火花は目にも止まらぬ速さで散る 1
日本の地方都市、
田舎と都会をごちゃまぜにしたかのようなこの街では、若者を見かけることが少ない。
それは決していないからではなく、学生などは皆電車に乗って隣町へと遊びに行くのが主流だからである。
隣町は裏海のようにごちゃまぜではなく、近代化が進んだ都会であった。
裏海のように工事が中断された場所はなく、ビルと田畑が並んでいることもない。
別に映画館やデパート、娯楽施設や商業施設がないわけではない。だがやはりそれらが一か所に集まっていた方が、便利に決まっている。
休日ならば隣町の駅前は、裏海で暮らす若者たちの海が出来上がる。まるで潮の満ち引きのように人の賑わいが目に見えてわかる。
男女別の学生の群れ、または男女混ざった若者の群れ。カップルに若い家族。それらすべてが波を作り出し、海になる。
その人の海の中に、波の一部となった彼はいた。
まるで水と油のように髪の半分は金色に染まり、髪の生え際半分は地毛の黒。それが目印と言わんばかりに、若者が待ち合わせ場所として集う、駅前の噴水広場を囲う若者の輪の中で、わかりやすく目立っている。
そしてその目印に、ひとりの女性が吸い寄せられるように、波の合間に出来たモーセの道を真っすぐ進んでくる。
長い髪を後ろでひとつに編み込み、茶色に染めた髪の束が尻尾のように揺れ動く。最近は若い女性の間で和柄が流行っているのか、道行く女性たちは皆似通った格好をしている。
だがその中でも彼女は顔立ちの良さからか、金と黒の髪の男のように目立っている。
だからお互いに、人の海の中にいようともすぐにわかった。
彼女は小走りに駆け寄り、彼は意味もなく触っていたスマホをしまう。
「やあ、早いね
特に息も切らせず、
「時間より早いと、まずかったですか?」
慌てた様子で聞くが、その答えに
「いやぁ全然。10分くらいどうってことないけどさ。君はみんなと違うって話」
その言葉を聞き彩愛は少し考えたが、たいして深い意味はないだろうと思い到り、考えるのをやめた。いまこの時間を楽しむために。
「じゃあ行こうか。最初は水族館でいいんだよね?」
空は彩愛に手を差し出す。戸惑いながらも差し出された手を取ろうと伸ばすが、少しためらう。だが空は有無を言わさず彩愛の手を掴み、若者の波の一部に引っ張っていく。
「今日は羽を伸ばしに来たんだから、もっとリラックスしなよ」
行き交う人々の波に乗り、人にぶつかることなく合流する。若者たちは波に乗るサーファーのように思えるが、実際はサーフィンはしない。若者は皆等しく波になる。
波になれない者たちが、サーファーになるしかないのだ。
空が彩愛の歩幅に合わせるために少し減速した時、彼女の肩が見ず知らずの若者を少しかすめた。
映画館やアクティビティ施設、そういった大抵の娯楽施設は裏海にも同等のものがあるが、水族館はなかった。
だからこの水族館は裏海の人間にとっては特別な感覚を持たせるが、休日に混むということは滅多になく、スムーズに自由に館内を回れる。
建物内部に作られたこの水族館は、スポンサーが大手会社のネクストコープであるお陰で、飼育が難しいとされる水の生物が多くいる。
この水槽の横の壁の裏には、ネクストコープ社製の機器がひしめいているのだろうと、空は壁に手を這わせる。
「あの……空さん。もしかして楽しくなかったり……します?」
突然彩愛にそう言われ、空は反射的に首を振り「いや、楽しいよ」と答える。だがそう答えてから考える。もしかしたら楽しめていないかもしれないと。
だって先ほどから水槽に目がいかず、ネクストコープのことなど水族館とは関係のないことを考えているのは、楽しんでいると言えるのであろうか。
