天罰執行 7

静かな倉庫に、ドローンからの音声が響き渡った。いまこの場にその男の声を阻害するものなど何もない。響き渡るは、常が定め。

『盗み聞きは趣味じゃないが、ずっと聞かせてもらっていたよ』

紫苑の動揺が体の震えとなって表れる。忘れるわけがない、ずっと聞いていたこの声を。ハッキリとまだ脳裏にこびりついている。

忘れたくても、こびりついたこの汚れは洗い流せていない。

『いい人と出会ったようだね。紫苑』

ドローンから流れる男の声は淡々と続ける。まるで人間ではなく機械が喋っているかのように、その言葉に感情の色はない。

彼女はこの話し方が嫌いだった。まるで自分が人形と話しているようだった。それは自身が人形の操り人形になっているかのような錯覚に陥らせる、とても気分を害する話し方である。

『素晴らしい結果だ。君のことを知ってもなお、これほどまでに自分の考えに自信が持てている。普通ならば何も言い返せなかっただろうね。たったの三ヵ月程度で深い信頼関係が築かれている』

「結果……だと?」

機械音声に上葉が怒りの声を漏らす。

まるで彼女を実験動物かのように扱っているその物言い。憤らずにはいられない。

男の言葉から守るかのように紫苑をかばう上葉。服を掴むその手が震えてる。これほどまでに怯えている彼女は見たことがない。圧倒的な力を持つ彼女がこれほどまでに怯える相手など、上葉の想像の範疇にはいない。

ドローンのレンズの向こう側にいる存在は、危険すぎる。

『失礼。気分を害してしまったようだ。何分私には人間の感情といったものを持ち合わせていなくてね。しかし私は喜んでいるのだよ。これほどまでに計画がうまく進行しているとね。言い表すならラッキーとハッピーが超越融合した、超ラッピーだ』

「社長さん。こっちの空気を考えて発言して貰えませんかね」

『ん?そんなに重いのかい。いやーワリ。心の底からワリーと思っているよ』

アッハッハと和道剣とドローンが笑うが、やはりその言葉に感情はない。まるで子供がアリを潰して遊んでいるかのような、余裕を上葉と紫苑に見せつける。

完全にあちら側のペースになってしまったと上葉は思う。

このままでは埒が明かない。ここは紫苑のためにもこの場から離れるべきであろう。この場にあの男が居なくてもわかる。ドローンの向こうから話すだけでこれほどの驚異を与えるというのならば、もしこの場にいたのならどうなるのか最低のビジョンが次々と浮かび上がってくる。

こちらの認識が甘かったことを痛感する。

この三ヵ月間何もなかったのは向こうが手を出せなかったわけではない。手を出さなかっただけである。求めているのは観察による実験結果だった。

完全に遊ばれていた。

いろいろと考えたいことは山ほどあるが、いまは紫苑が動ける内にこの場を離れることが先決である。

「紫苑。ここから離れよう」

力なく頷いた彼女の手を取る。だがその時。


『待ちたまえ』


ドローンからの声で、上葉の動きが止まった。

理解が追い付かない。いま流れた音声は決して紫苑の声ではなかった。しかしあの男の声ではない。女性の声だった。まるであの男の声を女性に加工したかのような声。だが重要なのは、その声が孕んだ重さというものは紛れもなく、彼女の、紫苑の力かのように、重く体にのしかかる。

だがすぐに動けるようになったことに気づく。しかし体は動かせない。いまので理解してしまった。いまはここから逃げることはできない。

そしてまた先ほどの女性の声ではなく、男の声が流れる。

『便利だろう? 種明かしはいつかすることにはなると思う。だが勘違いしないで欲しい。これは彼女の能力を研究した際の副産物だ。私が彼女を利用していると考えていそうだが、まったくの逆だよ。むしろ私は彼女を治す、いや人間にするために十年もの歳月を掛けている』

「じゃあなんで」

『“なんで拘束していた”かい? それは彼女が暴れるからだ。ましてや実験に協力してくれた人に“自害しろ”と命じるなんてね。つい三か月前の時、確か彼は、村椿氷雨くんと言ったかな? ああ、青木上葉くん。君と一緒に実験のアルバイトに来ていた子だったね』

え? と紫苑が声を漏らす。思わず上葉は紫苑を見てしまった。これではまるで彼女に疑念を抱いたかのように見えてしまう。向こう側のペースに乗せられるな。これも実験なのだろう。いま上葉と紫苑は揺さぶりをかけられている。

