天罰執行 8

何かがふたつあれば、何かが起こる。

裏を返せばそれは、何かがひとつだけでは何も起こらないということである。火を起こしたければ、火種に薪をくべねばならない。

爆発を起こすためには足さなければならない。

ひとりでは足りないのである。

だからまたここにも、ふたり居た。


この裏海では、夜になれば都市化が進んだ半都会に自然と人々が集まってくる。

学生たち、友人知人、家族、仕事の同僚と飲みに来たもの、そしてたまに居るひとりだけの者。

色んな目的の人間に合わせ、街にある店の種類も応じて増える。町は人間のために作られたもの。人間を満足させなければ意味がない。

そして人々が主に食欲を満たすために訪れるこのファミレスも、その使命を全うしていた。

店内では様々な人間が溢れている中、とあるひとつのテーブル席に二人が座っていた。

男と女、向かい合って対座に腰掛けるこのふたりはもちろん、何かを起こしていた。

それは話である。


「――でだ。俺がその話を聞いてどこまで信じられると思ったんだい? 俺の知りえるものの範疇をゆうに記録を大幅更新。ぶっ飛びすぎててチートだチート」

「まったくもってズルではないよスカイパニッシャー。私の提案はきちんとこの世界という名のゲームで出来る範疇のことだとも」

女の話を対面で聞いていた男、スカイパニッシャーは鼻で笑い飛ばした。

ファミレスの中である。もちろん素顔を晒している。だがこの女は人間の成りをしているスカイパニッシャーの、一般人に溶け込んだこの男の正体を当ててみせた。

現在のスカイパニッシャーのこの女に対する評価は、映画に出てくる正体不明のヤベー奴。そんなのに関わったものの末路のパターンは二通り、大成功か、大失敗。

それとこの女の恰好。先ほどから周りの客や、通り過ぎる店員がチラチラと視線を定期的に送っている。

その気持ちはとてもわかる。現代風にアレンジされた着物。明治時代の女学生を思い起こさせるデザイン。黒い布地に貝の絵柄。頭からつま先まであしらわれた装飾も和のテイストを思わせる。そしてまるで水の様に透き通る濡烏ぬれがらすの黒髪。その顔立ちはどこかあの男に似ている。

派手なわけでも、目立つわけでもないが、その恰好、というよりはそれを身に纏う彼女が放つ異色さに、人々は目を奪われている。

もしかしていまあの漆黒のパワードスーツを着ていても誰も気にしないのではと、スカイパニッシャーが考えてしまうほどに。

総評結果は、話は聞いても絶対に信用してはいけない。絶対にヤベーって。である。

「それで……あー……」

「“エゾ”だよ。私のことは人によってはエミシ、エンツォ、エルゾとも呼ぶが、シンプルにエゾと呼んでくれると助かる。他は呼び慣れていないのでね」

「どれもこれも呼び辛ぇよ」という言葉を、スカイパニッシャーは飲み物と共に文字通り飲み込んだ。あと「絶対偽名だな」も。

エゾは自身の目の前に置かれたプリンアラモードをひとすくい、口に運ぶと頬に手を当てその甘味をとてもおいしそうに味わっている。その所作ひとつひとつが|優艶≪ゆうえん≫である。

彼女はおもむろに宙に手を伸ばすと、どこからともなく、一冊の本を取り出す手品を披露した。

その本は動物の毛皮のようなもので装丁されており、古めかしい雰囲気によって特別なものであることが一目でわかる。

「ハリポタのあれじゃん」

「この書物の名は“仄暗ほのぐらきエルゾ”。黒き海について書かれた群書、それを模倣して作られたものの写本さ」

「意外とオリジナルから遠いっすね!」

確かに、とエゾは微笑みながらその本の装丁の手触りを手のひらで味わう。

「重要なのはこの本が出来ることさ。群書を管理するものは皆本と同じ名を持つ。だからまあエゾというのは偽名なのだが……私にはそもそも本名というものがなくてね。しいていうなら管理者名が本名みたいなものさ」

