天罰執行 16
「でれたぁ!」
飛び出すかのように階段を駆け上がり、外へと三人は戻ってきた。
とても長い時間居たかのように錯覚してしまうほどに、どっと疲れが溢れ出し三人はその場に座り込んだ。
だが油断はできない。いずれ黒い水が地上にも溢れ出してくるだろう。上葉は息を切らせながら階段を覗き込んだが、黒い水は見えず、水の音も遠い。まだ大丈夫ならばもう少し休みたい。
「階段駆け上がっただけでなんでこんなに疲れんだ」
「疲れが溜まってたんじゃねぇの?」
中々息が整わず、疲労が回復しない。
不思議に感じてしまう疲労感に疑問を覚えていると、轟音と共に地面が揺れた。飛び上がって見るとエイボンがこちらに向かって歩いてきている。
「おかえりお前さんら。壁抜いといたから当分水は上がってこない」
指さした後ろにはその辺りの瓦礫とは違う、地下で見た壁と同じ材質の塊が不自然に置かれてあった。先ほどの轟音はエイボンが能力で地下の壁を抜き取り、それを持ち前の怪力で投げ飛ばしたのだろう。
エイボンは水の入ったペットボトルを上葉と剣に投げ渡し、紫苑には手渡した。
「あ、ありがとう、ございます……」
ぎこちなく礼を言う紫苑に、エイボンは柔和な笑みを浮かべ「どういたしまして」と返した。
「飲みなさい。疲労が取れる。あの黒い水は死んでいる。触れたものの命を吸い取る、黒い水の中でも厄介な部類のものだ」
「黒い水に種類があるんすか?」
剣がシャワーを浴びるかのように全身に振りかけながら水を飲み、疑問を投げかける。
「まあ軟水と硬水みたいなもんだな。もっと種類はあるが。その水のようにな」
出された飲み水を口に含むと、ほのかに自然な甘みを感じた。次第にエイボンの言ったように体から疲労が抜けていくのを感じた。
瓦礫に座っていた紫苑が距離を詰め、ピッタリと上葉の横にくっつく。口を耳に近づけささやく。
「なあ上葉。普通に会話してるけど、この人誰?」
「ああ、そういや知らなかったなタイミング的に。俺の叔父さん」
視線を向けると聞こえていたのか、ヒラヒラとこちらに手を振っている。とりあえず紫苑は会釈しておいた。
ペットボトルの中身を飲み干した上葉は、しばらくペットボトルを見つめたあと、そのまま握り潰した。
「なあ叔父さん、この水いったい何なんだ?」
いま飲み干した水は、甘く感じる以外は至って普通の、透明な水である。しかしペットボトルのラベルは剥がしてあった。キャップもすでに開いていたので、どこからか汲んできたことが推測できる。きっと特別な水なのだろう。
「水だよ。ただの水。山で汲んだ湧き水。だからこそ効果てき面なのさ」
そう言うと三人の前を通り過ぎ、地下へと続く階段の前に仁王立ち、眼下を睨む。
「黒い水は、本来この星には存在しないもの。いわば汚れだ。服についた泥を洗濯して洗い流す。それと同じだ。」
黒い水はこの地球には本来存在しないもの。だがそれはつまり。
「でも叔父さん、それだと」
「そうだ。お前たちも例外ではない。下手に道を踏み外せば、俺は汚れを落とさなきゃならない」
いつも優しく話しかけていた時とは雰囲気が変わる。いまの言葉は、本気だと言わんばかりに。
「ま、そんなことはないと俺は思ってるがね」
ヒラヒラと手を振ると、当たり前のようにエイボンは階段を下りて行こうとしている。
「ちょ、叔父さん待って!」
「あん、どした」
とっさに上葉が呼び止めたが、なぜ呼び止めたのかエイボンはわかってなさそうに、ポカンとした顔で振り返る。
「その先の黒い水ってヤバイんじゃなかったの」
「ああヤバイとも。だからこそ、誰かが蛇口を閉めなきゃならん」
蛇口を閉める。つまりは発生源を止めに行く。つまりは正臣に、何かをしに行くということである。
「それ……俺でもできる?」
上葉の言葉に、その場にいた全員が彼を見た。なぜそんなことを聞いたのかは、全員が分かっていた。
ケリをつけるために。上葉は再び相対しなければならない。
エイボンは上葉の目を見た。その瞳の奥底にあるものを見るために。そして見た。すべてを見通すその瞳で。上葉の瞳の奥に何もないことを。
