天罰執行 18
離れた場所で話し込むエイボンと続曹の背を、距離を置いて瓦礫に腰掛けている紫苑と剣は、いったい二人は何を話しているのかと想像する。
続曹が空を指さしたところで話は終わったようで、エイボンが二人の元へと戻ってきた。
「俺は少し用事を済ませてくるが……」
エイボンは紫苑と剣の顔を交互に窺う。何かを決めたらしく、しばらくの間を開けて紫苑の顔に焦点を定めた。
「君にも付いてきて欲しいのだが……。ここに居るのは気まずいだろ?」
その言葉に紫苑は周りの人々を見る。ネクストコープの社長に似た女性、理由はよくわからないが恐らく本人。それと自分たちを襲ってきた赤い腕の男。上葉との間でどんなやり取りがあったのかは知らないが、ふてぶてしく関わってくる。そして上葉の叔父だというエイボン。上葉より少し年上にしか見えないが、見た目の年齢にそぐわない落ち着きがある。自然と警戒心というものを抱かせない。
この三人から一人選べというのならば、答えはすぐに出る。
「アタシも、そうしたい、です……」
その提案を了承し紫苑が頷くと、エイボンが手を差し伸べてきた。少し紫苑が戸惑うとすぐにエイボンが気づき、手を引っ込めた。
「それは上葉の役目だったな。ついつい子ども扱いしてしまう。君はもう18歳、大人の女性だったね」
「どうしてアタシの歳を?」
紫苑が立ちあがりながら疑問を漏らした。その問いかけにエイボンは微笑み、懐かしむように辺りを見回した。
「それについては、後で歩きながらにでも話そう」
そう言いながら瓦礫の上を進んでいくエイボンに、紫苑は子ガモのように付いていく。
「剣、お前さんは続曹と留守番してろ」
「うぃーっす」
そして続曹の方へと向かっていくエイボンは途中で紫苑に「ここで待ってな」と、紫苑を気遣い続曹と距離を取らせた。
「それじゃあ入るが、いいよな?」
「鍵があろうとなかろうと、関係ないじゃないか。それに元から私に管理を任せているのは貴方だ」
「一応の礼儀ってやつだ」
短く話を済ませるとエイボンは瓦礫の上を進む。それを迂回するような形で紫苑はエイボンに付いていく。紫苑は続曹と目を合わせないようにしたが、一瞬だけ彼女の方を見た。続曹もこちらを見ていたが視線がぶつかった瞬間、紫苑よりも早く続曹が目を逸らした。その顔はなぜか、愁いを帯びていた。
「で、結局どこ行ったんすかあの二人」
剣がズボンのポケットに赤い腕を突っ込みながら、瓦礫の上を歩きづらそうに進んできた。続曹はエイボンと紫苑が今いる研究所の外れを黙って指さした。見ると遠く離れてよくは見えないが、地面にある古びた扉を開けたのがわかった。遠くからでも年季が入ったものであることがわかるその木製の扉は、別の地下へと通じているらしく二人の姿は下へと消えていった。
「君もいずれ、目にすることになる。君がいまだ知らない世界というものを」
「世界? どこでもドア的な扉なんすか?」
比喩をそのままの意味で受け取った剣に続曹はフッフッフと鼻で笑い、「君は大物だね」と小馬鹿にする。あの扉の先は遠く離れた場所などではない、紛れもない地下である。問題なのは、何がその先で待ち受けているのか。
「――この街の地下には、“天使の遺体”があるのさ」
剣はまったくもってよくわかってないらしく、へーと興味なさそうに呟く。それよりも剣は見えないものより、今見えるものに興味があるのであった。
「ところで社長さん。俺にはアンタの女装趣味の方が興味あるんだが……」
女装とは言えど、女装のレベルを超えている。確かに剣が知る続曹の面影があるが、そこから男性味というものは微塵も感じられない。まるで本当は女性だったのかと思ってしまうほどに。
「女装ではない。これが証拠だ」
続曹はそう言うと流れるような動きで剣の赤い腕を掴むと、自身のシャツの上からでも大きさがわかる、その豊満な胸を揉ませた。
「うおお柔らかマウント・フジ。つーかこんなデカいおっぱい触ったことないから、本物かどうかわからないんすけどね」
「もちろん、偽物だとも」
へー、と剣は上の空で重大なことを聞き流し、あらゆる角度から胸を触り「こんな重てぇのにどうやって重力にあらがってるんだ……」と、童心に返り女体の神秘を探求している。
乳離れを通り過ぎて乳へと戻ってきた男に、やれやれと続曹は肩を透かせる。だがもうそれも終わりにしなければ。続曹は剣の肩を掴むとそのまま剣を一回転させ、自分と同じ方向を向いた剣をこちら側へ引っ張り、体を密着させて耳元で話す。
「女性の人肌が恋しいのはわかるが、君の劣情を年頃の乙女の前で晒すのは、男の尊厳というものを傷つけてしまうとも」
その言葉に剣はもう紫苑が返って来たのかと辺りを見回すが、誰もいない。首を傾げていると後ろから続曹が眼前の虚空を指さして見せた。
「どうやら、招かれたお客様ではないようだ」
