火花は目にも止まらぬ速さで散る 3
裏海という街は、治安が悪かった。
人がそうさせるのか、街がそうさせるのか、どちらかは定かではない。
ただ言えることは、それが日常になってしまえば誰も気にしなくなる。他の街と比べてどんなに悪かろうが、それを受け入れてしまえば、それが普通に代わる。
それに大げさに気にすることでもなかった。
いざとなれば警察がちゃんと助けてくれる。更に人に危害を与える人間がいれば、その人間に危害を加えようとするイカレた奴らが湧いてくる。
そんなこんなで、数字が治安の悪さを示しても、表立っては普通の街にしか見えず、街行く人々はわざわざ石をひっくり返して裏を見ようとはしない。
だからみんな思っていない。自分が被害に遭うことなど、頭の片隅にも置きはしない。
この女子中学生たちにも、それが言える。
連日の寒さに身を震わせながら、ティースタンドの店先にたむろして、暖かいティードリンクを体の芯に沁みこませている。
「それでお姉ちゃんが先輩から聞いた話でさ、まーた最近裏海に変なの出てるんだって。今度はなんだったけな?……確かスライム男?」
「またその先輩? 好きだよねーその人。都市伝説とか噂話とか」
「スライム男の男っていう部分。絶対ちゃんと確認してないのに名前つけてるよねだ。都市伝説あるあるって感じ」
「ウチらヤバくない? 都市伝説あるあるわかっちゃうとか。カンのペキィにトシデンセラーに染まってる? みたいな?」
話す内容はどこの若者も至って普通な都市伝説について。この裏海に住むものにとっては、この街で日夜更新される都市伝説について話すことは、対して珍しくもない。
どんなにその話題を避けようとも、明日の天気のように耳に入って来るものであった。
コロコロと話題は転がり、その都度三人の笑い声が聞こえてくる。
だがその三人のうちのひとりが、ふと道路を挟んだ反対側にいる人物に、視線が釘付けになっていた。
「ねえねえユメちぃー。あれってユメちぃーのお兄さんじゃない? あ、おにいだっけ」
由愛の呼び方に友人ふたりが「おにい、おにい」と茶々を入れ、普段は気にしていないが改めてそう茶化されると、由愛は頬が熱くなってしまった。
「いやーすばらしい。おにい呼びするユメちぃーはマジでサイのコウ。胸触ってみ、心臓止まりかけてっから」
「激しく同意。尊さと愛しさで赤血球の酸素を運ぶ手が止まって緊急搬送されちゃう」
「呼び方なんていいじゃんなんでも! 昔からそう呼んでるんだから!」
由愛は声を上げるが、それは逆効果で友人ふたりはニヤニヤと心臓を抑えながら、さらに「おにい、おにい」とはやしたてる。
そんなふたりはもう放置し、由愛は道路を挟んだ反対側に視線を向ける。
そこには昔からある花屋があった。小さい頃から墓前に供える花などはそこで買うのが祭華村家のセオリーであった。店の壁は花で埋め尽くされており、その店を知るものは皆そこを花屋敷と呼んでいた。
その店先にいた男は確かに、
そして空は由愛に気づくことはなく、そそくさと歩いていってしまった。
「呼びたまえ。さあ大声で。恥ずかしがらずにおにいって呼びたまえ」
「ああもう結構離れてしまってますねー。早くしないとドンドン大声のボリューム上がっちゃいますねー」
「呼ばないから」
絶望の表情を浮かべる友人ふたりのいつもの調子には付き合わず、由愛は空のことを考えていた。空は誰かに花をプレゼントするようなことはしない。そもそも花を贈るような人物は由愛が知る中にはいない。あの花はいったい、誰に向けてのものなのだろうか。
「ユメちぃーのお兄さん花持ってたけど……そういえばユメちぃーとお兄さん血がつながってないんだよね?」
「ああーいけませんジーニアス。導き出された答えで薄い本が鈍器と呼ばれるほど分厚く」
「それはない」
確かに消去法でいけばあの花は私に送られるものかもしれない。だがいくら血がつながってないとはいえそれは考えられない。いやしかし、いや違う。あれはきっとどこかでお世話になった年配の方への贈り物とかだろう。そうに違いない。決して若い人に対して花を贈るなどありはしない。そもそもあの男に彼女がいたことはなかったハズである。裏海で交友関係を隠すことなど出来ない。絶対誰かしら知り合いに目撃される。いや、まさか、彼氏では?