エイボンは見えないように片方の口の端を吊り上げ、笑みを浮かべた。
「宇宙は無から生まれる。そして星は
え? とエイボンの言葉が理解できず、疑問の声を漏らすがエイボンは「気にするな」とはぐらかした。そして先ほどの質問に答えた。
「できる」
言い切ったエイボンに、オイオイと剣が、「そこは出来ても出来ないって言うべきものじゃない?」とでも言いたげに声を漏らした。
だがそんな周りの反応は気にせず、上葉は決めた。
「じゃあ行く。俺がやる」
脇目も振らずにエイボンの元へと歩いていく上葉。
「待って!」
だがそれを、いままで黙って聞いていた紫苑が沈黙を破り、上葉の腕を掴んで止めた。
「それって、アタシのため?」
聞いておかなければ気が済まない。上葉が再びあの危険な黒い水の中に戻るのは、誓いを守るため。誰であろうと、紫苑にあだなす存在を許さない。
「そうだ。ってあんま言いたくないけど。紫苑に危害を加える可能性を0.1%でも含んでいるならば、俺はそれを0にしなきゃ気が済まない」
「待ってそれ俺も当てはまるんじゃ……」と剣は小声で自分を指さすが、エイボンが「それ多分もう忘れてると思うから黙っておけ」と首を横に振る。
二人の耳には届いていないのか、無視する形で話を進める。
「アタシは外に出て三ヵ月くらいだけども、それくらいはわかる!それって変だよ!どうしてアタシなんかのために、そこまで出来るんだよ!」
紫苑は物心ついた時からずっと研究所で過ごしてきた。外に出たことは一度もない。だが他の子供と同じように勉強し、本も読めた、インターネットも使えた。何より自分と同じように研究所で過ごさなければならない同い年の友達が居た。本物の外の景色は見たことはなくとも、海も、街も、写真や動画で見たことはある。
外に出たことがない以外、普通の子となんら変わらない待遇を受けてきた。
だからわかる。それは、一人の人間のためにすることの度を越えていると。
紫苑は深く息を吸い込んだ。
『本音を言え!』
言ってしまった。
心の奥底の、本性の自分はきっと彼に対してたくさん言ってきただろう。でも私は誓って違う。彼には言っていない、言いたくない。彼には私の声を聞いてほしい。初めて心の底からそう思えた人だったのに。
でもいま、言ってしまった。
しばらくの間を開けて、上葉は口を開いた。
「……俺は、小さいころから本当の両親がいないことを聞かされていた。母さんは俺を人間として育てるために、自分と同じ名前を与えた。
そう、人生というものの意味を知りたかった。そんなことは誰もが知らないとみんなは言うが、それでも自分には何かが欠けてるようにしか思えない。なぜなら自分は、人間ではないから。人間は、体の中に黒い血が流れていない。
虚無という表現が合っているほど、何をしていても、楽しそうに振舞ってみても、人間の真似をしても、何も得られなかった。
「俺にはやりたいことも、夢もないんだ。でも」
あの日だけは違った。あの日は確かに、光を感じた。暗い海の底から、光差す海の中に、深い底から上に上がったかのように、光を感じた。
そう、君は、光り輝く美しい人。
「俺にはなにもない。だから、俺が君を守る」
本当に本音を言ったのか、分からないほどに上葉の言葉は正直だった。
「ありがとな紫苑。本音を言わせてくれて」
普段の上葉ならきっと伝えられなかった。好きな人に本音を言うのは、なんだか恥ずかしい。照れくさそうに礼を述べた上葉を見た紫苑はわかった。ちゃんと本音を言ってくれたのだと。
彼は自分のことを思ってくれる人なのだと。
だから紫苑は後悔した。フラッシュバックのように海の近くで起きたことを思い出す。自分のせいで彼が怪物に変わったあの時のことを。
私は彼を、傷つけてしまった。
「なんだよ……それ」
訳もわからず溢れ出した紫苑の涙を、上葉は指で拭う。
「ま、そんぐらいヒマってことなんじゃねぇの。本音の俺」