そして優しく丁寧に本を開いた。そしてそこに書かれていたのは。

「メモ帳ですか?デカイですね」

何も書かれていない。白紙である。

スカイパニッシャーが見せた教科書通りの百点の反応にエゾの頬が思わず緩む。

そしておもむろに懐からケースを、その中から虫眼鏡のようなものがみっつ連なったレンズを取り出した。さらにはレンズも赤、青、黄色の三種類もあり、それを通して白紙の本を眺める。

「さぁさぁ本の虫。是非ともその知識を私に見せておくれ。仄暗きその場所で何を見聞きしてきた」

エゾがカラフルな虫メガネ越しに本を眺めるのに合わせ、スカイパニッシャーも本をのぞき込む。しかし白紙のページに文字が浮かびあがってくるわけではなかった。角度を変えてレンズ越しに見ても結果は同じ。何も見えない。

「クスリでもやってるのかいお嬢ちゃん? やめた方がいいぞー、俺の同級生はラリって全身に火薬塗って人間花火になってた」

「私は至ってシラフだとも。見えないのは単に目が違うからさ」

そう言うとカラフル虫メガネをケースにしまった。そして下まぶたを引っ張りよく見えるように目を見開いた。その目はいたって普通の黒目である。

「私は黒目。そしてアナタは茶目。たったそれだけのことよ」

「えーそんなんだったら俺も黒目が良かったなぁ。ていうかホントに見えてた? 読めてた? 強めの幻覚が効いてないかい?」

「信じる必要はない。私はただ読んだ事実をそのまま教えるだけ。あとは好きにしたらいい」

エゾのその表情に、スカイパニッシャーは反応した。どうやら面白いものが見えたらしい。

「いまちょうどこの町の海沿いの倉庫に、天使と悪魔が現れた。私が先ほど提示したやり方は簡単にクリアできそうだね。悪魔の方は気絶したみたいだし」

天使と悪魔。詳しく聞かなくてもスカイパニッシャーにはわかった。さきほど聞いた話が事実ならば、あの二人を利用すれば“石に隠されし異説の知恵”が手に入る。

それさえあれば、ハリウッドデビルに対する最強の一手となる。

しかしいまだにそのまま鵜呑みにするほど信用に値する証拠は出ていない。

「スゲェなその本は、まるでいま起こっていることが書かれているみたいに言うねぇ」

スカイパニッシャーはニヤニヤと皮肉を込めて言い放つ。しかしまるでその言葉が、まるで一言一句事実かのようにエゾは頷いた。

「ああ、私と彼には深い繋がりがあってね。それで潮の香りの訪れを感じ取れてはいたから、詳細を覗いたのさ」

彼女は何もないくうを指さした。そしてクルクルと人差し指を回し、まるで全方位を指さす。

「見られているよ。いまも見られている。“アレ”が四方八方、隙間なく見続けているよ。悪いことをしてもしなくても、すぐにこの本に書かれてしまうよ」

「え、じゃあ俺の好きな女優の新間恋山あらまこやまの私生活も赤裸々か!」

「だいぶ古いね」

そのスカイパニッシャーの反応は、興味深いが信じていない、といったものであろう。どうやら自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の体で直接感じ取ったものしか信じていないの。そういう性分なのだろう。

