天罰執行 21
生まれ変わったかのような気分だった。
寝起きで少し倦怠感を覚えるのとはまた違う。スッキリとしている。すべてがクリアに、全身が高揚しているのが上葉にはわかった。
先ほどまでの疲労や痛みは、まるで夢だったかのように体が覚えていない。
それだけではない。ありとあらゆる情報が、頭上の黒い水の輪を通じて流れ込んでくる。ふたつの輪っか。外側を廻る輪っかは上葉に知恵を授ける。まるで本を読むかのように、いやそれ以上にまるでコンピューターと頭脳が連動しているかの如く、知恵という名の大河から知識がとめどなく溢れる。
例えば、眼前の土蜘蛛のスカイパニッシャー。それを操る正臣ではない者の正体。正臣が機械を用いて儀式を行い、呼び出したもの。
「――
電子海域。ネットワーク上の疑似宇宙に存在するサイバースペースの海。ネットワークの
電子海域にある情報では、人の善悪は学習と理解、応用が出来ない。基本的に害はない。正臣はハリウッドデビルに報復するために、サ・ヴィ・レーンと一体となることで人間としての能力値の上昇を図った。だがそれこそが罠。
ミラーズ・エッジによって無理やり黒い海を経由させられたサ・ヴィ・レーンは、黒い海の影響をもろに受け、異説の神話の生命体と化してしまった。それは黒く染まったサ・ヴィ・レーンと一体化した正臣も同じ。現代神話が生み出した新たな怪物。
それこそいま上葉の目の前にいるものの正体。
「看破したぞ。要するにお前は、ネットの深層WEBからやってきた、エイリアンってわけだ」
土蜘蛛のスカイパニッシャー、もとい黒く染まったサ・ヴィ・レーンは、余裕を見せる上葉とは打って変わって、焦るかのように上葉に向かって来る。
焦りの色を見せてもなお、サ・ヴィ・レーンの動きは衰えず、素早い。
サ・ヴィ・レーンが両腕と両足、さらに六本のアームクローを駆使した攻撃を繰り出す。先ほど上葉をタコ殴りにした時よりもその動きに乗せられた殺意は増している。
隙がない連続攻撃が上葉を襲うが、上葉はそれらをすべてたったふたつの腕でいなしている。それだけに終わらない、サ・ヴィ・レーンの動きが歪みを持った。ギギギとグリスを欲しがる歯車のようにアームクローの動きが減速する。
サ・ヴィ・レーンの背部、六本あるはずのアームクローが五本に減っている。そして消えた一本は上葉の黒い右腕に握られ、利口にあいさつするかのようにヒラヒラとアームクローを振っている。
「冷静に見れれば、なるほど機械的な動きだな。まるでゲームの敵キャラみたいにワンパターンだ」
ワンパターンと言えど、何百もある。だが上葉にはもう何百あろうと通用しない。そこから新たな動きを生み出せない時点で、上葉を上回ることは出来ない。
上葉と同様に、そのことを理解したサ・ヴィ・レーンは距離を取った。背後に飛ぶと同時にアゴ、腕、脇、足、あらゆる部位の装甲が弾け、スカイパニッシャースーツに備えられたすべての遠距離武装の砲門を開く。
いままで上葉に見せた歯の弾丸や特殊追尾弾、それ以外の見たことがない武器が上葉に向かって牙をむく。
だが弾が放たれると同時に上葉の脳内に黒い輪から情報が流れ込み、この殺意の雨を防ぐための対処法を知る。
「シンプルだな。雨が降ったら、傘を差す」
その言葉通りに、上葉の右腕の黒い水が噴水の如く広がり、巨大な盾がまるで傘のように弾丸の雨粒から上葉を守る。その黒い傘は薄いが重く、金属の弾丸など弾いてしまう。
遠距離攻撃も通用しないと知ったサ・ヴィ・レーンは自然と計算していた、現在の勝率を、だがその結果は見ない。繰り返し発生するエラーによって冷静な判断を繰り出せなくなったサ・ヴィ・レーンまるで人間のような思考パターンに変動した。
その結果から生じた次の行動。
「へぇ、そんな機能もついてたのか」
それは逃げる。
まるでカメレオンのようにサ・ヴィ・レーンの姿は消えていった。スカイパニッシャースーツに搭載された迷彩機能によって、リアルタイムで周囲の色覚情報を変換し、相手に見えないように色を変える。
なぜこのような判断を下したのかさえ、サ・ヴィ・レーンは解析できていない。そうしてしまったからには、ここから次の一手を考えなければならない。
だがそのような隙は、上葉は与えない。
