第2話 弟のライブルクに相談

 その日の夜十時──。

 ワイトハイネン伯爵はくしゃくは、自分の家に帰ってきました。ワイトハイネンの家は、おんぼろで、あまり裕福ではありません。しかし、ワイトハイネンは、今は落ちぶれても貴族の血が入っているので、それを誇りに生きてきたのです。

 ワイトハイネンは、家に帰って部屋に入るなり、自分の枕をベッドに叩きつけました。


「ちくしょう! あのフランツの野郎! あいつのせいで、リーナとお話ができなかったじゃないかよ!」


 ワイトハイネンは枕に顔をうずめました。「なんだよう、ちくしょう! 皆で俺をバカにしやがって。本当は俺が伯爵じゃなくて、金持ちじゃないなんて、皆知ってやがるんだ!」


 その時、部屋に扉をノックする音が響きました。


「兄さん、どうしたんです? お呼びですか?」


 ワイトハイネンは顔をすぐに上げました。


「ライブルクか」

「ええ、そうですよ。兄さん、入りますよ。何か、困りごとでも?」


 眼鏡をかけた若者が、部屋に入ってきました。ワイトハイネンの弟、ライブルクです。彼はドイツのハイデルベルク大学の秀才でした。頭が良く、生物学を学んでいます。最近は馬の尻尾の長さを1匹ずつ調べて、グラフにするという研究をしていました。つまりものすごく変人でした。


「お前は頭が良い」


 ワイトハイネンは、眼鏡をかけた弟の顔を見ました。「何かアイデアを出してくれ」


「兄さん、物事には順序があるんですよ。どうして困っているのか、話してくれなくっちゃあ」

「そうだったな。リーナという娘を知っているだろう」

「リーナ?」

「そう、リーナだよ。お前の大学の同級生だったろう?」

「ああ、あの! 除虫菊の販売会社の娘ですね。いつも除虫菊のにおいのする」

「違う! そいつじゃない。リーナだ。というか、逆に気になるわ! いつも除虫菊のにおいがしている女なんか」


 ライブルクはポンと手を打って、「ああ、分かりました」と言いました。「この前、マッシュポテトの風呂に入ったと自慢していた女でしょう? マッシュポテトが好きすぎて。あんな女性のどこがいいんですか?」

「お前、どんな連中と付き合ってるんだよ! 知らねえよ、そんな女!」

「ガハハハ、ジョークですよ、フランツ氏の妹でしょう?」

「お、おお。分かってくれたか」


 ワイトハイネンは、フーッとため息をつきました。「そうなんだ。フランツの妹のリーナだよ。フランツのせいで、今日はまともに話ができなかったんだよ。あいつが邪魔してきたからな。殴り合ったんだ」


「殴り合った? そりゃ大変でしたねえ。そういえば、リーナって確か、ヒョードル護身術の達人ですよね?」

「うん? そんなこと言ってたな。そういえば」

「確かに彼女は美人ですが、サンボというロシアの格闘術も習っていたはずです。大学のレポートの題名は、『ロシア格闘術 完全制覇 最強への道』だったはずですよ」

「おい、リーナはどういう女なんだよ! 何なんだ、『最強への道』って」

「兄さんが好きになった女性じゃないですか。まあ、浮気したら、膝蹴りから裏投げのコンボをまともにくらうでしょうね」

「普通に病院送りだろ、それ! でも、まあ──俺は彼女が好きなんだよ……」

「どうやら本気のようですね。さすが変態の兄さんだ」


 ライブルクは腕組みをしながら、とても納得のいった顔をしました。


「褒めてんのか、それ……」

「つまり兄さんは、フランツを相手に、リーナを争っているわけだ。確かフランツはリーナとは血が繋がっていないはずですよね。まあ、リーナとフランツは一緒に屋敷に住んでいるくらいですから、仲が良いんでしょう」

「そうなんだよ。でも、どうにかフランツを説得して、リーナと付き合いたい」

「分かりました。こうしましょう」

「何かアイデアがあるのか?」

「ハウプト通りっていう道があるでしょう? その道は2キロメートルくらいある」

「あの中央にある通りか? それで?」

「フランツと走って競争するんですよ。マラソンするんです」

「何だって?」


 ワイトハイネンは顔をしかめました。「あいつとマラソンで競争だって? つまり、走るのか? うーん」


「殴り合うより、平和的でよい解決方法じゃないですか」

「ハウプト通りを走るって……。人通りが多いぞ」

「まあ、僕にまかせてくださいよ。ドイツ人は大騒ぎが好きです。みんな、喜んで協力してくれますよ。僕は大学で生物学のほかに、経済学と心理学を勉強しているんです。イベントを開催するくらい、何てことはない」

「と、とんでもないことになってきたな。でも、勝てなくては意味がないぞ」


 するとライブルクはニヤリと笑いました。


「鈍足で豚足の兄さんが、勝てる方法を考え付きましたよ!」

「何、本当か? って今、お前、兄に対して、かなり失礼なことを言わなかったか?」

「いや、言ってませんよ。豚足とは言いましたが」

「それだよ! 失礼なことって!」

「ごめんなさい、兄さん。じゃあ、バカな兄さんでも確実に勝てる方法がある、と言っておきましょう」

「もっとひどいこと言ったぞ! ──まあ、お前の考えている方法で勝てるなら、何でも良いんだが。本当に勝てるのか?」

「その通りですよ、兄さん! リーナは兄さんのものです。ワハハハ! 今日は前祝いですよ。酒を飲みましょう!」

「……うーむ、大丈夫かな、こいつ……」


 ワイトハイネンはご機嫌なライブルクを見て腕組みをしました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る