天罰執行 20
石畳の上に倒れている上葉は、全身をスーツで覆っているというのに、石の冷たさを肌で感じていた。
薄い意識を保っているからなのか、五感が鋭く冴え渡っていく。
だがそれは幻想だと気づく。だがそれは妄想。それも想像。
すべてがハッキリとしない。いま言葉を発しているのかも、何かが聞こえているのかさえも、頭で理解できない。
だが意識が途切れないかのように、頭の中で声が響いては消える。響いては消える。繰り返し起こるうちに声が重なっていき雑音へと変わる。
だがひとつだけ。まるでこだまが逆再生されているかのように、ひとつの声が大きくなっていく。
「いいのか、それで」
周りに誰かがいるわけではない。上葉は一瞬正臣かとも思ったが、それはありえない。さっきから一言も発していないのだ。きっと相手が誰だか気づいていない。
「ああ、これは幻聴だな」と、あるいは自分が頭で勝手に考えていることに気づいていないんだなと思い至る。
「寝転がってるだけで、証明はできない」
声は続ける。幻聴だと分かりつつも、言葉を返す。
何を証明するのかと。いったい何を証明する必要があるのかと。
「君の愛。唯一持つ本物の感情を証明できないまま、溺死するのか」
本物の感情。確かに自分は、何かを感じたことはないのかもしれない。周りの人間が行う、こうしたらこう言う、こうされたらこうする、そんなセオリーを真似し、いつしかそれが違和感なく振舞えるようになった。だからずっと、そうしてきた。
いや、いまこの声は唯一持つ本物の感情と言った。そんなものはないと返す。
「そうか、ないのか。じゃあ君と彼女が交わした約束は、嘘だったのかい?」
約束。覚えている、守ると言った。でも誰から? どうして彼女を守ろうと思ったのか。うまく言葉が思い浮かべない。
「所詮それも、セオリー。こう言っておけばいいと、勝手に君の経験が喋ってくれたのだろうね」
セオリー。違う。セオリーなんかじゃない。誰かが、誰しもがああいう場面でそう言うから、そういうのがセオリーだから言ったんじゃない。
あの言葉は、俺が言った。
「おかしな話だ。君は感情がないんだろう。だったら自分の言葉など持っていない」
違う。言ったんだ。あれは俺が言った。
「どうしてそう言った」
……あぁ……つ……。それは。……よくわからない。
なんだかグチャグチャしてきた。言葉が作れない。理由を聞かれてもわからない。
「理由はないか。でもなぜいま理由を考えた?」
意味がわからない。どうしてと聞いてきて、理由を考えさせて、それなのになぜ理由を考えたのか聞く。幻聴が望む答えがわからない。
「君は脳死だね。物事を大多数の意見に従って、自分の考えを持っていると錯覚し、セオリーを繰り返す。まさに脳が死んでいる」
脳が死んでいる。なぜだかシックリくる言い方だ。確かに俺は、脳が死んでいるのかもしれない。セオリーでしか行動できない。脳が死んでいる。生きている死者。
「そうか、脳死か。ヨシ、じゃあ目を開けるんだ」
その声は幻聴とは思えなかった。まるで耳元で話しかけられたかのように感じられた。そして微かに、波の音が聞こえる。
そして上葉は目を開けると、見知らぬ場所に立っていた。
「…………」
気づいたら白い砂浜の上に立っていた。服もスカイパニッシャースーツではなく、私服、白いシャツにジーンズ、こんな服持っていたかと上葉は考えたが、うまく思い出せない。
くつはなく裸足で、砂の感触を足の裏で感じると同時に、冷たい水が足の指さきにかかる。
眼前には透明な海。青でも緑でもなく、透明な海が広がっている。透けて見える先には何もないが、透明だとわかる。
この砂浜も、海の感覚も本物に感じる。まさか死後の世界ではあるまいかと上葉は考え始める。
「いんや、偽物だよ。本物ならこんがん綺麗な砂浜も海もねーて。絶対ゴミある」
突然の後ろからの声に振り返ると、そこには見たこともない女性が立っていた。
「ヨッ!」と手を上げる彼女は上葉と似たような服装。その髪は濡れており、まるで深海の生物のような髪をしている。人間の髪とは思えない。
