ファイアスパーク

火花は目にも止まらぬ速さで散る 序

誰かが言った。

目をえぐられたら、目をえぐり返せと。


あの人は言った。

歯を折られたら、歯を折り返せと。


そして僕は知った。

犯した罪はいずれ、自分に返ってくるのだと。


――そう。僕はたったの13歳で、罪というものを理解してしまった。




“医者が患者を死なせたら、その腕を切り落としてしまえ”




人間の脳ほど当てにならないものはない。

すべてを担っているというのに、常日頃から役に立たないのではどうしようもない。

特に記憶。

思い出そうと頭をフル回転させればさせるほどに、記憶が薄れていくように感じる。生きていく上で最も重要だというのに、最も役に立っていない。

僕は思い出したいというのに、僕の一部がそれを妨害しているように。

小さな子どもが歩いていた。

その子の手を、着物を着た女性が握って歩いている。何か歌を口ずさみながら、お互いに顔を見合わせながら微笑んでいる。

逆光が、まるでまばゆい光の中に入っていくかのように、二人の姿を隠していく。

その少し後ろには、三人の人間がいる。

何かを叫んでいる女性を支えながら、男がもうひとりの男に何か訴えかけるかのように怒号を上げている。

するともうひとりの男は決まって答える。


「無駄だ。あの子が望まなければ、帰ってこれない」


その言葉が何を意味しているのかは理解できない。

だがそれを聞いた男は女と共に叫び始める。それは同じ想いを背負っている証。

不意にバタンと音がする。

そう、もうひとりの男は分厚い本を持っていた。ここで決まって本を閉じ、光の中に消えていく子どもと女性を目で追いかけている。

その光景を僕は遥か後ろで見ている。

その中の誰かに話しかけることも、触れに行こうとも、ましてや近づこうとさえもしない。この光景が終わった後で気づくというのに、僕はいつも何もしないでただ見ている。

ただそうしていると見えてくるものがあった。

それは気のせいかもしれないが、小さな子どもと手を繋ぐその女性の手は、まるで花のような赤に見える。

そしてすべてが光の中に消え、僕は決まってここで目を覚ます。

僕の夢はいつだって、記憶の中を探検している。

いつも同じだというのに、僕の頭はこれ以外の夢を見ようとしない。

まったくもって、僕の頭は役に立たない。




夢から目を覚ました男はまだ不完全であった。だからまた夢の続きを見ようと目を閉じるが、たいていは時間と場所に妨害される。

男は瞬時に自分がいま何をしていたのか思い出す。

「うわ、やば!」

バスの車内、目的地付近のバス停は次、だから急いで降車のベルを鳴らす。

男がバスを降りると後ろから舌打ちが聞こえた。バスの運転手の「もっと早く押してください」の意味が込められている。

だから男は笑顔で中指を立て、感謝を表しながら中指を振りバスに別れを告げる。

いままでの焦る気持ちは失せ、グニグニと頭を指で押すと同時に金色に染めた髪をかき上げ、一息つく。

とはいっても、目的地はすぐ近くにある。

大きな施設の真正面に立ち、門にかかった看板を確認し、ここが目的の場所であることを確認する。

未然科学研究所、ネクストコープが所有する研究施設のひとつ。

男は真正面、ではなく裏口へと回り、ゲート警備員にIDカードを提示する。

しかし警備員は訝しげに手渡されたIDカードと男を交互に見ている。

「失礼ですが、ご用件をお伺いしても?」

蜂須賀和真ハチスガカズマの使い。って言えばわかるらしいですよ」

警備員が疑ったのは、この男がどう見ても高校生ぐらいにしか見えないからであった。そして見た目が俗に言うチャラい。学生が使いで、それにいったい研究所になんの用事があるのかと警備員は思ったが、ひとまずIDカードを機械にかざして読み取る。

