天罰執行 13
スカイパニッシャーが笑い声を上げる中、剣の体は宙に浮いていた。
アゴを殴られ、脳が揺れ、意識が遠のいていく。
薄れていく意識の中で思うことは「まだ一発も殴れてねぇ!」それだけだった。
ただそれだけを悔みながら、意識が深い底へ沈む。だがその時誰かが腕を掴んだ。まるで遠のく意識を引き上げる網のように。
エイボンかと勝手に頭が判断したが、それは違った。
「アホがぁ!ちゃんとぶん殴れぇぇぇ!!」
上葉が剣の腕を掴んでいる。
そして思いっきりその赤い腕を引っ張り、地面へと叩きつけた。怒号の着地音と共にビリビリと足から電流が全身を駆け巡り、剣の意識が戻る。
その黒い拳と赤い拳はすでに、力の限り握りしめられている。
「!!
二人は獣の如く雄叫びを上げ、スカイパニッシャーの胸部を殴り飛ばす。
「――んだとっ!」
先ほどとは違いスカイパニッシャーの体が飛ばされる。足でブレーキをかけるが地面がえぐれるだけで、その勢いは死なない。
そしてスカイパニッシャーは地面へと膝をついた。
立ち上がろうとした瞬間、欠片が落ちるのが目に入った。赤と黒に殴られたスカイパニッシャーの胸部装甲がひび割れている。それはこのスーツに初めてついた傷。
「黒水晶にだと……!?」
驚きの声を漏らすと共に、スカイパニッシャーから余裕が消えていく。
今までは最強の金属で作られたこのスーツがあったからこその余裕があった。だがそれはもはや過去となった。このスーツの中身はただの凡人。壊されてしまう可能性が出てきたのならば、選択肢は退くのみ。すでに用事は済ませたのだから、長居は無用である。
なにせ今も怒りに燃える黒い拳が、イノシシの如く突進してきている。
「避けんな! 当たりにこい!」
上葉が叫びを拳に乗せ、怒涛の連撃を繰り出す。それをいとも容易くスカイパニッシャーは躱すが、動きに焦りが出ている。
このままではラチが明かないと判断したスカイパニッシャー。高く跳躍すると街灯の上に降り立った。
「オイオイいいのか猪突猛進マン。こっちには人質がいるんだぜ? そんなことしちゃっていいのかなぁ~」
キャーと街灯の上で身を縮こませ乙女のポーズと共に自らの首に腕を巻き付ける。まるで強盗が人質を取ったか時のようなワンシーンをひとりで再現している。紫苑が人質であることを主張するために。スカイパニッシャーが何を企んでいるかまだ分からないが、上葉は叫んだ。
「紫苑は関係ねぇだろ! どこに隠した!」
「関係あるんだなぁ! それが」
上葉の焦りをかき消してやるかのようにスカイパニッシャーが叫び返した。今はどっちが優位に立っているかわからせなければ、話が進まない。
スカイパニッシャーの本気を感じ取った上葉は黙った。これ以上何かを言えば彼女に危害を加えるかもしれない。
「それでいい。まったく小さいときはあんなにおとなしかったのに、まさか惚れた女のこととなると周りが見えなくなっちまうとはなぁ? 新事実大発見!」
「御託はいい。要件を言え」
上葉は何とか内なる獣を落ち着かせ、スカイパニッシャーの人質解放の条件を聞こうと努力する。敵意は向けずに、拳を握りしめたまま。
いい子になった上葉を見たスカイパニッシャーは仮面の奥で白い歯を覗かせている。表情が見えなくとも周りの誰もがわかった。
「簡単だ。お前ひとりで俺が指定する場所にあるものを持ってこい。そこで塔の上の髪長姫とトレードだ。俺はサービス精神旺盛だから手数料はいらないぜ」
「あるものってなんだ!」
実直に答えず、はぐらかす態度に上葉は思わず叫び声を漏らす。スカイパニッシャーはドウドウと暴れ馬を鎮めるように両手でクールダウンを意思表明する。
スカイパニッシャーが指定する“あるもの”。それは、
「“カガミ”だ。鏡の破片。お前が持っていっちまったのはわかってる。それを未然科学研究所に持ってこい。拾ったものを、拾った場所に持っていく。簡単だろ?」
鏡の破片。それは恐らく上葉が紫苑と研究所で出会ったときに拾ったあのガラスの破片のことを指しているのであろう。確かに上葉は持っている。なぜか未だに捨てる気が起きていない。そもそもなぜ持ち帰ってしまったのか。あんな何の変哲もないただのガラスの破片が、人質の交換条件の材料。そう考えると特別なものに思えてくるが、上葉にはその価値はわからない。
「わかった。そんなもんでいいなら、おとなしく従う」
条件を承諾した上葉は頷く。それを確認したスカイパニッシャーは大はしゃぎする子どものように両腕を高く掲げて街灯の上で飛び跳ねる。