何もない虚空から、ベチョッと粘度の高い液体がどこからともなく地面へと落ちた。その液体の色は黒。それを皮切りにまるで壁紙を剥がすかのように、黒い液体が隠された場所を露わにする。
そして現れたのは、黒い現代風の着物に身を包んだ女性。魔女がほうきに乗って空を飛ぶが如く、宙に浮いている閉じた赤い番傘に腰掛け、その見目麗しい整った顔立ちを月光から隠すように、右手には開かれた黒い番傘が握られていた。
「お外で勝手にやってる舞台を見てたら、見物人を除け者扱い。物見の代金でも取るつもりか? ネクストコープの社長というのは、性根の腐った雑魚以下の、オキアミ野郎なのねぇ」
彼女の冷たい表情から剣が感じ取ったことはひとつ、どう考えても、友好的にはいかなそうである。なぜなら彼女はきっと、自分が続曹の胸を揉みしだいていたのを見ていたから。
「まーた
地下の階段を進んでいく紫苑とエイボン。
地下は洞窟の中のようになっており、壁に張り巡らされた年代物のランタンの群れが進むべき道を照らしている。下へと続く階段は石造り、所々石が欠けているのを見れば昔に作られたものだということが分かる。
踏み外さないように紫苑が慎重に下りていると、不意に前を歩いているエイボンが足を止め、天井を見上げた。そしてその先に居るものを睨みつける。
「……やはり正臣に吹き込んだのはお前か、エゾ」
「えぞ?」
紫苑が上で何か起こったのがわかるのかと聞こうとしたが、それは遮られた。地上には続曹がいるとはいえ、早急に用事を済ませる必要があるらしい。
「先を急ぐ。と言ってもまだ時間がかかる。だからさっきの質問に答えようか」
先ほど紫苑がエイボンに聞きそびれた、まるで紫苑のことを知っているかのような言い方。エイボンならきっと自分が知りたいことを知っているかもしれないと紫苑は考える。
「率直に言えば、君の両親を知っている。幼くて覚えていないだろうが、ネクストコープが経営方針を変える前は、君の父親が代表取締役だった」
「そう、だったんですね」
紫苑が五歳の時に彼女の両親は亡くなった。両親のことはハッキリとは覚えていないが、二人とも優しかったが仕事が忙しく、いつも別の誰かと研究所で遊んでいた記憶がある。
エイボンが紫苑の家族のことを知っているのならば、聞きたいことがある。
「アタシって、いったい何なのですか」
物心ついた時から研究所で育って、外に出たことは一度もない。それはつまり両親が紫苑のことを研究所の中に閉じ込めていたことになる。続曹が現れる前からずっと続いてきたこと。だからきっと両親は知っていた。紫苑が何者であるのかを。それはきっと、エイボンも知っている。
話していいのか迷ったのか、しばらくの沈黙を挟んだのちに、エイボンは口を開いた。
「……君の両親は、人間だよ。そして君も。イルカからサメは生まれない。だが君は特別な存在でもある」
人間だと言われても、紫苑には実感などわかない。人間には黒い血など流れていない。特別な存在になど、生まれたくはなかった。
エイボンの言葉は人の考えを見透かしているかのように聞こえるが、だからと言って効果的なことを言えるわけではない。エイボンは考え直し、告げることにした。例え意味がまだ分からなくても、人間は知らなければ。知らないことの恐怖から逃げることは出来ないのだから。
「君は紛れもない人間だ。だが古くから君のような存在は人々から恐怖され、悪魔と呼ばれた。鬼とも。……君は、現代七大罪のひとつ“麻薬中毒”を司る、黒き海の悪魔。意味は分からなくとも、心に留めて置くんだ。悪魔は人から恐れられると」
「黒き海の、悪魔……」
悪魔と言われ、紫苑はようやく実感が持てた。人間でもある悪魔。そういう風に受け取ったが、間違ってはいないだろう。悪魔の方が、しっくりくる。
上葉は天使で、紫苑は悪魔。なんだかとてもいい感じに紫苑は思えた。
エイボンは紫苑の顔色をうかがってないが、見ずとも少しだけ彼女が、スッキリしたことがわかった。臭い物に蓋をするだけではなく、時には子どもに蓋を開けて何が臭い物なのかを教えなければならない。そうエイボンは考えると、何とも言えない感情になる。
「600の時を経ても、成長しきったらそれ以上は進歩しないものだな……」
「?」
「いや、何でもない。……そうだな次は、上葉の話でもしようか」
エイボンからの提案に、紫苑はニヤリと口角を吊り上げる。
「じゃあ、恥ずかしい話を」
そこから先はお互いに上葉について話し合った。エイボンは紫苑が知らない上葉の幼少期を、紫苑は上葉と一緒に暮らしてきた日々を。この語らいによって少しづつ、紫苑が無意識に抱いていた、人に対する警戒心というものが薄れていった。
そうこうしているうちに、二人は階段の終わりに差し掛かり、開けた場所に出た。
中はまるで遺跡のようになっており、円状に広がるこの部屋の中央に台座が置かれ、その上には黒い石碑のようなものが置かれていた。