「見えてるぞ……サ・ヴィ・レーン」
上葉の宇宙のように黒い瞳に浮かぶ、火星の水晶玉に、サ・ヴィ・レーンの姿が映し出されている。まるでサーモグラフィーのように、透明であろうと、逃げることは叶わない。
上葉の開かれた両手に黒い水が集まる。その水は棒状に伸び、そして先端が鋭く、槍の形をとる。隠れることに失敗したサ・ヴィ・レーンに向かって、まるでボールを投げるかのように軽々と二振りの水の槍を
更に次々と槍は作られ、出来上がったものから投げていく。滝の流木のように槍はサ・ヴィ・レーンを襲い、完全に当たることはないが確実に装甲を削っていく。
そして姿を消しても無意味だと理解したサ・ヴィ・レーンは、エネルギーの浪費を抑えるために迷彩機能を解除した。
近接戦闘も、遠距離武装も、迷彩効果も、あらゆる武装が上葉によって無力だと教えられる。
ならばと、サ・ヴィ・レーンは黒い水を噴射して空中へと逃げた。そしてそれは土蜘蛛のスカイパニッシャーが持つ、最大出力武装のための準備でもある。
「また、あれを撃つ気か」
上葉の言葉通り、サ・ヴィ・レーンはビルの壁に五本に減ったアームクローを突き刺し、両腕を構える。上葉を上から見下ろす形で発射体制を整えた。
当然上葉はそれを見上げている。だが慌てる素振りは見られない。むしろ正面から迎え撃つという気概が表情から溢れている。
左腕の装甲のヒビ割れた隙間から黒い水がにじみ出る。上葉の両腕から黒い水が滴り落ちる。足元を黒い水滴が石の地面を水玉模様に飾る。
そしてサ・ヴィ・レーンの両腕から撃鉄音が鳴り、巨大なふたつの薬きょうが排出される。それと同時に上葉の頭上の二重の黒い輪が、音もなく回り始めた。
『
轟音と共に不可視の攻撃が放たれる。
上葉は飛んだ。翼も羽も、プロペラも持たないが、まるで天使のように宙に浮かび、真っすぐサ・ヴィ・レーンの元へ向かう。
見えない攻撃が上葉と激突するその瞬間、上葉が動いた。
「――見えているぞ」
上葉は拳で空を切った。空中にまるで書道の筆跡のように、黒い水の塊が残る。
そしてそこには何もなかったかのように、上葉は見えない攻撃にぶつからず、そのまま空を飛んでいる。
その理由はすぐにわかった。突然遠く離れたビルが轟音と共に大きくえぐれ、巨大なクレーターを中心に折り曲げるように崩れ始めた。
サ・ヴィ・レーンは理解した。いま放った最大出力の攻撃は、眼前の黒い天使に弾かれたのだと。
気づけばいつの間にか、サ・ヴィ・レーンのすぐ手の届く場所に、上葉が浮かんでいる。
だがサ・ヴィ・レーンはビルの壁に張り付いたまま、何もしない。
上葉がサ・ヴィ・レーンの顔をワシ掴み、へばりついたガムを剥がすように引っ張る。
だがサ・ヴィ・レーンはすがるように掴む腕に触れるだけで、何もしない。
「さて。これで大体全部、お前の攻撃は潰したな。次はどうする? 殴るか、蹴るか、それとも背中の足でも使うか」
上葉はわざと隙を見せているが、サ・ヴィ・レーンは何もしない。すでに学習しているからだ。「どうせ何をしても、無意味だと見せつけられるだけ」と。
不意にサ・ヴィ・レーン顔を掴む上葉の手に、振動が伝わった。そしてノイズのような音が聞こえ始める。
『A……ア……アア……』
いままでサ・ヴィ・レーンが発してきた機械的な喋りかたとは違う、まるで人間のように機械音声を漏らす。
『ヤメテ……放して……おねがい……タスケテ……嫌ダ……痛い……怖いよこの人』
機械音声であっても、その悲痛な叫びには感情があるかのように思える。
「だから言っただろ。俺に恐怖を感じた時点でお前の負けだと。いや……いま理解したのか、恐怖というものを」
上葉の言葉通りにサ・ヴィ・レーンの体、すなわち土蜘蛛のスカイパニッシャースーツが小刻みにブルブルと震えている。
それこそまさに、恐怖の証。
「分かっている、お前は被害者だ。無理やり黒い水に染められ、プログラムに従って行動したまでのこと」
上葉のその言葉に安堵したかどうかは定かではないが、サ・ヴィ・レーンの体の震えは先ほどよりも収まっている。
ダランと力なく、サ・ヴィ・レーンは上葉の腕から手を離した。
「だがダメだ」
次の瞬間サ・ヴィ・レーンはビルの内部に居た。その装甲の腹部は黒い水に濡れている。