「わ、私知らなくて……」

「わかっているよ。大丈夫だ」

小さく絞り出された声にやさしい声音で返すが、効果は薄いだろう。

本心はいま明かされた事実については何もない。出会った当初の紫苑の心は実験の影響ですさんでいた。あのような精神状態なら無理はない。いまの彼女は、きっと後悔している。だから責める気など毛頭ない。

しかしいまはお互いにマイナスの感情が芽生え始めている。この状況を打破する一手を考えなければ。


とか思ってるんだろーなー。と和道剣は内心ほくそ笑む。

剣は手を緩めるつもりはない。社長のこの揺さぶり方は、あれの総仕上げの前段階であることは明白だ。隠されたバイト内容、“暴走状況下の観察”を実行に移す時である。

「オイオイひでーな社長さん。本人の前で暴露するとか、相変わらず人の心ってもんがねーな」

『だからずっとそう言ってるじゃないか』

やれやれと、肩をすくめるかのようにドローンの高度が少し下がる。

『紫苑、はっきり言って君の精神状態は危うい。だがいまの君なら、安定剤である彼が居てくれるなら大丈夫だろう。こちら側の受け入れ態勢は万全だ。もう拘束しないとも約束しよう。上葉くんがいるなら問題ないだろう』

上葉は考える。要はこの男はいま、前より優しくするからもう一度実験させろ、ということである。そんな提案は飲めるわけがない。

「無論。拒否する」

『ふむ、上葉くんの答えはわかった。では紫苑、君はどうかな?』

機械の瞳孔が紫苑を見つめる。紫苑はドローンを見据えながらよりいっそう上葉の服を強く掴んだ。声を出そうにもパクパクと魚の様に口が動くだけでうまく声が出せない。

『そう怖がることはない。前の部屋はとても殺風景だったからね。我が社自慢の休憩室でお茶でもしながら話そうか。確かプリンが好物になったようだね? もちろん良いものを用意しよう。休憩室のある階は展望室になっていてね。そこから見える裏海の街並みは素晴らしいとも。君も嫌だろう? 前のあの部屋は』

「あの、部屋……」

紫苑はその言葉を反芻すると頭を抑えた。激しい頭痛がする。吐き気も。

いまの言葉がトリガーとなってフラッシュバックが起こる。

「紫苑!」

頭を抑えながら崩れ落ちる彼女を、上葉は受け止める。

呼吸が安定しない。いままでの光景がスライドショーのように頭の中で再生され、別の連鎖的に呼び起こされ映りだすたびに過呼吸度が増していく。

「イヤ……あの部屋は……イヤ……」

『過呼吸を起こすほど嫌われていたか。あの部屋は爆発して正解だったようだ。紫苑、過呼吸は吸い込みすぎで起こる。ゆっくり浅く呼吸したまえ』

この状態を作り出した張本人だというのに、他人事のようにしか聞こえない。

ドローンから音が出るたびに、空気が悪くなっていく。


「――イチイチ回りくどいな社長さんは」

そんな空気にシビれを切らしたのは、和道剣であった。

「要するにあれだろ? 今度は危険な爆弾野郎の安定剤と一緒に部屋にぶち込んで、爆弾が解除されるまで閉じ込めるってことだろ? 激しく賛成だね」

『剣くん、それは』

横から口を出そうとする社長を遮り、最後の言葉を放つ。

これで終わりだ。仕上がった。バイトがひとつ終わる。

「化け物は、塔に閉じ込められているのがお似合いだ」

彼女を化け物と呼んだ剣を上葉は睨む。

だがいまはそんなことよりも紫苑が心配である。明らかな挑発で彼女の精神はボロボロになっている。彼女を模倣した力で止められても、止められるのは一瞬であることはわかった。ここは止められても走り続けるしかない。