「そんなもの!? これだから最近の若いもんは物の価値ってもんを知らねぇ。もっと出し渋るのを期待してたんだが……もっかい今のやり取りする? いやぁいい、いい!なしなしなしな。交渉成立バッチオーラオイ!」
何かの
「忘れんなよ。お前ひとりが俺の目の前に来るんだ。他の奴じゃダメなんだ。まあ外で授業参観もどきするぶんにはいいんすけどね。野次馬ってことだ言わせんなバカ」
そう吐き捨てると街灯が曲がるほどの勢いで蹴り飛び、装甲各部のスラスターから噴射しながらビルの壁へと張り付く。指を壁にめり込ませ、忍者のようにぶら下がっている。
「俺の気が変わらないうちにさっさと来いよ、黒馬の王子さま」
蜘蛛のようにビルの壁を縫い進み、スカイパニッシャーは街の裏路地へと消え去った。
「上葉」
スカイパニッシャーを追うような形で海浜公園を飛び出そうとした上葉を、エイボンが呼び止める。振り向いた上葉に向かってバイク用のヘルメットを投げ渡す。
「ヘルム?」
見るとエイボンの脇には、どこからともなく現れた一台の黒いバイクがエンジンの唸りを上げて停まっていた。
「乗ってけ。先に研究所であちらさんが変な気を起こさんように見張っておく。剣、お前さんも付いてこい」
剣は地べたに座り、体の中に埋まった弾丸を取り出そうと四苦八苦していた。が、不意にスッキリした感覚に襲われる。スカイパニッシャーの歯の弾丸は、すでにエイボンの手に内にあった。
弾丸がなくなればすぐに体が再生を始めるだろうと、剣は勢いよく立ち上がった。
「ま、ぶっちゃけどうなるか気になるし、野次馬としゃれこみますか」
「チャンスがあっても、手ぇ出すなよ」
バイクにまたがりながら上葉は剣に忠告する。不服そうに剣は眉をひそめるが、理由については問答無用と言わんばかりにヘルメットを被り、上葉は周囲を遮った。ひとりで考える時間が必要だ。
「アイツはもう、俺の獲物だ」
吐き捨てるように独り言をつぶやくとバイクを走らせ、猛スピードで公園の階段を飛び越えると、街中へと消えていった。
「ところでエイボンさん」
「どうした」
「バイクって一台だけ?」
剣が向くともうそこにエイボンの姿はなかった。走り出したエイボンはもう階段の下でいまにも走り出す勢いで足踏みしている。急いで剣も走りだしエイボンの後を追うが、まるで逃げるようにエイボンは速度を上げていく。
「ジジイも走ってるんだから若造も走れ!」
「若いやつらは楽するもんです!」
バイクを走らせ、自宅を目指して街中を進んでいく上葉と、それとは別に研究所へと向かう剣とエイボン。
それとは裏腹に、真逆に海の方へと向かっていく影が一人いた。
「急げ!急げ!急げ!急げ!都市伝説は足が速い!そして鮮度が命!だからマジでいい子にするんで車買ってください!」
息を荒げながら自転車で爆走する蜂須賀時子は、自身が集めた信頼のおける情報を頼りに海辺のつかわれなくなった倉庫や、海に近いから人が寄り付かなくなった海浜公園で聞いたという、異音の正体を確かめに向かうところであった。
夜は昼間より一層冷え込むため、夏だというのに何枚も着込んでいる。だいぶ前から異常気象でずっと毎季節冬のようだが、これだけ動いていれば流石に暑くなってしまった。汗で肌がべたつくが都市伝説のためならば些細なことである。
「待ってろ都市伝説!マジでどっか行かないで下さいお願いします!というか独り言やめるか!うん!」
海浜公園を視界に捉えたちょうどその瞬間、真横を猛スピードで一台の黒いバイクが走り去っていった。夜中にスピード違反なぞこの街では日常茶飯事だが、ひとつだけ違うことがる。あのバイクは海浜公園から走って来たに違いない。
「匂う!匂うぞ!……待って私か? 汗臭すぎない?」
茶番劇もほどほどに勢いそのままママチャリの頭を180度回転させ、時子は黒いバイクの後を追う。あれほどの爆音で走らせていれば多少見失っても追いつける。いや追い付いてみせると神と仏に誓う。
「明日は筋肉痛だぁ!」
自宅に到着した上葉はくつも脱がずに家の中へ飛び込み、目当ての物を見つけるために家中をひっくり返していく。
「あった!」
寝室のダブルベッドを持ち上げたところ、ベッドの下の脱ぎ散らかされた紫苑の服の山に隠されているかのように、ガラスの破片が置いてあった。
なんでこんなところにと考える暇もなく、持ち上げたその時ガラスの破片に映る自分と目が合った。
