天罰執行 10
基本的に白一色の建物。
内部も無論基本的に白一色。
研究所という場所には初めてやってきたが、大きな大学のキャンバスに内装は酷似している。
研究所での日雇いのアルバイトなど初めて聞いたが、大学生がすんなり通されたということは意外と同年代でもやる人間が多いのだろうか。
落ち着かない様子で二人の男がキョロキョロと辺りを見回しながら、白衣の女性の後ろを子ガモの様に付いていく。
「知ってるか? 研究所とかで白が使われてるのに明確な理由ってのはないらしいぜ。専門職としての意識とか、見てくれだけで選ばれてるってのが大きいんだとさ」
自慢気に知識を披露する
「相変わらず露骨だな。もうちょい楽しそうにしようぜモルフォ蝶くん。これからあぶないお注射いっぱいするんだからさぁ」
「お前もここでそれっぽいのを言うのは露骨だと思うぞ」
都市伝説の中でも企業の秘密やら秘密結社などそっち系が大好物である氷雨は、どうやらこの研究所にもその類いの都市伝説があると思っているのだろう。
氷雨は横に並ぶと上葉の肩に腕を回し、ヒソヒソと耳打ちをする。
「つーかさっきからあの人なんも反応しないんだけど。ぶっちゃけ雰囲気スゲー出てんのよね。怪しすぎる」
確かにこの距離でなら何か反応してもいいものだが、目の前の白衣の女性は一切わき目もふらず、ただ黙々と通路を進んでいく。
こちらの会話は聞こえていると思うが、何か別のことにでも集中しているのか。はたまた研究所をけなすようなことを言われても何も思わないだけなのか。
「きっと陰キャなんだろうな」
「やめろ上葉お前ホントに陰キャだったら悲しいからやめろ」
などと話しているとどうやらアルバイトをする部屋に到着したらしく、室内に通される。
部屋の内部は広く、人をダメにするソファ、人をダメにするクッション、人をダメにするテーブル、その上には人をダメにするお菓子が。部屋は人をダメにするもので溢れかえっていた。
「人をダメにする実験……?」
怪しい薬だのあぶない薬だの特殊な条件をクリアしないと出られない部屋など二人は想定していたが、どう見てもここは休憩室。
まったく正反対の場所で二人は首を傾げる。
「では、準備が出来次第順番にお呼びしますので、ご自由におくつろぎください」
「ああ、そういう」
結局一切反応せずに職員の女性は一礼して部屋を去っていった。
どうやら実験は個別でやるらしく、この部屋で待つようだ。部屋を見渡すと他には誰もおらず、どうやらこの二人しかいないようだ。
「そういや何するか聞いてないけど、お前聞いてる?」
上葉はさっそく人をダメにするソファに座り、人をダメにするスナック菓子を口に運ぶ。
その問いに氷雨は人をダメにするお菓子でいっぱいの頬を横に振る。
「いんや、精神状態がうんちゃらかんちゃらで実験の内容は直前まで秘密だとよ。まあ同意書にサインとかもないし危険じゃないと思うけど」
「そもそもよ氷雨。お前よくこんなバイト見つけたな」
人をダメにするアイテムで顔面を崩壊させるほどのリラックスしながら、氷雨は頷く。
「あ~。なんかね~。知り合いがメル友から教えてもらった掲示板で見たっていう書き込みをSNSで見つけた」
「へ~」
人をダメにするものに囲まれ、だらけきりまくって数分が経過すると、ドアをノックして先ほどの職員が入室してきた。
「村椿氷雨さん。準備ができたのでこれから別室に移動します。貴重品などは後でお預かりするのでお持ちになって移動してください」
機械のように淡々と説明を終えると、出入り口で静かに氷雨を待つ。
「じゃあ行ってくるわ。えっちな実験が君を待つ!」
「アホはよ行け」
人体実験が待ちきれない子供のようにウキウキルンルンの氷雨は、軽やかな足取りで部屋を出ていく。
それを見届けた上葉は、人をダメにするクッションの底へと、沈んでいった。
別の部屋に通された氷雨は真っ白な部屋の中で、真っ白な机の前の真っ白なイスに座って待つように言われた。
白ずくめの室内には机とイスだけ、まるで取調室、否それよりも殺風景でなにもない。
色んな実験を想像して待っているとスピーカーのスイッチがオンになったのか、小さなノイズが室内に響いた。
『自害しろ』
氷雨はポケットから愛車のカギを取り出すと、自分の首に突き刺した。
「早く止めろ!医療器具も準備!」
部屋をモニターしていた研究員たちは慌ただしく事態の対処を執り行う。
あるものたちは室内に突入し腕を抑え、手からカギを奪い取り、首の傷口に器具を取り付ける。
各人に的確に指示を飛ばす金髪の女性研究員は、黒い室内が映されているモニターの様子を見てため息をつく。