一瞬サ・ヴィ・レーンの止まりかけていた思考は再び動き出したが、どうしてこうなったか理解したその時、サ・ヴィ・レーンはもう考えるのが嫌になった。
宙に浮かんでまだ地面へと着地すらしていないというのに、目の前にいる黒い天使はまた殴ろうと拳を振り上げているからだ。
二発目を食らい。今度はビルの反対の壁を破って外に出る。そして勢いそのまま隣のビルの壁にめり込む。
そして反射的にサ・ヴィ・レーンは腕で視界を遮った。もう見たくなった。アイツが拳を握りしめて殴ろうとしている姿なんて。
三発目でいくつかものビルを通り過ぎて、空中へとサ・ヴィ・レーンは殴り飛ばされた。
そこはもうこの石の街の外縁部で、そこから先は暗黒の世界が広がっている。サ・ヴィ・レーンの思考は反射的に考えた。あともう一発殴られれば先の見えない暗闇に放り出されて、それで終わりだと。
だがその願いとは裏腹に、上葉の黒い拳は前からではなく左から飛んできた。
まだ殴られ続ける。今度は外縁を回るように殴られた。そして何にもぶつからず、落下し始めた瞬間にまた殴られた。
サ・ヴィ・レーンを殴り飛ばすと上葉は加速し、高速でブッ飛ばされていくサ・ヴィ・レーンに即座に追い付き、また殴り飛ばす。
殴る。殴り飛ばされる。追いつく。また殴る。また殴り飛ばされる。また追いつく。
繰り返し繰り返し繰り返される一連の動作。リズミカルに殴られる音が石の街に響き渡り、その拳のメトロノームは一音ごとに早くなっていく。
円形に分断された石の街に沿うようにグルグルと飛びながら殴り続け、二人が描く黒い円は渦のように中心へとせばまっていく。
そしてこの石の街の中心、すなわち駅前の広場の上空に位置した時、上葉はサ・ヴィ・レーンを地面に向かって殴り飛ばした。
轟音が轟き、石の破片が空中で踊る。実に69発目にしてようやくサ・ヴィ・レーンはこれ以上殴られないという安心を得たが、そんなものはもう感じていなかった。
砂塵が晴れ、石畳のクレーターの中心でうずくまるサ・ヴィ・レーンを、上葉は天から見下ろしている。
「悪いなサ・ヴィ・レーン。最初はお前にコテンパンにやられたが、別に恨んじゃいない。それは事実だ」
だがしかし、
「でもな。アンタをぶん殴らないと、俺の気が済まねぇんだよ……!」
上葉はクレーターの淵へと静かに降り立った。
目の前のサ・ヴィ・レーンは石の上を這いつくばって逃げようとしている。可哀そうだなと上葉は哀れんだが、上葉の用事は終わった。だから次は本来の用事を済ませなければ。
上葉は遥か遠くに落ちている水の入った容器に視線を向ける。右腕を伸ばすと腕から黒い水が触手のように伸び、容器を掴むと上葉の手元に戻ってきた。
逃げるサ・ヴィ・レーンの肩を掴んで止め、間髪入れずに首の裏に容器を突き刺す。クルッと回すと容器の中の透明な液体が注入されていく。
ビクッとサ・ヴィ・レーンの体が跳ねる。そして一瞬の間、動きが止まった。そして次の瞬間、壊れたサイレンのような音が、土蜘蛛のスカイパニッシャースーツから噴き出した。
それはサ・ヴィ・レーンの苦痛の叫びなのか、バタバタと全身を石の地面へと打ち付け、もだえ苦しんでいる。
容器を取ろうと首の後ろを何度も殴ったり叩いたりして暴れまわる。
こうなるとは上葉は聞いてなかったが、狼狽することなく静観している。だが一応動かなくなるまでは押さえつけておいた方がいいだろうと考え、近づいた。
ちょうどその時だった。サ・ヴィ・レーンの手が容器に当たり、首裏から外れた。幸いにも容器の中身はすべて注入され、首裏から何かが漏れるということもない。
だがその弾かれた容器から、たった一滴だけ、飛ばされた勢いで透明な一滴が宙を舞った。
そしてそれは上葉の頬にぶつかった。
「BLuAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!」
上葉は叫んだ。そして激痛の余り石畳の地面へと倒れ、まるでサ・ヴィ・レーンがしていたようにのたうち回る。
「アァア!ガァア!クソクソクソクソいてぇいてぇいてぇいてぇ!クソッ!クソ!いてぇ!クソいてぇ!クソったれがぁ!!」
