第1話 終わりの始まり

「お客様降りられますか?」


 爽やかな表情の車掌が丁寧に膝をついてそう話しかけてきた。


「えっと、ここは?」


「西神北駅でございます」


 桐乃と別れを切り出されてから飛び乗った電車でついうたた寝をしてしまったみたいだ。しかし、俺は西神北せいしんきた駅なんて知らないし聞いた事もない。伸びをするついでに周りを見渡すがどうも見覚えがない。聞き間違いかと思い、車掌に再度聞き返すが「西神北駅でございます」とまたも丁寧に返された。終点の様だし何となく降りようとすると車掌が「本当に降りられますか?」と今度は少し心配そうな表情で聞き返してきた。俺は重いまぶたを擦りながら「まあ……はい」とだけ答えて電車を降りた。


 そこはレンガ調の壁が一面に張り巡らされたレトロな昭和ロマンを連想させる地下駅だった。駅のホームには俺以外に誰もいない。閑散としただだっ広い空間には不気味な静けさだけが広がっていた。


 改札へ向かいながらズボンのポケットにねじ込んだ切符を探すが、見つからないので改札の窓口を尋ねる事にした。


「すみませーん」


「はいお客様」


 恰幅の良い駅員がニコニコとした表情で現れた。何とも唐揚げが似合いそうな男だ。


「切符を無くしたんですけど……」


「左様でございますか。どうぞ、お通り下さい」


 唐揚げ駅員は嫌な顔ひとつせず、窓口の横をすんなりと通してくれた上に「よかったらどうぞ」と生温かくモッチリとした物体を俺の右手に握らせてきた。俺は右手のモッチリとした感触をもう一度確かめながら、恐る恐るその物体を見つめた。苺大福だ。どこからどう見ても剥き出しの苺大福だ。


 人差し指を突き立てて口元に置き「シー」と言う唐揚げ駅員。誰に何を黙れば良いのか分からないが、ニコニコとした表情から敵意は無い事が感じ取れたので、良心として受け取った。


「どうも……」


 俺は、その生温かい優しさをゴミ箱に捨てると足早に地上へと上がる出口を探した。どこまでも続いていそうな一本道をただひたすら歩く。


 ここは一体どこなのか……。

 どこに向かっているのか……。

 左右に広がるレンガ調の無機質な壁が俺の不安を煽った。


 5分程歩くと遠くの方に微かに階段の様なものが見えた。安堵からか歩くペースが少し速くなる。階段から差し込むオレンジ色の日差しが地上への出口を知らせる。俺は不安な気持ちを抱きながらも、心地良い外の空気に誘われるがまま、勢いよく地上へと駆け上がった。


 目の前にチラつく夕陽に目を薄めながら周りを見渡す。するとそこには、拍子抜けする程に見慣れた街並みが広がっていた。俺が一人暮らしをするアパートの近所だ。大学生の頃から8年も住んでいる場所だ、見間違えるはずもない。


 こんな所に駅なんかあったか? と、出て来た出口の方を振り返るがそこには何もなかった。ただのアスファルトだ。そんなはずは無い、と何度も見返すが夕陽でオレンジ色に染まったアスファルトがゆっくりと冷たい影に覆われていくだけだった。それはまるで戻れない何かを暗示するかの様に。

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