第2話:予期せぬ再会

《―――― 以上の順で、本日の入隊式を行う。総員、姿勢正せ》


抑揚のない司会者の言葉が消えると、その場は物音一つ立てられない静寂の場となった。

しじま、という言葉はこのような状態を指すのだろうか。そう思えてしまいそうなほどに、静かな空間がそこに在った。


その後、国歌斉唱、任命、宣誓などを粛々と行った。そして後半に入り、いよいよ入隊式は大詰めを迎える。


《指導官、登壇。部隊、気をつけ》


マイクを通して司会が指示を出すと、先頭に座っていた新兵の代表が立ち上がり、全体の指揮を執る。


「気を付けェ ―――― ッ!!」


講堂内に響き渡る、起立の号令。

響き渡るその声に反応し、新兵達は一斉に立ち上がる。


そして新兵達の中を、コツコツと足音を立てながら壇上へと進んでいく男性が一人。

新兵と同じ制服に身を包んでいるが、階級章が違う。相手は三等抗尉。米軍で言うところの、少尉に当たる階級だ。


《指導官、式辞。指揮者のみ、敬 ―――― !?》


此処で、何が起きたのか、指揮者に対し敬礼を命じるはずの司会は、のどに何かが詰まったように言葉が途切れた。


「な、なに? どうしたの?」


周囲が僅かにざわつき始めると、美鈴は事態の正体に気づき、その元凶に目を向ける。


講堂の三階席に座った一部の人間が、起立していなかった。

それどころか、不敵な笑みを浮かべて前席に足をのせている者すら居た。


その事に気づいた新兵の指揮者が、再び号令をかけようとするが、壇上の人物がそれを手で制し、指示を出す。


「……休ませ」

「っ……休めェッ!!」


指揮者の青年はその言葉に従い、新兵達に着席するよう指示を出した。


「何? あの人たち……」

「……義務徴兵組よ。執行猶予を付ける代わりに、服役中の囚人から召し上げられたならず者たち。俺達は命令には従わないって、そう言いたいんじゃない?」

「囚人って……犯罪者? なんでそんな人たちが此処にいるの?」

「ANA‘sへの入隊はナノマシン適性のない人間には許されないの。志願者自体がただでさえ少ないんだもの、使える人材なら囚人だって使わないと、戦線を支えられない、ってことよ。あまり気持ちのいい話ではないけどね」


日本を始め、各国は独自に抗体との戦闘を続けてきたが、その進行力は凄まじく、一般からの自由意思による応募だけでは立ち行かなくなった。


その結果、徴兵制度の復活、囚人の兵役義務化、未成年の訓練生による現場研修という名の出征を日本は認めざるを得なかった。


「ともかく、あそこの連中には近づかないようにしたほうが良い。特にあの一番前で足を組んでいる奴。アイツは、特にヤバいわ」


紗耶香が飛ばした視線を辿るように、美鈴が三階席の一番前に座るロン毛の男を見た。灰色のくせ毛で、ニタニタと不敵な笑みを常に浮かべている気味の悪い男だ。


平馬ひらま 武晴たけはる。有力な暴力団との伝手があってほとんどの悪事はもみ消されているけど、今までに起こした犯罪は、恫喝、窃盗、性犯罪、違法薬物……子供を誘拐して連れていくところを逮捕された、札付きの悪人よ。義務徴兵組の中でも、最も気を付けないといけないヤツね。絶対に近づいてはダメよ」

「い、言われなくたって、あんな怖そうな人には近づかないよ」


どうだか……。

そういわんばかりに、紗耶香は深いため息をついた。


「昔から美鈴は面倒ごとに巻き込まれやすいんだからね? ホントに分かった?」

「はいはい、紗耶香は心配性だね」

「もう、人の気も知らないで……。ほら、教官殿が挨拶するわよ」

「分かってるよ。でも、知らない人の話なんて、どれもいっ……しょ……」


壇上に上がった教官が被っていた帽子に手をかける。

その所作の中で、腰にぶら下がっている刀がユラリと揺れた。この時、美鈴は気づいた。彼の腰に下げられた刀は、自分たちのように支給された軍刀ではなかったことに。そしてそれを、自分は一度見たことがあった。


被っていた帽子を脱ぐと、そこには美鈴の記憶に刻まれた、恩人の姿があった。


「第38独立遊撃大隊 大隊長の"紅神 零斗"三等抗尉だ。諸君、本日は入隊、誠におめでとう」


思ってもみなかった零斗の登場に、美鈴は何が起きているのか分からなくなった。


「え、え? 本物? ホンモノの紅神先輩!?」

「シーッ! 静かに、まだ式の最中なんだから」


美鈴のうろたえ方を見る限り、本当に知らなかったのだろう。紗耶香は呆れるように溜息をついたが、美鈴らしいと微かに笑顔になった。


「さて、諸君らは本日よりANA'sの一員として、共に訓練を積み、技術を磨き、精神を鍛え上げることになる。我が第38独立遊撃大隊はANA’sの一部隊として作戦に参加する傍ら、諸君らの指導役を任されている。が、大隊のほとんどは君らのように教練過程を経て一線で活躍する、いわば君らの先達達だ。年齢も諸君らとそう変わらない」


壇上に立ち、新兵達の表情を確認しながら、零斗は淡々と式辞を述べていく。


「未成年でもある諸君が研鑽を積む、ここ加賀谷高戦は軍施設であるとともに、教育機関としても扱われている。厳しい訓練や、制限のかけられた共同生活では、様々な悩みや葛藤に襲われることだろう。訓練中は上官、下官の関係を徹底することにはなるが、訓練外では先輩・後輩の関係で呼び合い、頼ってほしいと思う」


落ち着いた式辞の内容、所作、声音。

やはり、所詮は噂だったのだ。自分を助けてくれた恩人が、皆から恐れられるような人であるわけがないと、美鈴は思った。


「さて、今後の諸君らの工程だが、まず ――――」

「おいおい、期待外れもいい所だよぉ!」


しかし、その穏やかさに待ったをかける声が上がる。

その声の主は、講堂の三階席に座った義務徴兵組の男で、平馬の腰巾着の一人だった。


「紅神 零斗っていやぁ、どんな奴でも震え上がるヤバい奴だっていうから、面を拝むためこんなシケたイベントに参加したのにさぁ? ガッカリだぁ!」

「期待に添えられなかったのなら申し訳ないが、今は式の途中だ。座れ」

「挑発されてもシラを切るってか? 結局はいいトコのお坊ちゃんってことかぁ? なぁ、お前らもそう思うよなぁ!?」


突然立ち上がった義務徴兵組の男は両手を広げ、会場の新兵達に視線を向ける。


「教えてくれよ。アンタ、上官を殴り殺したことがあるんだろ? だったらさぁ、俺らにも同じことをされたって文句は言えないってことだよなぁ!?」

「もう一度言う。式の最中だ。座りなさい」


会場の空気は一気に冷え込んでいく。

正直、どのようにこの場を収めるのか、誰も検討がつかない。


「こんなクソみてぇなところに無理やり連れてこられて、俺らが大人しく従うとか本気で思ってんのかよ! 俺達に協力してほしければなぁ、まずそっちからお願いするのが筋ってもんだろぉが。頭を地面に擦り付けてよぉ!!」


男の主張は止まらない。

しかし、当の零斗は全く動じていなかった。よく舌の回る奴だなぁ、程度にしか考えていなかった。


「オイ、何とか言ったらどうなんだよ! 言われっぱなしでだんまりを決め込むとか、てめぇ、それでも○○ついてんのかよ。腰にぶら下げたもんはただの飾りかよ! 少しは言い返してみたらどうなんだよ!!」


この言葉を受け、平馬や周囲の人間の表情にも不気味な笑顔が浮かび上がる。

彼らは、立ち上がって喚きたてている男に、自分たちの考え方を代弁させているのだ。


元々、彼らは自分の意思ではなく、強制的にANA’sへの入隊を決められた者たちだ。

志も、プライドも、何もない。あるのは、誰かの軍門に降るという行為への屈辱感のみ。故に、誰に何と言われようと、従うつもりは毛頭なかった。


「……そうか。なら二つ、言わせてもらおう」


と、ここで零斗が動いた。

何を言うのか、会場中の人間が固唾をのんで見守る。


「まず一つ。俺にはしっかりと○○が付いている。それはもう、立派なモノが」


 ……どッ!!!


一拍、会場が静まり返り、爆発したように大勢の噴き出す声が響き渡った。「そ、そっちかぁーい!!」と、全員でツッコミを入れたような勢いで笑い出した。


一瞬にして笑いの場にされた三階席の男は、顔を真っ赤に染め上げて羞恥に震えていた。


「やれやれ……君が何を期待してANA’sに入隊したのかは知らないが、期待に沿えなかったようなら残念だったな。俺はお前たちの期待に応えてやるつもりもないし、義務もない」


緊張感がほぐれ、会場の雰囲気が戻ってきた。そのまま零斗は、ならず者たちに対し、穏やかに対応する ――――、かに思われた。


「それと、二つ目だ。よく聞け」


零斗の手が、腰に下げられた刀に触れた。

次の瞬間、まっすぐに引き抜かれた刀身が姿を現し、会場に居る全ての人間の注意を集める。


そして、切っ先が男に向けられると、大して振りかぶりもせず、腕の力だけで投擲された。そのあまりの早業に腕の輪郭が霞み、数十メートル離れていたはずの平馬たち義務徴兵組は、反応すらできなかった。


 カキィインン ――――……ッ!


怒りに震える男の顔。その頬をかすめる形で、投擲された零斗の刀は顔面の横を通過し、後席の足元に突き刺さった。コンクリートの壁に対し、刀身の半ばまで、だ。


「―――― 式の途中だ。座れ」


薄皮を切り裂かれ、タラりと男の頬から流れ出る赤い液体。

その温かさが皮膚を伝ってようやく、男は何が起きたのか体で理解し、遅れてやって来た恐怖に、腰を抜かす。


表情を固めたまま、ストン、と尻から椅子に座り込んだ彼に、少し前まで同じように笑っていた周囲の新兵達も、顔を引きつらせる。


「勘違いしてもらっては困る。俺は何も、愉快で快適な訓練生活を送れるよう君たちにアドバイスをしている訳じゃない。実のある訓練を積んでもらわなければ、戦場に居る俺達が困るからだ」


零斗の言葉に遅れて、男の中から、言葉にできない感情が沸き上がった。大量の汗が吹き出し、四肢や顎が小刻みに震えている。


「いいか? 俺が君たちに求めることは一つだけ。とてもシンプルなことだ」


投擲された刀に全く反応できなかった。

それどころか、高速で飛来した刀身を視界し捉えることすらできなかった。

だが、別のものはしっかりと視界に捉えている。


「俺が君たちに求める事 ―――― それは、敵に"喰われないこと"。ただそれだけだ」


男をまっすぐに見据えた零斗の目。

かなり距離が離れていたはずなのに、ハッキリと認識できた麦茶色の瞳。その奥には、生き物をただの物体としてしか認識していないような、無機質で冷たい光が宿っていた。


「キミらは、なぜ抗体が人間を襲うか、知っているか?」


先ほどとは打って変わって、講堂内は静かになった。

司会役などの軍関係者ですら冷や汗を流し、事態をただただ静観している。


「答えは単純だ。奴らの進化に必要不可欠な【命素エナ】を人間は他の生物よりも多く保有しているからだ。近年になって発見されたこの半物質は、今まで知覚できなかっただけで生物であればどんな生き物であっても必ず持っている。ただし、その保有量は素体となる生物の知性の高さに依存する。つまり人間は、命素エナを大量に貯蔵した取るに足らない存在。彼らにとってこれ以上ない完全食ということ。人を喰えば喰っただけ、我々が空想上に描いていたような怪物が、現実の存在として誕生する訳だ」


言葉を投げかけ、右の人差し指で自分の胸を指す。

ゴクリ、と息をのむ音が聞こえそうな緊張感。その中で、零斗は言葉を紡ぐ。


かつては娯楽の一種として怪物を空想の物語に描き、人々はその話に陶酔していた。

だが現在では、そうはいかない。怪物は実在するものであり、人類の襲い、大切なものを破壊する、忌むべき存在なのだ。


「思いがけず話すことになったが、言いたいことはこうだ。お前たちの中に、抗体に喰われるようなマヌケが居た場合、ソイツのせいで抗体が力をつけ、より多くの被害が出る。奴らは命素エナの発する"マナ"と呼ばれる特殊なエネルギーを知覚し、どこまででも人間を追い続ける。君らがどこで生き、どこで死のうと勝手だが、そのツケを他の人間に払わせるような愚行は、俺が許さない。故に、少しでも不適格であると判断した場合 ――――」


新兵達は視線を逸らさない。否、逸らせない。

それはまるで獰猛な肉食獣を目の前にしているような、危機感がそうさせるからだ。動いたら、その瞬間に終わりだと。


「敵の糧となる前に、俺がこの手で殺してやる」


そして、零斗は予定当初の内容とはだいぶ異なったが、式辞を締めくくる。


「心して職務を遂行せよ。新兵ども」

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