天罰執行 11

「そういやエイボンさん。真っ黒い上葉に襲われたときに人を見た気がするんだけど、誰か見たか?」

海浜公園の休憩所で話を続けている剣とエイボン。剣はふと黒い天使に襲われたときに人影を見たことを思い出し、エイボンも見たならばあれが誰だったのか知っているかもしれないと思い至り、疑問を投げかける。

「いや見ていないが、どんな姿をしていた?」

「男か女かはわからないけどさ、こう髪がオバケみたいにうねってて、あとすごい笑顔だった」

剣は手を花のように顔の周りで咲かせ、短髪の頭で必死に長髪を表現し、口の端が引きちぎれんばかりに口角を吊り上げる。だがエイボンはそんな妖怪は存じ上げぬと、反応に困っている。

「あと耳元で波の音が……」

剣が言いかけたその時、何かが動くのを感じ取り二人はその方を見る。その正体は上葉だった。どうやら目が覚めたらしく意識を朦朧とさせながら眼前の人物に焦点を合わせる。

「……おじさん?」

「久しぶりだな上葉。とりあえず水でも飲め。水分不足だぞお前」

エイボンは目覚めた上葉を見て安堵の表情を浮かべながら、どこからともなく水が入ったペットボトルを取り出し、それを手渡す。

上葉がペットボトルを受け取ろうと手を伸ばす。その時上葉の視界に、エイボン越しに赤い手が目に入る。上葉が思い当たる赤腕の持ち主はただ一人。

剣は殺気を感じ身構えた。

「――ッ!」

そして次の瞬間には赤い拳と黒い拳がぶつかり合っていた。

だが両者の拳の間には、エイボンの手刀が割り込んでいる。

刹那の間に上葉は自分の手を傷つけ黒い血を流し拳を塗りつぶした。それに間一髪反応した剣は拳を自らの赤い拳で防いだ。だがその誰よりも早くエイボンは動いていた。

「やめろ。仲よくしろとまでは言わん、だが焦りすぎだ。落ち着けお前ら」

エイボンの仲裁が入り、両者は拳を収める。

上葉は手に付いた黒い血を払い落とし、エイボンから手渡された包帯を、自分の爪で切り裂いた手のひらの傷口に巻き付ける。

ベンチから立ち上がったままの剣は、見下ろす形で上葉が水を喉に流し込むのを見つめている。

「……悪かったよ」

「ん?」

突然の剣の謝罪に思わず上葉は見上げた。真剣な表情で上葉を見ているその顔に、偽りはない。上葉は聞く意思があることを示すかのようにペットボトルのフタを閉め、脇に置いて立ち上がった。

「俺は悪いと思ったことは謝る。お前たちのことはエイボンさんから聞いた。何というか……よく知りもしないで色眼鏡で見ていた。だから謝った。」

静かに謝罪を聞いていた上葉はしばらく剣の顔色をうかがったあと、ゆっくりと地面を指さした。

「お前の謝罪は聞き入れた。だが誠意をまだ見せてもらってないな」

その動きで剣は自分がいま土下座を求められていることを悟った。剣は一瞬眉をひそめる。すると剣は突然雄叫びを上げながら自らの膝を叩き、土下座を拒絶する体を無理やり折り曲げようとし始める身振りを行った。というか日本で有名なドラマのワンシーンのマネを始めた。

「オイ待てお前ふざけんな。完全にふざけてるだろお前それ」

「ごめん正直、土下座するほどのことではないと思ってる」

地面へ膝をつける直前の姿勢で止まっている剣は、開き直った表情の顔を上げた。そしてその姿勢のまま足を伸ばしてストレッチを始め、今度は自分の言い分を話しだした。

「いやですね、青木上葉くんは覚えていらっしゃらないかも知れませんがね。こっちは危うく死にかけるところだったんですよ? え、誰のせいで死にかけるって? オメーだよオメー」

剣はケースバイケースでどっちもどっちだからお前に土下座したくないという意思表明をする。そんなことは覚えていない上葉は納得いかずに反論する。

「お前は俺のみならず紫苑にまで手出そうとしてただろうが、二対一でお前が悪い。あと紫苑が起きたら紫苑の前でも土下座、待て今ならお外で眠る紫苑を撮っても怒られないのでは!?」

「なんで自分から脱線してんだこのバカ」

先ほどまでの深刻で重苦しい空気とは打って変わってくだらない言い争いに二人は発展していった。ギャーギャーと喚きながら変な持論を展開しだす、そんな二人を見守っていたエイボンは深いため息を吐くと煙管を咥えなおした。