エゾは容器に残ったチェリーをパクっと咥えると、一息ついて言った。

「まあ、ザコにはわからないだろうね」

「あ?」

その突拍子もない突然の侮蔑にスカイパニッシャーは声を漏らす。エゾはおっと、と上品に口を塞ぐが、その指の隙間から笑い声が漏れてしまった。

「フフフ、すまない。気にしないでくれ、弱いとか小さいとかではなくてね。いまのザコは、魚のような意味合いで取ってくれると助かる。なにせ我々にとって――」

用事を終えた、広げられたままの白紙の本を、静かに閉じた。

「海を忘れ、浜辺に打ち上げられた愚かな人間風情は、みんな等しく|雑魚≪ザコ≫なのよ」




「聞いてねぇぞそんなもん!」

『言ってないからねぇ』

同時刻、裏海の海沿いにある倉庫のひとつ。

その中では地上に舞い降りた黒い天使が天に向かって吠えていた。

対峙する和道剣は咆哮に気圧され一歩下がってしまった。その瞬間気づき一歩足を前に出そうとしたが、やはり動くことが出来ない。

黒い天使のその背後に横たわる玄河紫苑を見据える。先ほど気絶するのが見えたが、気を失っただけではこの縛りは解けないようだ。

つまり今剣は実質前に進むことが出来ない。しかし後ろに下がっていけば壁に当たる。恐らく倉庫の壁くらいなら赤腕で壊せるかもしれないが、背を向けた瞬間やられる。

最善は紫苑の方向を中心に向いたまま円形に回る方法だが、それには少々下がりすぎた。壁にぶつかってしまう。

「オイ社長さんよ!順調ならいまごろ俺はこの場を離れられてるハズだよな!」

後ろを振り向かずに剣は叫ぶ。まだそこには社長から渡されたドローンが留まっているはずである。振り向きたい、眼前の存在から目を逸らしたいが、その瞬間きっと死ぬ。

この恐怖に屈した瞬間、命を落とすと直感で剣は理解していた。

『もちろん。だがいきなり“輪”が出てくるとはね。どうやら君の悪役は名演技だったようだ』

「本音だからな」

事前に社長から聞いていた通り、この町には危険な存在が溢れている。コイツらみたいなのがいるから無関係な人間が命を落とす。そんな連中を始末するために義手ではなくこの赤い、化け物の腕を選んだ。

まだ死ねない。

まだアイツを殺していない。

だが目的に到達するためには、死線が多いようだ。

剣が聞き及んでいた情報を組み合わせて練り上げた結果と違う。これは未知の領域である。本来なら、とっくにこの二人は社長が用意した“秘密兵器”とやらで倒れているハズであった。

だから剣は恐怖した。恐怖を持たないものは、知る前に死ぬ。生きるためには、恐怖を知らなければ。

「ビビれよ俺。無傷で負けることだけ考えてろ。コイツには、勝とうとするんじゃねぇ……!」

叫び終えた黒い天使が、こちらを見ている。

正確には顔のパーツなんてものは見えないが、冷たい視線を感じる。

『しかしおかしい……なぜ来ない』

「秘密兵器ってやつがか? こっちはもう悠長にしてられねぇぞ!」

剣のその言葉通り、黒い天使が動いた。

静かにこちらを指さしている。

なんだ? と剣が思った瞬間、静まり返った倉庫の中で、ピチョンッと水滴が地面に触れる音がした。

そして次に鳴った音は、何か重たいものが落ちた音。

頬に違和感を感じ、触れてみるとヌルっとした液体の感触がある。

そして視線の端で機械の玉が転がっているのが映り込んだ。その玉の中心のカメラ部分は、まるで銃撃を受けたかのように風穴が空いている。

「まさか……!」

外した視線を黒い天使に戻すと、何かを掴むかのような手つきの右手が、その五本の指すべてが剣を捉えている。

そして五つの水滴が滴り落ちるのが見えた。

「――こんのゲロ野郎が!」

剣は反射的に自身の右側にある廃材の山の陰へ飛び込んだ。

そして静かに剣が先ほどまで立っていた場所の床がハチの巣になった。

黒い水の弾丸。

連続で放たれたその弾は恐らく無限ではないのだろうが、尽きる前には剣がハチの巣にされているだろう。

「――ッツ!」

腕に鋭い痛みを感じ、見ると赤い腕に赤い血がついていた。

「いやわかりづら」

なにせ剣は、この赤腕から血が流れ落ちるのなど見たことがなかった。腕を移植してからどんなことが出来るか教わってきた。そしてこの腕にどれほど破壊力があり、どれほど頑丈なのか知った。ナイフで刺されても、銃で撃たれても傷がつかなかったこの赤腕から、いま初めて見る血が流れていた。