「今日の実験は中止だ中止!お姫様はご機嫌斜めだ!お菓子でも持っていってご機嫌取りしろ!」
ミュートにしているため室内からは何も聞こえず、黒い水滴で濡れたカメラから辛うじて見えるそれは、笑っているように見える。
「相変わらず面食いなプリンセスなことで。“本性”が出てくるほど嫌いだったか」
職員の間を縫うようにキャスター付きのイスを走らせ、機械の前に座する。
機械に設置されたタッチパネルを叩いているとアルバイト二人を案内していた女性が近づき、小さなガジェットを手渡す。
「キャロル隊長。社長からお電話です」
キャロルと呼ばれた女性はガジェットを受け取ると不器用な手つきで起動する。操作に慣れず強くガジェットを叩いているとホログラムのスクリーンが飛び出し、SOUND ONLYと表示される。
「オイ社長さん。この最新のヤツ使いづらいんだけど」
『君はいつも新型にケチつけるじゃないか。だがまあ優秀なモニターのおかげで、ご年配の方にも使いやすいと言われるほどに、改良は捗っているとも』
「おう、年齢ネタをレディに振るとは、いい度胸してるじゃねーか」
軽く挨拶のジャブを交わし合わせると話の内容が本題に入る。
「アンタの大事なお姫様は、今日も今日とでご立腹ですよ。若い男子がひとり犠牲になった。あれはもう持たねぇな」
『聞いたよ。彼女には困ったものだ、こちらの説明を信じず敵対視し続けている。だがいまはそれとは別件でね』
「あん? 何かあったか」
『ああ。いまそっちに――』
言い終えるよりも前に、研究所が大きく揺れ、爆音が轟き渡る。
「これか?」
『それだ。君には職員の避難誘導を頼みたい。それと手は出すな。これは彼の戦いだ』
研究員の悲鳴と共に様々な動物の鳴き声と、銃撃音がキャロルの耳に入る。
「なるほどなるほど、了解ですよ。んでお姫様は?どうやって運ぶ」
「彼女は大丈夫だ。君は何もしなくていいし、何もしてはいけない」
揺れと爆音と共に、人をダメにするまどろみから上葉は覚醒した。
「なんだ? 地震……じゃないな」
遠くから動物の鳴き声と銃声が聞こえてくる。実験用に大型動物でも飼ってるのか? などと考えながら部屋の出入り口から外の様子を伺う。
通路には人影は見当たらず、音だけが響き渡り、先ほどとは打って変わって研究所自体が不気味な雰囲気を漂わせている。
「オイオイゾンビ映画じゃないんだからよ、人くらい居てくれ」
ぼやきながら部屋の外に出て後方の、来た道を確認する。こういう場合は素早くこの場を離れるのが得策だが、氷雨の安否を確認したい。
しかし氷雨がすでに避難し終えている可能性もある。
「うーむ面倒ごとはキラースルーで神回避だよなー」
と、どちらが正解か悩みつつも足は出口へと進もうとしたその瞬間、突然轟音と共に前方の通路の壁が崩れ、巨大な物体が通り過ぎていった。一瞬しか見えなかったが生き物ようにも見えた。そして直後にまたそれを追いかけるかのように今度は金属の塊のようなものが通り過ぎる。またも一瞬だけだったが金属の塊から銃声と共に火花が散っていたように見えた。
「脱走した危険生物を殺そうとするマシン……雰囲気はゾンビでSFかー。なんかそんな映画あったよな」
いま見たものの感想を淡々と述べているが、眼前の通路は先ほどの謎の通過物体AとBによって瓦礫の山に埋もれてしまっている。
仕方なく上葉は踵を返し、反対側へ。すなわち研究所の奥へと進む。それしか道は残されていない。
「はいはい行けってことですか。そうですか」
通路に沿って走っていく上葉。だが氷雨がどこにいるかなど見当もつかない。探すとなるとこの研究所の限界までしらみつぶしにあたっていくしかない。
だが進むにつれて燃える匂いと熱量が上がっているのがわかる。この先はすでに火の海であろう。
爆発の原因が薬品ならばこの研究所には引火性の高いものがまだまだあると考えられる。流石に人並み外れた頑丈な体を持っているとはいえ、限度を超えてしまえば死んでしまう。
脱出する方法も同時に探さなくてはいけない。
「二兎を追うもの……そもそも獲物じゃねぇから関係ねぇか」
進むにつれて瓦礫が多くなっていく。そして瓦礫の山で地形を把握しづらいが、薄々上葉は感じていた。どうやらどんどん降りて行っている。この研究所の地下へと。
「デカい建物なのになんで下に隠したがるかねぇ!」
瓦礫の山を飛び越え下っていくと、一風変わって大きな通路に出た。
巨大な物資でも搬入するためなのかはわからないが、明らかに上の表向けの内部とは作りが違う。だが所々崩落しており、そして火の手が見える。長居は無用が一番なようである。
「さて、どうしたもんか」