綺麗に円形に切り取られたその石碑の外縁には、漢字に似た文字が書かれている。
その文字に取り囲まれた中央には、白骨化した人間が埋まっていた。
そしてその人間の骨には、鳥のように羽が生えていた。
まるで採掘された恐竜の化石のようなそれに、紫苑は本物かどうか訝しんで見ている。
エイボンは台座の階段を上り、石碑の前に立つと手をかざした。すると石碑に刻まれた文字が虫のように動き出し、エイボンの手の上を這い、腕を伝って進んでいく。そしてすべての文字が無くなったのをエイボンは確認すると、石碑に触れた。石碑は一瞬にしてどこへとともなく消え、台座だけが残った。
静かに終わったその一連の光景にあっけにとられて立ち尽くしていると、紫苑の肩をエイボンが叩き、意識を現実へと連れ戻す。
紫苑があの骨を見ていたのは、ほんのわずかな時間だけだった。それでも紫苑にも理解できた。あの骨から感じ取った神秘は、本物だと。
「いまのは、いったい……」
紫苑の率直な疑問に、エイボンは答える。
「――“天使の遺体”。この街が力場、つまりはパワースポットである原因、みたいなものだな」
時を同じく、石で造られた裏海では、追撃を逃れた上葉が建物の中で身を隠していた。
「えっふっ!」
『センサーを感知。ジャミングを開始します。ですが長くは持ちません。移動を推奨します』
くしゃみを咎めるかのような物言いをするAIに、ハイすいません、と上葉は生返事を返し、他に隠れる場所がないか探し始める。
急に鼻がむずがゆくなり、止めることも出来ずにくしゃみが出てしまった。誰かが噂していると本当にくしゃみが出たりして、と一瞬考えたが、いまはそんなことに思考のリソースを割いている場合ではない。
いま居る建物は、ちょうどこの石の孤島の境界線上の上にあり、建物の半分がまるで映画で怪獣が通った後のようにえぐれて無くなっている。
このフロアは三階。階段は倒壊していたため、上葉は背部のアームクローユニットで蜘蛛のように壁を這って登ってきた。向こうは土蜘蛛の名を冠しているが、その名前の要因は今はこちらが所持している。何かしら別に上に来る手段はあると思うが、圧倒的に上葉の方が早いだろう。
そこでふと上葉はあることに思い至り、AIに質問を投げかける。足を止め、上の階へ逃れて時間を稼ぐために、アームクローユニットで壁を登りながら。
「なあ、俺がこうしているみたいに、向こうも俺のスーツに付いている装備が使えたりするよな?」
『はい。互換性のある装備なら装脱着可能です』
「その逆も?」
『はい。互換性のある装備なら装脱着可能です。加えてスカイパニッシャー:TYPE・土蜘蛛:TSUCHIGUMOに現在装備されている、ネクストコープ社製以外の装備も互換性があれば、装脱着可能です』
その答えを聞き、上葉は考える。
そうしている内に四階へと到着した。だがそのまま四階で途中下車はせず、次の階をそのまま目指す。このまま屋上を目指して隣の建物に移ったほうがいいと判断した。
その時ふと建物の内部に目をやった。この階はオフィスらしくデスクが並んでいる。一瞬誰かが居たような気がしたが、人影はない。
だが上葉は、石で出来たこの風景に違和感を覚えた。それはひとつのデスクの上に黒い塊があったからである。目を凝らして見るとそれは。
「ネコ?」
そう言った矢先、その黒いネコは顔を上げ、上葉と目が合った。
その黒ネコの瞳は、一つしかなかった。片目ではなく、顔の中心に渦巻のような形の赤い瞳と、目が合った。
「おいあそこにネコが……」
だがその瞬間、上葉の言葉に被せるようにAIが声を上げた。
『ジャミング解析完了。センサーに敵性体の反応を検知。九時の方角です』
九時。つまりは左。その方角にあるのは、削り取られた建物、何もない宇宙のような黒い空間。
そこに黒いオニが居た。足裏から黒い水を噴射させ、空を飛んでいる。
「マジかよ。それは反則だろ」
率直な意見を上葉は述べるが、それどころではない。両の手の平がこちらに向けられ、両腕からガチャンという音が鳴り、何かを装填したのか巨大なふたつの
『回避不能。アームクローユニット緊急解除。対ショック体制に移行してください』
AIが危険を告げるが、それを人間が認識して行動に移すよりも早く、土蜘蛛のスカイパニッシャーのスーツから、音声が響く。
『
ふたつの衝撃波がぶつかり、更なる衝撃波を生み出す。
見えない破壊は建物内のデスクを蹂躙し、ビルの外へと吹き飛ばす。
石の造形物で作られた渦に巻き込まれた上葉は、そのままいくつもの建物を通過する。まるで洗濯機の中にいるかのように石という石に打ち付けられ、上葉は四階の高さから駅前の広場へと投げ出された。
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