「わたし全然水族館じゃなくてもいいんで、出るなら出ますけど……」
彩愛の提案に空は少し考えこむ。水族館を出て別の場所で遊ぶかどうかではなく、なぜこんなにも水族館に惹かれないのかを。
だがその思考は中断される。
母親と一緒に水族館に遊びに来た小さな女の子が、全力で駆けて楽しむあまり、空の目の前で転んでしまった。
あ、と彩愛が声を上げて手を伸ばした時にはもう遅く、女の子のひざと床が摩擦を起こそうとくっつく寸前であった。
その声の矛先を、腕を組みながら空は視線を向ける。
結果を先に述べると、女の子のひざと床は正面衝突しなかった。
女の子の小さな体を、空がその子の肩を掴むことによって衝突を回避させている。上体を傾けて腕の射程距離を伸ばしているため、空が上体を戻せば女の子の足は地面へと着地する。
一連の流れをすべて見ていて母親は急いで女の子に駆け寄った。
母親の目には膝が床と擦れたように見えたが、どこもケガをしていないのを確認するとホッと一息。そして空に頭を下げ礼を言う。
「ホラ、おにいちゃんにありがとうって言ったの?」
「あいがと」
母親に促され、女の子はつたなく口を動かし、覚えたばかりの言葉を並べる。
母親がもう一度頭を下げるのに対して、女の子は手を振って別れを告げる。空も彩愛も女の子にバイバイと手を振り返す。
ほんのわずかな時間だったが、このハプニングで場の空気が変わった。改めて彩愛は空の気持ちを考え、さりげなく水族館をあとにしようと「じゃあ行きましょうか」とそれっぽく言おうとしたが、それよりも早く空が先に会話を切り出した。
「さっきの楽しいかどうかってやつ。たぶん僕は、よくわかってないんだと思う」
その言葉に彩愛は小首をかしげる。
空は指さす。指された先は、この展示エリアにどんな生き物がいるのか示されたプレート。そこには大きな文字で『裏海に住む魚たち』と題打たれている。
「裏海って、変だよね」
その変には、様々な意図が込められている。この展示エリアはだいたい暗い。先ほど女の子が転んだ原因もそこに一因があるだろう。暗い理由はこのエリアには深海魚が多いから。裏海に住む魚がいるハズなのに、この展示エリアの約七割が深海の生き物。
普通ならもっと淡水魚や、海上付近の魚が多いのが普通だが、裏海は違う。否、裏海だから違うが正しいのかもしれない。
「彩愛ちゃんも、生まれも育ちも裏海?」
その問いかけに彩愛は頷く。
「じゃあわかると思うんだけどさ、裏海のみんなって、海とか川とか、嫌いだよね」
確かにと彩愛は思う。
空の言う通り、裏海に住む人間は水辺を嫌う。別にこれといった理由はないが、みんな川や海で遊んだり、釣りをしている人を見かけることはない。
わかりやすいもので、この隣町の駅前広場には噴水があるが、裏海の駅前広場にはない。それどころか街中に噴水自体がない。
裏海の人間は特に理由などはないが、水辺を嫌っていると言われれば、納得する事柄が多い。
だがこの隣町の駅前広場の噴水には、抵抗というか、噴水に近づくことに違和感を覚えない。これが裏海ならきっと、待ち合わせ場所として賑わうことはないだろう。
「砂浜はあっても海水浴場はないし、他の広い水辺……例えば山にある
つまり空が言いたいことは、裏海の人間が水辺に抱く感情は、ネガティブなものであると。
「だからわからないんだと思う。水族館をどういう風に楽しむのか」
そうひとつの答えをだし、空は水槽を覗き込む、中で泳ぐ深海魚の目がどこにあるかわかりづらいフォルムをしているが、目が合った気がする。
「でもまあ、早く出たいとも思わないし。たぶん楽しめてると思うよ。僕が全然わかっていないだけで」
「うん。……楽しいってきっと、よくわからないことなんだろうね」
