火花は目にも止まらぬ速さで散る 2
空は目を開けた。
いつも見る夢を変わらず見ていた。そしていつものようにまた夢の続きを見ようと目を閉じるが、すぐに目を開けた。
一瞬目を開けた時に、裏海という看板が目に入ったからだ。
電車はすでに裏海に着いており、すでに車両のドアは開いている。それどころか閉まるところであった。
「やぁべ」
だが言葉とは裏腹に空は慌てることなく立ち上がり、素早くドアが閉まる前に通り抜ける。
背後でドアが閉まるのを音で感じながら、発車する電車を見送る。そして空は他数名のギリギリで電車から降りた者たちと違い、何食わぬ顔で改札口へと向かう列に加わった。
「ただいまー」
空が暮らす自宅がある場所は、裏海の住人たちが俗に言う、田舎寄りにあった。裏海は海と小さなふたつの山に三角形で囲まれた街であり、その西側は都市化があまり進んでいない。
昔この裏海で数多の血筋を持つ、様々な高名な一族が住んでいた、古い屋敷が多く残っている。好き好んで住む者たちは減ったが、裏海で代々暮らしてきた者たちは、何か特別な理由がない限りそこから離れることはない。
その中のひとつの家に、空は帰ってきた。“
いまはもうその道場が使われることはない。昔はたくさんの門下生がいたらしいが、そんなものはもう遠い昔の話である。
空は小さい頃にこの家に引き取られたが、本人はよく覚えていない。だが玄関を上がる空の所作のひとつひとつから、見た目とは裏腹に育ちの良さがにじみ出ている。
廊下を進み、いくつもの使っていたり、たまに使っていたり、物置同然の部屋を通り過ぎ、空は調理場へと向かった。
中では中学の制服にエプロン姿の少女が、料理を作っていた。そして空が返ってきたことに気づき顔を上げる。
「おにい、お帰りー。最近帰ってくるの早すぎじゃない?」
少女、
特に由愛はそのことを気にしていなかったが、いざそれが逆転すると、空が早く帰ってきて料理の手伝いをすることが、らしくないように思えてしまっていた。
そんなことは気にせず、空は入り口にかけてある手拭いを頭に巻き付け、料理の手伝いを始める。
「時間を有効的に使えるようになっただけさ」
ふたりで作業を進めたぶん料理は早く完成し、自分の担当を終えた空はもうすでに洗い物に入っていた。あとは由愛が終われば直に夕食である。
そうこうして洗い物を終えた空は、調理場を眺めている。古いかまどはいまは使っておらず、火を扱うときはガスコンロだけである。昔は米だけかまどで炊いていたなと、思い起こす。だがいまは炊飯器の機能を使えば、まるでかまどで炊いたご飯を再現出来てしまう。「人間の頭ももっと機械で便利にしちまいたいな」などと考えていると、サボっているとみなされたのか、自分の担当分料を終わらせた由愛が苦言を呈する。
「もうおにい、終わったんなら洗い物でもしといてよ」
すでに終わっていたが、特に反論することはなくヘイヘイと空は返事をし、手ぬぐいを取る。
「洗い物なんてあとでまとめてすりゃいいだろ。あとは僕が運ぶから、由愛はじいさん呼んできてくれ」
はーい、と返事をすると由愛は調理場をあとにし、廊下を小走りに行く足音が遠ざかっていく。
空は台の上に並べられた皿を見る。大皿の料理がみっつ。それに小鉢には漬け物。あとは人数分のご飯とみそ汁を盛ればいいだけである。
「多すぎ……だよなやっぱ」
他の家がどうかは知らないが、子ども二人と老人ひとりの計三人が食べるにしては、大盛りすぎだと空は思う。
昔はどうだったろうか。小さいころは由愛の祖父母が作っていたと思う。だがそれとは別に、三、四人ではなく、もっと大勢で食卓を囲んでいたような記憶がある。
それはここではない何処かなのか、それともただの記憶違いか。
空は頭を回転させ記憶を呼び起こす。そういえば由愛の祖父には兄弟がたくさんいると聞いている。一度も会ったことはないが、もしかしたら親戚一同が集まったことがあったのかもしれない。
そして空はふと、自分の口角が上がっていることに気づいた。
確かにこの想い出は、楽しいものであることに、間違いはない。
「いや早っ」
由愛が祖父と共に食卓を見た時にはすでに、料理は並び終わっていた。三人には広すぎる座卓の真ん中に詰められた皿の前には、すでに空がいる。
空は畳の上で静かに正座し、ふたりが来るのを待っていた。
「なんじゃ空。今日は
由愛の祖父、
「ボケが加速してんのか。三日前にやめたって言ったでしょ。僕には合わないよあんな仕事」
空の対面にふたりが座り、三人そろったところで手を合わせて夕食を食べ始める。
食べ始めるとすぐに由愛はリモコンを手に取り、テレビのスイッチをONにして付けた。
空の後ろから、ニュースキャスターの声が響く。
「由愛、テレビなんかあとでいいだろ」
「いいじゃん別にニュースくらい。おにいはいちいち余計なお世話が多いんですぅ。ねぇ?おじいちゃん」
「空、お前さんやべぇぞ。
「なにその和製英語」
空の小言を聞き流し、特に会話もせず三人は黙々と皿の上の料理を減らしていく。そして空の茶碗の中身がなくなり、仕方なく空は立ち上がって調理場の炊飯器へと向かう。前は茶碗一杯で満腹になっていたが、最近は腹が減る。
「あ、おにい。私がご飯盛ってこようか?」
「いいよ別に。ガキじゃあるめぇし」
そう由愛の申し出を断り、調理場へ向かおうとしたところで、空の足が止まった。
その原因は、音。
より正確に言えば、テレビのニュースの内容が耳に入った。
それは裏海で、自殺したと思われる女性の水死体が見つかったということであった。死体があったのは、山中にある
空の視線は、テレビに釘付けになっていた。
「うわー、またあの池? もう埋めちゃったほうがいいんじゃない?」
「そうともいかんさ」
勇がみそ汁をすすりながら、テレビに映し出される雨生ヶ池を、その黒い瞳で見据えている。
「あの水場は、“神の領域”。おいそれと手出しはできん」
へー、と勇の言葉を由愛は露骨に、そういう類いのものは信じてないと返事でアピールする。その由愛の視界の隅で、空が自分の席に戻ってきたのが目に入る。
「あれ、おにい、ご飯いいの……ってもう盛ってあるし!」
「ああ、ダッシュで盛り盛り……」
ずいぶん静かに走るんだなーと由愛は思いながら、特に気にせず小鉢に入った最後の漬け物にとどめを刺す。
戻ってきた空は体は食卓に向いているが、顔はテレビの方を向いていた。
「結局おにいもテレビ見てるじゃーん」
由愛が自分ばっかり棚に上げてと頬を膨らませるが、空は生返事を返すだけで、心はニュースの内容に囚われていた。
そしてテレビに顔写真と共に、自殺者の名前が表示される。
「どうしたんおにい? ひょっとして知り合い?」
「ん、ああ……勘違いだった」
表示されている名前は、
同姓同名の別人などではなく、写真の彼女の髪色は黒いが間違いなく彼女の顔がそこには映っている。
そして死亡推定時刻は、三日前。
空が由愛に返した言葉は、まるで願望のようであった。
空は思う。
人の命は、目に見えない場所で散る。
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