そして極めつけは何といっても、彼女は全身が青白く発光しているように見え、まるで姿がぼやけているようにハッキリと見ることが出来ない。
女性はあやふやな顔を「むっ!」と、しかめると上葉に向かって歩き、そして上葉の胸元に静かにぶつかると、何事もなかったかのようにに離れる。
「私よりもデッコいんだなお前さん。177くらいか」
「え? ああ、それぐらい、ですね」
上葉よりも背が低いのを気にしているのか、女性は自分の手を頭に乗せて自分と上葉を比べている。
ぶつかられた上葉の服は濡れているし、濡れた個所が肌に張り付いているのもわかる。
さっき偽物と言っていたが、どうにも本物に感じられる。
そう考える上葉の心を読むかのように、女性は話始めた。
「ここはね“ドリームランド”。そのまんま“夢の世界”。精神の世界でもある。あと似たようなもんも全部ひっくるめてる。言葉が違うってだけ、内容は一緒。んで私はここの守り人。だからここは現実じゃねーて何回言わすんだて」
夢の世界。だからここは偽物だと言っていたのかと、上葉は合点がいく。夢の世界なら全部偽物だなと上葉は思う。
「いやもっと何か疑えて。あ、いや脳死したところを連れてきたんだった……んじゃいいか」
そう言うと夢の世界の守り人は指を鳴らした。するとまるで景色がスクリーンに映されているかのように流れ消え、一瞬にして別の場所になる。
そこは見慣れた店長の喫茶店がある裏海の街並み。
だがそこは目的の場所ではないのか指を鳴らし、景色を変える。しかしそこも違うらしくどんどん指を鳴らして変えていく。
「あれ出てこんな。あーあ、なーんでドリームランドなんてこんがん面倒な場所にしたんだろ。敵も滅多に来ないし、ヒマすぎてヒマすぎて……。あんちゃんたちと同じ町にしとけばよかった」
ぐちぐちと文句を言いながら景色を変えていくが、不意に止まった。どうやら目的の場所になったらしい。そしてそこは、
「あの日の……研究所」
燃え盛る火の海に、二人は立っている。白い床の感触は感じられるが、周りの炎の熱さは感じない。
「ここはね、お前さんのドリームランド……みたいなとこ」
夢の世界の守り人がそう言いながら指さしたそこには、あの日の上葉と、紫苑が居た。
「三ヵ月前でも懐かしい? いまのちょっと年寄りみたいだったな……。まだ100越えだからピチピチですて。ハイ、じゃあその時の率直な感想!」
突然そう言われ、上葉は反応に困る。あの日のことを思い出させるために、わざわざこれを見せているのだろうか。
「……あー、煙が熱くて苦しかった」
「そっちじゃねーて!女の子よ!どうだった?」
やけにハイテンションな夢の世界の守り人は、元気はつらつな子供にしか見えない。そんなことを考えていることがバレたのか、眉間にしわを寄せながら「私じゃねーだろ!」と上葉を脇で小突く。
上葉は思い出す。紫苑と初めて出会った時のことを。
「なんていうか……ズッキュンバッキュンしました」
その言葉を聞き、「え、なにそれヤバ」と口に手を当ててボソっと呟いたが、夢の世界の守り人はすぐに笑顔を見せた。
「ほら、持ってるじゃないか。上葉、アンタはちゃんと、人間になれてるよ」
持っている。先ほどの幻聴を思い出す。これが、このズッキュンバッキュンが、愛。
「いやこん時はまだ恋」
考えを読まれて指摘されたが、上葉は思い出す。この想いが偽物だと言われたことを。
「――違う」
脳死した上葉の頭に、血が巡り始める。心臓のポンプが早鐘を打ち、全身の細胞が働き始めるのを感じる。
「いったい何が、違う」
夢の世界の守り人は問う。
「俺のこの想いは、本物だ」
上葉は答える。
燃え盛る火の海の景色がぶれる。この想いは、まだうまく言葉に出来ない。だがこんなにグチャグチャでも、本棚のようにきちっと揃えて、理由を作る必要なんかない。
この想いに偽りはない。俺が正しい。俺こそ正義。だから俺は間違っていない。俺が彼女を想うこの心こそ正義。
守り人は言い放つ。
「だったら、アンタのLOVEを!目ん玉かっぽじって刮目させてやりな!」
誰かに何と言われようと関係ない。
紫苑に害を及ぼしたお前に、お前が掲げる偽りの正義に、鉄槌を下す!