ここを走るのはかえって危険なので慎重に進んでいく、通れる場所を進みながらガラス越しに部屋を覗いていく。
「――何者だ」
前からいきなり声を掛けられ、上葉は前方を睨む。そこに立っていたのは先ほど研究所を案内した女性の研究員であった。その表情は少しだけ驚いているようにも見えるが、あまり無表情と変化はない。確かに上葉がここにいれば誰だって驚くだろう。
「アンタ、氷雨はどうした? 一緒じゃないみたいだが」
上葉が疑問を投げかけると、彼女は一瞬黙ったがすぐに左を指さした。その先に恐らく非常口があるのだろう。一先ず脱出経路はわかった。
「……彼なら先に避難した。君も早く非難したほうがいい」
氷雨がもうすでに避難しているならばもうここに用はない。上葉は頷き、瓦礫の山を降りていく。
だがその時、前方から爆発音が響き渡ったと思った刹那、目の前の研究員がその爆発に巻き込まれ、瓦礫の下敷きになってしまった。
「マジか――!」
急いで助けようと駆け寄り、瓦礫を持ち上げようと手を掛けたが、その下から赤い血が蛇口をひねったかのように広がっていっているのが目に入った。この出血量では恐らく即死したであろう。
上葉はいたたまれない気持ちで舌打ちを漏らしつつ、一刻も早くその場を去ろうと立ち上がる。
だが顔を上げたその時、黒が視界に映り込んだ。
燃える赤と瓦礫の白。その間を縫うように黒い水が流れてきている。まるで辿ってほしいと言わんばかりに。
重油かと思ったが引火はしていない。紛れもなく上葉が知る黒い水そのものである。
「なんで……こんなとこに」
上葉はこの場所に似つかわしい黒い水に魅入られてしまった。その魔力に逆らえず、もう足はその魅惑の液体を辿っている。
導かれるままに進んでいくと部屋にたどり着いた。
その部屋はホテルの一室のようにベッドとドレッサー、モニターといったものしか置かれていなかった。
だが違ったのはその白一色の部屋は辺り一面黒い水まみれになっており、その水を避けるように火が燃えている。
そしてその中心に彼女が居た。
ベッドに腰掛けて俯いているその黒髪の女性は、こちらの存在に気づき顔を上げた。
体は囚人が着るような拘束具に包まれ、自由が利かないようだ。まったく火など気にも留めず、彼女は全身がまるで黒い水でシャワーを浴びたかのように濡れており、頬を伝う黒い水滴を器用に舌で舐めとった。
その吸い込まれてしまいそうな深海のように黒い瞳の中に、上葉が写っている。
「ず……」
それを見た上葉は思わず声を漏らす。彼女は首を傾げ「ず?」と上葉の言葉をオウム返した。
上葉は苦しそうに心臓を抑えた。それは上葉にとって初めての経験だったが、知っている。こんなときなんて言えばいいのかわからない。だが本能が告げている。
「――ズッキュンバッキュンです」
本能のままに言った。
だが彼女は何のことかさっぱりわからず目をパチクリさせている。
「ねえ、キミ……」
彼女に声を掛けられ正気に戻った上葉は正気に戻り、あたふたと次の言葉を出そうとするが上手く話せない。
自分で自分に困惑していると彼女の後方に目がいった。彼女を縛る拘束具からベルトのようなものがベッドの端に繋がれており、どうやらそれで彼女はここを動けないようだ。
「待ってろ、いま――」
切れそうなものが見当たらないため、仕方なく手で無理やり引きちぎろうとするが上手くはいかない。
その時後ろでパキンと何かが割れるような音が不意に耳に入り、後方に振り向くとちょうどいま落ちてきたようにガラスの破片のようなものが地面に落ちている。
その形は刃のようになっており、手頃な握れる大きさである。
上葉はガラスの刃を掴むと大急ぎでベルトを切断し、彼女を抱きかかえるために腕を回す。
「ねぇキミ。これって……お姫さまだっこだよね?」
いまの状況がわかっていないのか、彼女は不思議そうに首を傾げ上葉の顔を見上げて問う。
「ん? 嫌だったか? こんな状況でワガママ言わんでくださいよ」
「じゃあキミは……王族なの?」
「はいぃ?」
いったいどうしたら王族かどうかの質問が出てくるのだろうか。絵本の中ではお姫さま抱っこは王子様がするものだから、といった理論でそこに行きついたのだろうか。
だいぶ不思議ちゃんだな、と思いながら上葉は言葉を返す。
「いいや王族じゃないよ。ただの……人間さ」
「……そう」
その答えで満足したのか彼女は短く返事をすると目をつぶり、スヤスヤと寝息をたて始めた。
「この状況で!?」
兎にも角にも上葉は彼女を抱えながら出口へと向かった。
それが今から三か月前の青木上葉と
そして上葉は、
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