空は再び手を差し出す。暗い場所で彩愛が転ばないように、エスコートするために。手を取るかどうかは彩愛の自由。先ほどのように引っ張って急ぐようなことは、ここでは必要ない。彩愛は空の手を取った。今度は戸惑うことなく。
自然とふたりの間に、笑みがこぼれる。
「そろそろペンギンの散歩の時間みたいだから。……楽しもう」
そして二人は歩幅を合わせて、裏海の展示エリアを離れていく。
一通り水族館を回り、十分に満足したところで最後にふたりは売店に寄った。
そして空は今日のことを思い出せるようにと、ポップなデザインのタコのようなイカのようなぬいぐるみを買い。彩愛にプレゼントした。
「なにこれタコ? イカ?」
嬉しそうにぬいぐるみをつつきながら、彩愛はその独特な姿に笑う。
「クラーちゃんって書いてあるから、たぶんクラーケンのマスコット……みたいな?」
訳も分からずふたりは笑い。この時間を楽しむ。
きっとこのぬいぐるみを見れば、楽しさも一緒に思い出せそうだから。
水族館を出たあとは、人気のスイーツバイキングや、ショッピングなどを楽しみ、事前に予定していたものはすべて巡り終わった。
そしてふたりは再び、駅前の噴水広場へと戻ってきていた。
あれからたっぷり何時間も遊び、今日最初にこの広場にやって来た時と比べれば、気分は最高潮に達していた。
「これで行きたいとこは全部回ったね」
「じゃあ、次は……」
次はどこに行こうか彩愛が考えていた時、空のスマホからアラームが鳴り響いた。
その音を聞き、彩愛は現実に引き戻された。先ほどまでの楽しそうな表情は、見る影もない。
空はスマホを取り出し、耳障りなアラームを止める。
「――では、お時間となりました。これ以上の延長は出来ません」
空は淡々とマニュアル通りの言葉を並べ立て、スマホに料金表を出すと、細かく確認を始めた。
「基本料金に加え延長料金。一時間5千円ですので約四時間、その他細かい金額を合わせて、2万2500円になります」
彩愛は黙って財布を取り出し、言われた通りの金額を払う。金を受け取った空は金額に間違いがないか確認し、不備がないことがわかると金を封筒にしまった。
「確かに。では、またのご利用をお待ちしております」
機械的にマニュアルに書かれたことを言い終えた空は、フゥと一息つく。目の前で突っ立ったままの彩愛は、空にプレゼントされたぬいぐるみを抱きしめながら、何か言おうと口ごもっている。
「……あの、今日は楽し」
「全然楽しくなかったでしょ」
彩愛の言葉を、空が遮る。
想像だにしなかったセリフを吐かれ、思わず彩愛は俯きかけていた顔を上げた。先ほどの出来事が嘘かのように彩愛は暗く沈み、空は我関せずと言わんばかりに、冷めた目でその様子を見ている。
「アンタずっと、心ここにあらずでしたよ。辛いことを考えないようにして、逆に無意識に頭にそのことがこびりついている。そんな感じ」
彩愛の目が潤む。空の言葉によって、そこまで行かなくてもいい場所にある、現実にまで引きずられてしまう。
「それにおねーさんの方が年上なのに、僕に対してずっと遠慮しがちな言葉づかいで、まるで僕が先輩でアンタが後輩みたいだ。細かい設定を要望してないってことは、実年齢のままでいいってことですよね?」
「それは別に関係ない……」
彩愛は空に反論するが、首を振られそれも関係あると逆に否定されてしまう。
「心休まらない時に、楽しいなんて思えないでしょ」
レンタルとはいえ、気軽に相手に話しかけれず、その場で自分が望む小さなことを出来ないほどに、リラックス出来ていない。高い金を払ってまでやりたいこと、つまりは楽しむということを出来ないなど、金をドブに捨てているようなものだと空は考えている。
空の言葉に彩愛は考えてしまった。そして楽しいかどうか考えている時点で、楽しくないと言っているようなものだと気づく。