しばらく続くであろう二人の不毛な言い争いを聞きながら、エイボンは空を見上げた。

日はすでに沈みきり、天には月が顔を出している。

今夜は三日月。

夜空に向かって星型の煙を吐きながら、エイボンは先ほどのことを思い出していた。

「――居たのか?」

いや、それよりも。

「見えたのか?……まさかな」


ようやくおとなしくなった上葉と剣はベンチの上で正座し、頭上のたんこぶをなでている。

痺れを切らしたエイボンのデコピンが二人の脳天を強襲し、無理やりおとなしくさせられたのである。

煙を吐き出して一息ついたエイボンは、「さて」と話を切り出した。

「上葉も目を覚ましたことだ。今度はその子についての話をするか。上葉、お前さんもどうせ玄河紫苑の正体を知らないだろう」

エイボンが親指で指したその背後には、ベンチで眠り続ける紫苑がいる。

「うん、かわいいからみんなから狙われてるってことしか知らない」

「露骨にのろけてるなー」

剣に呆れた目つきで見られている上葉は、何も知らないといった意味合いで言ったつもりだったが、意外にもその言葉は的を射ていた。

「そう感じるのは自然だ。なにせ彼女は“悪魔”だからな」

エイボンが語る悪魔はあだ名や抽象的な表現ではなく、本物としての悪魔だった。

悪魔。確かにあの時現れた、もうひとりの紫苑とも言える彼女。上葉が見た三日月のようなあの笑みは、本に描かれた悪魔のようだった。

「悪魔は実在する。悪魔とは人の欲望を叶える存在だ。誰にも好かれる容姿、恋心を植え付けるしぐさ、愛に訴えかける本性。悪魔は人に良い印象を与え、その言葉をより相手に浸透させる」

剣は悪魔と聞き、彼女の初見での印象を思い浮かべる。

「新種のツンデレってことですか」

「違う。なんでそうなるの」

何を言っているんだお前は、と冷ややかな目で上葉は剣を見る。

「お前バカだろ」

「ああん!?」

剣は怒気を孕んで喘ぎ上葉に突っかかる。またもやケンカが勃発しそうな雰囲気にエイボンは黙ってどこからともなく袋を取り出し、袋の中のものを二人に目掛けて弾き飛ばした。

「「あま―い!」」

ふたりの口を大きなアメ玉で物理的に封じ、仲よく笑顔になったところでエイボンは話を再開する。

「お前さんら、七大罪ってのを知ってるか」

七大罪。その言葉に二人はうなずく。

「マンガとかアニメで聞いたことありますよ。男子も女子も思春期はみんなそういうの大好き」

七大罪、七つの罪源とも呼ばれるそれは、人の罪を決定する七つのカテゴリー。すなわち傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、色欲。

そして七大罪にはそれぞれ罪のカテゴリーを象徴する悪魔が存在する。どの悪魔も自分が生業とする罪に人々を貶めようと、人間の欲望を解放しようと目論むものばかり。

「じゃあ紫苑が悪魔って、あの七大罪の悪魔ってこと?」

上葉の問いにエイボンは首を横に振る。

「少し違う。今回は通常の七大罪は前提概念だ。確かにお前さんの言う通り、この子は七大罪と紐づけられた悪魔だ。だがそれは“現代七大罪”での話になるんだけどな」

通常の七大罪とは違う、現代七大罪。

始めて聞く単語に「お前知ってる?」「知らん」と上葉と剣はお互いに顔を見合わせる。知名度の高い七大罪ならまだしも、現代七大罪など知らなくて当然だと思いながらエイボンは煙管を咥え、煙をひと吐き。

「現代七大罪。ほんの最近生まれた七つの罪のカテゴリー。まあお前さんらの感覚で最近かどうかは知らんが。現代の七つの罪、すなわちそれは遺伝子改造、人体実験、環境汚染、社会的不公正、幸福簒奪、まあこれは読んで字の如く、人から幸せを奪う、つまりは他人を不幸にするってことだ。そして超過私財、これは過度な裕福であることは罪であるってこと。最後に麻薬中毒。この七つが現代七大罪だ」

遺伝子改造、人体実験、環境汚染、社会的不公正、幸福簒奪、超過私財、麻薬中毒。この七つは単語を聞けば理解できるものばかりである。

だがそこで上葉にひとつの疑問が生まれた。

「じゃあ紫苑はいったい、どの現代七大罪と紐づけられているんだ?」

上葉は三ヵ月紫苑と共に暮らしてきたが、どれも当てはまるようなことは何ひとつない。当てはまるとすれば人体実験であろうか。しかしそれは紫苑が受けたことであって、加害側ではない。罪とは自分が行わなければ罪とは呼ばれないものである。