「――なっ!?」
そこに映っていた上葉は、その顔は真っ黒いタールのようなものに覆われ、頭の上には黒い輪っかが浮かんでいる。
慌てて顔に触れたが黒いタールも何も付いていない。再び鏡に映る自分を見るとそこにはいつも見る自分の顔があった。
「確かに、普通のシロモノじゃなさそうだ」
その辺に落ちていた布をガラスの破片に巻き付け、ポケットの中へと滑り込ませるとまた入ってきたとき同様に、勢いよく家を飛び出した。
「――上葉くん?」
バイクの前に立った瞬間、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「時子」
声の主はその場に自転車を停め、肩で息をしながらこちらに向かって小走りで向かってくる。上葉の目の前で時子は息を整えながら額の汗を袖で拭い、チラリと黒いバイクを
「上葉くんさっき……海浜公園にいたの?」
どうやら海浜公園から出てくるところを見られていたようだ。だが質問の内容的にスカイパニッシャーとのことは見られていないようだ。ならばある程度誤魔化しが効くだろうと上葉は考えた。
「ああ、変な奴がいたから慌てて逃げてきた。時子も公園には近づくなよ」
「ウソ」
有無を言わさぬ真っすぐなその指摘に、上葉は思わず反応してしまった。これではまるで正解だと言っているのと同じだ。
時子は上葉の左手を取った、そこには包帯が巻かれている。包帯は少し黒ずんでいるが血はいずれ黒くなるもの、問題はない。
「ケンカしたあとみたいに服は汚れてるし、それに何より……血の匂い」
「……見て見ぬふりは、してくれねぇか」
時子は強く首を横に振った。両腕で強く左手を握りしめられる。その体は震え、唇から白い息が漏れ、目に涙を浮かばせている。それはまるで、飛んでいく風船を必死に止めようとする少女のよう。
「しないよ……できないよ。そんなことしたら上葉くんが、上葉くんが!」
きっと時子はいま、自分の兄と上葉を重ねている。上葉は時子と兄が最後にどんな言葉を交わしたか知らない。それは上葉自身も。時子の兄とはずいぶん会っていないが、最後にどんなことを話していたかは覚えていない。「残された人間はどんなことをしてても後悔する」そう剣は言っていたが、わかってきた。それはとても、怖いことだ。
「――時子」
上葉は振るえる肩を止めるように両腕で支える。そしてまっすぐ相手の目を見つめる。真意を伝えるためには、自分のすべてをさらけ出さなければ。
「いいか時子。1時間だ。1時間だけ俺の家で待っていてくれ。カギはいつもの場所に隠してある。1時間立っても誰も来なかったら、楓≪カエデ≫さんに迎えに来てもらうんだ」
「上葉くんは……?」
「俺は行かなきゃならない。大丈夫だ、危ないことは何もない。物を渡しにいくだけだ」
上葉の誠意を示したその願いを、時子は聞き入れ頷いた。
「
「待って!」
上葉はこの場を去ろうとヘルメットに手を掛けたが、反対の腕を時子に掴まれ引き留められる。これではさっきの頼みを聞いたことにならないと気づき、慌てて時子は手を離した。
「上葉くん、その、いつでもいいからさ、今度またうちに遊びに来てよ。そのほうがお父さんとお母さんも……お兄ちゃんも喜ぶと思うんだ」
「……ああ、近いうちにな」
上葉は黒いバイクにまたがるとエンジンを掛けた。危ないからと離れる時子を視界の端で捉えながら、ヘルメットに手を掛ける。
「ねぇ最後に」
承諾したとはいえ、そうそうすぐには行かせてはくれない。なにせ時子はまだ表側にいるのだ。いくら都市伝説好きとはいえ、
たまらぬほどに心配なのだ。その気持ちは上葉にはわかる。きっと今の上葉が紫苑を思う気持ちと同じだ。不安で心配で、どうすればこの感情を拭い去れるのかわからない。
「どうして、上葉くんじゃなきゃダメなの?」
そう問いかける時子の頬を、涙が伝って落ちる。上葉や紫苑とは違う、透明な涙。
俺と君では、住む世界が違いすぎる。
上葉は決めた。左腕の包帯を剥がし、ほぼ塞がっている傷口に再び爪を突き立て、傷口から溢れる黒い血を見せつける。
流れ落ちる黒い血は地面へ落ちることなく、生きているかのように左腕にまとわりついていく。
まるで黒いペンキを被ったかのような左腕を突きつけ、その黒いタールにまみれたが如くの有り得ないものを見せつける。
「俺が都市伝説だからだ」
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