先ほどの本音を思い出し、自分でも思わず上葉は笑ってしまった。いったい何が言いたかったのか丸っきりわからない。だが紫苑の力で無理やり言わされたのだから、あれが本音なのだろう。
なんだがとっても、スッキリした気分であった。
「じゃ、行ってくる」
再び地下に戻るための準備をしようとしたが、どうすればいいのかわからない。そう考えた矢先、瓦礫の山の上に足音が響いた。
「――待ちたまえ」
声の方を向くと、黒いシャツに黒いズボン、その黒ずくめのコーデに映えるように赤いネクタイが目立つ、片手にスーツケースを携えた、髪の長い女性が立っていた。
「いくら君でも、エイボンのような力技では溺死してしまう」
その女性を見た剣と紫苑は、ポカンと口を開け、シンクロしているかのように、同じ速度で首を傾げている。
二人は彼女を知っているのだろうか。確かに上葉にもこの女性の声は聞き覚えがある。だがいったいどこで聞いたのか、思い出せない。
「お前さんの方が力技じゃねぇか
「これは外行き用だよ。表向きの私の姿は有名だからね。世をしのぐ仮の姿といったところかな」
エイボンが呼んだ男性のようなその女性の名に、剣が「続曹!?」と驚きの叫びをあげる。それを聞いた紫苑は大慌てで上葉の後ろに隠れた。
「紫苑、アレ誰だ。知ってるのか?」
上葉の問いかけに、バツが悪そうに言おうかどうか迷った末、紫苑は告げた。
「倉庫の時の、ドローンの声の主だよ……」
その言葉で上葉は思い出した。あの海辺の倉庫での、ドローンから流れていた声の主。聞き覚えがあったのは間違いではなかった。てっきり男だと思っていたが、いま目の前に立っている女性が、ネクストコープの社長。紫苑から何度も聞いた、その張本人。
「お前が! 続曹か!」
怒気を孕んだ声で上葉は叫んだ。その叫びを聞いた続曹は状況を理解した。それと上葉が怒っているということも。
「やあ、ようやく会えたね青木上葉くん。そうだとも、君の怒りの矛先は間違っていないよ。正しいとも。君が私に怒りを覚えるのが、君の掲げる正義なのだから」
挑発するかのようなその物言いに、上葉は乗った。勢いよく駆け出し、拳を振りかざした。あごに手を当ててマジマジとその様子を続曹は観察していたが、ハァとガッカリとした溜め息をついた。
上葉の体が止まった。止めたのは、たった一本の指。続曹のその綺麗に整った細い指が、いまにも折れそうに見えるのに、ピタリと拳を止めている。
「その程度の力で。紫苑を守ると豪語したのかい? ガッカリだとも!」
続曹は上葉を蹴り飛ばし、瓦礫の上に打ち付けた。ズカズカと怒りを表すかのように足音を鳴らしながら距離を詰めていく。
「私が何年紫苑を守ってきたと思っている。君とは積み重ねてきた歴が違うのだよ。たったの三ヵ月程度が十数年に憤るなど、はしゃぐなよ人間風情が……!」
近づいてきた続曹に対し、上葉を庇うようにその上に紫苑が覆いかぶさり、続曹を睨みつけた。
「……だが、当の本人には嫌われてしまったがね」
自身を落ち着かせた続曹はネクタイを締め直し、改めて上葉に向き直る。
「さて、本題に入ろうか」
続曹はずっと持っていたスーツケースを開き、中身を見せた。
そのスーツケースは普通に上下に開いたわけではなく、どこにそんなスペースがあるのか疑問に思うほどに収納部分が展開されていく。
中に収められていたのは、黒い金属のスーツ。
所々違うところはあるがそれは間違いなく、あのスーツと同じものだ。
スーツケースに張られたラベルに書かれていたそのスーツの名称は“スカイパニッシャー:TYPE・剃刀狐:KAMISORI GITSUNE”。
「目には目を、歯には歯を、偽りの正義には偽りの正義をぶつけなければ」
スーツケースを後ろに引くとギミックによって、一瞬にしてスーツが立ち上がり、その全身が露になる。
耳が鬼の角のように尖った、黒い狐の仮面が上葉を見下ろしている。
「君も、スカイパニッシャーに為り給え」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます