第9話
昼食の後でテイクアウトの飲みものを買い、僕たちは広い公園内を一周する道を、出来るだけ日陰の道を選んで歩いた。その後、休憩に藤棚の下に設えられているテーブルに座った。鮮やかな緑色をした藤の葉の影と木漏れ日の斑模様が、地面と木のテーブルの上に出来ている。風鈴が藤棚の隅に結びつけられていて、時折、高い音が辺りに響く。
二人でいる時間はすぐに過ぎてしまう。昼頃にはまだまだたくさんあったはずの午後の時間は少しずつ、しかし確実に削り取られていって、気がつけばもうかなり日が傾いてきていた。
少し離れた場所には日時計が設置されていて、ちょうど僕が座っている位置から文字盤を見ることが出来た。その影は今、午後三時のあたりを指している。僕はその日時計をぼんやりと見つめていた。影の動きは、じっと見つめていてもわからない。止まっているようにしか見えないけれど、それは本当には、絶え間なく動き続けているのだ。
ふいに、「陽が短くなってきたね」と、彼女がぽつりと言った。
その言葉に僕は顔を上げ、遠くに連なる山々の上にある太陽を見た。これから少しずつ陽は沈み、山の背後にその姿を隠していくのだろう。
透明だった陽射しも、少しずつ黄色味を帯び始めている。彼女が先ほど買ってきた缶ジュースに斜めに射し込んできている光が当たって、小さな光点を作っていた。ふと、絶え間なく響いていた蝉の鳴き声のなかに、ヒグラシの甲高い鳴き声が混ざってきていることにも気がついた。
なぜか少し寂しくなるその景色を見て、「もうすぐ夏も終わるんだな」と僕は言った。
「うん」と彼女は頷いた。そしてこう続けた。
「信じられる? 去年の今頃まで、私たち、ろくに話もしたことがなかったんだよ」
「そういえば、そうだったね」
僕たちが親しくなったのは、去年の十一月だった。同じクラスだったため面識はあったが、それまで彼女はただのクラスメイトでしかなかった。
「一年も経っていないのに、なんだかずいぶん遠くまで来た気がするよ」と、周囲を山に囲まれた見慣れない景色を見ながら、僕は言った。
「そうだね。こんなことになってるなんて思いもしなかったな」
彼女も感慨深げにそう言った。
その後、横からの陽射しを避けるように僕たちは席を立ち、缶の回収ボックスに空き缶を捨てて、木陰の濃くなった道を、また歩き出した。
その後の午後の時間、僕たちは、この山を流れている川の近くを歩き、それからはまた公園内にある建物に戻って、座って時間を過ごした。
午後六時を過ぎた頃、それまでにいた施設の駐車場に繋がっている道路に沿って、僕たちは博物館へ向けて歩き始めた。すでに陽は落ちているが、草の蒸されたようなにおいがまだあたりに漂っていた。西の空の端に、まだ夕陽の名残りの赤色が、空に滲むように混ざっている。
二十分ほどの間、急速に暗くなっていく空の下で、曲がりくねった坂道を上っていくと、やがて開けた土地に出て、天文ドームをそなえた三階建ての建物が見えてきた。建物の周りには、ちらほらと人の姿もあった。
僕たちは明かりのついている建物の中に入り、入り口にあった受付に向かった。その長机の前に座っていた年輩の男性は、参加申し込みが終わると僕たちに小冊子を手渡し、丁寧な口調でこの日の観測イベントの流れを説明してくれた。それによれば、まず室内で事前のレクチャーがあり、その後でバルコニーに準備してある天体望遠鏡を使って、この日の観測対象の、アルビレオとも呼ばれる白鳥座β星という天体を眺める、ということだった。冊子の中には、天体望遠鏡を使用するときの注意点、それからアルビレオについての説明が書かれていた。
事前のレクチャーが行われる部屋は二階にあった。僕たちは二人で階段を上ってそこに向かった。
中に入るとまず大きなモニターが目にはいった。そしてそれに向き合う形で、横長の会議机が四列並べてある。すでに、数組の参加者が椅子に座っていた。
僕たちが席についてしばらくすると、四十歳くらいの男性がモニターのそばに立ち、レクチャーが始まった。映像を使いながら、観測の際の実際的な注意点、それからこの日の観測対象のアルビレオについての説明がなされた。
アルビレオは、地球から約400光年離れたところにある天体で、夏の大三角の内側、ちょうどベガとアルタイルの中間あたりにある二つの星(天文学の用語では二重星と呼ぶらしい)だ。肉眼では一つの星に見えるが、望遠鏡などで拡大して見ると、赤い星と青い星の二つが現れる。名称の由来ははっきりしていないが、アラビア語でくちばしを意味する元の言葉が他言語への翻訳の際に誤訳などで変化し、現在の綴りとなった、とする説が有名らしい。
そのような説明を、僕たちは肩を並べて座りながら聞いていた。そうしていると、なんだか同じ教室で授業を受けていた中学生の頃に戻ったようで、ふと僕は懐かしさを覚えた。今説明を聞いている彼女は、冊子を手元に開き、背筋を伸ばした優等生然とした姿勢で、説明に耳を傾けている。それは昨年、同じ教室にいた時に目にしていた姿そのままだった。
僕の視線に気づいたのだろう、ふいに、「どうしたの?」と、彼女が僕に訊ねてきた。
「いや。授業を受けてるみたいでなんか懐かしいなと思って」
僕がそう答えると、彼女もくすりと笑って言った。「私もそう思った」
説明をしてくれている人の話を聞きながら、僕はずっと隣に座っている彼女のことを意識していた。もし同じ高校に進んでいたら、こんな風に、授業を受けることもあったのかもしれない、と思って。
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