夢の世界から現実へと戻る。
意識はハッキリとしている。体に力も入る。いまなら立ちあがれる。
「本物じゃねぇだと……ふざけんな! いままで
剃刀狐のスカイパニッシャーは立ち上がり、外の状況を確かめられない、使い物にならなくなった仮面に左手をかける。
「そんなに見たけりゃ、見せてやる!」
左手で仮面を鷲掴み、力をこめる。仮面のヒビが加速し、強固な黒水晶が悲鳴を上げる。
「俺が本気だってことを、わからせてやるよ!」
力任せに握られた仮面が砕け散る。スカイパニッシャーの仮面から、隠された青木上葉の顔が露になった。
敵を見据えるために見開かれたその瞳。丸いガラス玉は宇宙のように黒く、幾千もの星が瞬く黒き大海原。その下まぶたの地平線から、赤き星が昇っていく。
土蜘蛛のスカイパニッシャーが機械音を漏らす。
『敵性体反応のSAN値の上昇を確認。開眼を確認。識別開始。判定:宇宙の瞳・
上葉が雄叫びを上げた。獣のように。天に向かって吠えるその人間の頭上に、黒い水が集まり輪っかを形成する。それもひとつではなく、その外側に更にもうひとつ、黒き二重の輪。
折れた右腕の装甲が内側から弾け飛び、黒い水に右腕が包まれる。黒き水によって右腕は新たな生を受け、再誕する。
『APP、CON、DEX、STR、各値の上昇を確認。敵性体反応の頭上に、リングの形成を確認。状態:ふたつ重ね。敵性体反応の
機械音が喋り終わると同時に、土蜘蛛のスカイパニッシャーが動き出す。
対して上葉は動じず、静かに佇んでいる。
「俺に……恐怖を感じたな? なら、お前の負けだ。
時を同じく。
地上ではエイボンとエゾが片手で両目を隠しながら、夜空を見上げていた。
「起こったぞ。
エイボンの言葉を聞き、エゾはつまらそうに鼻で笑う。
二人は目から手を放した。両者のその瞳は宇宙のように黒く、銀河のように星が瞬いている。
「惑星直列まで、あとみっつ」
そう呟くとエイボンは一秒間だけ目を閉じた。そして次に目を開いた時には、その瞳はもう元に戻っていた。
エゾは宙に浮かんだ番傘から降りると、ふたつの番傘はどこへとともなく消え、代わりにエゾの手には一冊の本が握られていた。
服の中からみっつの色がついた眼鏡を取り出し、おもむろに本を開いて白紙のページを睨む。
「やはり、サ・ヴィ・レーンではダメか。肉を持たなければ、肉塊にはなれぬということのようだ」
バタンと音を立てて本を閉じると、本と眼鏡が消えた。
そして目を閉じると、そのままくるりと背を向け、スタスタと研究所の出口へと向かっていく。
目を閉じていてもまるで見えているかのように、難なく歩いている。
「どうせまた会うだろうね。エイボンさん」
含みのある言い方で別れを告げると、彼女が現れた時のように、黒い液体がカーテンが閉まるように動き、エゾは姿を消した。
「結局誰だったんですかアレ」
ヒョイヒョイと瓦礫をまたぎながら、剣はエイボンの横に立ち問う。エイボンはまだエゾが消えた場所を見ている。
「彼女は……エゾ。何というか、まあ、俺は嫌われているのさ」
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