どうしてこうなったのか訳も分からずに、目頭が熱くなる。今日だけは辛いことから逃げ出して、楽しもうと頑張ったのに、この男に台無しにされた。
そう考え到ると非常にムシャクシャ怒りが湧いてきた。もう仕事は終わったのだからさっさと帰ればいいものを、余計なことをベラベラと喋る。
彩愛はいつの間にか、手を振り上げていた。スイングされた腕が空の頬を目掛けて飛ぶ。
考えなしの、ストレス任せの一撃。
それをまるで自由研究で昆虫の生態系を観察しているかのように、空はじっくりと彼女の動きを何もせず黙って見ている。
彩愛の平手が空の頬に当たる。だが空はその直前でその手を払いのけ、バランスを崩した彩愛がしりもちをつく。
「申し訳ありませんが、うちはビンタのアフターサービスは行っておりません。そういうことは、その手の店にいってください」
しりもちをついた痛みで彩愛は我に返り、自分は何がしたいんだと自問して責める。
仕方なく空は手を差し伸ばした。今日はこれで三回目。だが今度は彩愛がその手を払いのけ、手を借りずに立ち上がる。そして空を睨みつけると息を吸った。
「なんなのアンタ!さっきからベラベラと余計なことばっかり!テキトーに終わらせればいいのにネチネチネチネチ!バッカじゃないの!」
感情の赴くままに言葉を発散し、スッキリしたのかどうかはわからないが、彩愛はそのまま空に背を向け、駅の中へと去っていく。
ふたりのやり取りを見ていた野次馬も後ろ指を指すのをやめ、興味をなくしたものからまた人の波に加わっていく。
そして空は広場のベンチに腰掛け、スマホを取り出した。時刻はもうじき夜のとばりが降りるころである。
「やぁべ。僕ってホント、学習能力皆無だな」
そしてそのまま登録している電話番号を表示すると、そのひとつを押し、通話をかける。
「もしもし、瀧上です。はい、お疲れ様です。ちょうどいま終わりました。ええ、問題ありませんでした。金額も間違いありません。大学生は金持ちですねーハハッ」
通話の相手は、仕事先の人間。本日の職務を全うしたことを報告するべく、電話をかけた。だが理由はそれだけでない。
「あ、それと僕の名前、名簿から消しといてください」
その言葉に相手は何か言っているのだろうが、最早ノイズにしか聞こえない。なぜならすでにスマホを耳から離していた。声はもう空の耳に届かない。そして通話終了のボタンを押す前に、口元にスマホを近づける。
「僕今日でやめさせてもらうんで。じゃあな」
一方的にそう告げ、通話を切る。
色々と思うところがあるが、こんな場所ではうまく思考はまとまらないだろう。空は金と黒の髪を掻き、ハァーとため息を吐く。
「ったく。アイツが紹介する仕事はロクなもんがねーな」
駅の方を見ると、電光掲示板の時刻が目に入る。裏海で止まるちょうどいい時間の電車があるが、彼女と鉢合わせるリスクを考えると、次の電車を待つしかない。
だがもしも彼女が電車に乗っていなかったら、そもそも電車に乗って帰る気があるのか、ずっとホームに居るんじゃないかと考えると、気分が滅入る。
それにまだ裏海に帰るような気分ではない。
もう少し時間をつぶそうと思ったが、今日はもう十分遊んでしまった。小腹も空いていない。
「……歩くか」
気分転換に裏海まで歩いて帰ろうと空は決めた。ここから自宅まではかなりかかるが、夕飯の時間に間に合わなさそうになれば、もっと速く走ればいいだけの話である。
空は立ち上がると、帰宅するために駅に集まった人の波に逆らって進む。そのまま空の姿は、群衆の中へと消えていった。
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