「……実は紫苑には昔、会ったことがある」

エイボンのその言葉に上葉は驚きの声を漏らす。

「彼女は覚えていない。なんせ生まれたばかりだったからな。その時俺が彼女の両親に呼ばれた。自分の娘に悪魔のアザがあると」

「アザ……?」

上葉は紫苑の裸を思い起こすがアザなんてものは見た覚えがない。そのアザは見落としてしまうほどの小さなものなのだろうか。

「確か右脇の腕の裏辺りにあったな。悪魔は正体を隠すものだ。だから足の裏とか口の中とか見えない位置にある」

エイボンが言っていることは、つまり。

「おじさん紫苑の裸見たのかぁ!?」

「赤ん坊の時だっつっただろうが!」

エイボンが繰り出したデコピンの風圧が上葉の額に直撃し、勢いで全身がのけぞる。

横の剣は「お前も大概バカだな」と心の中で思いながら挙手する。

「で、エイボンさん。結局その現代七大罪のなんの悪魔なわけ」

エイボンはその問いに答えると同時に、どこからともなく一枚の羊皮紙を取り出した。

その羊皮紙には三重のハートマークが描かれている。

「玄河紫苑と結びつけられた現代七大罪は麻薬中毒。悪魔のアザであるこの三重のハートは、禁断症状を意味している」

麻薬中毒と言われ、二人は首を傾げる。

「……どのへんが?」

上葉には麻薬中毒に関連して思い当たることは何もない。紫苑は麻薬を育ててもいないし、使用してるのなど見たことがない、ましてや外になど一切出ないのだから買いに行くこともない。上葉が知らない、研究所に居た時に使用していたならわからないが。

「麻薬を使ってるわけじゃないさ。彼女が中毒を引き起こすのは言葉だ」

紫苑の言葉、つまりは彼女の能力こそが麻薬中毒を表しているとエイボンは語る。

「彼女の命令には誰も逆らえない。たった一言で相手を中毒に陥れ、心から言われたことをしたいと感じてしまう。言葉を聞けば聞くほどその抵抗力は弱まっていく」

二人は理解した。玄河紫苑、彼女が発する言葉の力こそが麻薬中毒であり、現代七大罪と紐づけらた存在である証であると。

だがそれはまた新たな疑問を呼ぶ。

「でもおじさん。それじゃあ紫苑の、いや現代七大罪の麻薬中毒の罪って、なんなんだ?」

彼女は言葉で他人を意のままにできる。だがそれを現代七大罪の罪と呼ぶには違和感がある。それであらばもっと紫苑よりも、現代七大罪の麻薬中毒にふさわしい人間がいるはずである。最も悪魔にふさわしい人間は紫苑ではない。

その疑問にエイボンは答える。

「麻薬中毒って言ってもな、紐づけられているだけでまだ何も決まってないんだ。いわば今はどういった罪になるか彼女の生涯をもってして決定する段階だ」

生涯をもってして決定する。すなわちそれは、

「紫苑は……死ぬのか?」

上葉の問いにエイボンは黙り、悪魔のアザが描かれた羊皮紙を小さく折りたたむと手の中で消えた。

「いますぐって訳じゃないさ。人間はいつか死ぬものだ。それが寿命なのか、病気か事故かは俺にもわからない。罪源が決定しないで死ねばまたどこかで別の悪魔が生まれる」

「そうか……」

人が死ぬのはごく自然なことである。生物には終わりがある。だが上葉は身近な人間の死を経験したことがない。訳も分からない不安だけが心に積もっていく。

「――人は死ぬぞ」

上葉のその様子を見かねてか、剣は言葉をかける。いままで見せたことのない真面目な顔で上葉を見る。

「どうあがいても人は何らかの原因で簡単に死んじまう。残された人間はどんなことをしてても後悔するもんだ。だからまあ、頭のどっかに置いとくんだな」

剣からにじみ出る真剣さに上葉は圧倒され、突っかかることも出来ずにただ頷いた。

上葉は思う。きっと和道剣には、死んでほしくなかった人が居たのだろうと。

深く詮索するつもりはない。この話はここで終わりだと言わんばかりに、二人は黙った。

ただ静かに口に残った小さなアメ玉を、ボリボリと噛み砕いて飲み込んだ。

その様子を見ていたエイボンは小さく微笑む。何百年も前の自分と、二人を重ねて見ている。あの頃の自分と比べたらだいぶマシだな、と自分で自分を鼻で笑う。

エイボンはチラリと後ろを見る。

そこにいる紫苑は、小さく寝言を言いながら寝返りをうって落ちそうになっている。だがその直前にどこからともなく布が現れ、まるで手のように動き紫苑がベンチから落ちないように掴み、そのまま眠る紫苑の上に覆いかぶさった。

もうそろそろ起きるだろうが、起こしてしまうのは可哀そうだと思い、今のうちに別件を済ませてしまおうとエイボンは考えた。

突如として街の方を見つめるエイボンに気づいた上葉と剣は、同じように街の方を見るが、その先には暗闇が広がり何も見えない。

だがエイボンはその暗闇に話しかける。

「何か、用か? お前さんが今さらここに来るってことは、そういうことでいいんだよな?」

寿命残り僅かな公園の街灯のひとつが不規則に点滅している。

そしてその一瞬の点滅の間に、まるで幽霊かのように街灯の明かりに照らされて、黒いオニが姿を現す。

「――ああ、そういうことだ」

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