
説得を続ける同期に構うことなく、美鈴は歩みを進める。目指す先は、零斗がいるであろう教官室だった。
「大丈夫。いざとなったら私が ――――」
よほど気合が入っているのか、周りの制止など無意味だった。
だがそれゆえに、コーナーに近づく人影にまったく気づかなかった。
ドンッ
「わぁッ!」「キャッ」
衝撃と共に視界が動く。
何かにぶつかってようやく、周囲への注意が散漫になっていたことに気が付いた。
「もう、美鈴ったら何してるの!」
「ご、ごめんなさい! ちゃんと前を見てなくて……怪我はない?」
「いえ、大丈夫ですので、……これで」
ぶつかった相手は自分よりも一回り小柄な少女だった。
どこか体調が優れないのか、フラフラと立ち上がり、その場を後にしようとする。が、美鈴はここで、あることに気づく。
「あの、その腕、怪我をしているじゃないですか」
ぶつかった少女が立ち上がる際、彼女の腕に青い大きな痣が見えた。
「いえ……これは、その……今できたモノでは……」
とっさの事に口ごもってしまう少女。
何だか様子がおかしい。そう美鈴は感じていた。
「それに顔色も悪いよ。あまり体調が良くないなら、医務室に行ったほうが……」
「お構いなく、いつもの……事なので……」
「いや、でも。どう見たって平気そうじゃないですよ」
「平気です。それよりも、私は急いでいますので……」
美鈴は粘り強く少女に声をかけるが、彼女はそれに応じようとしない。
それ以上に、早くこの場から離れようとしている節すらある。何故そんなに急いでいるのか。頭に浮かぶ疑問。その答えは、突如として目の前に現れた。
「あぁ!? こんな所に居やがったかぁ!!」
そこに、耳障りな言葉が聞こえてくる。
コーナーから姿を現したのは、先の入隊式で零斗にヤジを飛ばしていた男だった。
「オイ、加藤! テメェ、たばこ一つ買ってくるのにどれだけ時間かけてやがる!!」
「ご、ごめんなさい。でも、許可証がないと未成年は ――――」
「あ゛ぁ!? 使いパシリも碌にできねぇ
バチィンッ!
「―――― う゛ッ!」
乾いた音が鳴り響き、平手を張られた顔が弾かれる。
加藤と呼ばれた小柄な彼女の体は、男の放った平手一発で床に転がった。
「ちょっ、いきなり何をするんですか!?」
「……なんでテメェらは。俺はソイツと話をしてんだ。関係ねえ奴ぁ、スッこんでろ!!」
男は加藤の襟をつかみ、再び殴りつけようと腕を振り上げている。
と、その腕を掴む人影が一つ。巧だった。
「関係なくなんかねえよ。女の顔を張りやがって、お前、それでも男かよ!」
「はぁ? 何だお前。今どき、女の前でヒーロー気取りかよ」
「気取りだろうが、何だろうが。見過ごせない状況であることは間違いないね」
巧に続き、雅彦も肩を並べる。
多勢に無勢だ。このままこの場を後にしてくれれば、無駄に騒ぎが広がらずに収まる。
が、状況はそう易々と好転することはなかった。
「おぉ~い、お前ら何してんだぁ」
「なんだなんだ? 揉め事か?」
「お、女子もいるじゃんか。ラッキー」
数人の足音が聞こえてきたと思いきや、数メートル先のコーナーからさらに大勢の男たちが姿を現した。
「こいつら、義務徴兵組の……っ!」
巧の顔が、苦虫を噛み潰したように歪む。
新たに現れた3人の男たちは、どう見ても義務徴兵組特有の素行の悪さがうかがえた。
「……霧島さんと御堂さんは、教官を呼んできて」
「で、でも。西村君と本庄君が……」
「俺らの事は心配すんな。ほら、さっさと行った」
巧と雅彦の額に、嫌な汗が浮かぶ。
荒事になれていない自分たちがこの場に居ても、足手纏いにしかならないと判断した紗耶香は、美鈴を連れてこの場を離れようとする。
「……美鈴、いくよ」
踵を返し、紗耶香は美鈴と二人でこの場を離れようとする。
「おぉっと、行くって、どこに行くって言うんだよ。こっちの話は終わってねぇぞ?」
が、それを遮るように、反対側からも数人の男たちが姿を現した。
行く手を阻むように両手を広げ、男の一人が道をふさぐ。
「そっちにあっても、こっちには無いわよ」
「まぁまぁ、そんなにツレないこと言うなよ、な!」
「きゃあッ!?」
二人の背後に陣取っていた男たちの一人が、美鈴の尻を軽く叩く様に触れる。