などと考えながら夢中で空の背を目で追いかけ、由愛の耳に友人ふたりの声は届かなかった。
その時、由愛はひとりの男と目が合った。
空を目で追いかけているときにたまたま視線がぶつかった。だがその男の視線は、手にしたスマホ越しに感じられたものであった。
スーツを着た、どこにでもいるまさにサラリーマンといった風貌の若い男の顔は、頬を緩ませ口角がつり上がっていたが、由愛の視線に気づくとキリッと緩んだ顔を真顔にした。
慌てる素振りもなく、たまたま目が合ったように男は表情を崩さずあいさつ代わりに笑みを向けてくるが、そんなものに由愛は誤魔化されない。
威厳のある顔で近づくと男の前で仁王立ち、男が手にしているスマホを睨みつける。
「いま、撮ってましたよね。私たちのこと。見せてください」
盗撮を指摘された男は一瞬動揺が表情に出たが、すぐにそれを顔から消した。そして盗撮などしていないと言いたげに、冷静に男は対応する。
「いやーすいません。撮っていたわけではないんですよ。ただこのゲーム現実の風景と連動してまして。よく外で遊んでいると怪しまれるんですよー。困ったなー」
普通なら身の潔白を証明するために画面を見せるものだが、男はそれをしない。画面を見られると困ることでもあるのであろうか。
「だったら見せれますよね? ただのゲームなんですから」
由愛は男のスマホを奪おうとするが、間一髪で男は手を上げてそれをかわした。
「コラコラ、勝手に人の物を取ったら窃盗罪だよ?」
この男は恐らくこんなやりとりを繰り返し、この場をやり過ごそうとしているのだろう。だがそれこそが罪を認めているのと同じである。
男は冷静に振舞っているが、瞳の奥には余裕が見える。由愛は相手を追い詰める確実な一手が思いつかず、歯がゆく睨む。
その時だった。由愛の瞳に、火花が映ったのは。
「っいって!」
由愛が火花を見たのと同時に、男が痛みの叫びをあげた。手の甲を抑えながら、苦痛に顔を歪める。そしてその痛みの拍子に男の手からスマホが離れた。
道路に落ちたスマホを慌てて拾おうと男が手を伸ばす。だがしかし、一歩車の方が早かった。クラクションに驚いてとっさに男は身を引く、だから男はスマホを救助できず、無残にもスマホは車に轢き殺されてしまった。
突然の出来事に男は声も出せずにどうしようかとグチャグチャな頭を必死に動かし、そしてひとつの思い付きを実行する。
男は先ほどの冷静な態度とは打って変わり、怒りを露わにしながら由愛を睨みつけている。由愛は何もしていないが、男からすれば彼女のせいでスマホが壊れてしまったようにしか見えない。
「君。その制服、裏海第二中の生徒だね。このことは学校に報告させてもらうから」
男はまるで自分が優位に立っているかのように振舞っている。怒りの表情にニヤリと口の端を緩め、大抵の中学生ならこれで怖気づいてしまうと経験で思っているのであろうが、由愛は違った。
由愛の表情は変わらず、だがその心の中ではふつふつと怒りが沸騰していた。由愛はこんな下賤な男に、下手に出るような育て方はされていない。
「器物破損なら、学校なんかより今すぐに警察を呼んだらどうですか? それとも警察が来ると何か不都合でも?」
思ったような反応は返ってこず、むしろ反対に強気な態度に出られ、男はたじろぐがすぐに言い返そうとする。
だが男はなぜかその時、後ろに向かって叫んだ。
「誰だ!?」
突然の出来事にその場にいた誰もが、由愛も、その友人たちも、足を止めて通行人から野次馬になった人々も、みんな頭にハテナを浮かべている。
もちろん男のすぐ後ろには誰もいなかった。男は背後にいた面々の顔を見比べるが、誰もが男に触れられるような距離にはいない。