カードは偽造ではなく来客用の本物であった。さらに訪問予定者リストにちゃんと“瀧上空タキガミソラ”と名前がある。

「失礼しました」と警備員はIDカードを返すが、空はまだ何か言いたそうに見ている。

「……他に何か?」

空はピンッと人差し指を立てると、ビシッとゲートを指した。

「ネクストコープの研究所なら、普通ハイテクな無人ゲートをイメージしません?AIが監視してる感じの」

「確かに」

警備員はゲートのロックを解除し、開錠のブザーが鳴る。空は警備員に礼を告げるとフルハイトゲートを通過し、研究施設の内部へと入っていった。


受付を手短に済ませ、奥へと進むと白衣を着た中年の男性が空を待っていた。

「どうも、担当の和道ワドウです。お噂は社長からかねがね」

どうも、と挨拶を返しながら、空はさっそく疑問をつく。

「なんで社長が僕のことを?」

ネクストコープのような大企業の社長どころか、どこかの会社の社長にすら空は会ったことがない。いったいどんな噂をされているのか単純に気になる。

「てっきり知り合いかと思っていましたが。まあ、あの人は変わってますから。凡人が深く考えても何も始まりませんね」

ではこちらへと、空は和道に連れられ、研究所の奥へと進んでいく。

しかし詳しい説明がない。いったいどうして研究所に使わされたのか、空はわかっていなかった。漠然と「ちょっとお使いに行ってきて」とIDを渡され、行けばわかると何も教えてもらっていない。だがその目的地の研究所でも教えてもらえていない。

きっと互いにどうせ向こうが教える、という前提で進めているに違いないと空は思い至る。

ホウレンソウが足りていないと空は、目の前の和道に問いかける。だが間が悪くそれより先に別の研究所の職員と思しき若者が和道に話しかける。

「和道さん。いまさっき息子さんがいらっしゃって、忘れ物を届けてくれましたよ」

「おお、ありがとう。それと悪いんだが、息子に少し待っているように伝えてくれないか」

「わかりました」と職員は小走りに去っていった。

改めて空は和道に問いかける。だがあと一歩のところで研究所の職員たちがざわめき始め、それが大きくなるに連れて注意がそちらへと逸れていく。

そして職員のひとりが和道に近づき、耳打ちをする。何が起こっているのか知った和道は他の職員のように慌てず騒がず、冷静に事態を対処すべく、近くにいる者たちに指示を飛ばす。

「すまないが、だいぶかかりそうだ。この先にある休憩室でくつろいでいてくれ。別の職員に引き継がせるから、すぐに終わりますよ」

空に向き直って早口で丁寧に告げると、和道は他の職員と共にどこかへ行ってしまった。

何か言うヒマもなく、ひとり残された空は先ほど和道が指さした方向にあるはずの、休憩室とやらを目指す。

「結局僕は、何をしに来たんだ……」

仕方なく基本的に白一色の廊下を進んでいく。先ほどまでまばらに見かけた職員たちは見る影もなく、まるで心霊スポットに来たような気分になる。

そしてその感覚が後押しされることが起こる。

研究所が大きく揺れ、どこからか轟音が聞こえてきた。

「地震……?」

だがすぐに地震ではないことを知る。爆発音と悲鳴、動物の鳴き声と銃声。地面が揺れただけでこんな事態にはならない。

すぐさまこの建物から逃げた方がいいと空は判断し、音とは反対の方向へと駆け出した。

しかしこの研究所の間取りを把握できていない。やみくもに進んだことを後悔することになる。空はいま一階にまで降りてきたと思っていたが、実際は地下へと入ってしまっていた。