「ちょっとッ!!」
「おぉ、案外いいケツしてんじゃん、こりゃあ結構楽しめるかもなァ」
「え、何、お前って尻フェチなの? マジで?」
「お前らッ!!」
男たちの不埒な行動に怒った雅彦が、美鈴に手を出した男に掴みかかった。
そのまま壁に押し付け、殴りかかろうとしたとき、後ろから両腕を掴まれ、自由を奪われた。
「まぁまぁ、同期だぜ? 俺ら」
「そうそう。そんなに怖い顔すんなよ……なぁッ!!」
そしてそのまま腹部に一発。
強烈なボディーブローを叩きこまれた雅彦は、その衝撃に苦悶の声を上げる。
「ごぁ……ァッ!」
「テメェ!!」
目の前で友に手を出され、頭に血が上った巧は雅彦を殴った相手に殴りかかる。
拳は男の顔面を捉え、男の顔は明後日の方角を向かされる。
「痛ってぇ ―――― なぁ!!」
しかし、相手は喧嘩慣れしているためか、巧のパンチなど全く意に介した様子はない。
すぐに体勢を整え、ノーモーションからの蹴りを繰り出すと、それを巧の太ももに叩きこむ。
そしてバランスを崩したところに、顔面への膝蹴りを繰り出した。
「ぅぶッ!」
「はは、何だコイツら、口だけじゃねぇか!」
「アンタたち、いい加減にしときなさいよ。こんなフザけたことして、教官たちの耳に入ったら、タダじゃ済まなくなるわよ!」
「あ? 何それ、脅してんの? 被害者はこっちだろっての。責任取って、今日の午後くらいはご一緒してもらわないと、こっちの気が収まらねぇっての」
「被害者って……貴方達が彼女に手を上げたんじゃないですか!」
「分かってねぇなぁ。コイツはな、俺たちの犬なの、家畜なの、奴隷なの。犬を躾けたところで、何が問題だってんだ」
紗耶香と美鈴の精一杯の威嚇に対して、相手が怯む様子はない。
「それにな、面倒なことになんかならねぇよ。俺等には、教官どもですら頭が上がらない、こわーいオトモダチってやつがいるんだからな。なぁ、平馬サン?」
「いい加減にしとけよ、お前ら。少し調子に乗りすぎだ」
「サーセン。でも、これくらい楽しんでも罰は当たらなくないっすか?」
男たちの後ろから、リーダー格らしき男が前に出てきた。
入隊式の時に義務徴兵組の最前列にいた男だ。他の男連中とは違い、見た目から下品な印象こそ受けないものの、この場に似つかわしくないチャラ付いた雰囲気をまとっている。
「悪いね。コイツらは、札付きのゴロツキ共でね。ここに来るまでは男所帯の所に居たから、ちょっと浮かれ過ぎているみたいなんだ」
「……悪いって思っているなら、そろそろソコを通して貰いたいんだけど」
「ああ、残念ながらそれは出来ないね。こんな奴らでも、一応は俺の仲間だ。そこに転がっているお友達がしでかした分、君たちには相応の対価を払ってもらわないと、割が合わない」
物腰柔らかな口調とは裏腹に、言っている内容は先ほどの男たちと大差がない。
美鈴達に落ち度はないが、そんなことを吠えても事態が変わるわけではない。
「どうしろって言うの?」
「そうだね、つい先日まで、つまらない場所に押し込められていたからね。正直、人の温もりに飢えていたところなんだ。ここなら、そういった退屈はしなくても済みそうだ」
「ッ!?」
肩に充てられた手には平馬の力がいっぱいに乗せられ、壁際まで勢いよく突き飛ばされた。
背が壁に当たり、逃げ場がなくなると、大きな音を上げて腕を壁に打ち据える。いわゆる、壁ドンの体勢だ。
威嚇のようなその勢いに、紗耶香の全身が静かに緊張していくのが分かる。
「女なら、女にしかできない、男の喜ばせ方があるだろう?」
吐息が頬に当たるほどの距離で、平馬の指先が首の鎖骨近くに当てられると、ボタンの一つが弾け飛んだ。
指を首から離す際、意図的にボタンに引っ掛けたのだ。
何が起きたのか分からなかったが、コツン、と音を立ててボタンが床に転がった後、一拍置いて訪れた強烈な羞恥心に、紗耶香は思わず右腕を振りかぶっていた。
「黙って聞いていれば……ッ!」
「おぉーっと、だったらなんだ? 手をあげるか?」
しかし、紗耶香が振り上げた右腕を、平馬は事もなげに止めてみせた。
「張り手の一つでも張ってしまえば、相手が怯むとでも? どうやら、その勘違いした認識を改めてあげないといけないようだね」
パァンッ!!