痛みを取ろうと頬をひっかきまわし、皮膚を引き裂く。黒い血がドバドバと溢れるが、お構いなしに上葉は掻きむしり続ける。
その激痛と連動するように上葉の頭上の黒い輪は霧散し弾け、瞳も元に戻っていく。右腕の黒い水は洗い流されるように落ちていき、上葉の足元に黒い水たまりを作る。露わになったその人間の腕は、もう折れてはいなかった。
そして次第に激痛は退いていき、今度はいまつけた頬の傷が痛んだ。だが先ほどの激痛と比べれば、どうということはない。
いつの間にかサ・ヴィ・レーンの動きは止まり、ピクリとも動かない。
上葉は肩で息をしながら倒れているサ・ヴィ・レーンの元に近づく。
「水が痛いって、どういう水なんだよ」
不平不満を言いながらうつ伏せに倒れているサ・ヴィ・レーンを裏返し、胸部装甲のヒビに指先を入れる。
「いい加減に、出てきてくださいよ」
めいっぱい力を込め、胸部装甲を無理やり剥がす。するとそれに連動したのか、スカイパニッシャースーツの装甲が開いた。
「あ?」
露わになったスーツの中身には、黒い水が溢れんばかりに収められており、装甲が開いた拍子に、まるでバケツをひっくり返したかのように黒い水が石畳に広がっっていく。
「なんでいないんだよ……」
探すように装甲の中に残った黒い水をすくい上げ、中をかき出す。
だが黒い水をすくい上げていくうちに、上葉は気づいた。黒い水は、突然どこからか溢れてくるなどということはない。このスーツの中に溢れんばかりに入っていた黒い水は、いったいどこから湧いて出たのか。上葉には、わかってしまった。
すくい上げた黒い水が手のひらから零れ落ち、ほんのわずかな量が手の中のくぼみに残る。
「――何やってんだよ!アンタは!」
上葉は叫んだ。気分が悪い。頭がクラクラする。まるで酒に酔ったかのように体が不調をきたしていく。
必死に頭を振って意識をハッキリさせようとするが、視界が途切れ途切れ飛ぶ。
その時不意に、足音が聞こえた。
顔を上げると眼前の、広場の片隅に誰かいる。眠りにいざなわれる前兆のような頭を起こし、目を細めてその姿を見ようとする。
「……お……れ?」
その男の容姿は、上葉に瓜二つだった。まるで鏡がそこにあるかのように、そこには上葉の顔があった。
だが服が違う。上葉が半壊したスカイパニッシャースーツを着ているのに対して、瓜二つの男は喪服のような黒いスーツを着ている。
そして上葉の俺?という問いに、男は首を横に振った。
「いや違う。お前が俺に近づいたんだ。“カケラ”」
その言葉を皮切りに、上葉の意識は途切れた。そして力なく黒い水たまりの上に倒れた。
上葉に瓜二つの男はまるで起こさないよう、配慮するかのように静かに近づき、土蜘蛛のスカイパニッシャースーツの内側に残った黒い水の中に手を突っ込んだ。
明らかにそこまで手は入らない場所にまで深く腕を沈ませ、スーツの袖を濡らしながら黒い水の中から引き上げた。
その手には、鏡の破片が握られていた。
その鏡に男の顔が写った瞬間、男の顔が変わった。その顔はエイボンに。また変わり今度は紫苑に、そして剣に、そして知らない人間たちに次々と変わっていったが、最後は上葉の顔に落ち着いた。
男は破片をスーツのポケットの中にしまうと立ち上がり、駅に向かって歩き出した。
「じきにここを壊す。さっさと連れていけ。巻き込まれても知らんぞ」
男は独り言のように言い放った。
その男の言葉を合図に、石の街の最果てに黒い波が立つ。水しぶきを上げながら地面をえぐり、石の街を飲み込んでいく。
その破壊は中心に向かってゆっくりと進んできている。
このままでは上葉が黒い波に飲み込まれてしまうが、上葉は目覚めない。
だが次の瞬間には、その体はまるで誰かに持ち上げられているかのように、宙に浮かんだ。
そのままゆっくりと上葉は空中を進んでいく。
その真下の黒い水たまりではパシャッと水が弾け、まるでクツのような跡がついたが、すぐに消えた。
それを見ていた男は、後ろから迫ってきた黒い波に飲み込まれて消え去った。
そして黒い波は石の街をすべて飲み込んでいき、その場所には何もなかったかのように、暗黒の空間だけが広がっている。
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