「やぁべ、ここ絶対違うわ」

気づいた時にはすでに遅く、引き返そうにも爆発や崩落などで危険な道に変わってしまっている。それでもどこかに避難口があると信じ、通れる道を突っ走っていく。

その時ビチャッと水たまりを踏んだ音が響き、空は思わず足を止めた。

重油か何かが漏れ出しているのか、黒い水が床を覆う勢いでどこからか漏れ出している。

引火すれば爆発で即死してしまうことを、漠然と思い浮かべてしまう。

その時ふと重油が漏れている部屋をたまたま見つけてしまった。どう見てもその部屋を中心に広がっている。

「近づかぬが薔薇」

そう捨て台詞を残すと空は、一目散にその場から逃げ出した。理由は重油が危険だからではない。その部屋から物音がしたような気がしたからだ。そして女の声も。

もうどこを走っているかなど関係ない。とにかくこの場を離れたい一心。それが功を制したのかは知らずだが、上部に緑色のランプが点灯しているドアを見つけた。ドアは故障しており、まるで誰かが自動ドアの前に立って遊んでいるかのように、ずっと横への開閉を繰り返している。

緑は安全。それが一般的。

だから空はそのドアが開いている瞬間を狙って飛び込んだ。タイミングよくドアの中へ、それと同時に扉が直ったのか、はたまた完全に壊れたのか、扉は完全に閉じてしまう。

点灯していた緑色のランプが消えた。そしてすぐさま別の色を灯した。

赤は危険。それが一般的。

それは空もすぐに知ることになる。

扉の先は真っ暗で一寸先も見えない。ひとまずスマホのライトで辺りを照らし、壁伝いに進もうとするが、手の届く範囲には何もなかった。

すると突然視界が明るくなった。天井に備え付けられたライトの点灯が奥へと進んでいき、次々とこの部屋の広さが更新されていく。

空が今いるこの部屋は、まるで運動施設のように広かった。何かの実験場にも見える。

だが明るくなったとはいえ、空にはどうすることも出来なかった。

明るくなっても真っ暗なのは変わらなかった。なぜならこの広い部屋はまるで宇宙にいるように思わせるからだ。正確に言えば、この部屋は一面黒いというのが正しいのかもしれない。

「なんだよこの部屋……」

わかることはただひとつ、ここに出口はない。背後にあるハズのドアも、壁と同化しどこにあるのか見当もつかない。

ここでじっとしてもいられず、考えもなく歩き出した。

だが一歩踏み出したところで歩みが止まる。

眼前の、この部屋のちょうど中心。その場所の床が開き、下から何かがせり上がってきたからである。

その全貌は、透明な球体だった。

その運動会の大玉転がしに使われそうな大きさの球体は、まるで深海魚のように内部で色鮮やかに、様々な光が蠢きながら点滅を繰り返している。

それを確認した瞬間、その球体が動いた。まるでオモチャのように球体は変形し、言葉では表現できない形になる。

そして空は気づいた。悠長に見ている場合ではないと。だがどうすることも出来ない。そもそもこの部屋に入った時点で、もうダメだったのかもしれない。

球体の中心が、まるで小さな太陽のように光った瞬間、分かってしまったのだ。

死を。


『始めろ』


そして爆発が起こった。

青白い死の輝きが、部屋を塗りつぶした。例外なく。

人間の頭がそれを感じ取るには、あまりにも遅すぎる。なぜなら感じ取ってその電気信号を伝える前に、受信する場所も、そもそも信号を伝える触媒自体、なくなっているから。

爆発を構成する光も音も、人間より遥かに速く走る。

人間が生き残るには音速よりも、光速よりも早くなければならない。だが人間には到底不可能である。

理由は明白、その速度はまさに、神の領域であるからだ。

これぞ神速。

だが空にはできなかった。なぜなら彼は紛れもない、人間だから。特別な、人間ではない別の何かではない。

爆発を終えたこの部屋に彼が居ないのは、決して神速だからではない。






――え? さっそく死んでるじゃんって?

大丈夫大丈夫、これが僕の始まりだ。どうしてこの終わりに到達したのか、これから話すわけじゃない。

これは紛れもない始まりだ。終わったから始まった。

そうとも。この爆発こそ、この死こそ始まり。いや、死んでいるのかどうかはよくわからないんだけどね。

兎にも角にも、これは起承転結の起だ。

爆発オチから始まる、この僕、瀧上空の物語ってこと。


それでは、はじまりはじまり――

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