乾いた音と共に、紗耶香の顔が力ずくで明後日の方向に弾かれる。
頬を張られ、叩かれた位置には赤い痕がジンワリと浮かび始めた。
「くッ……」
「どうだ、抵抗など無駄なことだと理解できたかい。さぁ、だったら来るんだ」
「はな……して……!」
「や、止めて、紗耶香に乱暴しないで!!」
「おーっと、君はこっちだよん」
友人の危機を救おうと、勇気を出して飛び出した瞬間、手首を捻るようにつかまれ、身動きが取れなくなった。
「痛っ…、だ、誰かっ」
羞恥心を押し殺して、必死に上げようとした助けの声は、男の一人に口をふさがれ、誰の元にも届かない。
おそらく、他の新兵達は既に講義室に集合しているだろう。
周囲には全くと言っていいほど人影がない。
どうすれば良い?
このような場所で、こんな犯罪まがいの事態に巻き込まれるなんて、考えてもみなかった。焦りから思考が乱れ、紗耶香を助けなければという思いから、がむしゃらに体を動かすが、男性の力の前では無力に等しい。
「どうしてもって言うのなら、チャンスをあげてもいい」
「チャン……ス……?」
「ああ、別に難しい事じゃないそう身構えなくても良いよ。なに、簡単な事さ。今から10分間。何もしなければ良いだけさ。そう、何をされても、ね」
その言葉を聞いた取り巻きの男たちが、下卑た笑みを浮かべる。
対する美鈴は、背中を何か冷たいものが伝うような恐怖に襲われていた。
「この……外道ッ!!」
「別に嫌なら止めても良いんだよ? ただしその場合、こっちの彼女がどうなるかまでは、保証しないけどね?」
怒り、声を荒げる紗耶香。
そんな彼女の怒声など、全く意に介さない平馬。
まさしく、正真正銘のクズだった。
「分かり……ました……」
「美鈴ッ!?」
「その代わり……紗耶香と二人には、もう手を出さないで」
覚悟を決め、美鈴は真っ直ぐに平馬と対峙する。
ヒュゥッ、と一人が口を鳴らし、男たちの笑みが、より不快なモノへと変わっていく。
「だめ、美す……」
「おーっと、いまいい所だから、静かにしてましょーね」
抗議の声を上げようとした紗耶香の口を、取り巻きの一人が塞ぎ、黙らせる。
「交渉成立だね。おい、下手に動けないよう、抑えておけよ」
「ウッす!」
捕まれていた手首を話されたものの、今度は羽交い締めにされ身動きを封じされた。これでもう、本当に抵抗は難しい。
掴まれていた手首が未だに痺れる。
ニタニタと下卑た笑みを浮かべながらゆっくりと距離を詰める男達の手が、美鈴の体に迫る。
(痛い……怖い……)
助けが来なくとも、紗耶香たちに危害が及ばないのであれば、我慢できる。
我慢しなければいけない。
たとえ、どんなに恐ろしかったとしても。
(誰か……っ!)
唯一できたことは、少しでも早く誰かがこの事態に気づいてくれることを、心の中で祈るだけであった。
「お前達、そこで何をやっている」
が、まさか、それに気づいたのがあの人物になるとは、美鈴は思いもしなかった。
不意にかけられた聞き覚えのある声に、男たちの視線が一斉に向けられる。
思わず、美鈴と紗耶香も声の主に目線を向けると、そこには、先ほどの式典で脳裏に強く印象付けられた隊員が立っていた。
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