当たれば死ぬ。

幸いにも黒い天使の追撃はなく、物陰から伺うとゆっくりとこちらに歩いてきている。

「よせ、余裕しゃくしゃくなのを見ても怒るな……。怒りは最も悪手を出す」

気持を鎮めるため深く息を吐く。そして吐いた分と同じ量を吸い込む。

怒りではなく恐怖を持て。恐怖を恐怖を。足がすくまず震えず、動ける程度の、生き残るための恐怖。

そして剣は物陰から飛び出すと、一直線に黒い天使に向かって走り出した。

「|侮≪ブ≫ッッッ殺す!」

向かってくる剣に対して黒い天使は拳を振りかぶった。対して剣は何もしなかった。反撃も防御の素振りさえない。

なぜなら剣は拳を紙一重で避け、壁を駆け上がるかのように黒い天使の肩を踏みつけた。

剣が向かったのは、出口に向かうわけでも、黒い天使に立ち向かうわけでもない。

「上だぁ!」

黒い天使を踏み台にし高く跳んだその先にある鉄骨に手を伸ばす。出口に行けず、壁を壊して脱出できないなら、天井から脱出するのみ。

先ほどから物陰から様子を伺ったとき、天井に窓があるのが見えた。恐らくあそこから屋根の上へ出られるのだろう。

決して剣は怒ってなどいない。殺すと宣言したのは後でという意味合いである。決して怒りで我を忘れてなどいなかった。

この高さでもギリギリ届く。赤腕に合わせるかのように剣の身体能力は強化されている。

だが届かなかった。

剣の足に、黒い水が手のようにまとわりついていた。それを辿ると黒い天使の腕が、川の流れのように伸びているのがわかった。

「こんのクソゲロ――!」

言葉を言い終える前に剣の体は地面へと叩きつけられる。

剣の全身を感じたことのない痛みが襲う。まるで腹からプールに飛び込んだ痛み、それを何倍にもしたかのような感覚だった。

動こうにも起き上がることができない。地面がえぐれるほどの威力で叩きつけられたのだ。普通なら即死である。

辛うじてわずかながらに頭を動かし、粉塵の中から黒い天使を探し出そうとする。

しかしその必要はなかった。

もうすでに目の前に立っている。

更には振り上げられた腕の高度は頂点に達しており、いますぐにでもその拳が落ちてこようとしている。あれがどこに当たっても死ぬだろう。

剣は恐怖した。死に直面した真の恐怖を。この恐怖を持ってしまったら、もう終わりである。

剣は目を閉じてしまった。

目を閉じるのは、現実から逃げる時。見ても見なくても結果は変わらないというのに、単に恐怖に屈したことを伝えてしまうだけである。

「――!」

だから目を開けた。

誰かが見ているわけでもないが、眼を見開き、暗黒の世界から舞い戻った。誰かのためにも、自分のためにもなりはしない。

だが見られている。誰かは知らないが見ている。誰かが見ているというのならば、最後は恐怖に打ち勝つ瞬間を見届けさせねば。


「――え?」

目が合った。

知らない誰かが、顔を覗き込んでいる。

その髪はまるでクラゲのようにうねり、その顔はまるで三日月のような笑みを浮かべている。そして微かにその口が動き、何かを喋っている。が、何も聞こえない。

ただ耳元で、波の音がした。


その瞬間我に返ると、まだ死んでいないことに気づく。

体もいつの間にか動き、痛みに顔を歪めながらも上半身を起こした。辺りにさっきの人影は見えない。

目の前を見ると、そこに居た黒い天使は体を後ろに反り返らせていた。

その背後には誰かが立ち、後頭部を鷲掴みにしている。

その黒い天使の動きを、たった一本の、人間の腕が止めていた。

「はいストップ」

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