「紫苑!」

彼女を呼びかけ勢いよく立ち上がり、上葉は後ろに向かって走りだした。

だがまたしても、止められてしまった。


『参ったね。順調だが不安要素がひとつできてしまった。君が彼女らに挑発してしまうのは誤算だった』

社長の言葉に剣はハテナマークを頭に浮かべる。事前に社長によって決められた計画に、恐ろしいほどにその通りに進んでいるというのに、いったい何が不満なのだろうか。

「なにがですか?」

『君の安全が確立されていない』


「え?」

突然の出来事に上葉は驚きの声を漏らす。

いま自分を止めている原因は、不可思議な力ではない。紛れもない物理。上葉の腕を掴んで引き留めるその手は、紛れもない紫苑のもの。

「――ダーメ。そっちじゃないでしょ?」

背後から聞こえてきたのは紫苑の声。だがそれはまるで先ほどまでの出来事が夢であるかのようにさえ錯覚してしまいそうなほど、打って変わって色がある。

上葉は振り返る。そして驚嘆の表情を浮かべる。

「お前……!誰だ……!?」

上葉の目の前にいるのは紫苑である。

だが違うとハッキリ言える。見てくれは紫苑でも、中身は絶対に違う。

その口元しか見えない表情は、まるで三日月のように口角を吊り上げ、見たこともない笑顔を見せている。

いや、初めて見るのだが、この顔には覚えがある。

「誰だなんてひどーい。そんな悲しいことが言えないように、ワンちゃんみたいに躾けて欲しいのカナ?」

ハッハッと犬のマネをしながら悪戯っぽく舌を出す。

その舌から、黒いよだれが零れ落ちた。

そして不意に腕を引かれて力なく彼女の胸元に抱き寄せられる。

ワンワンとまるで犬のように鳴きながら上葉の耳を舐めるた。しかしそれは愛犬を可愛がる飼い主のようにも思われる。

「ねぇねぇ上葉くーん。さっきはね、紫苑とっても怖かったんだよ。でも上葉くんがいたからぁ、大丈夫だぁったよ?」

「何を……!」

上葉は彼女から離れようとするが抵抗むなしく力強く抱きしめられる。紫苑は上葉と同じように常人離れした身体能力があるが、そこに男女の性差があることは変わりない。

だがそれでも彼女の腕の中から抜け出せない。

「コラコラ。暴れるのはメッだよ」

上葉の顔を掴み無理やり自分と目を合わせる。

前髪の隙間から見えたその瞳はまるで夜空のように黒く、綺麗で、そして酷く濁っていた。

「アタシのカワイイ、アタシだけの天使ちゃん」

その瞬間、上葉の心臓がわしづかみにされたような感覚に襲われた。まるで天使という言葉に拒絶反応を起こしているかのように。

「言わなくてもわかるよね? それとも言って欲しいのかな? ねぇネェどっちドッチ?」

上葉は苦しむ。喉の奥から熱いものがせり上がってくる。いつも口から出す黒い水とはまた違う、まるで生きているかのように体の中を進んでくる。

「言って欲しい? 欲しがりさんだね? 好きだよ。上葉くんのそういうところがダァイスキなのだ」

満面の笑みで嬉しさを表す。だがその笑顔は心からのものであるのはわかるが、同時に気味の悪さを孕んでいる。

そして彼女の口から我慢できずに黒い液体が零れだす、それは上葉も同じだった。


『怖いものは、みーんな死んじゃえ』


その瞬間、空気が変わった。空気だけではない、周りの色もまるで夕闇が深まっていくかのように黒くなっていく。

まるでここは、深海だ。

彼女の腕から解放された上葉が力なく立っている。

「……彼女が、ゴボァッ……怖がっているじゃないか」

口から黒い水を吐血するかのように吐き出しながら、ゆっくりと標的に向かって歩いてゆく。


その時後ろにいた紫苑がハッと我に返った。そして変わり果てた様子の上葉を見つけると手を伸ばした。

「違う! アタシそんなつもりじゃ!」

だがその手は彼に届かず、くるくると踊るように彼女は両手を広げて回りだした。

「ちがわなーい、ちがわなーい!素直になろうよアタシ、そんなだと上葉くんに嫌われちゃうゾ」


「アタシは……!そんなこと――!」


「ううん。望んだ、望んだよアタシ! だってアタシはアタシの本心! アタシは本音しか言えないのよアタシ!」


くるくると回った果てに、紫苑はペタリとその場に膝から崩れ落ちた。

何度目かわからないほどに伸ばした手の、その指先から見えたのは、足元から黒い水が這い上がっていく、青木上葉の姿。


「彼女ハ、オ前タチノ死ヲ望ンデイル」


全身が黒い水に多いつくされようとしたその時、上葉の頭上に黒い水が集まりだした。

それが織りなす形は“輪”。

それはまるで、天使の輪っか。

全身が完全に黒い水に包み込まれたその姿は、まるで羽のない、

「……黒い……天使」

その姿を見届けた紫苑は力なく倒れ、気を失った。

そしてそれがリードを外された犬の様に、それを皮切りに、地上に現れた黒い天使は、天に向かって雄叫びを上げた。


「BLAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAck!!!!」

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