「ラリってんのかな?」
「そしたら語尾にラリってつけてる」
由愛の友人ふたりが男の奇行を小馬鹿にし、男に目を付けられないように笑いをこらえる。だが男にはそれが聞こえており、バッとすぐに由愛の方へと向き直る。
そしてまた三度目の突然の出来事が起こる。
由愛は男の背後に、煙を見た。遠くで火事が起こったのかと思ったが、煙はもっと近くにあるように見える。
そして男が何かを言おうと口を開くより早く、通行人のひとりが叫んだ。
「おい!燃えてるぞ!」
その声に男が振り返る。そして燃え上がる火を見た。その火は男が振り返ってその陰を見た瞬間消えた。正確には消えておらず、男の視界から消えただけである。
男は理解した、燃えているのは自分の背中だと。そこでようやく火の熱を背中で感じ取った。
男は大慌てで背広を脱ぎ捨てようとするが、それが反ってもたつく原因になってしまった。もはや猶予はなく男は背広が破けるのもお構いなしに脱ぎ捨てる。
背広を地面に叩きつけ、火を消そうと足で踏みつけ続け、そして数秒立ってようやく火は鎮火した。
「いくらしたと思ってんだよぉ!」
燃え尽きた背広に向かって男は叫ぶが、背広から返事はなかった。
この怒りをどこにぶつけようかと無意識で考え、そして顔を上げると目の前の女子中学生に焦点が合う。
そして何も考えず怒り任せに口を開いた。
「――このっ」
だがその言葉は遮られた。火によって。
今度は男のシャツの背が燃え上がった。だが先ほどと違い火の回りが早く、男が火に気づいてまた脱ぎ捨てようとする前に、火が全身に燃え移った。
男は連続して全身を襲ってくる痛みと熱さでわけがわからなくなり、地面に転がる。何とかしようとのたうち回るが、それは何も意味をなしていない。
通行人たちは唖然としてその光景を見ていた。誰も助けようとはしない。それも当然であった。どうして燃えているかわからないのに、近づくものはいない。近づけば今度は自分が燃えるかもしれない。そんな漠然とした恐怖に襲われ、なにも出来なかった。
それは由愛も同じだった。恐怖に震える手を落ち着けるのもままならず、だが何とか助けようと火だるまに向かって一歩踏み出したその時、のたうち回る男の動きが止まった。
由愛の足が止まる。男の動きが止まっても、まだ燃え続ける火を見つめながら。
火によって炭化していく男を見続ける由愛だったが、突然腕を掴まれ意識を引き戻される。
「なにしてんの由愛!早く逃げた方がいいって!」
振り返ると友人がそこにいて、由愛の腕を引っぱっている。引きずられるような形で、由愛は友人たちと共に走り出した。他のその場にいた人たちも同様に逃げ出している。
誰もが理解した。いまここで起こったことは凡人の頭では思いもよらない、何かであることを。それが何かわからないからこそ恐怖を覚え、防衛手段としてこの場を離れる。中には叫びながら走る者もいた。
由愛は走りながら後ろを振り返った、先ほどの男はまだ燃えている。だが由愛の目に入ったのは、火だるまではなかった。
その燃える火の傍らに落ちている、一枚の花びら。
その花びらに火が燃え移ることはなく、まるでそこに墓があるかのように、由愛の目には映った。
「――よおレッド。賭けは俺の勝ちだったな。だから言ったろ? クソ野郎を見張ってれば、そのうち寄って来るって。つーことで今度おごりな。ん? ああ、ちゃんと顔も見た。一応カメラでも撮っておいたが、コマ送りしても映ってるようには見えねぇなぁ。もっと性能のいいやつ、ねだっといてくれ。……あ、忘れるとこだった。それと――」
『――何かが、来る』
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