第3話 競争開始!
一週間後、ハイデルベルク市民の間で、噂が流れました。ハウプト通りで、宝石商一族のフランツと有名貴族のワイトハイネンがマラソンで競争する、という噂でした。
勝った者には、絶世の美女、リーナが与えられます。リーナといえば、ハイデルベルクの美女コンテストで1位と取得したこともあるくらいでした。街中の人は、この勝負のことを噂しました。
そしてすぐに勝負の日がやってきました。
人々はハウプト通りに集まりました。勝負のマラソンは、ハウプト通りを走り、それを過ぎた噴水広場までの四キロメートル。噴水広場にはゴールが用意されています。
観客はスタート地点に千人以上も集まっています。
二人はスタート地点につきました。スタートの掛け声は、イタリア移民のパン屋店主、ボンボーニ老人が選ばれました。
「いちについて……」
フランツとワイトハイネンはグッと足に力を込め、走る準備をしました。観客は息を飲みました。
「よーいドン!」
ボンボーニ老人は叫びました。「と、言ったら走るんじゃぞ。ホッホッホ」
しかし、その言葉は二人にはまったく聞こえていませんでした。もう二人は走り出しています。観客は大興奮です。しかし、予想外のことが起こりました。
「待て! この大馬鹿野郎どもが!」
ボンボーニ老人は老人とは思えない勢いで走り始めました。簡単に二人に追いつき、両手で走っている二人の襟首をつかみました。
「何だ、ご老人!」
ひき倒されたワイトハイネンがうめきました。フランツも、「邪魔しないでくれ!」と叫びました。ボンボーニ老人は素早い動きで、二人の頬をひっぱたきました。
「この大バカもんが!」
観客は騒然としています。
「老人が必死に考えた笑いを、無視しおって! えーい、めんどうくせえ!」
ボンボーニ老人は、ワイトハイネンに頭突きをくらわせました。そしてフランツには馬乗りになり、またひっぱたきました。観客は総立ちです。すさまじい熱狂です。老人が、二人の紳士を完全に叩きのめしているのですから。
「ワシに勝ったら、リーナはくれてやるわい! リーナはワシの嫁じゃ!」
「いつから、あんたの嫁になったんだよ!」とフランツは言い返しました。
「ワシの空想の中でじゃ! 空想の嫁じゃ!」
「気味の悪いことを言うな!」
フランツは老人の耳を引っ張りました。
「ぎゃあー!」
ボンボーニ老人は叫びました。「耳は弱いんじゃあー!」
ボンボーニ老人は泣いています。観客達は冷たい目で、フランツを見ました。
「あーあ……」
「泣かすことないのにね」
「ひっでぇ……」
フランツは、「いや、その……」などと頭をかいています。しかし、ワイトハイネンはその隙に走り出しました。
「汚いぞ! ワイトハイネンめ!」
フランツは追いかけます。また、競争が再開しました。観客もまた歓声を上げ始めました。
二人はもう二キロは走っています。ハウプト通りを抜け、ポロネン商店街通りに入りました。ポロネン商店街通りは道幅が広く、地面も土でできているので、走るのに最適です。二人は並んで走っているので、どっちが勝つかわかりません。
道の両側には観客がたくさんおり、声援を送っています。
ワイトハイネンはニヤリと笑って、走りながらフランツに言いました。
「おい、いい加減、歩いていいぞ。あきらめろ、なあ、宝石商の坊ちゃんよ」
弟のライブルクはマラソン前に、ワイトハイネンに必勝法を伝授していました。「フランツと並走して走り、とにかく挑発し、悪口を言え」というものです。「そうするとフランツは焦り、体力を使い果たしてしまうだろう」
ところがワイトハイネンの挑発を聞いたフランツは怒り、顔を真っ赤にしてもの凄い勢いで走り始めました。
ワイトハイネンは目を丸くしました。かえってフランツに気力を与えてしまったのです。ワイトハイネンも、もう全力で走るしかありませんでした。
「ライブルクのアホが!」
ワイトハイネン伯爵は、走りながら叫びました。
二人はもう鬼の形相で一緒に走っています。ゴールは目前です。道に石灰で白線が横に引かれています。この白線がゴールでした。
ど、どっちが早くゴールに入るのだ? 観客は息を飲みました。
しかし、二人はほぼ同時に、ゴールへ走り込んだのです。
そこへ、写真店の主人、ブルクハルト氏がカメラを構えていたのでした。この時のために、ブルクハルト氏は、ゴールの瞬間をカメラに撮ることを申し出ていたのです。
ワイトハイネン伯爵とフランツは、もう疲れ切ってヘロヘロでした。木陰で座り込むしかありません。ブルクハルト氏は、ゴールして座り込んでいる二人に言いました。
「このカメラで、君達のゴールの瞬間の写真を撮ったよ。ようし、すぐに現像してやろう」
ブルクハルトは二人に、手に持ったカメラを見せました。しかし、その時──ワイトハイネン達の背後に誰かが立ちました。そしてワイトハイネン達の後ろから手を伸ばしたのです。カメラは何と、その者に奪われたのでした。そしてその男は、何と、おもむろに、カメラを地面に叩きつけたのです。
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